かぶれの世界(新)

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メグライアンを探して

2019-03-31 20:57:03 | 映画
朝一7時半から映画「めぐり逢えたら」を見ると宣言した私に、家内は怪訝な顔をした。私は「昔のシアトルの懐かしい景色を見たい、当時メグライアンが大好きだった。あの頃の彼女は輝くように美しかった。君だってもう一度米国に行くならLAやシスコじゃなくシアトルだと言ったろう」と言い訳をした。

家内は「メグライアンが年を取って酷い顔になっているの知ってるの!」と言い返した。「エーッ、そうなの?」急いでネットで調べると確かに彼女の老け顔が可哀想な状態になっていた。家内が言うには多分整形を失敗したのではという。最近はやけにネット情報に詳しい。

私には予感があった。彼女の若い頃の輝くような美しい顔立ちを見て、このまま美しく年老いて行くのは難しいかも知れないと思ったことがある。普通の老け顔になっても落差が大きい。この十数年全く映画に出てこなくなったのは、多分そう言うことなのだろうと思っていた。

「めぐり逢えたら」は私が95年にシアトルに赴任した時に、以前からボストンに赴任していた先輩の奥さんに勧められた。原題はSleepless in Seattleでシアトルに住むんだったらこの映画を見るべき言われた。もう一つ勧められた本が後に映画になったベストセラー「マジソン郡の橋」だった。

「めぐり逢えたら」の舞台になった海辺の現実のBoat House(水上住宅)は、当時価格が1億円以上に急騰したと話題になった。映画を見て他に思い出したのは遠景のビル群とスペースニードル、パイクマーケットという魚市場くらいだった。その近くにスタバ1号店があったはずだ。

結局、家内の‘心無い言葉’でメグライアンはインターネットで簡単に探し当て、彼女の相貌の変化に驚き失望した。色々な逸話もあったようだが興味なかった。当然のことだが映画は昔見た通りで彼女は美しかった。コメディなのに同じ映画を見て涙を流し改めて私が老人になったと自覚した。それにしてもハリウッドで美しい女優さんが美しく老けることは容易ではないようだ。■
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求む「健全野党」

2019-03-30 21:13:29 | ニュース
27日の参院本会議で過去最大の19年度予算101.5兆円が成立した。今国会の予算審議で何が議論されたか、マスコミ報道は10月に導入される消費税導入時の景気悪化対策とポイント還元くらいだった印象だ。だが、最大の国民的課題は膨張が続く社会保障費と財政健全化なのに十分議論されなかったのが理解できない。若者の未来の為に今議論すべきと思わないのだろうか。

こういう時こそある意味直接責任を持たない野党が問題提起し議論すべきなのに、野党も意図して素通りした印象がある。野党もマスコミも厚生省の毎月勤労統計の調査不正の追求に血道を上げているいる印象だ。だが、多くの国民は「違うだろう!」と思っているはずだ。勿論それも問題だが、国家予算の長期的課題よりも与党の政権運営のミスとして攻撃し点数を稼ごうという魂胆が見え見えだ。

「国民は分かってるよ、バカにするな」と私は言いたい。安倍首相の4選云々なんて他党の内政問題に首を突っ込む暇があったらもっと真面目に国会議員の責任を果たして欲しい。東日本大震災前に政権交代し民進党が政権を握った時は国民は本当に期待した。あの時は不運にも未曽有の災害に準備不足を露呈した。

放射能被害に怯える福島の人達に対して、災害対策本部の旗振りをすべき官房長官が「自主避難」と言ってしまったのは痛恨の出来事だった。知識も経験もなかったのはやむを得ないが、自主避難と言ってしまったら誰の眼にも明らかな責任放棄だった。自治体の長もどうしていいか分からず政府の指示を待っていた時に、自分の判断で好きにやってくれと言った。

政権交代させたいと思っても心ある国民はこの時のことを簡単には忘れられないと思う。反省のない今の野党には政権を任せられないのだ。未だに民主党政権時代の反省をせず、次の日本を担う若者たちに対するメッセージを発しない現在の野党を信じられないのは当然だと思う。殆どの今の若者は野党を支持してない。

これは私見だが、細野氏ら旧民主党幹部が現在の野党に居場所がないと考えるのも将来政権交代の壁になるだろうと思う。旧民主党は未熟だったが右も左もいて、主要な支持者として分厚い中流階級がいたと思う。労働者の生活と安全保障を現実的具体的に議論する基盤がなければ広範な国民の指示は得られない。

分裂し夫々が狭量で勝手な政策を主張する今の野党は、皮肉にも与党を非難する時しか一致点を見いだせない。それで国民に支持を訴えても世論調査と変わらず一桁の支持しか得られないだろう。国民は与党と建設的な議論をして国難に立ち向かう健全野党を望んでいる。■
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最後の高尾陣馬縦走x2 交流編

2019-03-28 14:38:04 | スポーツ
春休みの日曜日の好天とあって高尾山から城山、景信、陣馬山にも多くの親子の姿が見られた。4月に孫と高尾山を歩く予定があるので同じ年代の子供達が気になり、子連れに出会う度に小学何年生か聞いた。どうせ聞くなら楽しく警戒されないようにと、学年当てクイズ形式で質問し少し年上の答えをして相手を喜ばせた。だが、その必要はなかった。

彼等は概して大きく元気一杯に歩いていた。杉並から来たという姉弟の1年生の男の子はクラス一番だそうで本当に3年生かと思った。そう言うと両親も嬉しそうだった。聞くと母親が姉は真ん中くらいと答えたのが姉は不満で違うと言い、私も6年生には見えるよと後押ししてやった。最後に父親がSさんと私の一緒の写真を取ってくれた。

復路では景信山の下り坂を這いつくばる様に坂を降りる老婆と老婦人カップルに驚かされた。老婆の姿を見て心配になり声をかけたが、どこも悪くないので心配ないとのこと。生きてる間は頑張るのだそうだ。彼女を見守る老婦人は私に礼を言いながら私の年齢を聞き、彼女は3つ上の19年生まれと言った。彼女は70過ぎてから衰えが急速に進んだと強調し、私も全く同感だと相槌を打った。

実際、標高数百メートルの丘陵の山道でもバカに出来なかった。山道周辺の日陰部の熊笹には予想外の残雪(*)があり、あちこちの路肩に霜柱が立っていた。気温が上がるにつれ霜柱は解け出して関東ローム層特有の粘性が高く滑りやすい道(赤土というより黒土)に変化した。ぬかるんだ急坂の道に不定間隔で樹の根があると最悪で、あちこちに滑った靴跡が残されていた。

(*)下山してロープウェイ駅のあるお店で今どき何故残雪があるのか聞くと、若い女性店員が前日降ったみぞれが山の上では雪になり残っていたのだろうと手を止めて親切に教えてくれた。何故か心が温まるような優しい口ぶりが記憶に残った。私みたいな高齢者を慮ってのことだろう。

私も往路で城山から小仏峠に下って行く途中油断して滑り派手に尻もちをついた。すれ違うハイカー達にこの先道の状態を知らせ(恥ずかしながら身をもって)警告した。こういう滑りやすい道を歩く時に使う筋肉は少し違う。次の日は大腿四頭筋の筋肉痛が大きく、2日続いた。

勿論、私自身が加齢で基礎代謝量(その多くは筋肉量)が低下したのが最大の理由だ。裏返せば中性脂肪の増加だ。遺伝要素が大きいが、生活習慣でも炭水化物や糖分を摂り過ぎが無駄に中性脂肪を増やすと、10日前に掛り付け医の診察を受けて薬剤師に指摘された。

その時は聞き流したが、今回の縦走で基礎代謝量の劣化を実感したのを機会に、食事はよく噛み、チョコレートを適宜食べるようにして暫く様子を見ることにした。結果がどうあろうと、高尾陣馬縦走往復は多分これが最後だろう。途中出会った老婆ちゃんほどのガッツは持ち合わせていない。ところで、蒲田のSさんは無事に復路を戻れたのだろうか。■
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最後の高尾陣馬縦走x2 データ編

2019-03-27 18:40:20 | スポーツ
自称「データ魔」の私は、主な通過点での時刻と歩数をEXCLに展開し、前回(2017年10月)との歩き方を比較した。前回は往復7時間57分(往路4:07 復路3:51)だった。今回は53分遅い8時間50分(4:45 4:05)かかった。歩数は今回47553歩で、前回とほぼ同じだったにも拘らず。

登山口から高尾山のまき道までは前回とほぼ同じ1時間で歩いたが、それ以降は息が上がりSさんの歩く速度(前回より10%遅い速度)に合わせ陣馬山まで歩いた。正しくは、その速度でやっと歩けた。復路は単独行に戻ってやや歩く速度をあげ(前回より6%遅い速度)歩き切った。

復路では景信山で息切れしたがアミノ酸ゼリーを補給後の残り約1時間半(88分)は前回とほぼ同じ時間で歩けた。つまり適切にエネルギーを補給すれば脚力は回復した。但しその効果は1時間半程度で無くなるというのが今回の実験で得られた結果だった。ただ、まき道(近道)があって全く同じルートを辿ったか不明だ。

理解できなかったのは歩数計は往復ほぼ同じ値を指しており、記憶する限り前回とも変わらなかった。つまり年を取り体力が落ちても歩幅は変わらなかったことになる。今迄の経験でジョギングの記録は歩幅で遅くなったり早くなったりした。山歩きとジョギングは違うということか。誰か教えて欲しい。

これが、71才の男が500-800mの丘陵を30km歩いた結果の分析だ。偶然にも知り合ったSさんが一緒に歩いてくれなければ往路すら歩けなかったかもしれない。それを数字で示すのは難しい。その時その時の体感を数字で表したかったが分析できてない。ビッグデータではなく私だけのマイクロデータだ。■
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最後の高尾陣馬縦走x2

2019-03-26 22:37:11 | スポーツ
天気予報を確認して日曜日に久し振りで高尾山から陣馬山への縦走の往復をやった。長男から孫を高尾山に連れて行って欲しいと頼まれていた。一度は悪天候の為延期したが、私が田舎に行く前にもう一度チャレンジしようという約束をしてる。もう一つは私の体力を測る定点観測の一つだった。

一昨年10月に同じコースを歩いて70代になってもまだ歩けると復活を自画自賛した。だが、その後怪我や病気などを経て回復したものの、良くなる度に基礎代謝量(つまり筋肉量)がかなり低下した。大袈裟に言うと日々体力の衰えを進行形で感じ、今回どこまで歩けるか自信がなかった。

結論から言うと、「歩き方」によっては高尾山程度のなだらかな山道なら何とか歩き通せた。日曜日は好天で多くのハイカーがいた。目立ったのは幅広い年代の女性が多く、一見山歩きに慣れてない装いの若い女性も少なからずいた。「歩き方」というのは見知らぬ女性に助けられたことだった。

高尾山口駅から6号研究路を昔のペースで歩き始めて直ぐ息が上がり、かつての様にはいかないと思い知らされた。高尾山のまき道でズボンの膝下部を切り離し半ズボンにタイツ、トレイルラン用靴という昔の私なら速度重視のスタイルになった。だが身体が重く一向に調子が出なかった。

一丁平付近で美しい富士山を見て城山に向かって歩き始めた時、前方に内股で歩く見かけアラサーのSさんがいた。いかにも素人っぽい。横顔を見ながら「帽子被った方が良いよ、今日は特に紫外線が強いから陽に灼けるよ」と何時ものように気安く声を掛けて追い抜いた。追い抜いた積りだった。

小仏峠手前の私が大好きな相模湖と富士山が同時に見えるかつての休憩所で一休みしていると、後ろに彼女がいるのに気付き写真を撮ってあげた。先に出て小仏峠の売店で雑談していると又もや彼女が追い付いて来た。次に城山に登り一休みし歩き始めると、後のベンチに帽子を被った彼女がいた。

私は笑いながら一緒に歩こうと申し出、その後陣馬山まで彼女と同行することになった。彼女はキツイ登りの坂はスローペースだが、それ以外は私の歩く速度と変わらなかった。城山まで私はギブアップを考えていたのに、彼女のペースでゆっくり歩くと意外に楽で何とか陣馬まで歩けた。途中沢山のハイカーに追い越された。高尾山のハイカーに追い抜かれた経験等なかったが、気にならなかった。

彼女は鎌田の人で山登りは初めてだった。友達に高尾山に行くと言うと、それじゃ物足りない陣馬山まで歩けと勧められたそうだ。経験のない女性には無理だと私は言った。学生時代に短距離は苦手だったが長距離は50人中10位内に入ったというので、山歩きには向いているのかも知れない。

陣馬山頂上で彼女は売店でうどんを食べるのを楽しみにしていたと聞き、写真を撮り合い分かれて私は家内の作った弁当を食べてそのまま復路行を開始した。昨日は絶好のハイキング日和で所々で見る富士山は素晴らしかった。が、徐々に霞んで見分けがつかなくなり一丁平では薄い鉛筆書きの輪郭だけのようになった。傍にいた本格的な登山服の女性が教えてくれなければ見えなかった。

復路はこれまでの単独行のままで黙々と歩いたが、今までになく疲れて歩くのが辛かった。必死で歩いたが途中何度も登山口まで辿り着けるか不安になった。何とか景信山に辿り着きベンチで一休み中、バドミントン練習で利用するサプリメント(アミノ酸ゼリー)を携帯したのを思い出し食した。

これで何とか登山口まで辿り着いたと思う。往路はSさんのスローペースに合わせて無駄口をたたきながら楽しく歩いたこと、復路はサプリメントのお蔭で何とか高尾陣馬縦走往復を歩いた。昼食の時間を除くと1年半前より1時間遅い8時間50分もかかったが、何とか歩き切った。■
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