かぶれの世界(新)

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やっぱりぬか喜びの一瞬だった

2024-04-30 17:59:34 | 株式
先週土曜日に私の米ドルベース資産が、円安のおかげで投資を始めて以来最高の儲けを得た。しかしリーマンショックで大損を経験した私は一時の儲けや損に一喜一憂しないと偉そうな記事を投稿した。素人のくせに偉そうに言ったと思った。案の定一旦ドル160円に下落した円は今朝がた156円に急上昇し、ドルベースの資産は円ベースで一気に値下がりしていた。

一喜一憂しないと言いながら内心ではウハウハしていた。喜びの一瞬はあっという間に消え去ってしまった。リーマンショック時は連日の大損が続き参ったけど、こんなに短期間に損得が現れたのは経験がない。寧ろ、偉そうに言ったのが恥ずかしい、だが取り消そうにも消えない。

現実にはリーマンショックに比べて大した損ではない。しかも、変動しているのは為替市場だけで強いドルに対して円は弱い、一方現在は日米ともに株価はトータルでは安定しているので私は心配していない。その意味では今日も一喜一憂した訳ではない、ぬか喜びが一瞬にして消えたのでちょっと恥ずかしく悔しいだけだ。■
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連休中のサイクリングを楽しむ

2024-04-29 21:13:08 | スポーツ
帰郷後7日目の昨日の午後久し振りに長い距離のサイクリングを楽しんだ。帰郷後3日目に神南山の周りの町々菅田町、五十崎町、内子町を通り、自転車で一周した。約1時間45分程度のサイクリングを何とか乗りこなし、次はどこに挑戦するか考える資格を貰った気がした。

それから4日後に思い付いたのが、大洲市から肱川沿いに長浜に出て瀬戸内海の海岸沿いを走り伊予市との境界にある串本村まで往復した。約50-60キロの平坦な距離だった。串本村で海岸から山に向かい西側の激坂を自転車で上ろうとしてギブアップし徒歩で山道を歩いた。

昨年春に偽痛風を患い退院後で、最も長い距離のサイクリングだった。入院前は今治尾道間の往復約150キロ走ったこともある。子供達に経験をさせたいと、今回帰郷前に息子や孫たちに夏休みにしまなみ海道を走ろうと提案したがまだ返事はない。昨日は、その3分の1程度の距離だが途中で様子を見て引き返せばいいと思って走り始めた。

最初に長浜に向かって川の左岸を走った時は坂がきつかったが、長浜に到着後は左手に瀬戸内海を見ながら走るのはとても気持ち良かった。長浜の町を抜けたところのローソンの広い駐車場に凄い台数のバイクが駐車し、ど派手な格好のドライバーが沢山いた。

道沿いにいる若者に声をかけ改造車が多いねというと頷いた。といっても40年前のような、レーサータイプではなかった。その頃の私はスズキのカタナ250や400が好みだった。だが、今回見た車はレーサーモデルではなく殆どがバリバリ音を立てて走る丸っこいバイクだった。

当時私も連休中にあちこちドライブして楽しんだ。だが、昨日は私がサイクリングを楽しんでいる真横を、耳が潰れそうな轟音を立ててすり抜けていくドライバーには正直腹が立った。山間部に入っても海岸線の国道から轟音が聞こえてきた。

ギブアップした激坂には軽自動車が停車していた。運転席を覗くと若い男性がいた。この先綺麗な景色が見えると聞いたが歩いてどの程度か聞くと、彼はこの先の三差路を下る道しか知らないという。ではと私は歩いて昇って行ったが空き家が見えただけだった。気に入ったのは林の隙間から遠方の雲の中に見えた島だけだった。

歩き疲れて引き返して軽自動車の運転手に何もなかったと報告した。よく見ると車の横に大きな太陽電池があり充電中、彼は神奈川から来て旅行中だという。私が東京から来たというと急に話が合ったが、長々と話をする時間はなくお互いに気を付けてと言って別れた。

帰りは右手に伊予灘を見ながら道路の左側を走るという、ちょっと景色を楽しめないコースになった。すれ違うバイクが殆どいなくなり、ローソンの駐車場に停まっていたバイクも数台残っていただけだった。少し寂しかったが、黙って家に戻るしかなかった。■
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ぬか喜びの一瞬一瞬

2024-04-27 16:34:38 | 株式
帰郷後の5日間はかつてなく目まぐるしく忙しい日が続いた。健康面では「田舎暮らし雑感」に投稿した通り医者通いが通り続いたが、それに劣らず投資したお金が増えたり減ったりして毎日持ち高が乱高下した。原因は毎朝トップで報じられる「円安」だ。

90年代に米国で仕事した私はドルベースの資産が多い。為替がドル70円台まで進んだ円高で日本で生産した商品の競争力が激落ちした対応策として日本企業の海外生産が進んだ。私も否応なく米国に赴任することになった。99年に帰任する時に米国で購入したドル資産を持ち帰り、そのままドルベースで資産を金融機関に預けていたからだ。

帰国当時は持ち帰ったお金は銀行に預けっぱなしだったが、数年後に早期退職し円べースの退職金を徐々に日本企業株に投資していった。素人だったせいもあり結果的に損をした。色々と勉強して海外資金の比率が日本株価に大きな影響を与えていると知り徐々にドル資産に切り替えた。

リーマンショックで大損した試練を乗り越えドル資産の比率を高め現在まで続いている。当時巨額の損失にジタバタした素人投資家が市場から去って行ったと聞く。私の場合は米国の友人の助言と、資産が直ぐには使えないドルベースだったので慌ててアクションをとらず助かった。投資の世界で生き残ったと言っても何もせず、関係するIT関連の資産を持ち続けたからだと思う。

ここに来て進行した円安の為に物価上昇等で大騒ぎしているが、私は何にもしないのにドルベースの所有資産の値打ちが上がった。実は今年になってAI関連の株の値打ちが爆上がりしたが、私が所有するのは1世代前のIT関連株なので値下がりしていた。だが、通貨の変動は物価にも資産にも平等に影響する。ここに来ての円安は私にとっては有り難かった。

私のドル資産がまだ残っているのは、私のケチな性分で何もしないでドル資産を保有出来たからだ。そうすると、今回のように34年ぶりの円安で値打ちが上がる幸運もある。ということはリーマンショックほどではなくとも、値打ちが上がることもあれば下がることもある。このところの市場変化は逆の意味でリーマンショックを思い出させた。しかも空喜びすることもなく冷静に。

流石にこの数日の円下落は半端なく驚いた。ドル150円台で大騒ぎしたのがウソみたいで、更に日銀が様子見の態度をとり、4月の物価上昇が1.6%と予想を大幅に下回り一息ついたかと思った。しかし、一方で米国のCPIが予想以上に高まり利上げが先延ばしになる見込みから、昨夜から今朝方にかけドル158円台まで急落した。

驚いたと言っても私は何もしない。今回は嘘みたいに資産が値上がりしたが、もっと変動した経験は何度もある。時間軸を変えて考えてみれば必ずドル高の次にはドル安が来る。ケチな私には生活費に困ることもない。バタバタ反応する日本人専門家など全く信用できない、器の大きさは全く違うが、バフェットみたいに一瞬一瞬のぬか喜びはないと心掛けている。

一言追加すると、ポン友はリーマンショック時の私は酷いショックを受けて沈んだ顔で慰めようがなかったと今でもいう。この記事は強がり過ぎるかも知れない。■
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田舎暮らし雑感2024(4)

2024-04-26 18:24:34 | 日記・エッセイ・コラム
まだまだ田舎暮らしの私的な事件が起こった。先週の帰郷前まだ東京郊外にいる時に右肩に痛みを感じ始めてていたが、月曜日に帰郷後徐々に痛みが悪化し始めた。一昨夜頃から痛みが酷くなり寝返りする度に痛みで目が覚めた。昨日は歯科医の緊急の治療を受けて舌の痛みが取れ気分良く散歩に出かけたはずだが、夜には右肩の痛みが酷くなり今朝まで何度も目が覚めた。

今朝は何時もの様に血圧測定し正常値を確認し、金融市場のネット検索をし円安と米株価下落を確認した。しかし気分転換にならず11時前に、最寄りの整形外科医に診て貰うことにした。散歩を兼ねて約2キロの距離を歩いて行ったが、手を振って歩くだけで肩の痛みが酷くなった。この記念病院は一昨年自動車事故で痛めた足を診て貰ったことがある。

1階で総合受付を済ませたあと2階に行き、整形外科の窓口には受付用紙が分厚く積まれていた。広い待合室には11時頃で30人位の患者が座って待っていた。待ち時間が長くなることは覚悟した。それから2時間後に名前を呼ばれてからはやっと物事が進み始め、与えられた質問用紙に症状を記入し、レントゲン撮影、やっと診療が始まった。

昨年東京にいる時に左肩に似た症状(筋肉石化)が出て治療を受けたと申告したが、その時とは若干異なる治療を受けた。東京では石化した部分を特殊な注射で粉砕後に痛み止めを処方された。今回は石化の修復と痛み止めが一緒の注射を受けて治療は終り、様子見となった。

1階に下りて窓口で支払いをした時、何時もの様に若い係の女性と馬鹿話になった。治療を受けたT先生は若くて男前だねと言うと彼女は顔がほころんだ。私の場合こうなると女性との話が続く、そして気分転換になった。家に戻ると2時半過ぎだった。往復に歩いた散歩の時間を含め治療に約3時間半余りかかったことになる。

途中スーパーで買った粒あんパンを歩き食い、帰宅後にウドンを食ベ、わらび餅、その後チョコレートに不味いコーヒー。お腹が空くと滅茶苦茶な食事になる。だが、右肩の痛みは中々引いてくれない。先生には今夜はぐっすり寝たいと言うと笑って頷いたのだが...もうこれ以上「田舎暮らし雑感」のテーマで記事を書きたくない。■
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田舎暮らし雑感2024(3)

2024-04-25 21:33:38 | 日記・エッセイ・コラム
22日に帰郷以来、私的な事件が続けて起こる。事件の程度が日々悲惨になる。今朝は朝食後にポロリと差し歯が抜けた。食事が終った後で差し歯が抜けるなんて、ラッキーと思った。書斎に戻って歯科医に連絡し、咀嚼出来るので急がないと断って、明日の午後に治療の予約をした。

その直後に悲劇が起こった。好物のチョコレートを食べながら金融市場をチェックしてると激痛が走った。抜けた差し歯に引っ掛ける入れ歯の針金が舌に刺さり絡まって取れなくなった。口に指を突っ込んで入れ歯を押したり引いたりすると、痛みが酷くなり血がポトポト流れ落ちた。

明日予約した歯科医に緊急で治療をしてもらうべく自転車に乗って向かった。電話をかけても喋れないので連絡しなかったが、病院では殆ど喋れない私の様子を見て受け付けてくれた。私の患部を見て先生はこんなの初めて見たと言ったが、あちこち患部をいじくって数分で舌に絡まった針金を取り除いてくれた。

その瞬間から、私は普通に喋れるようになり先生に礼を言った。その後念の為にレントゲン写真を撮り異常がないことを確認し、抜けた差し歯を取り付けて貰った。差し歯の取り付けなんて何の痛みもなく、あっという間に終わった。先生にとっても私にとっても初めての経験だった。

その後銀行に行き田舎暮らしの生活費を下ろして実家に戻った。途中で懇意にしている元地区長に出会い、長年彼が飼っているレトリバーが24歳になりもう歩けなくなったと聞いた。24歳と聞いて驚き彼が大事にしてやったからだろうと言った。人間ならもう100歳を越えてる凄いと言い、ついでに近所のお婆さんが100歳を越えたと話題を変えた。

実は彼の母親の姉妹は100歳前後の長寿ファミリーだということを初めて知った。そんなに長生きする人達が周りにいるのに、この集落には子供が一人もおらず消滅まじかだとお互いに嘆いて分かれた。■
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