Go straight till the end!!

世界一周の旅の思い出を綴っています。
ブログタイトルは、出発前に旅日記の表紙に書いた言葉です。

(197)ロンドン(イギリス)

2012-07-19 23:43:20 | イギリス
 Dover (ドーヴァー)からの列車が、首都 London (ロンドン)に着いたのは昼過ぎだった。



 ロンドンはヨーロッパ最大の都市で、世界都市ランキングで New York (ニューヨーク)(アメリカ)に次ぐ第2位に位置づけされている(3位は Paris (パリ)、東京は4位)。夏季五輪が来週から開催されるが、同一の都市で初めて3度の夏季オリンピックが開催される都市となる。

 【ロンドン】の語源は諸説あるが、現在主流なのは、古ケルト語【 (p)lowonida 】(【渡るには幅が広すぎる川】の意でテムズ河を指す)を語源とする説で、これがケルト語の語形で【 Lowonidonjon 】となり、集落名になったとしている。

 西暦43年、第4代ローマ皇帝(ティベリウス・)クラウディウス(・ネロ・カエサル・ドルスス)(紀元前10年~54年)が、ケルト系住民が住んでいたブリタニアを征服し、テムズ河北岸に植民地として建設したロンディニウムが都市としての起源である。
 100年、ローマはブリタニアの首都を Colchester (コルチェスター)からロンディニウムに移した。ローマの支配力が弱まると、7世紀までにはアングロ・サクソン系勢力がこの地方を支配下に置いた。
 10世紀には国内最大の都市になっていたが、イングランド統(927年)によりさらに政治面での重要性も高めた。

 17世紀、イギリスはスペインポルトガルに1世紀近くの遅れを取りながらも大航海時代を迎え、世界中の国々の植民地支配を強めていく。
 その後、18世紀から19世紀にかけての産業革命の時代にロンドンはヨーロッパ最大の都市から世界最大の都市へと発展を遂げた。

 その後、二つの世界大戦を経て、世界の盟主としての役割はイギリスからアメリカへと移ったが、現在でもロンドンは世界の政治・経済の中心地の一つであることに変わりはない。



 ロンドン到着後、午後にロンドンの街を観光してから、今晩は宿代を節約する為、インターネット・カフェに泊まることにした。
 現在も営業しているか分からないが、当時は【 EasyEverything 】というヨーロッパにチェーン展開しているインターネット・カフェがあった。
 料金体系が相対的で、人が多くなると料金が割高になるが、人が少ない時は同じ値段で数時間滞在出来た。この話を旅行者から聞いていた為、ロンドンで実践してみたのだった。

 ネットカフェには個室が無かった為、眠れないのは辛かったが、何とか朝まで耐えた。そして翌朝公園行き横になって眠った。しかし夏とはいえ曇り空のロンドンは肌寒く、熟睡は出来なかった。
 疲れもあり、2日目の晩はユース・ホステルに宿泊している。1泊約25ドルだったが、地下鉄で辿り着くのに往復6ドル位かかる。ロンドンの地下鉄の料金は日本よりも割高に感じた(初乗り運賃でも200円以上かかった記憶がある)。



 ロンドンの街には2泊しかしていないが、美術館を中心に観光している。
 ロンドンで観光したのは下記の通り。

ナショナル・ギャラリー  このギャラリーの始まりは、1824年にイギリス政府が国民の為に購入した38枚の作品がきっかけらしい。無料で見れる点が素晴らしいと思った。

ビッグ・ベン  国会議事堂(ウェストミンスター宮殿)時計塔の愛称。もともとは塔の中にある鐘に付けられた名前らしい。工事担当者だったベンジャミン・ホールの名前に由来している。



大英博物館  世界最大にして最高の博物館と評されている。有名なのはエジプト関連の展示物だ。2階北側にあるその空間に佇(たたず)むと、まるでエジプトにいるようだった。

タワー・ブリッジ  世界で最も有名な橋の一つ。1894年に完成(ヴィクトリア様式)。近くに巡洋艦HMSベルファスト号(1963年退役)が停泊している。

ロンドン塔(世界遺産)  1078年にノルマン朝(1066年~1154年)初代イングランド王ウィリアム1世(1027年~1087年)が要塞の建設を命じ、約20年で完成した(その後城壁の周囲の濠が建設された)。国王が居住する宮殿として1625年まで使われ、造幣所、天文台、銀行、動物園と様々な用途に使用された。監獄や処刑場として使用された暗い側面も持つ。宝石類等の歴史的展示物もあり、ロンドン観光の目玉の一つになっている。

 バッキンガム宮殿(女王陛下の宮殿)やロンドン・ダンジョン(お化け屋敷)も見たかったが、今回は先に進むことにした。



 五輪前ということもあり、TVで連日ロンドンの様子が映し出されるが、当時と比べ随分明るくなったような気がする。

※地図はこちら