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世界一周の旅の思い出を綴っています。
ブログタイトルは、出発前に旅日記の表紙に書いた言葉です。

(168)マドリード(スペイン)

2011-12-01 23:55:55 | スペイン・ポルトガル
 Algeciras (アルヘ(ー)シラス)から夜行列車に乗り、翌早朝に首都 Madrid (マドリード、マドリッド)に到着した。
 ニ等客車にしたのは正直失敗だった。コンパートメントには子供が何人かいて、うるさくて寝付けなかった(夕食をパンだけにしたのでお腹が減っていたせいもある)。子供の母親達も寝ようとせず、ずっと起きていてゴソゴソと袋からおつまみを取り出して食べていた。とは言ってもまあ二等客車なんてこんなものだし、こういう状況でも寝なくてはならないのだろう。

 マドリードに早朝到着し、すぐに Lisbon (リスボン)(ポルトガル)行きの寝台列車を手配した。寝台にしたのは、今晩きちんと寝ないと体調を崩すという予感があったから(少し風邪気味だった)。本来ならば、ホテルに泊まるべきなのだろうが、倹約する為に先を急ぐことにした。



 マドリードは、イベリア半島の中心に位置する。標高655mと欧州の首都で一番標高が高い。人口約325万人。

 この地には先史時代から人間が住んでいたらしい。最初に歴史に登場するのは、9世紀後半。後ウマイヤ朝(756年~1031年)のムハンマド1世(823年~886年)(在位852年~886年)によってイスラム勢力の北の要塞として建設された。
 近くを流れるマンサナーレス川アラビア語アル・マジュリート(【水の源】の意)と呼ばれ、そこからこの地はマジェリトと呼ばれるようになり、現在のマドリードとなった。
 1085年にカスティ(ー)リャ王国(1035年~1715年)のアルフォンソ6世(1040年頃~1109年)(在位1072年~1109年)によってキリスト教徒の手に奪回された。
 1561年にフェリペ2世(1527年~1598年)(在位1556年~1598年)が宮廷をマドリードに移した為、事実上の首都となり、以降スペインの黄金時代の中心となって栄えた。



 マドリードの街を美術館中心に観光している。観光したのは下記の通り。

プラド美術館  半日位の時間をかけてじっくり見たい美術館。3万点以上の絵画・彫刻を所蔵する。宮廷画家ゴヤ(フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス)(1746年~1828年)の絵を生で見れて感激した。

ティッセン・ボルネッサ美術館  近現代絵画を中心に展示。ビリャエルモサ宮殿を改装した建物にティッセン・ボルネッサ男爵2代にわたるコレクションが所蔵されている。

ソフィア王妃芸術センター  20世紀の現代美術の巨匠たちを中心に展示。ピカソ(パブロ・ピカソ)(1881年~1973年)の大作『ゲルニカ( Guernica )』が展示されている。

マヨール広場  旧市街の中心にあるこの広場は、1619年にフェリペ3世(1578年~ 1621年)(在位1598年~1621年)によって造られた。中央にフェリペ3世の騎馬像がある。市民の憩いの場となっている。

 マドリードは治安が悪いと聞いていたが、特に危険な目にはあわなかった。しかしシエスタ(昼休憩、13時~16時頃)の時間帯は、人通りも少なくなるので多少警戒心を持って行動した。

 他に印象に残っているのは、どの美術館で見たか忘れてしまったが、ユーゴー(ヴィクトール=マリー・ユゴー)(1802年~1885年)の絵だ。とても絵が上手かった。
 ユーゴーが絵を描いていたことを知らなかった(ユーゴーはフランス・ロマン主義の詩人、小説家、政治家)のだが、多才な人物だったのだろう。



※後年(2004年)3月11日に、この地で爆弾テロが発生(スペイン列車爆破事件)。191人が死亡、2000人以上が負傷した。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

※地図はこちら