テレビで反日デモが激しさが報道されている。
笑いながら石、ペットボトル、インクビンなどを投げている人々。
(まだ使われているインク!)
インターネットの掲示板に呼びかけられて集まったそうだ。子供の姿も見える。
あの中に本当にわかって集まっている人は何人いるのだろう?
警備にあたってるという警察官たちは ただ立っているだけで
暴徒化したデモ隊に何もしない。
私も若いころデモに参加した事がある。
1960年(昭和35年)安保反対のデモ。
構内には独特な大きな文字の大きなビラがあちこちに貼られ
信念に燃えた学生が大きな声でアジリ、デモがあった。
教室は閉鎖されたり、教授も来なかったりで
講義などあったのかなかったのか? 覚えていない。
私の学部は最低の講義は受けられた気もする。
デモに参加したといっても、自分で全てを本当にわかって参加したわけではない。
構内の小さな部室で他の学部の学生から「今に日本の国は変わるから」と
話を聞かされたけど 難しいものだった。
アメリカに従うのではなく、マルクスやエンゲルスの方向に行かなければならない
という理想があった。そうする事が平和への道。
そうするために学生は戦うのだということだったらしい。
歌はロシア民謡が多かった。
地方の大学だったから 街中を練り歩くだけで警察とのトラブルもなかったと思う。
東京ではこちらでは考えられないほどの激しい動きがあり
樺美智子さんという東大生が亡くなった。
警察は国家の手先で、デモをする学生とは対立するものだった。
そのころ 学生が読むべき本というものもかなり読んだ。
哲学の本も読んだ。
本当は何が正しいのか世の中がわからなくなった私には宮澤賢治の童話が救いだった。
あれから何年も経て「あれはなんだったのか?」と思う。
絶対的な一つの正しいと思う考えで、この世の中の芸術も文学も教育も
全てを抑える事は出来ないのだと思う。
天安門事件は国家に抑えられて人々の反対の動き。
今回は攻撃の対象は日本。
今回の中国では「愛国無罪」といいながらデモで暴徒化しても
国家=警察=自分たちだから警察の警備はデモを取り締まるものではないようだ。
今日のテレビにも新聞にも中国に広がっていく「反日デモ」が報道されている。
何年も過ぎないうちに早く別の考えに目覚めた声が広がることを願う。
引き上げの際取り残された孤児たちを育ててくれた国民性に解決の希望を託したい。
また総理の00参拝にこだわることについては、どの神にも頼る私には理解できない。
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記憶が曖昧なまま書いてるので違っている点があると思う。
若いころの「私たちが国を変えていく」とわからないながらもわかろうとした
情熱はすでに私にはありません。当時を振り返っての感想です。
「安保闘争・女子東大生圧死事件」
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