老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

Hoe Nhai Street

2010-07-29 21:17:42 | ベトナム
コッチの人のメインの交通手段はバイクである。ヒトだと最大5人まで乗れるし荷物なら物理的に荷台に乗るモノなら何でも運べる。豚の、お肉がバラバラになる前の状態で荷台にサバ折り状態で乗せられたり、ということは、内臓を取り出して空っぽになったおなかが太陽の光に照らされてキモチよさそうにしていたり、畳くらいの大きさの鏡をヒトが両手で抱えて荷台に乗っているもんだから運転手が見えずに通り過ぎていく風景が前に飛んでいくようなシュールな光景も前に見たことがある。ちなみにヒトの5人乗りというのはさすがに大人ではなく、夫婦と子供3人とか。大人だけだと3人が限界。

で、ワタシはコレまでコッチに来て一度もバイクに乗ったことがなかった。多い時は一日5,6件も、小さな事故ならしょっちゅう見てるし、タクシーに乗っていてミラーがぶつかりそうになるのは日常チャ飯時で危なっかしいのはアキラカだから。でも、乗ったことがなかった、と過去形なのはきのう乗ってしまったからで、夜、ベトナム人の知り合いにご飯に誘われて、家まで迎えに行くから、とか言うので待っていたらバイクで来て、じゃあ、行くか、みたいにヘルメットを渡されて、ココロの準備もできないまま荷台のヒトとなってしまった。

いやあ、快適でした。交差点で対向車に関係なく左折するとき以外は。ちなみにコッチは車が右側通行なので左折のほうがアブナイ。正面から突っ込んでくるのに左折するときでも基本的に止まらないで突っ込んでいく。あと、後ろからは車が、ドケっ、とばかりにクラクションを鳴らすのにバイクのほうは知らんぷりで、いつもは逆の状況でイライラさせられるのにきのうはイタタマれないキブンでシタ。
で、ワタシもニッポン人のいい歳したオヂサンが荷台に乗っかってるのを見たことがないくらいだから実際珍しい風景だったのかもしれない。振り落とされてはいけないと硬直してしがみついていたのを、追い越されて行くときにじろじろ見られた。

ま、それでも無事生還。で、誘われて食べたのがコレ。旧市街の北のほうのHoe Nhai Street / ホイ・ニャイ通りにBit Tet / ビッ・テッ=ステーキの路上店がたくさん並んでいてその中の一番繁盛している店で。牛肉とポテトと卵焼きが焼かれた鉄皿の上で水蒸気爆発状態で運ばれてくる。アルミの蓋がかぶされていて3分間待つと爆発が納まるので蓋をとって食べる。かなりのニンニクどろどろ状態。一緒にラグビーボールを一回り小さくしたくらいの硬いパンが付いてくるのでタレを付けて食べる。ケッコウウマいですヨ。今まで食べたステーキの概念からはまったく違う食べモノだけど。ひとり30千ドン=150円だから若い人とかで大賑わい。前に食べたMa May通りの路上焼肉に比べたら観光客向けな感じはまったくないし新しい発見と言ってもいいくらい。

でも今日のメインの話題はバイク。クセになるかも。便利だワ。


グアバ

2010-07-25 02:12:05 | ベトナム
このところゲロ忙しい。クソ忙しいを通り越して。きのうもニンゲンとしてイキるためには休むべき週末だというのに朝からシゴト。ニッポンから来たツマラン方々の相手しなきゃならないというヒサンなジンセイの1ページ。
で、そういう苦境に立たされると何とかしないといけないと思うモノで、毎日同じ道を通って、同じニンゲンとカオ突き合わせて、同じメシ屋にだらだらと歩いて行って、同じ時間に家に帰る、というのはあまりにもツマランと思って、何か一つ、一日一変、いつもと変わった新しいことをしようと思いたって、きのうはまず来月行く予定のカンボジアのビザをインターネットで取ってみた。なんかスゴイ簡単。3営業日かかるって書いてあるのに10分でできあがってメールで送られてきた。支払いはクレジットカードで25ドル。さすが観光でイキていこうと決意しただけのことはある。
ついでに航空券もいつもの旅行会社にインターネットで発注して、コレは来週発券してもらってカウンターに取りに行く。でもって航空券が取れたらホテルもインターネットでココを予約する。簡単。チョー簡単。

そうこうしているうちにきのうはワタシのタンジョー日で多くの方からお祝のメールをいただいた。
ラクテン銀行とか、ソニーファイナンす、とか、JCBとか、ヨドバシか―ドとか、、みんなカードローンの請求ついでじゃんよ、みたいな。いつもお世話になっているばかりか、タンジョー日のお祝いまでいただいてキョウシュクである。
ほかにも電子化されたカード付きのANAとか、コノ前出張でホーチミンシティで泊まった安ホテルからとか、、あと、どうしても思い出せないいろんなヒトからとか。コノ場を借りて怨霊、いや、オンレイ申し上げる。

でもって写真は何の脈絡もなく、キミたち、グアバ、パパイヤ、マンゴだねっ、のグアバ。いや、アレはキウイ、パパイヤ、マンゴだねだったかな。キウイをパパイヤ、マンゴと並べるのはコッチの感覚から言うとおかしい。ま、いいけど。
いま道端とかでオバはんが大きなパラソルを広げて、コレをピラミッドのように積み上げて売っている。夏の風物詩。リンゴのように皮をむいて食べるのだが甘くもなく、やや酸っぱく、ところによって苦い。胡椒の粒くらいの大きさの種が中心部分にかたまってある。会社のスタッフのヒト妻たちは昼にコレしか食べない。ダイエットにハゲんでいるようでご苦労なコトである。

砂コレ

2010-07-18 21:55:25 | 旅行
ホイアン旅行、ニッポン出張のあと3週間ぶりに普通の休み。朝からいろいろやりためていたことをかたずけた。泊まったホテルの絵の色塗りの残りとか、ためておいたガラス瓶のラベルはがしとか、ニッポンから持ち帰った芝居のチラシのファイリングとか。。アキラカに普通のオヂサンのやることと違うがゴルフとか興味ないし、不幸を共有し合う飲みナカマとかいないし、アイ人もいないし。マジで。

で、洗った瓶を乾かしているあいだに久しぶりに酸素バーに行って細胞を活性化してからインド料理屋で海老カレーとご飯とビールでハラ一杯になって、ウチに帰って砂と石を瓶に詰めた。

夏の思ひ出。

桃屋の江戸むらさきの瓶に入っているのは4年前にシゴトで行ったトンガの海岸の石。砂浜とかなくて、クニの中心の国王の家の前が磯で、ソコで拾ってきた。

砂コレにぴったりの瓶に入っているのはコノ前行ったホイアンのビーチの砂。きのうの写真の砂浜。ちなみにこの瓶はカレー用のスパイスが入っていたモノで捨てずにとっておいたら役に立った。

このコレクションはおそらくワタシのライフワークとして続いていく。甲子園の砂とかは対象外。だってどこのウマの骨かもわからないから。アクまでも海と陸の接する海岸線の構成物としての砂、石コレクションなのであーる。
実はニッポンの家に能登半島の石があるのだが大きすぎて入れる瓶がない。ネスカフェの徳用サイズくらいがテキトーなのだがいまのところ放置中。

Hoi An Beach

2010-07-17 22:15:16 | 旅行


ハノイはきのうから台風。きょうの夜中に世界胃酸、いや、遺産のハロン湾から上陸してハノイ市を直撃予定。みんな玄関とか地下の駐車場に降りるスロープの入り口とかに土嚢を積んで準備万端だ。風で高さ30mの街路樹も倒れる。下敷きになったら死ぬので外出はジシュク。

で、コレは先々週に行った、コレもまた世界遺産のホイ・アンの町の一部であるビーチ。ホイ・アンは川に面した貿易港であると同時にベトナムでも一、二のリゾートとしても有名で、ちなみにほかにはニャチャンとか、ムイネーとか、フーコック島とか。それらにはまたいずれ行く。

ドス黒いほど青い空。遠くに戦争の火種である中国の海南島が見える。

『醜男』@世田谷パブリックシアター

2010-07-15 05:46:50 | 演劇
今回見た3本の最後。ホントはもっと見たいのもあったのだが、少しは余韻を楽しむ時間があったほうがいいのはジジツでジシュク。で、コレはドイツの若手作家、マリウス・フォン・マイエンブルクの大ヒット作品の翻訳版。ニッポン人が金髪のカツラかぶったりする翻訳劇ってのはどうもね、と思っていたが、意外とおもしろかったデスよ。主役のヒトはカツラじゃなくてスキンヘッドだったし、違和感なかった。

実際にはあり得ないつくり話なんだが、なんかワタシの身の回りにもなさそうでありそうなコトで、けっこうリアリティあった。
まずはどこかの電機会社の開発担当者が自分が開発したプラグだかなんかの発表会でプレゼンテーションしようとしている。ところがソコの社長だか誰だかが、その役を若いイケ麺のオトコに代われという。どうして、って聞くと、その若いオトコが、アンタはどうしようもなく醜いから、という。よくある話だ。コンペとかで落ちた原因をカオのせいにされたことあるし。マジで。言った相手はジッサイ偉くなったときに整形してるんだから説得力あった。
で、そのヒトは手術をして顔をとっ換えようとする。手術は自分の技術で世の中変えてやろう、くらいに思っている医者がやって大成功で理想のカオ、っていうから石坂コージくらいのカオになったんじゃないかと思う。そのへんは映画と違ってメークしてリアルにやるわけじゃなく、同じ顔のまま、アアこんなによくなった、とかいって見ているほうもそう思うだけ。

でもって、顔がよくなるとシゴトのほうも大成功で、ハッピーハッピーかと思ったらクライアントの70歳を超えたオバーハンが、シゴトをあげるからアタシと寝ろ、みたいなコトを言う。アンタのプラグをアタシにブっ刺して、みたいな。やや興奮。こういうのもよくあるコトだろうなあと想像する。イケ麺はツライのだ。で、そのヒトは、オバーハンと寝て、そのことをツマに報告する。と、当然ながら生活のほうはだんだんオカシクなってきて、全然楽しくない、みたいな状況に進んでいく。
イッポウであの医者はそのヒトのコトで有名になって、次から次に同じカオにしてくれっていう患者で大忙しになる。で、あの誰とでも寝るオバーハンのところにも同じカオに整形したヒトが来て、あらまた、とか言いながら寝る。寝た時点で分かるはずなのに、、だって、アソコは整形してないわけだから、わかるでしょ、ソコのオクサン。で、そっちの方向に進めば安部公房の「他人の顔」的展開になるところを、そうはならず、最初に整形したヒトは不幸のキワミになってビルから飛び降りようとする。と、そこに最初の場面でプレゼンテーションを奪ったモノの、その後、そのヒトが整形したことで出世しそこなった若いイケ麺がまたまた同じカオに整形して出てくる。3人目。もちろん仮面をかぶって出てくるわけではないのでそういうふうに思わないといけない。
いや、ハッキリ言ってこのへんの展開はアタマがこんがらがって正確に覚えていない。最後はその最初に整形したヒトとあとで整形した若いイケ麺が同じカオのオトコ同士でキスして飛び降りるのをやめてオシマイオシマイ。

これを4人の役者でやる。主人公のスキンヘッドは一つの役だが、そのツマは70歳のオバーハンや医者のアシスタントもやっているし、医者はスキンヘッドの上司もやっているし、、それからそれから若いオトコはイケ麺とオバーハンから解き放たれていないダメなオトコ役もやっている。で、彼らが舞台からほとんど下りないで、自分の登場する場面以外は後ろのほうの椅子に座っていて、場面になると前に出てきて光が当たってソコに何かしらの空気のカタマリができて空間が生まれる。コレぞ演劇。そのただ一人の女優が内山理名サマでバルコニー席からだからよく見えなかったが、キレイな足をアシゲもなく、いや、惜しげもなくサラシていてヨカったです。キレイなお声で、ましてや選挙最終日にぺニす、ぺニすって連呼するもんだからちょっとウレシかった。

まあ、カオって何?ってことか。コイズミJrとか、イケ麺で親の七光りで脳ミソからっぽで、やってるほうもツライだろうな、とは想像できる。コレをオンナのヒトを主役にすると芝居としては成立しない。なにしろ部スを部スと呼ぶと犯罪だから。オトコだから救われる。それはイケ麺がある種、笑いの対象でもあるから。オバーハンと寝るどころじゃない、存在そのものを否定されることもあるし。もちろん表面しか見ない、いやもちろんペニすまで見ろってことでもない、そういう薄っぺらい世の中のいまの雰囲気を浮かび上がらせているくらいのことはワタシにもわかりマシた。でもどちらかというと、照明がウマい、みたいにツウがよろこぶ内容。

2010.7.10、世田谷パブリックシアター中ホールにて。東京は終わったみたい。

『エネミイ』@新国立劇場

2010-07-13 10:11:11 | 演劇
また帰りの成田のラウンジで書いている。アっという間。選挙の結果とか見てると、やっぱニッポンのマスコミはサイテ―だな、と思わせる。過去の政権からカンボウ機密費をわんさともらっているから、早く現政権をたたきつぶさないとジブンたちの存在が否定されると。もう、必死だ。菅サンはドンマイでクニのためにがんばってほしい。それにしてもアノ、落ち目のジミン等の総裁だか総統だか、名前も出てこないが、ジブンたちが作った200兆円の借金を棚に上げて、現政権にアタマを下げろとはどういう図々しさ。呆れる。

で、コレは第2夜。逆から読むとイミネエ、意味ねえ。ヒトとヒトの争いがハタから見ると無意味だ、というようなことを言っているような内容。イデオロギーの対立ってホント、意味ネー。お互いの違いを理解し合わない限り未来はないのはアキラカなわけだから。
でもってコノ芝居の中身はナリタ空港反対闘争から40年たってそれにかかわった人たちと、今の時代のヒトたちとの間の溝のようなものとか、今の、ホントにひとりひとりがイキテいくのが困難な時代の、何のために生きるか、みたいな、キワメテ深い内容。
こちらが期待している演劇的な興奮、盛り上がり、クライマックス、、、そういうモノをあえて避けているような作り方で、つまらなかった、かというとそうでもなくて、なるほど、と思わせるようなおもしろさがあった。コレを最後に芸術監督として3年間の任期を終わらされる鵜山仁サンの最後にふさわしい、世の中こんなもんよ的な深い味わいのある芝居。

話は反対闘争に学生運動として参加したオトコの家で展開する。オトコは闘争に加わりはしたがソレを続けることはせずに大企業に就職してもうすぐ定年を迎えようとしている。オトコの仕事は社内のリストラで毎日、誰をくびにするかを考えている。ソコに40年前に一緒に闘った、と相手は思っている二人が転がり込んできて、ソノ二人はその後もカツドーを続けていて農業で集団生活みたいなことをやっている。オレタチはブレてないぞ、みたいにして。3人は、オトコが闘争から離れていくときに、何が正しんだ、みたいなギロンになって、じゃあ40年後に再会して確かめ合おう、みたいな約束をしていた。でもオトコは今のシゴトにうしろめたさがあって二人には本当は会いたくなかった。でも無理やり転がり込んできた、って感じで、この辺はアベさんの友達のような展開。友達=エネミイというシソウが背景にある。

二人はオトコの家でフリーターの息子に農業やれ、みたいなっことを言ったり、ケッコン相手をパソコンで探している娘に、ホントのシアアワセはなあ、みたいな話をする。オトコのツマはフラメンコに熱中していてオトコの苦労など表面的にしかわかっていないのに、二人はツマのフラメンコで盛り上がる。
そういうのをオトコはいらいらしながら見ている。ジブンの生活に口を出すな、みたいにして。でも二人はフリーターの息子や結婚しないムスメを見て、お前が得たモノはこんなもんか、という。それに対してオトコは、カツドーを続けて、ソレで世の中が変わったかと二人に問いただす。
そういう争いを横目で見て、フリーターの息子はジブンには関係ないと思って、ナンで対立するのかと言う。息子はアルバイトのコンビニのシフト表作りを延々と続ける。そんなシゴトにどんな意味があるのかといわれて、まあいいんじゃない、みたいに最初は言うが、一度だけ感情をあらわして言う。この表の中のヒトたちにはそれぞれの生活があって、それぞれの生活を成り立たせるためにボクはこんなに苦労しているんだ、みたいに。
リストラが仕事の父とそういうことに苦労している息子は決定的に対立するが、その対立は表面には出てこないで、二人のオトコが家を出て行ったあとに夜が明けるように父と子の関係にもナニか、薄日が差すような感じがしてオシマイ。

徹底的に盛り上がらない。盛り上がったのは息子がシフト表のことでタダ1回ジブンの考えを言った時だけ。対立とかしない。そんなことしているほど今の世の中はのんびりしていないというような感じ。成田でなんであんなに対立したの、みたいな。今のジブンの生活でみんな精いっぱいでカツドーとか、農業で自立生活とか、逆に笑っちまう、みたいなことを言いたいような。
中間的存在としてのワタシにはハッキリ言ってカツドーしてる二人も、ジブンのまわりのことにしか関心がない息子も両方とも理解できない。会社でリストラのシゴトをして、ソレで得た給料でリッパな家を作ってカゾクを養って、ヨソモノに邪魔されたくないと思って、定年後の楽しみとしてヨーロッパ旅行に行こうとしていて、できれば息子と一緒に行きたいと思いながらなかなか言い出せなくて、それならそれで仕方がないとしか思わない、そういう妥協的ジンセイを送ってきたチチ親であるオトコだけに共感した。

2010.7.9、新国立劇場小ホールにて。コレもまだまだやっている。必見。

『ザ・キャラクター』by NODA・MAP

2010-07-11 07:42:44 | 演劇
2か月ぶりのニッポン。いつものように芝居通いで最初に見たのはエラい重たいナカミだった。だってオームのさりん事件の話なんだから。ハルキ・ムラカミさんもアノことで一冊書いていたくらいだから、文学的には興味深いテーマなのだろう。想像できる。

話はイナカの町の書道教室から始まる。まあ、書道ってちょっといかがわしい感じがすると前から思っていたけど、野田サンもその辺に目を付けたのか。正座して精神統一みたいな雰囲気とか、書く文字なんかも時代錯誤的で全体的にウヨク的なところとか。で、その書道教室の家元=教祖でソコに集まってくる若者を操ってビニール袋に傘を突き刺すところまで。
話の中心にあるのは宮沢りえさま演じる「マドロミ」がその書道教室に入ったままでてこない弟を探しに来て、家元に近づいてついには弟を探し出すが、マドロミがその途中で、ムスコを探しに来ていた「オバちゃん」と出会って、一緒になってソノいかがわしい集団の悪を暴こうとするが、その弟がそのムスコを集団内部のリンチみたいなことでコロしてしまったことがわかって、ジブンの弟がヒトを殺すのを止められなかったコトを嘆きカナしむ。

でもって、書道のカミ=紙がカミ=神で、弟がちぎったマドロミの服の袖がコロモへんがシメスへんになって棒がはみ出して神になったり、マドロミが弟のおもかげを追い求めているのを、おもかげ=俤には弟がある、とか言ったり、野田サン的言葉のアヤトリ。
でまたその上一転、書道教室がギリシャ神話のセカイに早変わりして、その辺の教養がワタシにはないので話のおもしろさがいまいちわからなかったのだが、たぶんソノ、弟のヒトコロしがギリシャ神話のなんかの話に重ねられているんだと思う。あと、今回注目の藤井隆サンが書道教室の会計係であると同時にヘルメスだったり、というのも深い意味があるんだろうがベンキョウ不足でよくわかりマセンでした。スイマセン。

当然ながら、というべきかどうか、アノ事件については批判的な立場で書かれているわけで、最後のところで、あまりに幼稚だ、と言って、宮沢りえさまが絶叫的に嘆きを表現するところはハッキリ言って、おぢさん、やられちゃいマシタ。もう立ち上がって拍手したいくらいの盛り上がり。こんな暗い話なのに。
もうひとつ、ウワサで聞いていた奥秀太郎サマの映像表現は、舞台の上の光景が一瞬に固まった、かと思ったら、虫のカタマリが一斉に動き出すように形を変えたりで、カンペキにどギモをヌカれた。

2010.7.8 東京芸術劇場中ホールにて。当日券ありでまだまだやっている。