老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『Chua Thay/天福寺の護法善神』 @Quoc Oai, Hanoi

2010-10-31 06:47:44 | 仏像


ハノイの中心部から西の方向に車で20分くらい行くと、トーキョーでいえば新宿副都心のような超高層ビル群が建てられつつあるエリアがあって、その中には来年インターコンチが営業を始めるmax.地上70階建ての韓国系巨大開発もある。そういうのを見ると、まあ、ハッキリ言ってニッポン、アキラカに負けてると実感しマス。で、ソコにこの前コンサートに行った国立国際会議場もあって、その正面玄関を起点にさらに西のほうに延々と延びる、ウシも通る高速?道路が最近開通した。行先はホアラック・ハイテクパーク。工業団地、大学などの複合都市。ニッポンで言えばツクバ研究学園都市のようなところで、ジミで先の長い話だがコレには日本企業も投資している。

今回はオシゴト絡みでその高速道路を走って20分、途中、一面畑の村々の中に突然高さ100mくらいの岩山が3、4本、というか3、4山そびえたっていて、その山のふもとのChua Thay/天福寺を見てきた。英語名はMaster’s Pagoda。モノの本によれば12世紀に実在した高僧=マスター、徐道行/トゥー・ダオ・ハインを祀っている。徐道行は李朝5代皇帝神宗(在位1128-1138)に生まれ変わったという伝説上の人物、とのコト。いわゆる学問の神サマで、ベトナムの若者はココに受験前のカミ頼みに来るらしい。

現在はお寺の門の半分をふさぐ形で隣の建物が改修工事中なこともあって、古いほうは今にも朽ち果てそうな雰囲気。門を入ると狭いながらも静かな庭があって、ソコに面して大きく3つの建物が建っている。ベトナム人の観光客も多いようで見学ルートがベトナム語と矢印で書いてあり、最初の建物には徐道行/トゥー・ダオ・ハインの像が祀ってある。服を着ている。
で、次の建物に釈迦如来像があって、非常に暗かったのでソノ写真はないのだが、ほかにたくさんの仏像が並んでいて壮観。カトリーヌドヌーブ主演の「Indochine/インドシナ」の中にも登場するらしい。15千ドン=65円でDVD買って持ってるので今度確かめてみよッと。

釈迦如来像を取り囲むように高さ4mくらいもある、仏像のカテゴリーで言えば、如来、菩薩、明王の次に位置する天部の神々が並んでいる。天部は仏法及び仏教徒を守護する神々のことで護法善神/ゴホウゼンジンともいう。写真に撮れたのはいわゆる四天王と呼ばれる持国天、増長天、広目天、多聞天のなかのどれか。どれがどれかは手に持っているモノとか立っている方角とかで、わかるヒトにはわかるのだろうが、、、。
像そのものは木、おそらくジャックフルーツとかの木で作られていて、漆と金の塗装=金メッキで仕上げられている。表情はふくよかで立体感がある。衣装も立派。ま、ニッポンの仏像に通じるものはあるが、ベトナム仏教における仏像の特徴はこういうもんかと、非常によくわかりまシタ。ただ、まあ、仏像初心者にはかなり濃すぎる内容。もうちょっとベンキョしてからまた行くか、というところ。

お寺の裏にある岩山はロッククライミング、というほどではないにしても、気軽に登れる山ではない。今回は見るだけ。それから大規模な洞窟があってソレも信仰の対象になっている。

『1000人の交響曲 by Mahler』@Hanoi

2010-10-25 03:00:46 | アート
コレはきのうの夜のハノイの一大イベント、建都1000年を記念して1000人の交響曲をやるというベトナム人にはアキラカに無謀な企画。かなり破綻していたが曲が曲だけになんとなく盛り上がって終わった。

会場は中国でいえばジンミン大会堂のような、5,000人は入ろうかという国立国際会議場。門のところでバイクがゴッタ返していたり、切符切りのところで荷物検査やっていたりしてお客が全員入るのに1時間以上かかって、その結果、多少始まるのは遅くなったが待ち切れずに国歌斉唱からスタート。いきなりミナさん、共産党大会みたいな雰囲気で全員起立して、思わずワタシも立ちまシタ。入場途中のヒトたちも立ち止まっていたから時間は守らないクセにそういうのにはキビシいということ。

演奏はいつもの本名さんと、きのうは黒のドレスでばっちりキメたLanちゃんがコンサートマスターのベトナム国立交響楽団+ベトナム芸大、ホーチミン、フエ、軍隊の楽団+フランス、ニッポン、スウェーデン、ノルウェーから、合わせて170人くらい。独唱8人と、合唱も、女性は全員アオザイのベトナム+各国合わせて800人くらいっしょうか。あんな大勢のアオザイ、もう二度と見れないと思った。プログラムに全員の名前が乗ってマスが、数えるヒマありまセン。千手千眼観音と同じで、ほぼ1000人の交響曲。
いつものように音楽聴く以前の問題だが、子どもがジュースのコップ片手に歩き回っていたり、オバはん同士が世間話に花を咲かせていたり、それからおまけにホールの電気系統が接触不良かなんかでビリビリ音をたてて、いつ停電してもおかしくない感じでシタ。ま、オマツリってことで、ヒト様のクニでいちいち文句言いまセン。
終わったら正面、一番前に座っていた、おそらく一番エラいひとがスタンディングオベィションしたので周りのケライのヒトたちも立ちあがって、そうするとその後ろも立ちあがって、またその後ろも、、というわけで、総立ち。
おしゃべりでうるさかった二人隣のババアもなぜか立っていた。アンタ、ジブンのやってることわかってんのか、みたいな。

そういえばこの曲を聞くのは2回目。1回目は東京でどこかのホールのこけら落としか何周年記念かだったと思う。完全に忘れた。いろんなコトが記憶から消えていく。25年前くらいのコト。



『ブット・タップ寺の千手千眼観音像』@ベトナム国立美術博物館、Hanoi

2010-10-23 12:33:34 | 仏像
急に仏像が見たくなって、お寺に行くよりは博物館に行くほうが手っ取り早いのでイってきまシタ。別に安楽なアノ世を求めて信仰に目覚めたワケじゃなくて、彫刻としての仏像に興味が湧いてきただけ。いいおカオしてハルゥ、みたいな、信仰心をベースにした情緒的な見方はしない。いや、できない。そもそもいいカオ、なんて言い方にはスッゴイ違和感がある。ソレをいいカオと感じているのはジブンが善良な人間だからだ、とでも言いたいキモチが丸見えに見える。
ソコにあるのはヒトの手が、木や石のカタマリから彫り出したひとつのかたち。ワタシとしては、ソコに何百年か前に生きて既に死んだヒトの、絵以上に生々しい手の痕跡を見たい。ソレだけ。

まず行ったのはベトナム国立美術博物館。1階中央大展示室に2体の「千手千眼観音像」が展示されている。たぶんどちらも国宝級。でもさわろうと思えばさわれる。
でもってワタシが特に注目したのはカタログの表紙にもなっている「ブット・タップ寺の千手千眼観音像」と訳された“Tuong Quan Am Thien Thu Thien Nuon Chua But Thap”。Thienが千、Quan Amが観音だなーというのはすぐにわかる。
説明によればジャックフルーツの木に彫られていて、仕上げは漆+金。1656年秋、ドン地方のツオン作、と、土台の正面に彫り込まれている。だいたい仏像に作者が名前を彫り込むのは珍しいコト。よっぽど有名なヒトでない限り価値が下がると思われる。

手が42本、横のほうに出ていて、後ろには952本の手が光輪を描いている。合計994本。6本足りない。ビミョーだ。もちろん千というのはたくさん、というだけの意味だろうが、994本まで作っておいてあと6本作らなかったのはどうして? ま、深い理由はないだろうけど
土台はハスの花びらで飾られていて、一番上の土台は海を模している。その波間からカメだか怪獣ガメラだかがアタマと両手を出して、いかにも重そうな顔をして、観音像が乗っかった、コレもハスの花でまわりがヒラヒラ状態の台座を支えている。すっごい重たいモノが軽々と浮いているように見える。
観音像の顔は正面と右左に大きいのがあって、さらにそのアタマの上に芽キャベツのように三方を向いた小さなアタマが5段重ねくらいで乗っかっている。見ようによってはカツラのようにも見える。ダイナミック。
保存状態はあまり良くなく、かなり補修されている。ベトナム戦争中に壊されないようにいろんなところを転々として避難していたらしい。

ちなみに観音像は仏像のなかで、成仏を求めて修行を積む人の意味である菩薩の一種、観音菩薩。その中で手が千本あって、それぞれの手に目があって、千の手と目であらゆる人を救済してくれるという意味を持っているのが千手千眼観音菩薩、ということのようデス。手にはいろいろなものを持っていてそれぞれに名前が付いている、とモノの本には書いてあるが、ココの観音像はほとんど何も持っていなかった。ヒトそれぞれ、というか、ブツ、それぞれ。ところ変わればシナ変わる。漆と金がよく残っていてキレイでした。

Sapa/Lao Chai

2010-10-20 00:01:17 | 旅行


最後にもう一つだけ。
コレはSapaから車で、モン族と赤ザオ族の村、Ta Van/タ・ヴァンへ行く途中の、同じモン族の村、Lao Chai/ラオ・チャイを上のほうから見たところ。写真ではよくわからないが斜面という斜面は全部棚田になっている。執念の棚田。

白くウネっているのは川で、すぐ先でハノイまでつながるフォン河=紅河に合流するはず。
海抜1,600m。花粉症で気管支が収縮した時のように、息がしにくい感じがした。風向きで雲=霧が一気にコッチに押し寄せてくると30m先は確実に見えなくなる。

ちなみに少数民族の皆さんの間にも携帯電話は普及し始めていて、お客、ゲットぉ、とか連絡し合っているのかもしれない。

Sapa旅行 その3

2010-10-16 12:03:12 | 旅行


旅行から帰ってヤマのようなシゴトを押し付けられてきょうは休日出勤。よくないコトが重なる日というのはあるもので、今朝はタクシーを10分待っても来なくて近くのホテルまで歩いてから乗ったらウンちゃんが新マイで何度かヒトをひきそうになるながら行きつけの両替屋へ。いつもはドルを替えているのをきょうは円を替えたら頭の中で計算がウマくいかなくて足りねーンじゃね―のぉ、って文句付けたらワタシのほうが間違っていた。そのあと道を歩いていたらタバコ吸いながら歩いてきたオッサンがワタシのほうに向かって吸殻投げつけてきて、コイツ、反日家かと思って睨みつけたらヨボヨボのジーさんで、、。ったく、きょうは最悪の1日になりそうな予感。

でもってサパのことはきょうでオシマイ。とはいってもほかに書くべきことと言ったらマッサージに行ったときのことくらい。
というのも雨続きでほかにすることもないので2度もツマと高級スパに行ってマッサージをしてもらったのだが、まずはじめに受付で、マッサージするのはオンナのヒトがいいかオトコのヒトがいいかと聞かれて、そりゃもちろんオンナのヒトがいいに決まっているので、それはすんなり答えたのだが、次に、一緒の部屋がいいか、別々がいいかと聞かれて、それにはいろんな思惑とか、シタゴコロとか、さらには今後の家庭生活をいかに平和に過ごしていくか、みたいな複雑なモンダイがアタマに浮かんで、一瞬悩んだ末に一緒の部屋にしてもらったら、服を脱ぐときにパンツも脱いでください、と言われて、まあ、ソレはソレで若いおジョーちゃんの前でパンツまで脱ぐというのは、いくらこのトシになってもキンチョーするわけで、ましてやツマの前でそんなコトしていいのか、というキモチの中で、ソコまで言うならワカリまシタ、それじゃあ脱ぎましょう、と決断してスルスルってワタシは脱ぎまシタ。ま、べつに、理性のカタマリを自認するワタシですから、なんの問題もありまセン。むしろソレは真に開放的でキモチよいわけデス。

で、二度目に行ったとき、同じことを二度繰り返すのはワタシの生き方に反するので、今度はじゃあ別々の部屋で、って言ったら、部屋に入った途端、パンツハヌガナイデクダサイ、ってキゼンとした態度で言われてしまって、やっぱりこう見えてもおジョーちゃんにはワタシがイヌかウマかの動物に見えたんだろうか。それともクニからの通達か条例とかがあって、1対1の場合は絶対にパンツをはいていないといけない、とかいう決まりがあるのだろうか。
もちろん何か不純な期待があったわけではない。ここは高級スパなんだから。ただ単に、やっぱり気持ちよくマッサージされている間は、誰の目も気にしなくていい、完全にisolateされた空間にいたかったというだけのことだったのに。いやもちろん、、ワタシはマッサージされるときはハダカでされたい。露天風呂にパンツはいて入りたくないのと同じ。誰だってそうでショ。


ま、特にほかにはない。帰りの寝台は2 berthで行きよりは広く感じられたが、結論的に下の段は線路の振動がモロに伝わるので、2段の上のほうが多少は静か、というコト。
5時半にハノイ駅に到着。夜明けの薄青い光で染められたハノイの街には狂乱の後の疲れのようなものが、道端の生ゴミのヌメリように染みついていて、ああまたこの臭い場所で何カ月も生きていくのか、と思いながらアパートまで歩いた。ホントにドブの臭いで吐き気がするような街。

Sapa旅行 その2

2010-10-15 12:18:52 | 旅行


サパはまだ雨季か、というくらい毎日雨。それでも2日目の朝にやや薄日が差したのでササッとタクシーを呼んで車で30分くらいの村に行った。
この辺りはベトナム全体では54もある民族のうちの10くらいの、いわゆるminority people/少数民族が住んでいて、山の斜面に棚田を作って、おもに農業を営みながら生活している。その棚田の風景がキレイなことと、それぞれの少数民族が着ている服が独特の色彩感覚をしていること、つまりはそれぞれが固有の文化を、コノ情報化社会の中で奇跡的に守っているように見えることから観光の対象となって、、ワタシももちろんそのうちの一人ではあるが、チョウチョの標本探しか、東急のスタンプラリーか、というような感じで、観光客の少数民族ムラ巡りが盛んに行われている。

ヨーロッパからの、いかにも過去の罪悪から逃れたいとでも思っているようなヒト達は、サパから歩いて村々を巡る。お遍路サンか、と思わせるようなシンケンな顔して。ガイドとして雇ったのかどうかわからないが、カレらのまわりには既に一人当たり3,4人の少数民族のオバはんやおジョーちゃんがくっついていて、みやげ物を買う買わないの攻防を繰り返しながら賑やかに行進が進んでいく。オバはんの側から見れば、獲物ゲット、みたいな雰囲気。それでマルマル1日歩いてもせいぜい3,4か所が見れるだけで、あとはムラの一家を訪れて料理をごちそうになるオプションが付いてたりする。至れり尽くせり。

ワタシはそういう苦しみは味わいたくないのでタクシーでササッと行って、ササッと帰ってきた。多少の小物を買わされ、その見返りとして標本としての写真を撮らしてもらい。ジブンがソレに加担しているコトを自覚しつつも、そのような観光化によって、民族が絶滅危惧種のように保存されていくことにはヘンな感じがした。
まあ、それにしても棚田はホントにキレイ。自然と対峙する人工の構築物として。もう少し早ければ黄金色の稲穂が風に揺れて、山の斜面が生きモノのように見えたはず、だが、もう二度とサパに行くことはないだろう。


ベトナム北部の中国国境に近い町から車で1時間行った山奥のムラにガイジン相手のきれいなリゾートホテルが何軒もあってその周辺には独特の文化を守っているヒト達がココロを病んだ現代人を相手に観光業を営んで暮らしている。そういうお話でシタ。

Sapa旅行 その1

2010-10-13 11:47:23 | 旅行


旅行というのはソノ工程のすべてが旅行なのであって、とくに目的地まで行くのに、谷底をはだしで歩いたり、ヤギの背中に乗ったり、はたまたアカの他人と2メーター立法の箱の中に閉じ込められて10時間近く、外からガンガンたたくような振動と騒音に襲われ続けるような、トンでもなく時間と体力が必要な旅行の場合は、目的地で何をするかなんて、逆にどうでもよくなることがある。今回のSapa行きはソレに近いものがあった。ウマいモノ食べたいとか、キレイなオネーさんにカラダもんでもらいたいとか、そういうキモチは途中から完全に消えた。

ハノイとの往復はVictoria Express。白い車体にTimes Romanの書体でそういうふうに書いてある。列車全体は15両くらいあってノーマルの3段寝台が半分くらいと、多少ゆったりしたGreen Carとか、別の会社の特別車両とかがあって、最後の3両がVictoria Resortsが運営するこの専用列車になっている。一見、アガサ・クリスティのオリエント急行のような豪華列車。
駅に着くとそのリゾート会社の制服を着たヒトが何人もいて、お客ごとに一人ずつ付いて車両まで案内してくれる。赤いカーペットの敷かれた乗り口にはおしぼりを持ったおジョーがいて、シン・チャオ、とか言い合って、乗員名簿をチェックしたりしてから乗り込む。ココまではトノサマ気分。ヨーロッパ人なら侵略者キブン。
でも4 berthの部屋に入って最初に感じたのは、マジかよ、というくらいの狭さ。インドでジャイサルメールまで乗ったのに比べてエライ狭く感じた。もしかしたら同じくらいの寸法かもしれないが、マッタクありがたいことに、旅行会社のハイリョでニッポン人の、ヒトとの距離感が違うようでよく似ているヨソサマの夫婦と一緒だったから、なおさら狭く感じた。向こうも確実に同じように思っていた。

発射、いや、発車してすぐに食堂車に移った。すでにスペイン人かドイツ人かのグループが酒盛りを始めていてうるさかったが、コッチのほうが楽チン。コトバがわからないからうるさくても騒音としか感じないし、民族が違うから相手に合わせようなんて気にもならない。カレらはそれぞれアジアのこんな辺鄙なところに来て、ジブン達が既に失った純粋さや無垢なココロみたいなものを、Sapa周辺に住む山岳少数民族との交流の中から取り戻したいとでも思っているかのように、おおきな幻想か期待か、どちらともつかないモノを周囲に見せつけながらワインを飲みまくっていた。
そんなモノを持ち合わせていないワタシはウィスキーを1杯飲むだけで十分眠くなった。が、そのあとberthに横になっても今だかつて経験したことのない長時間の継続的な揺れと振動で朝の6時まで寝たような寝ないような。ハッキリ言ってジブンとしては意外にもよく眠れた。

上の段に寝ていたワタシは、明け方に同部屋のメタボ系のオッサンに生温い手で手首いをつかまれる夢を見てハッと目を開けた。ら、ツマだった。そろそろ起きれヤ、みたいに。外は薄青く夜が明けようとしていた。ちょうど川に面した谷の斜面を走っていて、線路際には盛られたばかりの赤土がキレイに押し固められている。
ああコレは1か月前に大雨で線路の土台が流されて、列車の先頭の2両が谷底に脱線転覆して二人が死んだところだと思った。フっと風が吹いたか、と思ったら、まだ成仏していない霊魂が車両に乗り込んできてドアをノックした、と思ったら、係のヒトの、あと30分で着くよー、みたいなお知らせだった。

だんだんカラダが重たくなって、息も苦しい。この旅行はそういうオカルト系旅行だったのかと思った、ら、高地で酸素が少ないせいでもあった。そうこうするうちに終点の中国国境の町、ラオカイに到着ゥ~。バスに乗り換えて1時間でサパへ。ワレワレの小さなミニバスの横にはハノイからサパへの直通寝台バスが圧倒的な迫力で並んでいた。このバスに、、スピルバーグの「激突」のように、霧深く曲がりくねった山道を延々と追いかけまわされるとは、ソノ時バスに乗り込んだ6人は想像もしていないのでアッタ。

つづく。

ハノイ1000年祭、その2

2010-10-11 07:16:39 | ベトナム


祭りは大混乱のうちに終わった、と思う。なにしろワタシは8日の夜から北部山岳地帯の避暑地、サパに来ているので、ハノイの状況はよくわからない。きのうの最終日はテレビで一日中華々しい式典を中継していたようだが、6日に、きのうやる予定だった大花火大会の準備中に大事故が起きて、一時は強行するような雰囲気もあったが、結局ソレは大幅に縮小された。コノ前の新幹線計画を却下した時も思ったが、コノ国では比較的まともな判断がされる。

写真は7日の夜にレストランで食事をしたあと、オペラハウスに通じるTran Tien / チャン・ティエン通りにでたら大勢のヒトが集まっていてお巡りさんが交通規制していたので、アワ踊り大会でも始まるのかと思っていたら、遠くから掛け声と一緒に軍隊の行進が近づいてきたときのものなど。軍隊の行進なんて生まれて初めて見るので若干コーフンしてしまったのだが、翌日、会社のスタッフに聞いたらアレは練習デス、って軽く言われた。そういえば軍人さんが行進しながら写真を撮っていたりしてイマイチ本気じゃなかったような気もする。ま、ホンバンでもおんなじかもしれないけど。ソノ本番がきのうだったというワケで、テレビで見る限り、ゆるい感じは変わらなかった。

あしたの朝、祭りの後の哀しさが残っているであろうハノイに帰る。

ハノイ1000年祭

2010-10-04 02:42:07 | ベトナム


行きつけのガイジン向け映画クラブからメールが来て、きのうから1週間、ということはハノイ1000年祭が終わるまでクローズするってコト。Chaosって書いてあるけど、まさにケィオス=混沌、無秩序のキワミ。でもその前のgeneralってどういう意味?? チョー、みたいなコトかな。

・・・ Due to street closings and the general chaos of “downtown” Hanoi, we are closing Hanoi Cinematheque from October 3 – 10.・・・

きのうは散歩に行くのに、コノ前スタッフから誕生日祝いでもらって、あまりかっこよくなかったので使っていなかったショルダーバッグを引っ張り出して、肩からたすき掛けにして、中には大使館?から外出時はパスポートを常に携行すること、っていうお達しがあったのでそういうモノをしまって、まさにソノー、手のほどこしようのないケィオスの海に出かけてイキまシタ。
音を伝えられないのが残念だが、大通りの電柱には大きなスピーカーが取り付けられて、一日中ド演歌、といってもいいようなベトナム民謡が流され、合間にはイカにもキョウサン党的なアナウンサーの声が呪文のように何か言っている。意味がわからない分、耐えられる。

ホアンキエム湖周辺は特にとんでもない混雑で信号なんか誰も見てないので、例のウシが角を突き合わすように交差点で一進一退の攻防が繰り広げられる。ベトナム人、本能まる出し。あそこでヒトに先を譲ったりしたら末代までの恥なんだろうな。歩いて渡るほうは命がけ。ほんのわずかな車とバイクの隙間を探してカラダを入れていくわけだが、カレら、ヒトがいてもどんどん詰めてくるからいつ挟まれるかわからない。挟まれたらイタいだろうし。

コンナ無秩序、チョーケィオスはメッタに見れるもんじゃないから見ておいたほうがいい。とか言いながらいちばんのピークの今度の土日は北部山岳地域にイッていないのであーる。日曜日には何万人かの大パレードがホーチミン廟を出発してコッチのほうに来るのだ。軍隊とか、アノ国みたいに一糸乱れず行進するんだろうか。ややビミョーな気もしないではない。コノ国はあそこまでガシガシじゃないから。

ハッキリ言ってワタシには当然ながらヒトごとデス。人さまのクニの記念日をワガことのように喜ぶなんて、隣の奥さんの誕生日にバラの花束買うようなもん。うるさい、とか文句も言いまセン。でも、いくらジブンの自由がコッカ体制の次に優先されるからと言って、ヒトのいない田舎道じゃないんだから信号くらい守ってほしい。

ハノイB駅

2010-10-03 10:32:42 | ベトナム


今週、初めて鉄道を使って旅行に行くので、段取りが趣味のワタシは駅の下見に行ってきた。まずは朝に散歩がてら旅行会社に行って列車のチケットを受け取り。ソノ旅行会社が運営する特別車両の切符だが、切符そのものはベトナム国鉄のモノ。当然、車両は多少快適と思うが走りが快適かどうかはわからない。ニッポンでいえば新幹線が走る前の東海道線夜行列車のようなモノだから、注意書きにもあるように停車中はトイレ使用禁止、ということは、線路に肥料撒きながら走るアレ、だったりもするので。ま、どうなることやら。夜行列車の旅は20年前のインド以来だし。

で、旅行会社の、比較的好感を覚えたオネーさんにきつーく注意されたのは、ハノイ駅は二つあるので絶対に間違えないように、ということ。タクシーのウンちゃんにハノイ駅、って言うと、必ず違うほうへ行くから、住所の書いてあるところをよく見て、ソコに行くように言いなさい、って言われた。ハイっ、って答えまシタ。
ハノイ駅から歩いて5分のところに住んでいるワタシは、ということは東京駅から歩いて5分!っていうのとはまったく意味、というかフドー産的な価値は違うのだが、ソレを聞いてあのバロック調のメインの駅舎じゃなくて、裏にある通称、ハノイB駅ね、と思った。B駅なんて、B級グルメみたいでヒクツな呼び方だが、確かにメインの駅舎の裏側にひっそりとした地味な建物がある。で、ソレを下見に行ったというワケ。

駅の改札口は小さくて、西武新宿線の小平とか、田無とか、あんな感じ、って言ってもわからないと思うが。切符売り場だけがオヂサンがヒマそうに5人くらい並んで大井競馬場の自動売り場が使えない人向けの、アソコ、みたいに並んでいる。コレも言ってもわからないと思う。ま、こんなもんか、と思って外に出たら目の前に新しっぽい完全ローカルのビジネスホテルのようなものがあって、最上階にレストランがあると書いてあったので上がってみたら、田舎の会社の社員食堂のようなものがあって、でも駅の眺めはバツグンで、ビールを飲みながら眺めていた。左の写真のこじんまりしたのが通称B駅。右の遠景の中央奥に見えるのがバロック駅。バラック駅ではない。

でもって家に帰って切符をよーく見たら駅の住所はB駅のほうじゃなくて、家から5分のバロック駅のほうだった、というオチ。不安なので今日また下見に行く。