老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

「駐在員の夜」シリーズ 第2話『サマンサ・タバサは大繁盛』

2011-01-22 10:15:15 | 短編
正月も明けて1週間が過ぎた月曜の朝、カズトヨがオフィスに行くと、エリカが、まるで道端で10万ドン札=400円を拾ったかのような顔をして走り寄ってきて、ゲイバーのママのように可愛く叫んだ。
「ねえねえねえねえねえねえねえねえ、、、見て見て見て見て見て見て見て見てぇー」
「ナニナニナニナニナニナニナニナニぃー」
カズトヨも付きあって可愛く叫んだ。が、次の瞬間、全身の血の気が引いた。それでもその驚愕と懐疑をエリカに気付かれないように、声を一段落として聞いた。
「どうしたんだよ、エリカ。正月にニッポンに帰ってコンニャクでもしてきたの」
「婚約はしてないわよ。ソレよかコレ見てよ。きのう、旧市街でアタシのズンちゃんが買ってくれたの。いいでしょ。チョーかあいいしぃー」
エリカは小ぶりのハンドバッグをカズトヨに見せつけた。ちなみにズンとはエリカが付きあっているかなりイケ麺のベトナム人である。ときどき会社が終わる頃、外で待っていて、エリカをバイクに乗せていくのをカズトヨも見たことがある。カネがあるとは思えない、きっといいカラダしてるんだろう、と思わせるようなオトコだった。
「あぁー、いいじゃん、いいじゃん。サマンサ・タバスコじゃん。。エリカ、とっても似合ってるよぉー」
カズトヨは調子を合わせるのにだんだん疲れてきたものの、それを、どの店で、いくらで買ったのか、聞かずにはいられなかった。なぜならそれはまさに、、まさに、、カズトヨが正月休みが終わって日本を発つときに、成田空港第2ターミナルの出国検査場を通ってすぐのところにある、サマンサ・タバスコ、いや、サマンサ・タバサの店で買った、まさに、、カズトヨがハノイで一番のガールフレンドのために買ってきて、帰ったその日の夜の熱いガッタイのあとに渡した、あのハンドバッグと同じものだったからだぁーーっ!
カズトヨはココロの中で叫んだ。どーしてなんだろーっ!、なぜなんだろーーーーっっ!!

* * * * *

成田空港第2ターミナル、出国検査場先のサマンサ・タバサは、休暇や本社での業務を終えて、駐在しているそれぞれの東南アジア各都市に向かうニッポン人単身フニン者を寄せ集めるイカ釣り漁船のように、コウコウと電飾を煌めかせながら店を開いている。間口は7~8メートルあるが、奥行きはほんの3m程度の小さな店で、その存在を知らないと、並んでいるJALやANAや空港会社直轄の免税店に気をとられて、通り過ぎてしまうほどのものだ。それでも駐在員のオヂサン達には、コレこそは外地に帰るときに最後に寄らなければならない、国技館の座布団返却所のような場所として知らないものはいない。
カズトヨは毎回ソレを見て、ココに店を出そうと考えたヒトはエライっ、って感心していた。
「ショーバイの肝というか、キ○タマをつかんだような店だよなあ。1日の売り上げ、いくらかなあ」
思わずひとり言を言ってしまったジブンに気付いて、カズトヨは、さぁて、きょうはいくつ買ってけばいいんだっけ、とアタマの中で数えながら指を折った。
「んー、ロアンちゃんにホアちゃんにスエンちゃんに、、あと、一番高いのをチャンちゃんに買っていかなきゃぁ、っと」
これらはすべてひとり言である。50過ぎのオヤヂが成田空港出国検査場先のサマンサ・タバサの店の前で指を折ってひとり言を言っているのだ。ただし珍しいものではない。おそらく、東南アジア行きの便がまとまって出る朝か夕方にココに行けば同じような光景が見られるであろう。
カズトヨは瞬間的に4つのバッグや財布などを選び、普段着姿で客か店員か区別がつかない、尻の小さなおジョーに向かって、袋4枚、中身は入れないでねぇー、っと慣れた口調で言った。袋に張るシール、別にもらえるぅー。
客のような店員は、いつものコトだからハイハイ、わかっています、って言ってささっとブツをカズトヨに渡した。その間、1分もかからなかった。
カズトヨは4枚の袋とブツをジブンのバッグの中にしまいそそくさとその場を離れた。
カズトヨはサテライトに向かうシャトルの中で今晩繰り広げられるであろう甘い密かな饗宴を頭に思い浮かべた。チャンちゃん元気にしてたかなあ。ひとり言とヨダレが締まりのない口からこぼれおちてズボンにしみを作った。


チャンはニッポン人向けのカラオケクラブで働く女子大生だった。昼間はこの国で偏差値がトップクラスの国家大学貿易学科に通い、夜は学費稼ぎと日本語の実地練習を兼ねて、カズトヨのようなニッポンからの単身赴任者が毎晩、疲れたココロを癒しに来るカラオケクラブで働いていたのだ。
ミズ商売といってもまったく後ろめたいモノはなかった。なぜならココは曲がりなりにもキョウサン主義国家だからだ。タイやフィリピンなど、周辺のミンシュ主義国家の同じような店であれば、客に指名されれば最後には一緒に店を出て、ホテルやアパートの一室に入り、あとは人類共通のレクリエーションにひと時を興じるだけであろうが、この国ではそれは客が求めても、そしてオンナがそれを許したとしてもなかなか叶わぬモノなのだ。少なくとも世間ではそのように信じられていた。
そこにはジンミンのジンミンによる相互感謝体制、いや相互監視体制のようなものがある。たとえばホテルなどでは夜の10時以降にこの国の女性が外国人のオトコと同室にいてはいけないというルールがある。法律かどうかは知らない。ホテルの引き出しの中の分厚い宿泊規定の中に小さな字で書いてある。もし一緒にいるところを見つかったらオトコは本国に強制送還、オンナは、、ムチ打ちか石投げか、、この国にどういう原始的な刑があるのかわからないが、家族も含めシャカイから抹殺され、ホテルの経営者にも刑罰が与えられる。
キラクなニッポン人なら、別々に入ればわからないじゃん、と思うかもしれないが、ソコが相互監視のよくできたところで、隣の部屋の客がたまたまベトナム人で、なんか部屋が揺れるんだけど、みたいな風にクレームをつければすぐに係のヒトがやってきて、でもってあとはコーアンを呼ぶだけになる。ホテルの経営者も、隣の部屋の客も、党から優良ジンミン賞、か何かを受け取っておしまい、というわけ。ニッポン人が考えそうな抜け道はだいたい誰かが既に試していて、その結果、毎年、何十人かのニッポン人単身赴任者が強制帰国させられている。

もちろん、純朴なジンミンが知り得ないこの国ならではの抜け道はきちんと用意されている。ウラ金だ。ニッポン的な抜け道はふさがれているがこの国のあらゆるコトにオプションとして用意されているウラ道がそこにはある。カズトヨはシゴトで培ったこの国のウラ社会とのコネを活かしていくつものルートを用意していた。ソレはハッキリ言ってたいしたものだった。カズトヨはおそらく捕まらない。このオトコを捕まえたら、捕まえたほうがどこか遠くに飛ばされるくらい、複雑で強固な、クチの地下トンネルのような抜け道だった。それはまさにカーツ大佐がジャングルの奥に築き上げた王国のようなものであり、カズトヨはその王国の絶対的な支配者なのだった。
カズトヨはソノことで、この国のニッポン人社会のある一部の、そしてキワメテ重要な一部の力を握っていた。コッチのシゴトカーストでは最上位のM商事やM物産、そして貴族のようなふるまいのT-M銀行やS-M銀行、さらにはニッポンブランドの表看板のT自動車やN自動車、それらの支店長クラスがカズトヨには一目置いていた。


「カズトヨさん。あけましてオメだっとサン」
ニッポン商工会の新年会でN自動車のアサハラがニコヤカに近づいてきた。この狭いニッポン人社会ではオヤヂギャグの応酬は名刺交換のようなものなのだ。
「よっ、ハッピー・ニュー・イヤーンオニャンコ」
カズトヨが返した。この国では今年はネコ年なのだ。こんな馴れ馴れしいやりとりもカズトヨのウラの顔を知らないモノが見たらのけ反り返るに違いない。なにしろゼネコンは所詮ゼネコンで、そこの一設計部長が天下のN自動車の支店長にそんな口を利ける立場ではないからだ。
「どう、カノジョとはウマくいってる」
アサハラが耳元でささやいてきた。アサハラとは何度かチャンのいる店に行ったことがあった。アサハラが付きあっているオンナのこともカズトヨは知っている。そして、アサハラが一夜をニョタイの森で彷徨いたいと思えばカズトヨが安全な場所を確保してやっていた。
「ウン、きのうさっそく会ったよ。僕のことが恋しいぃってメールを送ってくるもんだからさ」
カズトヨはヨダレが垂れないよう口元を引き締めたが意識は新年会の会場からきのうのアパートの一室に飛んで行った。


「チャン、どうしてキミの名前はチャンなんだ。チャンちゃんになっちゃうじゃないか」
そんなことを言っても全然意味は通じなかった。
「ユー・エンジョイ・ホリデイ・イン・ジャパン・ウィズ・ユア・ファミリー?」
チャンはこのオヤヂ向けにわざとヘタな英語で聞いた。
「オーイェー、アイム・ハッピー・イン・ジャパン」
カズトヨはどこかしら寂しげなチャンを抱き寄せ、あとは小柄なチャンの、素肌があらわれた部分から皺だらけの手を突っ込んでなでまわし始めた。この皺皺加減が意外とキモチいいのかもしれない。チャンはすぐに裸になって、ハヨせんかい、みたいにして、カズトヨをベッドに引き連れた。
チャンの若さが生み出す吸い取るような性欲にカズトヨはあっという間にうつぶせに果てた。さっさと身支度を整えるチャンにカズトヨはすがりつくように言った。
「アイ・ハバ・プレデント・フォー・ユー」
チャンはニコリともせずその小さな袋を受け取った。そして中も開けずに、シー・ユー、とひと言言って部屋を出て行った。
いつものことながらそっけないな、と思いつつ、あれでもこの国じゃいいほうだわな、と、カズトヨはジブンを納得させた。

「カズトヨさん、僕もアソコで買い物しちゃいましたよ」
アサハラが言ったとき、カズトヨはワレに帰った。
「えっ、アソコ、コって、ニョタイの森、じゃなくて、どこのことぉ」
アタマの回転の速いカズトヨは一瞬で理解したがいつものようにはぐらかした。
「カズトヨさんがちょうど買いモノが終わって、入れ違いに入ったんですよ。急いでいるようだったから声はかけなかったんですけど。あそこ、いいですよねー。ガールフレンドにお土産買うのに、あんないい場所はないですよ。オンナの子が喜ぶ品揃えといい、手ごろな値段といい」
「ああ、そぉう、そりゃあ、よかった、んー」
カズトヨはわかったようなわかっていないような中途半端な反応をしたまま、ちょっと、トイレ、と言ってその場を離れた。
・・・アサハラもアソコで買い物をしたとなると、いったい何を買ったんだ。そしてそれをだれに渡したんだ? エリカといい、アサハラといい、なんでみんなサマンサ・タバスコなんだ・・・。カズトヨは便器に座ったまましばらく考え込んだ。コノ新年会の会場となった日系のホテルはこの町でただ一つ、トイレにウォシュレットが備え付けられているオアシスのような場所だった。あったかい便器に座ったままカズトヨは眠りそうになった。意識がぼんやりしてくる中で、そんなことがあり得るのかという悪魔の想像が首をもたげてきて、一気に酔いが覚めた。


「エリカちゃぁん、ちょっと頼みがあるんだけどぉ」
カズトヨは前の晩、ほとんど眠っていない充血した目でエリカに言い寄った。
「何よ、急にちゃん付けして。今晩、お風呂屋さんごっこでもしようって言うの」
いきなりの下半身をえぐるような突っ込みにたじろいだ。
「いや、そりゃ、したくないといえばウソになるが、、」
エリカの強烈な平手打ちがカズトヨの頬っぺたを打った。
「ジョーダンだっつうのが分かんないのか、キミは」
ジブンより二回り近く若いオンナにこんなふうにイタブられるのがカズトヨにはココチよかった。カズトヨは目尻からしみ出る涙を拭おうともせずシドロモドロに言った。
「あのぉ、エリカちゃんがぁ、ズンくんにぃ、アレ、買ってもらったお店にぃ、連れてってほしいのぉ、おぢさんー」
「あー、ま、いいけど。カノジョへのプレゼントでも買うの」
「うん」
カズトヨはとりあえずありふれた状況を設定した。週末だけ開くというその店にカズトヨはエリカと行くことになった。いくらドイモイ政策で自由化されたとはいえ、おそらくは想像を絶する自由市場、フリーマーケットヘ。カズトヨのココロは複雑に揺れた。化粧前の隣の家のヒトヅマの顔を見に行くような、あとで見なければよかったと後悔するかもしれない。すべての幻想が泡のように消える地割れのような暗闇がソコに横たわっているような気がして身震いした。

* * * * *

「チャン、」
カズトヨはまたいつものように皺だらけの手でチャンの背中をなでまわし始めた。チャンはこの前渡したハンドバッグを当然のように持って来はしなかった。
「アイ・ラブ・ユー、カズトヨ」
空々しいコトを言う奴だと、カズトヨは思った。すべてはカネか、この国の奴らは。すぐにもう一人のジブンが言い返した。ジブンだってそうだろうが。
カネだけがすべてじゃない。カネよりもっと大事なモノがあるんだ。ソレはキモチというか、ココロとココロのつながりというか、、キズナだ、ナカマだ。カズトヨはアタマの中でチャンに話し続けた。
それはカズトヨが今一番求めているものでもあった。それに飢えていると言ってもいいくらいだった。毎晩カラオケクラブに通って、ヒト時の仮想恋愛に興じても決して満たされない、それをチャンが満たしてくれていると思いこんでいた。
旧市街の熱気にあふれたあの場所を見る前と後で、カズトヨのキモチは大きく変わっていた。その壁一面を埋めた下取り品の数々。なかでもサマンサ・タバサはコンビニのおでん売り場のように一番目立つ位置を占めていた。そして店の奥では電卓を片手に時代遅れのリーゼントオヤヂがいかにもな水商売オンナが持ち込んだブランド品を値踏みしていたのだ。

ベッドの中でチャンのカラダからは旧市街の路地裏に立ちこめるフォーの湯気のような温度と匂いがしみ出ていた。その奥深い闇の部分に顔を押し付けた時、カズトヨの脳裏にあの白熱球に照らされた光景が浮かび上がった。闇の中でうごめく人々。照らし出された虚構のキズナ。
次の瞬間、カズトヨにはジブンの腕に抱かれて目を閉じるチャンのカラダがアンドロイドのように見えてきた。生暖かくて柔らかい、よくできたアンドロイドだ。ココロから愛おしく思えた。コレがワタシのキズナだ。遠く故郷を離れて孤独な宇宙の中をさまようワタシにふさわしいキズナだ。
カズトヨはそのシリコンでできた精巧な耳たぶに向かってささやいた。
「チャン、どうしてキミはチャンなんだ。どうして・・・・・・、 チャンチャン」

御後がよろしいようで。。テケテンテンテン、テケテンテンテン、、、



冬のハノイ

2011-01-17 00:12:19 | ベトナム
   


今日は久しぶりにとこや代わりの美容院へ。月末に暑いところに行くのでスッキリしたかった。で、これまで2回続けて行ったところではなく、新しい店に行ってみた。なんとなく前の店のジトーっとしたところがイヤだったので。
そしたらワタシの世代には懐かしい40年前のアイドルタレントと同姓同名のお店のおジョーがやたら愛想が良くて、いわゆるセケン話に花が咲いた。でも、ハッキリ言って、セケン話って苦手なワタシ。初対面のヒトに下ネタ繰り出すわけにもいかず、20代のオンナとの共通の話題ってナニさ。。みたいな。
ま、向こうもショーバイだから手慣れたもんで、Tet休みはどぉーするんですかぁー、とか、どこかおいしいお店、知ってますかぁー、みたいな、タアイのないはなし。このオヤヂ、むっつりだなあ、とか思われたかもしれない。一対一で二人きりの場所ならもっとオモシロいオヂサンになれるんだけどな。

ま、それはそれとして、昼間は若干暖ったかかったので近所を散歩。時間が止まったような風景を写真に撮った。
左のほうは昼に食べたMien Luonの店で幼稚園椅子に座りながら外の風景をパチり。いままで何度も前を通りながら、いつも混んでいて入りそびれていたお店。店先で瓶に入れて売っているのはハノイ名物のドライフルーツ。梅干しとかドライマンゴーとか。
そして右のほうはワタシのハノイのお気に入り、トンボのカフェの窓際の席。フェルメールの絵画を思わせる、時間の堆積が色に現れたような空間。りんごジュース35千ドン=140円ナリ。ココではハノイにいるとは思えないような渋いPop Musicが流れている。

もぉーいーくつ寝るとぉーTet休みぃー、、ワタシ以上にベトナム人がそう思っているのは間違いない。

正月準備 in Hanoi

2011-01-16 11:20:24 | ベトナム


きのうは久しぶりに晴れ間が出て気温も上がった。フリースの上にダウンのコートを着て家を出たら、途中で暑くなってきた。
で、ハノイはもう再来週から始まるTet休暇に向けて大賑わい。家を飾る提灯やらおカネの形をしたキンキラの吊るしモノとか、あと、ニッポンのお年玉を入れるのに似た小さな紙の袋とかを専門の出店が出て売っている。

ソレと今ハノイでは5年に一度のキョーサン党大会が開かれていて、大きなホテルのまわりとか、エラいヒトたちが車で移動するのに軍隊が出て警備している。自動小銃を構えていたりするからギョッとする。写真撮るのにもキを付けないと。

写真は旧市街のHang Ma通りのあたり。夜はもっとキレイ。

暖房 in Hanoi

2011-01-10 22:07:12 | 風景


去年はこんな寒かったかなあ、みたいな寒さ。ついにニッポンで成田に行くまでとりあえず着ていくかと思って、そのまま邪魔な荷物だと思いながら運んできたダウンのコートを着るコトにした。
オフィスでは窓際に座っているのでカラダが芯まで冷える。指先が冷たくなってキーボードの微かなぬくもりがウレシかったりして。コレで家に帰っても風呂に入れるわけではない。シャワーで体を温めてもすぐに冷える。

この寒さ、とにかく耐えるしかないのかと思っていたら、、今までないとばかり思っていたアパートの部屋のエアコンに暖房モードがあることを発見!! というのも部屋から廊下に出るとなんかあったかいので、それでもって廊下にはエアコンがあるし、もしかしたらと思ってリモコンのボタンを押していたら、おヒサマキラキラみたいなアイコンがあったのでしばらくつけといたら、なんと、あったかい空気が出てまいりました。マジでウレシイ。コレで凍死しなくてすむ。

きのうの夜はテレビをつけたらアジアカップをやっていて、ついついテレビの前に正座して見入ってしまった。パスのスピードがやたら早いと思ったけど、正確さがイマイチで最後のところでパスミスになっていた。あと、毎度のことながらシュートが、、キーパーへのバックパスかよ、みたいな。
ま、カッコいいサッカーをやってほしい。

でもって写真は年末年始にニッポンで食べた麺類以外の食べモノ。オモイデに生きるワタシ。
ホッケの干物はハノイでも食べられるようだがまだ食べたことはない。海鮮丼はいつも食べている。コッチだと8ドルくらい。ニッポンのコレは600円くらいだったかな。ニッポンのほうが若干安くてウマい。
あとゴーヤ・チャンプルー、寿司もニッポンのほうが断然うまい。ちなみに寿司は横浜の名店、みなと寿司。
アサリの煮込んだのは中華街で食べた。コレは当然ウマい。コーヒーとカステラみたいなのは大晦日に神保町のぶらじるに入った時のモノ。コーヒーが死ぬほどウマかった。
やっぱりなんだかんだ言っても食べモノはニッポンがいい。

『抜け穴の会議室』@PARCO劇場

2011-01-05 23:05:12 | 演劇
ハノイは寒い。ニッポンほどではないがコッチでは暖房器具が普及していないので、暖をとる、ということができない。この寒さをみんなわかっているはずなのにワタシのアパートもオフィスも当然のように冷房しかない。部屋ではユニクロのフリースを着て、サパで買ったマフラーを巻いている。オフィスでは冬用のジャケットを一日中離せない。ヒートテックなんか売っていないからオンナの子たちは毛糸のパンツをはいているらしく、普段よりお尻がもっこりしている。それでダウンのジャンパーを着てシゴトしてるんだから気の毒としか言いようがない。早く暖かくなって、思う存分、あのさまざまな隆起を見せてほしいものだ。

さて、コレはニッポンで見た3本目の芝居。イキウメの前川さんの脚本と演出で、パルコ劇場プロデュースってコトは小劇場モノの100%商業化演劇。別に商業演劇を否定しているわけではないし軽視しているわけでもない。メシが喰えずになんで作家とか演出家とか役者とか言えようか。少なくともその道でメシを喰えなきゃ評価には値しないとワタシは思っている。
で、コノ商業演劇は絶叫調の聞き取りにくいセリフとか、大袈裟なカラダの動きとか、あと、作る側はおもしろがって作ったんだろうけど、芝居が始まる前のケータイ切ろうね、みたいなアナウスを前にこの劇団の芝居に出た役者とかが順繰りに出てきて、ヒト笑いとってみようか、みたいな雰囲気で言うもんだから、なんか邪魔されたような気分になって、そんなこんなで脚本のおもしろさを全体的にイカシきれなかった感じがした。
サービスのつもりがうるさいだけ、っていうのは、駅の発車ブザー代わりの音楽とか、メニューの中身をいちいち説明するフランス料理屋のウェーターとかいろいろいるが、劇場のアレは、係のオネーさんがやるのが一番いい。芝居の外のコトだから。

で、話はいつものように前世と来世とか、ニンゲンの生まれ変わりとか、ひとりのタマシイの過去がすべて本に書かれているとか、そういう前川さん的セカイでのお話しで、いろいろ次から次にエピソード的に話が展開する中で、ひとつ中心的にあったのは父とムスコの話。ワタシもこの日はムスコと二人で見に行ったので、あんなになったら大変だなー、みたいなキモチで見た。

ムスコが父親を、ジブンを自由にしてくれないと恨んでいて、ある日一緒に岩山登りに行って、ジブンが先に頂上に登ったらコレからは自由にさせてくれよと、いうことになって、二人は競争する。
ところが途中で父親のほうが足を滑らせたか何かで転落して、ムスコはソレを助けようと思えば助けられたのを見捨てて父親は死ぬ。それを死んでからも恨んで来世でお互いに生まれ変わった身になってそれぞれ別の人格?の中にいながらその恨みをたがいに感じつつ、その別の人格として今度はムスコが父親を助ける。
ソノことをずうっと先の霊魂のセカイで、二人が次の人格?に入っていくのを待っていながら、それぞれの書物に書かれているコトを読んで、ああ、オマエだったのか、みたいにして知る。複雑なはなしだ。
ソレを大杉漣っていう有名な俳優さんが絶叫調でフラフラしながらやり続けるもんだから、、なんて言ったらいいのか、セリフを曖昧なまま聞きとってソレをアタマの中で組み立て直して理解するという作業をこちらはやり続けなくてはならなくて、ひと言で言えば見終わってから食べた一蘭のとんこつラーメンが消化不良を起こすくらい疲れた。

セリフって感情をこめて言わなきゃいけないモノだと仮にしても、あんなふうにしなくてもいいのに。商業演劇っていっても5%の芸術性はあると思うワケで、テレビでやれるものを劇場でやらなくてもいいんじゃないかと。
題名がナニを意味しているのか、よくわからなかった。わからなくてもいいのかもしれないけど。

2010.12.30、PARCO劇場。

『YMO~やっとモテたオヤジ~』by ラッパ屋

2011-01-04 22:35:58 | 演劇
休暇は終わってもうハノイの家に戻った。コレがワタシの日常。キラクだ。
ニッポンでは芝居を3本見た。映画もイロイロ見るつもりでいたけど、結局1本も見ずに終わった。ノルウェーの森、とか、テレビのCM見ただけで見る気がしなくなった。アレは男女の愛の話じゃなくてニンゲンが狂気で自己崩壊していく話だと思うんだが。

ま、ソレはソレとして、もう見終わって10日以上たって、コレはただ記録のためにだけ書いておくもの。
ラッパ屋としては久々におもしろかった、けど、なんか話しが単純過ぎて。最後、主人公のオッサンが死んで、あとに残った別れたツマとか新しい愛人とか、ムスメとか、会社のナカマだったのが結局はジブンだけウマいこと出世していったオッサンとか、そういうのがスガスガしく火葬場の煙突から昇っていく煙を見ている、なんていうのは、キモチ悪い風景としか思えなかった。たぶん、ジブンもいつか、煙になる身だからだろうけど。

カイシャの中でのニンゲン関係とかもあまりに単純に描かれ過ぎていて、実際はもっとドロドロしていて笑ってなんかいられないッテ思ってしまって、、こういう、現実を戯画化したようなのは、おもしろければおもしろいほど、あとになると、そういうのを見たかったわけではないと思えてくる。

もうたぶん行かない。若いヒトの、もっと新しいモノを作ろうというキモチが見て取れるようなモノのほうがジブンには合っている。

2010.12.25、紀伊國屋ホール。