老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

Hang Can 通り

2009-10-11 14:29:01 | カーブ
前の絵から空を塗るようにした。絵が暗くなっていい感じになることがわかったので。写真も文書モードだったのを食べ物モードで撮るようにした。そのほうが実物に近い。ウマく見える。
これで10枚目。ハツ病するのを抑えるのには効果があると思っている。毎日、ウマだけが相手なら、どうせウマだと思ってムチでひっぱたいて調教すればいいだけのことだが、ソコにどうしようもない無能な障害物と、ニッポンから遠隔操作の電波を送ってくる腰巾着が加わって、、あといろいろ。もう、脳にポリープができているんじゃないかと思う。

で、コレはホアンキエム湖の西側の道をずうっと行って旧市街のど真ん中くらいのところ。道の名前は200mくらいごとにシュッセ魚のように変わっていく。イルカ通りがサメ通りになって最後にクジラ通りになるように。
ホアンキエム湖を過ぎて南のほうから行くと最初がLuong Van Can=ルオン・バン・カン通りで、次がHang Can=ハン・カン通りで、その先がCha Ca=チャー・カー通りになって、最後がHang Luoc=ハン・ルオック通りで線路にぶつかる。真ん中くらいだからHang Can通りということでココでやや左に折れ曲がる。交差しているのはLan Ong=ラン・オン通りで左の建物は「地球の歩き方」にものっているマジェスティック・サルーテ・ホテル。旧市街の中では大きな方のホテルで1泊50~60ドル程度と思われる。

正面の建物がなかなか細部の装飾がみごとで目がとまった。窓の上にアーチ状の花輪の飾りがついていて3階のバルコニーにバロック建築のような飾り壁が立っている。面があっちゃこっちゃ向いているので平面がどうなっているのか想像もできない。その左の建物が小さな三角とは思えないし。
窓にはめられた鉄の格子も実際は細かな模様になっているのだが絵では省略している。道に横断歩道が書いてあるが、ほかと同じようになんの役にもたっていない。

Hang Giay 通り

2009-10-04 09:47:55 | カーブ
きのうは陰暦の8月15日で中秋節、テト・チュン・フー。朝から笛やら太鼓の音が外でしていた。道端のMoon Cake=月餅屋もきのうの夜で店じまいして最後はタタキ売り状態になるらしいが見には行かなかった。疲れていていろんな機能が減退している。
今週はナカバにニッポンにシゴトで帰って、すぐまたこっちに戻って、来週のナカバにはまたホーチミンシティのほうに行って、またすぐに戻って、再来週のナカバにもう一度ホーチミンシティのほうに行ってヒト段落。やれやれ。
やれやれで思い出したが今週はコレの発表のある1週間。ブンガク賞は8日のニッポン時間夜8時。

ソレはソレとしてコレは旧市街の北のほう、ドンスアン市場の外の食料品の路上市場が並ぶ、Hang Khoai=ハン・コアイ通りの入口のところのHang Giay=ハン・ザイ通りって、別にスリとかヒッタクリが多いわけではない。。
市場の中は日用品売り場が1階で、パンツとかブラジヤーとかジーパンとかタオルとか、、衣料品とひとことで言えばいいものをわざわざラレツするのはブラジヤーの売り方がおもしろいというか、要はあの円錐状のモノをどんぶりを積み上げるように何十枚も重ねておいてあって、そこからどうやって選ぶのよぉ、みたいな。それが2階。路上でそのカタマリを籠に乗せて売り歩いているオバサンもいるので驚きはしないがそうやって売るもんかなぁという疑問はある。

で、市場の外に食料品の店が並んでいて、魚系の干物とか香辛料、ニンニク、豆とか、フォーの麺=ビーフンとか、基本的には乾物系が多い。コッチの商店街の特徴は、とにかく同じモノを売っている店が何軒か必ず並んでいることで、この前のハンコ屋もハンコ屋街みたいに4、5軒かたまっていた。コノ通りはほとんど内容的に同じ店が100mは続く。

右が市場の建物でなかなかオモムキのある直線的な建物なのだがこういう建物がハノイの旧市街からはどんどんなくなっていて、去年買った地球の歩き方が使い物にならないくらい。特に市場は建て替えが進んでいる。市場の中はホントにごった返していてぐちゃぐちゃの状態で、きっと東京でも築地を建て替えようとする一派がいるように、こういうのはよくないと思うヒトが役所の都市ケイカク課のようなところには集まるモノなんだろう。ガイジン的には実におもしろいと思うのはコレもまた築地と同じ。

Am Thuc 通り

2009-09-28 00:59:35 | カーブ
朝晩は涼しく昼間は暑いが西風が吹いている。ハノイギャルたちは早くもセーターを着たり黒いタイツを履いたり、ヨッぽど冷え症なのか。接客業のオネーサンたちのアオザイもだんだん厚手の重たい生地に代わっていってさわやかに風がすり抜けるのが見れなくなる。両側の裂け目から見え隠れするプヨプヨの皮膚も粉がふいたようにかさついてくる。季節の風物詩か、みたいな。

このところ日曜は休みだがあしたからまたケツから火を吹くほどの忙しさで、来週なかばにニッポンに帰るものの3頭も野生のウマを連れて行かなきゃならないのでよけいに疲れるのは目に見えている。その調子で年内は休む間もなく大みそかにコッチの党のエライさんに説明に行かなきゃいけないシゴトができてもうホント最悪。。シャセイするヒマもなくなりそう。

で、コレはこの前も書いたが旧市街の西のハズレの国鉄の線路の手前にある路上食堂街。パリの裏町のようなタタズまい。
バイクは通るが車は通らない道路沿いに、LAUというのは鍋のことでTHAIというのが薄切り、みたいな意味だからシャブシャブのようなものと勝手に想像する鍋料理の店がずらーっと並んでいる。いくつかの店にはサイゴンの文字があるので、南部メコンデルタ風魚のシャブシャブ鍋屋ではないかと思うがまだ食べたことはない。

コッチでは鍋とか焼き肉のようなモノの店は多く、きのこ鍋とか貝鍋とか、あとコレは絶対にウマいとは言えないのだがライギョのラード鍋みたいなのが有名。それと最近話題になっているのは路上焼き肉の店で、牛のモモ肉は普通として、ヤギのオッパイ肉がコリコリしておいしいと評判になっている。ヤギに関してはヤギ鍋専門店もあってオスのアソコとかも食べるらしい。イタましい。
どこも道端にコンロ並べてプラスチックの椅子に座って食べる。ビールはぬるくて氷を入れて飲むのだがニッポン人は氷を断るのが普通。氷と同じくらいグラスもキタナイが気にしていたらキリがない。

ただワタシはこういう店で食べるのを好んでいるわけではない。床にゴミが落ちてなくて、スプーンとかナイフにゴミがついてなくて、テーブルクロスがぜんぜん汚れてないような店がホントはイイ。それとブキミな団体客が来ないことは最低条件。


Tran Phu 通り

2009-09-23 01:38:29 | カーブ
ハノイの旧市街の西の端には鉄道がとおっていて、一見江ノ電のようなフゼイではあるが、ココを毎日、北京行きの国際列車とかが走る。正確には途中、この前、5月に行った中国国境の町ドンダンで乗り換えるのだが、一応ハノイ発北京西駅行きは所要約40時間で、夜の6時半に出発して、途中、南寧とか桂林とかを通って翌々日の12時過ぎに着く。料金はなぜかスイスフランで表示されて150スイスフラン=15,000円くらい。一度乗ってみたいものだ。

で、ココはハノイ駅を出てすぐのところのTran Phu=チャン・フー通りの踏切?。線路側のほうに遮断機というか、小さな赤い板のようなものがでていて、役に立つのかどうかわからないが一応、列車が来ないことを示している。実際、列車は1日に7,8本で、今までに2回くらいしか見たことがない。見れればラッキー、みたいな。でも列車が通ると道路が大渋滞になって10分近く動けなくなる。列車が通る時間になるとどこからか係りのオヂサンが出てきて道路を通行止めにする。
ココも店の売り物が線路のほうにはみ出しそうになっているが、別のところなんか線路の真ん中に堂々とくだもの屋が店を開いていたりしてのどかな雰囲気。

話は変わるが昔、運転免許を取ろうとして、思い出すのも嫌なんだが自動車教習所に通ったことがあって、その頃はタカが車の運転を教えるくらいのことに、エラそーにその教えるヤツがアゴで、客である生徒に指図するような時代だった。で、ホントにクソおもしろくないところだったのだが、ある時そのアゴおやぢが、世の中に絶対ということはほとんどないが、教習所の踏切は絶対電車は通らないと、冗談のつもりで行ったのかどうかわからないが、なんとなくその言葉がワタシには哲学的に聞こえて今でも時々思い出す。座右のメイっていうんでしょうか。絶対、なんてコトはシミュラークルな仮想空間にしか存在しないということ、かナ。
だからこの踏切?を見て、こんな線路を絶対に列車が通るわけないって決めつけるようなニンゲンがいるかもしれないけど、ここには富士山が活火山だというのと同じかそれ以上の、まだドクドクと生きている感じがワタシにはする。

そういえばまた話が変わるが、今年免許の更新だったんだが結局更新しなかった。あんなにイヤな思いしてとった免許なのに実際に使ったのは2,3年くらいであとは身分証明書くらいにしか役に立たなかった。この先、カレー屋でも始めたら出前を運ぶのに使うかもしれないと、絶対そんなことはないとはゼッタイに言い切れないだけに迷ったが、その時は自転車で十分だという気もしたし。
これまで20年間近くジブンの身分を証明する、唯一ではないが主要なモノを捨て去ってなんとなく解き放たれたような。借金のためのクレジットカードを申し込むたびごとにコピーを取られて、その都度ジブンの人格を切り売りしてきたような気にさせられてきたものを、ケーサツに手続きに行く時間がないだけの理由でこの夏に捨てたのだ。

To Tich 通り

2009-09-16 10:33:23 | カーブ
月曜は朝5時半に起きてホーチミンシティに日帰り出張。ついこの前まで福岡によく日帰りで行っていたが、距離的には似たようなものなのにヤレヤレ感はまったく違う。一番大きいのは市内から空港までの移動で、特に福岡などは地下鉄で5分なのに対しハノイはタクシーで1時間、ホーチミンシティはすいていれば30分くらいなのに、最近は夕方の渋滞がひどくて今回の帰りは1時間半近くかかった。バイクの群れに囲まれてまったく前に進まなくなる。
それでも行列のできないタクシー乗り場での乗り方とか、朝メシ抜いて機内食で軽く済ますとか、預け荷物なし専用カウンターでの素早いチェックインとか、コッチのやり方にだんだん慣れてきた。ちなみに行列ができないのは客がいないからではなく、あとから来たヤツが待ってるヒトを無視してどんどん先に乗ってってしまうという非ブンメイ国のキワミ的な行動によるもの。タクシー乗り場に限らず、チェックインカウンターでも手荷物検査場でも搭乗口でもどこでも同じだから驚くことでもない。そういうクニだと思わないとやってられない。

それはそれとして今日の通りは旧市街の、この前、ハンコをつくったHang Quat=ハン・クアット通りから旧市街のメインストリートであるLuong Van Can=ルオン・ヴァン・カン通りに平行にホアン・キエム湖のほうに向かう細い道。マジで通りの真ん中にこんなふうに巨木が立っている。車は通行できなくて、途中に塾でもあるのか、大勢の子どもが群れている。
ちょっと話をヨコ道にそらすとハノイには塾がたくさんあって夜の7~8時頃には迎えの親のバイクで道路が大渋滞になる。学校にも親が送り迎えをしていて登下校の時間は道路の半分がセンリョウされる。中にはクルマのもいて他人の迷惑なんか気にもせずど真ん中に車を止めて待っている。とにかくジブンのことだけを考えて生きているようなコクミンなのだ。そのズぶといセイシンでアメリカにも勝ったわけだが、コレから国際化していく上ではこのままじゃイカンのではないか、というのはよけいなおせっかい。
それとコッチでは木の枝を剪定するということがないので気持ちがいいくらい上のほうに伸びている。落ち葉が迷惑がられるという理由で、もうそろそろケヤキの枝とかが無残に切り落されるニッポンとは大違い。

Au Trieu 通り

2009-09-13 10:13:59 | カーブ
きのうのコンサートは思っていたとおり、途中で電池がなくなって止まってしまうんじゃないかというようなもたもたしっぱなしの演奏で、おまけに近くの席でケータイは鳴るわ、なんのためにコンサートに来てるんだろうというようなおしゃべりなバカガキはいるわで、まあ、そういうクニだと思いながら聴いていたら、後半の歌が始まったあたりから雰囲気が変わって、少なくとも合唱に関しては金返せとは言う気にならないくらいのいい合唱で、最後の、何かのタマシイが復活して天が裂けて宇宙にのぼっていく感じのところは、ハッキリ言ってスゴクよかった。カンドーっていうんでしょうか、この前の斎藤幸子以来の感覚。ソプラノとアルトの独唱は絵的にもヨカッたデス。

で、家に帰って昼間にかき始めたシャセイの続き。場所はハノイ大教会の横のAu Trieu=オウ・チェウ通りをずうっと行ってPhu Doan=フー・ゾアン通りに出る手前のところ。Au Trieu通りには日系のアオザイツアーという旅行会社があって休暇で帰るときの航空券を買いにたまに行く。ほかにも昆虫とか蠍とか蛙とかの標本をアクリルで固めたのを売ってる店とか、手づくりのヘアピン専門店なんていうのもあって歩くとおもしろい。教会の横だからか、静かで臭い匂いとかもしない。まあ、絵にかいてるのは基本的に気にいってるからかいているわけだが、そのなかでもここは特にフェイヴァリットなストリートっていうこと。って、ナチュラリーにイングリッシュがカミングアウトしたりして。

ただ絵のほうは久しぶりなんでちょっと硬くなりすぎた。一晩おいてハンコ押して完成。

Bao Khanh 通り -2

2009-08-23 16:54:03 | カーブ
先週の土曜日からかき始めて早くも4枚目。ワレながらスゴイスピード。先が短いことを予感しているのか。毎回、かき始める時は苦痛を感じる。なんでこんなことをやってるんだと思いながらオツトメみたいな気持。エンピツの下書きができあがる頃にだいたい完成状態が目に浮かんで、あとはイッキ。けっこうノリノリ。
少なくともかいている間は毎日ワタシを悩ますボケおやぢのことは忘れることができる。世の中に早く死んでほしいと思うニンゲンが何人かいるがそういうのに限ってなかなか死なないのは世のツネである。

で、コレはこの前かいたBao Khanh通りの奥のほうに進んでいったところにあるくねくね状態の一角。曲がったふくらみのところにちょっとしたスペースができて、小さな広場のようになっている。そこに実際はテーブルがあったり人がコーヒーを飲んでいたりするのだが絵では消している。ヒトのいない道だけをかくのがワタシの目的だから。
コノBao Khanh通りはカフェとレストランのイイのが集まっていて、夜になると屋上のテラスにも人があふれる。で、夜はかなり暗くて、テラスといえども小さな電球がいくつかついているだけだから階段とか床の段差とかでケツマヅクことがある。そこを店のウェートレスのオジョーちゃんたちはすいすいと歩き回ってビールとかを運んでくる。たいした技術である。

こっちにはバリアフリーなんて概念はまだないから、道でも段差とか木の根っことかでしょっちゅうツマヅク。あと、下水の排水口がでかい口をあけて車道と歩道の境目にあったりする。スコールのあとには水たまりがいたるところにできて何度も足を突っ込んだことがあるが、ただの雨水じゃなくて想像を絶する臭い水だったりしたときは悲惨なキモチになる。そういうところはホントにひどい街だ。
そうこうしている間にもう3時だから、またちょっと散歩にでてくるかと。絵の右下に押すハンコを注文して作ろうかときのうから考えていたので、旧市街のハンコ職人通りをのぞいてこようかな。っと。

Thanh Ha 通り

2009-08-22 11:06:09 | カーブ
きのうは会社のスタッフときのこ鍋を食べる催しがあって、先月から始まった誕生日会のようなものだが、めんどくせーと思いながら、外資企業の善き駐在員を演じてきた。ホントは搾取しているのに、、お互いわかった上での義務と演技みたいな。酔っぱらってうちに帰ってコーヒーでも飲むかと思ってインスタントのを作った直後に眠りに墜ちて夜中の2時に目が覚めて、もう眠れなくなってシャセイに励んだ。外では3時過ぎから雷が鳴り始め5時頃にハゲしく降りだした。

とりあえず50枚書くつもりの3枚目。先週の日曜に歩いた旧ハノイ城の東端、東河門(ドン・ハー・モン)をくぐって右に曲がったところ。そのまま進んでいくと旧市街の中の一番大きなドンスアン市場の南側に出る。市場からつながっているからその勢いで路上に籠を並べて乾物などを売ってる店が並んでいて、そのためのカラフルな日除けがズラーっとつながっている。どれもかなりくたびれているが。
そういうすき間にバックパッカー向けの安い宿が建っていて、でかい看板のがシティゲートホテルでその奥にあるのがブティックホテル、ってニッポンじゃラブホテルのコトだったっけ?絵にはないがその向かい側にはその名もターリンバックパッカーゲストハウスという渋いのがある。たぶん1泊10ドルくらい。そういうところに泊るパワーはもうない。というか、若いころも泊ったことはない。
ところできのうの映画の冒頭のシーンは自転車に乗った白いアオザイのオジョーちゃんの集団がこの東河門をくぐって旧市街に入っていく場面で、サイゴン陥落から25年目の記念日前日と字幕にあった。建物とかの風景はほとんど変わっていないが人とかいろんなもののスピードがかなり変わっているのがよくわかる。

最後にきのうのベトナム人との会話。来週ニッポンに何しに帰るのかと聞かれ、election、って答えたつもりなのに、やっぱりまたLとRがうまく使い分けできなくて別の意味に聞こえたらしい。まぎらわしいぜ、英語ってやつは。。


Bao Khanh 通り

2009-08-19 01:38:11 | カーブ
今日は昼にガイドブックにものっている有名ベトナム料理屋に行ったらニッポン人の団体客がほぼ全テーブルを独占していて、集団見合いのさぐり合いみたいなヘンな沈黙が漂う中、店のヒトがその隅っこに小さなテーブルを並べようとするから、じゃ、またにするわっていって出ようとしたら、付き添いのベトナム人の旅行ガイドが、まあそう言わずに、みたいに言うので、ちょっとそれだけはカンベンして、って頼むように逃げてきた。いくらなんでもああいう空間でメシを食べたいとは思わなかったから。
団体旅行ってしたことないからはじめてわかったのだが、みんな一人で参加しているわけでもないだろうに、昼とかをたまたま同じパックツアーに申し込んだだけのアカの他人と一緒になって、しかも集団見合いみたいにして食べるんだぁ、というオドロキ。まあ、ヒトそれぞれだが。

そんなこんなで夜になるとアドレナリンの効果でどんなに疲れていてもなかなか眠れないから、そういうときはシャセイするに限る。趣味はシャセイです、みたいな。。
今日の通りは迷路のような旧市街の南端、ホアンキエム湖の北側の観光の中心のような場所の中の静かな一角。周りはとんでもなくヒトとバイクで混雑しているのにこのバオ・カイン通りだけはパリの街角?を思わせるアカぬけたカフェや小ぎれいなミニホテルが並んでいて、そして道のド真ん中に巨大な木が生えている。昼でも薄暗い。
この絵を見る限り道はまっすぐだが、ココは旧市街のメインストリート、Hang Can通りからホアンキエム湖の西側の大通りにつながるところからヒョこっと横に入ったところで、この突き当たりのところがクネっと曲がっていて、そこから先が非常にniceな空間になっている。そのへんはまた後日かくとして、今日はこの大木を中心に、、あと犬がいなかったのでクルマを1台かいた。

Ma May 通り

2009-08-16 01:52:54 | カーブ
ハノイの通りはワリとまっすぐなのが多いのだが、その中にところどころ曲がった道があって、それらが隠し味的に街の奥深さというか、終わらない感じのようなものをカモシ出している気がして、で、かつてY字路ばっかりを絵に描いて、その二つの分かれた道の先にあるものとか、あるいは、二つの道が合流するその1点から、ワレワレはどこから来たのかと思い巡らさせる、そのように道を単に道としてではなく、もっとメタフィジカルな、時間と空間が一緒になった川のようなものとして表現した横尾忠則センセにならって絵にしていこうと思いついてこれが第1作。別にクソ暑いなか、道端でイーゼル立ててかいたわけじゃない。

マーマイ(Ma May)通りは前にも書いたが古い民家を保存して公開しているのがあったり、西欧人の旅行者が集まるカフェがあったりして、旧市街の中では比較的洗練された感じがする通りで、西のほうからHang Buom通りを、この前書いたBit Tet Ongloiの先に進んでいくと南のほうに緩いカーブで90度曲がったところがあり、その先にそういう文化的な雰囲気が広がっていく。その手前がこの風景。カーブの先に少しだけ別の世界が広がっている感じが伝わってくる?ような、こないような。
実際は通りにはヒトがウジャウジャいてそのすき間をバイクの群れが走り抜けていくのだが、そういうモノが一切なかったらどんなだろうと思って絵にはかかなかった。あえてそういうモノを消している。時間と空間の流れの中でヒトやバイクは形を持たず電気信号のように瞬間移動していて、1000年の歴史を持った街だけが実在として陽の光を受けている、、ジブンで解説するのもなんだが。


こんなことを始めたのも毎日イロイロ疲れることばかりで、アドレナリンが2リットルくらい出まくっている感じで、それが絵をかいている間は忘れることができるんじゃないかと思ったから。治療のようなもの。次はもう少し、、犬くらいかいてもいいか。