老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『自動販売機のある風景』

2009-10-30 00:09:45 | アート
ドトウの5日間が終わって今日戻ってきた。ウマ達は帰りの成田空港でも野放し状態で、9時に出発ロビーの時計のところでっ、って言っておいたのに、勝手に7時半にチェックインして延々と買い物していたらしい。ハノイに着いて、ああ一緒だったんだみたいな顔していた。猿の惑星を思い出した。

写真は今回ニッポンで撮った数少ない写真のうちの1枚。六本木の東京ミッドタウンの地下道で開かれていたアートコンテストの入賞作品。作者の山本麻璃絵サンはまだムサビの学生でこの自動販売機は木でできている。ビミョーにゆがんだりしているのがいかにもアートってな感じでわざとらしい。昔こういうのをダンボールで作っていたヒトがいたが、あれに比べるとはるかに虚構っぽくて地割れのすき間をのぞかされているようなキモチがした。
ショーウィンドウの中に並べられているのも、逆にふさわしい感じがしないでもない。

2009-10-25 01:38:24 | 風景
2か月振りにニッポンに帰ってきたらどこもカシコもセイタカアワダチソウが満開状態で、コレがいわゆるブタクサとは別のもので花粉症の原因かどうかはわからない、というようなことは前にも書いたが、そうじゃないとしてもあの黄色い花が獰猛に繁殖している光景はキモチのいいもんじゃない。他人を押しのけてノサバリつづけるずうずうしいヤツラを連想させるし、枯れた後もキタナく立ちつづけているのはワタシの周りにたくさんいる余剰人員のヒト達のようにも見える。

ソレはソレとして今回は3人、というか3頭も野生のウマを引き連れての帰国で、カレ等のおかげで普段は体験できないことを、初日からいろいろ体験させてもらった。
まずは入国審査。普通ワレワレは早く済まそうと思って機内で書類をしっかり書いて動く歩道なんかもさっさか通り過ぎていくわけだが、そういう世界の外から来たカレ等は機内で配られた紙きれを何コレ?みたいに座席のポケットに入れっぱなしにしてきたし、動く歩道なんて、なんで廊下が動かなきゃいけないのみたいな感じで、、まあとにかくペースが違うというか、残りのジンセイをどう使うか、みたいな次元で思想が違うのは仕方がないとしてもコッチに合わせようなんて発想はまるでない。
結局、早朝到着便が5、6便ほぼ同時に着いて、ガイジン用の審査窓口が混んでたこともあって、その混んだ集団の最後にやっと出てきた。ここで45分の待ち。荷物のベルトコンベヤーはとっくに止まり持ち主の現れない、ワタシのを含めた4つのかばんは台から下ろされて寂しく放置されていた。

次に買い物。日本橋近くのホテルに着いてとりあえず荷物だけ預かってもらって、今日はまあ1日付き合わなきゃいかんかと思ってまずは銀座あたりへ連れてったらユニクロがあったので、ココならカレ等の財布にもヤサシイかと思って入って行ったら延々1時間、アレヤコレヤで、途中から外に出て待っていたら雨がポツポツ落ちてきて、まあコレもブンカの違いというかニンゲンとしての生き方の違いのようなもので、やっぱり1日コレに合わせるのはお互いにとってよくないことじゃないかと思い始めてそのあと昼ごはんを食べたあと、まあもう好きなようにして、みたいにして別れた。
別れて気が楽になったのはよかったが今日はそのあと夜に芝居を見ることにしていたのだが、それまでどうやって時間をつぶすかと思いながらぶらぶらしているうちに先々週から土日もなしにかけ回っていた疲れが首の後ろの方から両腕のあたりに血の滞留としてあらわれてきて、コレでロレツが回らなくなったらアブないと思いながらアタマの中では言葉は普通にイメージできても声に出したらどうなるのとか思いながら、、あまりモノゴトに執着しないほうなので芝居のほうは簡単にあきらめて家に向かった。

帰りの駅とかで思ったのだが、公衆のメンゼンで親子が大声で言い争っていたり、まともな格好をしたオッサンがひとりで何かブツブツ言いながら歩いていたり、、はたまた電車の中で化粧したりメシ喰ったりメールしたりゲームしたり、要は完全に外界と断絶しているヒトが普通にたくさんいて、久しぶりにそういうのを見せられるとあきらかに異常だと思わされる。

ジンミンイインカイ

2009-10-20 22:19:36 | 風景
あさって、いよいよコッチのジンミン委員会のエライ人に会っていろいろ説明しなきゃならないんだが、そのための準備で土日もフル出勤で今朝も6時にオフィスに行った。もう2週間、こんな感じで脳が重く心臓は画鋲が刺さったように痛い。コッチのヒトにとっては特別なミーティングなのかもしれないが、ワタシには珍しいモノが見れるくらいのキモチ。
キョウサン党といえば中国のトウショウヘイさんとかアソコのキムさんとかキューバのカストロさんとか、ユニークなキャラクターのヒトが多いがベトナムで今誰が偉いのかとなると半年いてもまったくわからない。特に目立った人はいないのかもしれない。

会議ではやっぱりみんな手をたたきながら入場するんだろうか、とか、花とかたくさん飾ってあって、同じくらいの身長でバストも同じくらいでスケスケのあおざいを着たオンナのヒトをたくさんそろえていてお茶とか接待してくれるんだろうか、とか、はたまた会議のあとには子どもたちのマスゲームがあってソレが終わったらみんなで100回くらいカンパイし合って、ユーコー、ユーコー、みたいにして別れるんだろうか、、とか、いろいろ想像するがその中でハッキリ浮いているジブンに気づく。早く終わんねえかな、、みたいな。

しかしやっぱり、気をつけないと何が起こるかわからないという雰囲気はいつも感じさせるクニではある。というか、ヒトビトの目がそう言ってる。

Last minute passenger

2009-10-17 15:21:48 | ベトナム
直訳すると土壇場の乗客。
今回の出張はワタシのシュッチョウ史上ワースト3に入るくらいの不幸の連続で、こうやって書いておかないと忘れてしまうのももったいないというくらいひどかった。
まず、行きは結局カレラのつくる資料のネタができあがったのが朝になってからで、カレ等はカレ等でジブンのシゴトが終わったらさっさと家に帰って支度して空港に向かったのだが、ワタシはそのネタをPPTに貼りつけて、先にホーチミンシティのほうにメールで送って、そうすれば向こうで出力して製本まで終わった頃に飛行機が着くという、ジツに段取りのいい流れを予定していたのだが、、そんな調子だから飛行機の時間には到底間に合わず。
でもって次の便に変更しようとしたら夕方まで全部満席で、まあそれはオザシキ1件すっ飛ばしただけでべつに不幸でもないのだが、その夕方の便で向こうに着いたらカミナリがアタマの上で炸裂する感じで、そういう時に限ってバスで到着ロビーに移動するというまずは軽い不幸。で、タクシー乗り場はいつもの10倍くらいの大混乱でイカサマタクシーでもいいやと思って乗ったら2倍取られた程度で済んだ。コンナのはシアワセの部類に入る。

翌日、昼間はテキパキと仕事をこなして順調に進んでいたのだが、、、そろそろ帰ろうかとしたときに雨がポツポツ落ちてきて悪い予感。空港までは早くて30分、かかっても1時間くらいの道を途中まではまったくスイスイ走っていたのが、最後の第4コーナーくらいのところで豪雨とオートバイの洪水にノマれてまったく動かなくなった。それでもまだまだ余裕だったのだが10分間で3mくらいしか進まなくなって結局、1時間半もそんな調子で、もうだめだとなってオフィスに電話して便を変更してもらおうとしたらその日の便はすべて満席で、とりあえず空席待ちにしてもらって空港に着いたら、同じような境遇のヒトビトがごった返していてもうだめかと思ったのだが、カウンターに行ってゴールドカード見せたらアイヨ、みたいな感じでちょっと待っててって言われて、、そこからが不幸のアリ地獄。

呼び出しの時間になったのでカウンターの近くに行ったらぜんぜん空席がないみたいで、ベトナム人たちは大げさな手振りで係員にツメ寄っている。なかにはいきなり財布を出してコレでよろしく、みたいな成り金風のもいて、カウンターではそういうものは受け取らないと言っておきながら、後ろの方から係員がその成り金を呼んでどこかに連れていったから交渉成立かと。キョウサン主義とか言いながらそういうクニなのだ。しかも見せた金は50,000ドン、250円。
で、結局最初の便は乗れず、あと1時間待ってて、って言われたがもう耐えられずホテルを予約してタクシーに乗ってUターン。着いたのが11時近く。ルームサービスでステーキ注文してビールをキモチ悪くなるまで飲んだ。

それでもってケサは4時に起きてアサ一のに乗ろうと思って空港に行ったら午前中の便が全部満席!!もう、一人で泣くところ。ところがまああまり期待しないで空席待ちのリストに載せてもらったら、あと5分待って、って言われて、ウソこけと思いながら待ってたらカウンターから手招きされてコノステッカーをシャツに貼って、チョー急いでカウンターに行って、って言われて、、あとはどうってことない。不幸のあらしがいつの間にか通り過ぎていたってこと。
不幸の連鎖は静かに始まって突然終わる。土壇場で逆転ホームラン、というよりデッドボールで押し出し、みたいな、。

お茶

2009-10-15 02:00:01 | ベトナム
ニッポンから持ってきていたお茶がなくなったので仕方なくコッチのを買った。Green teaと書いてはあるがニッポンのお茶とはあきらかに違う。かなり苦味がある。なぜ仕方なく、なのかというと、コッチでは非公式の打合せなんかで偉いヒトの部屋に呼ばれるとお茶をワンコそばのように次から次に飲まされるのだが、それがいつも苦くて、もういいっていっても通じないもんだから、だからといって飲まないとシツレイになるんじゃないかと思ったりして仕方なく飲んでいたからで、ただもしかしたらカラダに良かったりするんじゃないかというキモチもある。マズイものはカラダにイイことが多いから。

で、ベトナムにはいろんな種類のお茶があって蓮茶は有名だがあれは基本的には普通のお茶に蓮の花の花粉をまぶしたもので、珍しいというか、季節モノ的なお茶。ほかにはアーティチョーク茶とかゴーヤ茶とかもっとキキそうなのもいろいろある。昔、フィリピンに何度か行ってた頃、バナバ茶というのが痩せるお茶とかいわれてはやっていた。ワタシが欲しいのは眠れるお茶で、もう今週は毎日ニワトリが鳴くくらいまで寝られないのでそれはもうセツジツなガンボウ。

睡眠ヤクのように眠れるお茶が欲しい。いまも明日の早朝便で南の方に行って3つもオシゴトこなしてこなければいけないというのに、そのネタが、まだ会社でつくってるのがいて、メールで届くのを待ちながらコンナコトを書いている。どうせ届くのは朝かもしれないのだが、そのためには今横になって2,3時間寝ればいいのだがそう簡単に眠れるわけがない。かといってじっと待っているのも。。
ただ、眠いのに眠れないというのはだんだんマゾ的な快感に変わっていくような気がしなでもない、なんてことはあるワケない。


26-10-1967

2009-10-14 01:15:06 | ベトナム
コレは日曜日の収穫のもう一つのほう。ちょうど今ホーチミン廟のある、ニッポンでいえば皇居前広場、中国でいえば天安門広場、ロシアでいえば赤の広場、のようなバーディン広場を中心にして、きのうの碑と点対称くらいの位置にある。距離にして2キロくらい。ココに5ヶ月後にB52が飛んできて同じように地対空ミサイルで撃墜される。2キロ歩いたことで5ヶ月間の時間の隔たりがカラダにしみこんだようだ。

コッチのレリーフは漆喰か何かで立体化されて、そこに色がつけられている。ニッポンでいえば伊豆の長八サンのコテ絵の世界。近くのロンビエン橋が背景にかかれている。橋は何度も爆撃されて、そのたびに修理されて今でもかなりはげしく使われている。
建物の壁ではなく塀に掲げられていて、その中の建物は今、超高層ビルに建て替えられている。コノ塀と、このレリーフはどうなることやらと思いながら、ソレはベトナムのヒトが決めることだろうと思ってすぐにその場所を離れた。

レリーフの下に電話番号がペンキで書いてあるのは、壁に穴をあける工事屋の宣伝で、町中の家の壁とか塀のいたるところにある。とんでもない迷惑なモノで、断って書いているとも思えないのだがコッチのヒトはほとんど気にしていない。ソレがおおらかでいいことだとはワタシはまったく思っていない。ベトナム人の他人の迷惑なんて全く気にしないコクミン性をよくあらわしている。
Cua Bac 通り、もう少し行くと空港に行く幹線道路にぶつかるところ。

19-5-1967

2009-10-13 00:36:16 | ベトナム
日曜日に写真を撮りに行った壁のレリーフ。無数の野蛮なアメリカ人が飛んできて、ワレワレはそれに立ち向かって、カレ等は無残に墜ちた、、みたいなことが書いてある。1967年5月19日のことだ。
今のハノイには戦争の痕跡はまったくない、というか、ガイジンのワタシにはまったく見つからない。だからこういうのを見てはじめてココにB52が飛んできたのかと実感できる。

60年代の終わりにワタシはアノ限りなく透明に近い米軍基地の近くに住んでいて、夕方、B52が編隊を組んで西のほうに飛んで行くのを何回も見た。そして次の日の夕刊に北爆のニュースが出る。少しだけリアルなベトナム戦争体験。あのB52がココに飛んできたのかと、、見送った飛行機が墜ちた場所を確認して、40年たってやっと一つの話しが完結した。

美術博物館やゲーテインスティテュートのあるNguyen Thai Hoc通りのいちばん西のほうのコノ場所には、現在平屋の大きな建物が建っていて、その角の、交差点に面した所にこのレリーフが掲げられている。撃ち落としたはいいがきっと多くの人がココで死んでいる。霊魂がエチゼンクラゲのように歩道を埋め尽くしていて空気がねっとりしていた。

チキン・アボガド・マンゴーサラダ

2009-10-12 00:55:26 | ベトナム
きのうの散歩は前にクルマに乗っているときに見つけた壁の彫刻の写真を撮りに延々2時間歩きっぱなし。2か所撮った。その写真はまた後にすることにして散歩のシメはいつもの店でビール飲んで軽く晩ご飯。アタマの中でコノ歌を回しながら最初にコレを食べた。

メインは日曜の晩メシに3週連続の焼きソバ。3週連続だからビールも3杯飲んだ。意識をマヒさせてあと15分、大通りをヨレヨレになって家まで歩いた。途中で道端の花屋で黄色いバラを買って、くだもの屋でマンゴーを2個買った。

カーツ大佐って、住宅ローンとか固定資産税とか子どもの学費とかどうしてたんだろうかと、フと思った。

Hang Can 通り

2009-10-11 14:29:01 | カーブ
前の絵から空を塗るようにした。絵が暗くなっていい感じになることがわかったので。写真も文書モードだったのを食べ物モードで撮るようにした。そのほうが実物に近い。ウマく見える。
これで10枚目。ハツ病するのを抑えるのには効果があると思っている。毎日、ウマだけが相手なら、どうせウマだと思ってムチでひっぱたいて調教すればいいだけのことだが、ソコにどうしようもない無能な障害物と、ニッポンから遠隔操作の電波を送ってくる腰巾着が加わって、、あといろいろ。もう、脳にポリープができているんじゃないかと思う。

で、コレはホアンキエム湖の西側の道をずうっと行って旧市街のど真ん中くらいのところ。道の名前は200mくらいごとにシュッセ魚のように変わっていく。イルカ通りがサメ通りになって最後にクジラ通りになるように。
ホアンキエム湖を過ぎて南のほうから行くと最初がLuong Van Can=ルオン・バン・カン通りで、次がHang Can=ハン・カン通りで、その先がCha Ca=チャー・カー通りになって、最後がHang Luoc=ハン・ルオック通りで線路にぶつかる。真ん中くらいだからHang Can通りということでココでやや左に折れ曲がる。交差しているのはLan Ong=ラン・オン通りで左の建物は「地球の歩き方」にものっているマジェスティック・サルーテ・ホテル。旧市街の中では大きな方のホテルで1泊50~60ドル程度と思われる。

正面の建物がなかなか細部の装飾がみごとで目がとまった。窓の上にアーチ状の花輪の飾りがついていて3階のバルコニーにバロック建築のような飾り壁が立っている。面があっちゃこっちゃ向いているので平面がどうなっているのか想像もできない。その左の建物が小さな三角とは思えないし。
窓にはめられた鉄の格子も実際は細かな模様になっているのだが絵では省略している。道に横断歩道が書いてあるが、ほかと同じようになんの役にもたっていない。

ハノイ遷都999年

2009-10-10 13:34:08 | ベトナム
10月10日はハノイ市の遷都記念日で今年が999年目で来年、2010年10月10日が1000年記念日。10時10分に式典が始まるのかどうかは知らない。その時にコッチにいればその場にいることもできるが、そんな先のことは、、、生きてるかどうかもわからないし。
今日はロンビエン橋でこんなイベントもあって、古い列車にお偉方が乗って橋を渡るとか、、通行止めにしてアートを展示してあるのは見に行こうかと思っている。なにしろこの前行ったときはバイクの群れがすごくて歩いていてもカスっていくくらいだったから。

なんかでもニッポンは3連休とかって聞くと、やってらんねー、みたいな。。この前5連休があったばかりじゃん、って言いたくなる。で、来月も2回、さ来月も1回祝日かよ、みたいな。こういうわざとワカモノ言葉使ってスネテるキモチ、わかってほしい。
こっちは9月に1日休みがあったがもう年内は祝日はない。正月も元旦だけ休みで、実際そのとおりらしくて、大みそかに打合せの予定が入っている。旧正月が2月の初め頃にあって、その時は4,5日休みになるようだが、ゴールデンウィークもなかったし夏休みもなかったし、、ワタシがシャチョーになったら両方の祝日を休みにする。コレ、マニフェスト。

恨みまーーーーす、恨みまーーーーーす、、って山崎ハコだったっけ。けさからアタマの中で繰り返し流れている感じ。