老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『2010億光年』byサスペンデッズ

2010-05-26 23:38:15 | 演劇
今回の最後の芝居。コレでまた当分見れない。うまいラーメンも、ソース焼きそばも、冷やし中華も当分食べれない。ちゃんとした天ぷら、ちゃんとしたウナ丼、ちゃんとしたモツ煮込み、それらも当分食べれない。。わざとら抜きで書いている。出かせぎサラリーマンの微かな抵抗。もうタダシイ日本語なんか忘れてやるーみたいなキモチ。やや意味不明。
で、コレは最後の芝居にしては若干スッキリしないモノが残ったがこういうのもありかなーという内容。話があちこち飛んで、それもどういう意味があるんだろうかというようなモノが突然はさみ込まれたり、一つ一つは何かを思わせぶろうとしているようにも思えたが、女優サンがキレイなヒトだったのも災いして話に集中できなかった。

時間的には若くてきれいなオンナのヒトが既に事故か何かで死んでいる場面から。そのオンナのヒトは親の遺産で小さな画廊かスタジオかをやっている。写真家の夫がいたが繊細な神経の持ち主で、その女のヒトが発した言葉がきっかけでジサツした。で、そこに妻との結婚生活に飽きた若いオトコがいて、そのオトコも写真家なのだがカタログ雑誌の写真か何かをとっていて今の生活に満足できない。
そこでオンナのヒトが生きている時間に戻る。オトコはそのオンナのヒトに魅かれている。妻とは違いジブンの写真を理解してくれるから。オトコはオンナのヒトに言われて空とかそのオンナのヒトのカラダとかの写真を撮る。それはそのオンナのヒトが死んだ夫に撮らせていた写真集の続きとしてだがオトコはそれを知らない。オンナのヒトが死んでから残されたモノを見てソレを知る。っていうか、オンナのヒトの亡霊が出てきてそういう話をする?? よくわからない。
オトコは妻と別れてそのオンナのヒトと一緒になりたいと思うがその矢先にオンナのヒトは死ぬ。で、何がきっかけで吹っ切れたのか、ソレもよくわからないがオトコは立ち直って週刊誌の女子高生写真の企画にのって全国を回る旅に出る。

そのへんの展開の意味が理解できなかったのだがもしかしたらそういう話の間に挟み込まれていた意味不明の場面がその意味するところだったのかもしれない。目の見えない女とSM写真家のカップルのところにオトコの妻が行って、こちらの期待に反して服は脱がず服の上からただ縛られるだけとか。オンナのヒトの画廊?スタジオ?で芝居の稽古をする売れない劇団と書けない作家兼演出家のリルケ?だか誰かの詩を使った芝居の中身とか。で、その劇団が月曜9時のテレビドラマに出れるかどうかで芝居の上演を遅らせるため交通事故で怪我をしたふりをしたりとか。で、しまいには白塗りで額縁をかぶって短い芝居をする。
なんでSM? なんで目が見えない?、なんでリルケ、なんで月9?、なんで白塗り、、あと何かあったっけ。作者の中では当然つながりがあるモノが見ていて理解できない。オトコの妻が言う。オンナにはある日突然ミニスカートがはけない時が来るって。その時が来たら言うからアタシを撮ってって。ソレ自体はオモシロイ。白塗り劇団も感動的ですらある。声を合わせて叫ぶリルケの詩も意味ありげだ。でも全体として理解できない。死んだ人のまわりを流れる時間みたいなコトがテーマなのかなー。わからないけど。早船サンの芝居はコレで3つ目だが3つとも過ぎ去った時間とヒトの中に残った記憶と、その記憶によってまたヒトの中で繰り返される時間と、それらの重なり合いみたいなコトがテーマのような気も。
説明的じゃないところと舞台が大げさに転換しないところはヨカッた。否定すべきものとはまったく思わない。

2010.5.24 東京芸術劇場小ホールにて。

『めぐるめく』byKAKUTA

2010-05-26 15:31:37 | 演劇
芝居3本目。今回見た中では一番ヨカった。家族がテーマ。桑原さんってヒトは見かけはアタシャ、一人で生きていけるわ的豪快さがあるのだが、この前NHKで見たのもそうだったけど家族の壊れやすいビミョーなつながりのようなもの、というか、家族の中の個人、みたいなコトに関心があるのだろう。もちろんソレは大きな問題だと思うが、誰もが多かれ少なかれ苦いモノを持っている部分であるのは間違いないから見る側はジブン自身の問題としてソレを見てしまう。だから難しいところでやってるなあ、という感じはする。見ていてときどき痛い。

全体に説明的な部分が少なく流れをつかむのに時間はかかったがそれはそれで受け入れやすい。その流れをつかんだところから始めると、4人か5人の姉妹がいてその中の長女が10年くらい前に交通事故で意識不明になってこん睡状態だったのがある日突然目が覚める。一緒に車に乗っていた夫は事故で死に、小さな息子は妹たちの間を転々としながら育てられ、すでに思春期の難しい年頃になっていた。
目が覚めた長女は夫の墓参りに行きたいという。妹たちはそれぞれの生活を送っていて長女の見舞いにもほとんど行っていなかった後ろめたさを感じながらその家族旅行に付いて行く。その中には長女が入院中にずっと世話をしていた介護師のオトコがいて長女のことを姉妹以上に心配している。で、あとでそれは、その長女夫婦の交通事故が、その男がジサツしようとして飛び出してきたのを無理によけたために起こったことがわかる。それで姉妹たちはその男を責めるが、その男もまたジブンもジブンが起こしたコトに苦しんで、失ったものを取り返すために介護を尽くしてきたと言う。このへんはかなりキワドイ展開。ありえねー、みたいな。

で、この旅行のあいだに自閉的だった息子が家出少女に出会ったりしながら心をひらいていく。姉妹の間をたらいまわしにされ、その間にそういう難しい環境の中でジブンを表現することをやめていたのが、生き返った母親とのつながりの中からジブンを取り戻していく。オンナの子と寝ようとしながらやめといたり、みんなの前でダンスをしたり、ジブンのやりたいことをジブンで決めていこうとし始める。
ところがところが、、その先に大きなコトが起きて。。

結論的には失われた時間を、それは長い間こん睡状態だった長女の時間でもあり、その周囲のヒト達の時間でもあるのだが、それを家族が旅行をすることで取り戻していく、そういう話と、過ぎ去った時間も記憶の中で何度でも繰り返すことができる、みたいな感覚。そういう話をこん睡状態のヒトが何十年振りかに目覚めるという非現実的なネタを使って作り上げる。「トーク・トゥ・ハー」ってペドロ・アルドモバルの映画を思い出したが、やっぱり芝居っていうのは作りモノの世界とはいえそういう非現実的な設定の中でリアルな話を展開させるっていうやりかたは相当テクニックがいるはずで、コノ芝居ではそれがうまくいっていたように思いまシタ。
全体の中でどういう意味があるのかよくわからない部分とか登場人物もあったが、それはそれで隠し味的に必要なのか、作る側にはもちろん意図するところがあったのだろうけど。

2010.5.23 世田谷パブリックシアター、シアタートラムにて。

『裏切りの街』@PARCO

2010-05-25 09:54:47 | 演劇
金曜に帰ってきてもう今は成田のラウンジ。ココでいつも書いている。きのうも書いたが今回は4つも芝居を見たわけだがナンとなく不完全燃焼っぽいのは4つとも今一つもり上がりに欠けたというか、まあそれが今のニッポンの空気そのままということかもしれないが、サッカーとか、政治とか、大相撲とか、種牛とか。ワクチンという名の毒薬でコロされる牛も大変だなあ、というのが今の空気。
でもって、コレは2日目の芝居。だめオトコとだめオンナの話。ポツドールの三浦大輔サン作・演出でセックすシーン満載でソコだけは異様に盛り上がった。ただ全体的にはでかい劇場の回り舞台を使いすぎた凝りすぎの演出とか、有名俳優がたくさん出ていることとか、そういう尾ひれの部分だけが目立って、、席が後ろのほうだったことを悔やんでいるだけかもしれないが。

話はフリーターの男、25歳と、松尾スズキサマ演じるダンナが一見いいヒトのヒトヅマ、40歳がヒマを持て余しながら、特に何かを求めてというわけでもなく、かといって今の生活に満足できずツーショットっていうんでしょうか、そういう電話で知り合うヤツで出会って、延々、約1時間は何もせず、喫茶店でお茶飲んでサヨナラ、みたいなことを続ける。男のほうはあまりビジンとは言えないオンナと同棲していて、毎日2000円もらって、ジブンはアルバイトをさぼってグータラな生活をしている。ヒトヅマのほうもジブンは美人なのになんでこんなつまらない生活をしているんだろうと思いながら毎日いいともとか見ながらムダに時間を過ごしている。ダンナは毎日カイシャの部下と酒を飲んで帰ってきてツマのそういう満たされないキモチには気付かない。

で、お互い初めからただヤリたいだけだったのが、やっと、やっぱりそうだよね的にわかり合って西荻のラブホで激しく燃え上がる。そのシーンなんか完全にR18指定。ソレはソレでヨカったんだけど、そのあと、男のほうは同棲しているオンナからもっとしっかりしろみたいに言われて、女のほうもダンナからなんでも知ってんだぞ的に言われてそういう生活から抜け出そうとするがそのうちに女が妊娠する。それをダンナはジブンの子だと思い込み、産んでくれるよな、みたいな感じでどんどんおなかは大きくなって取り返しのつかないところまで行ってしまう。
見ているほうももういい加減にしろよ的になってくるのだが、ダンナにばれてもう会うなと脅されても男は女に会い、今度はしっかりヒニンするよ、バカ、ニンシンしてるからヒニンなんか意味ないわ、、みたいな会話でカンケイを続ける。どうしようもない二人だ、と思っていたらその先が裏切りの街。。

弱いニンゲンと強いニンゲンの話というか、ダメな人間は延々と泥沼からはいあがれない。その一方で強いニンゲンはテキトーに相手の急所をくすぐりながらしっかり実をとっている。痛ましくてナンの希望もない、そんな話。そのだめオトコがダメ女に途中で言う。オレタチ顔は結構イケてるよね、みたいに。顔がいいからこうやってだらけてしまうんだみたいな感じ。ソコは思わず笑っちまった。

2010.5.22 PARCO劇場にて。まだやっている。


『プランクトンの踊り場』byイキウメ

2010-05-24 13:27:06 | 演劇
2か月ぶりにニッポンに帰ってきて4日間で4つ芝居を見る。ソコまでの芝居狂いというわけではないのだが、むこうじゃできないことというとコレくらいしか思いつかない。もしかしたらむこうにもニンゲンのクノウを掘り下げたり、ゲンダイ社会のビョウリを浮き彫りにしたり、そういう見るべき芝居があるのかもしれないのだが言葉がわからないと芝居は意味がないから見ても仕方がない。もちろん、そんなものはないのかもしれない。ワタシが知ってるのは観光客向けの古典的なモノだけ。1回くらいは見てもいいけど。

で、まずは去年、一番ヒカっていたと思った前川知大サンが書いているイキウメの新作。劇団で直に買ったら最前列のほぼど真ん中でシタ。目の前で、いまやSEIYUのCMで高感度No1の伊勢佳世サマがカナしそうな顔をするもんだから、オヂサン的にはそれだけでノックアウト状態。ホントに少しでも安いモノを求めてケナゲに自転車で坂道かけ上がってスーパーに買い物に行く若奥サマ的哀愁に満ちていた。
話のほうはというと、、ある日突然ジブンの分身が別のところに現われてジブンのふりをして、何だかんだで混乱して、でも世の中にはそういうことは実際にはなくて、ソレはひとりひとりの思い込み、みたいな話で、この前の前に見た「関数ドミノ」と同じ展開。ワンパターンかなあ、みたいな雰囲気も若干漂った。あのときはドミノ幻想で今回はドッペルゲンガーがテーマのようなのだが。。

ただ実際はもっと深いはなしのような。前川サンって人は一見、オカルト趣味のようなところを見せながら実際はもっと深くニンゲンを見ている。
もうひとりのジブン、というか、ソレは他人から見たもう一人のアナタ、なわけで、たとえばワタシのツマはワタシが外で働いたり意味もなく路上をさまよったりしているときのことを知らない。知り合う前のコトも知らない。ツマが知っているワタシは、ワタシのほんの一部でソレは本当のワタシなのかどうか、そんなことはだれにもわからない、というか、全部が本当のワタシなのだ。ツマに限らず、きのう電車で隣に座ったかあいいおジョーが知っているワタシのコトなど毛の一本くらいの少なさに過ぎないがそれさえも本当のワタシに違いはない。
イヤな過去とか忘れたいコトとか、ソレはジブンの中にある限りは決して消えないが、他人の記憶からは簡単に消える。だから、、ナンだっていうの??

その辺が深いという意味で、受け取り方によってひとそれぞれコノ芝居を見たことの意味は違ってくる。今ある記憶だってボケれば何の意味もなくなる。もちろん死ねばすべて消える。ジブンが見ている対象にしてもそれはジブンの経験が作り出した一つの偶像であるわけで、世の中に絶対的な存在などあり得ないというコト。だからソレでいいじゃん、みたいな、最後で忘れたいコトを消す場面で、いつか消えていくんだからもういいじゃない、みたいな場面が、コッチの期待をやや裏切りながらいい終わり方のように思えた。

で、コレは5/21に赤坂RED/THEATERで見て、その翌日は渋谷のPARCO劇場で別のを見たのだが、なんか話がつながっているような、ヘンな錯覚。

フライング・ヤモリ

2010-05-20 14:06:18 | ベトナム
この前、郊外の道を車で走っていたらヤモリがヒョイっと窓ガラスに吸い付いてきて1キロくらいそのまま走った。コッチは珍しいもんだからカメラで撮ろうとするのを運転手がそういうニッポン人が珍しいと思ってでこぼこ道でわざと揺らすからなかなか撮れなかった。
撮った瞬間に草むらに飛び降りてあとはどうなったか知らない。カレ/カノジョは毎日ああやってテキトーな車を見つけてシゴトか何かで出かけて行って、それでもって夕方になるとまた別のテキトーな車を見つけて家に帰るのか。ちゃっかりしたヤモリめ。
今はハノイはヤモリの季節だ。レストランとかアパートの玄関とか、天井に何十匹もへばりついてヒトが入って/出ていくのを見下ろしている。蝉のように通りがかりに液体を引っ掛けるようなことはしない。そのへんはイイ奴らだ。ワタシは嫌いではない。
ついでにいうと今ハノイではクマゼミの季節でもある。夕方から夜の10時頃まで。コレもワタシは嫌いではない。

ところで今晩、また飛行機に乗ってニッポンに帰る/行く。ニッポンでは4日間毎日芝居を見て、火曜の午後にはハノイに行く/帰る。基本的にはコッチがベースだ。コッチにいればそれなりに土日もすることがあるし、とりあえずは週末ごとに飛行機が飛んでいるいろんな町に行ってみようかと思ってもいるし、シゴトのストレスはどこにいようが追いかけてくるし、いつまでこんな生活が続くんだろうといつも考えているのは疲れるだけということがやっとわかってきた。ただいろいろメンドクサイ。この前のゲリッがこたえている。あんなのにまたなったら1週間身動きできなくなる。
ニンゲンとは弱い生き物だ。トイレがないと生きていけない。ワタシの場合、清潔な、ピカピカのトイレがないと非常にツライ。

Golden Drum、Hanoi

2010-05-17 00:23:35 | ベトナム


ハノイの町は少し高いところから見下ろしていると、バイクと車と歩行者のせめぎ合いが見ていておもしろいというか、ひとことでいえば、混沌の快楽のようなモノが味わえる。
ワタシなりにいくつか気に入った見下ろしポイントがあって、休みの日の夕方などにビールを飲みながらじぃっと眺めたりしているのだ。

ココは旧市街の職人街の一つでハンコ屋で有名なHang Quat St./ハン・クアッ通りがHang Non St./ハン・ノン通りに名前が変わるあたり、Golden Drumという古いカフェ・レストランのテラス席からの眺め。切り張りしてパノラマにしてみた。

店の前から南のほうに行く通りはHang Manh St./ハン・マィン通りで民族音楽の楽器を売っている店が何軒か並んでいる。銅鑼とか三味線風の弦楽器とかいろいろ。なもんで、観光客が比較的たくさん集まる場所で、きょう見ていたところ、ニッポン人は20人中一人くらいの割合で意外と少ない。オーベー系が20人中15人、あとは中国か台湾。オーベー系は地図を片手に意外とまじめに観光している。

ハノイのジーパン屋

2010-05-12 22:35:35 | ベトナム
月曜の午後からワタシのベトナム史上、最悪のゲリッ。とにかく止まらない。成田-ハノイ・ノンストップ便。またニッポン料理屋でアタったと思われる。生で食べたのは豆腐とダイコンおろしくらいだったのに、アタるときはナニ食べてもアタる。火曜はまだ食べられたのがきょうはもう水とお茶だけ。でも死なない。インドで何十年間何も食べていないでイキているヒトがいるらしいから、そう簡単には死なないのだ。

でもコッチのゲリッはとにかくハゲしい。痛みはなくむしろ快感に近いモノがある。ミゴトというか、イサギよいというか、グジグジあとを引かない。体力がどんどん消耗していくコト以外にはナンの欠点もない。
ただいつまでもコノ状態を味わっているわけにもいかない。今週末にはニッポンから一番厄介なヒトたちが来てワタシの大切な休日を奪っていく。ワタシのゲリッにお構いなくいろんな所についていかないといけない。だから少なくともあしたの夜には完全に止まっていて、あさっては一応定期便に戻らないと、という計算。

写真は本文と一切関係ありません。

アロマオイル

2010-05-06 22:18:10 | ベトナム
きょうのコッチのニッポン人向けのネット新聞にオトコのオトコによるオトコのためのイカガワマッサージ屋が増えているって記事が載っていた。部屋に通されて待っているとおニーさんがいきなり超省エネルックで登場するらしい。興味深い。ただ前に一度フットマッサージでオトコの結構若いニーさんにヤラれた、いや、普通にもまれたことがあるが特に感慨はなかった。そっちのほうには向いてないのだろうと思う。
で、オンナのヒトによるイカガワマッサージ屋はやたらケバイから外から見ただけでわかる。ボデコンのオネーさんが外でノウサツ光線を発しながらイラッシャイをしている。そういうところに入ると最低でも100ドルくらいブン捕られる。ツッ張って払わないとこわいオネーサンが出てきて着ていたものをどっかに持っていかれてコッチも超省エネルックで家まで帰ることになる。そういうヒトをたまに見かける。暑いからだけかもしれないが。

で、コレはこの前散歩して買ってきたベトナム産のアロマオイル入りルームスプレー2種類。北部山岳地域の少数民族に伝わる痛み止めとか不眠解消とかの効き目があるのは見つからなかったが、これらも基本的にはベトナムでとれる香草を原料としている。かなりスパイシーで濃い感じだが悪くない。ハノイは一年中湿度が高くて部屋の中が臭くなるのでこういうものは欠かせない。
アロマオイルそのものもあったが、この前無印で照明がつく超音波アロマデヒューザーを買おうかどうしようか迷って、結局買わなかったので、今度こそは買って、その時までオイルのほうは保留。買って置いておくだけで蒸発するから。

でもって最初の話に戻るとコレを買った店はエステティック・インスティテュートとかいう名前でオンナの人向けの店かと思ったらマッサージやってかなぁーい♡、いや、、マッサージはいかがですか、みたいに聞かれて、オトコもオッケー? みたいに聞いたら、当然よォ♡♡、みたいに言われたのでじゃあ軽くもんでもらうかと思ってもんでもらった。安い。1時間180千ドン=900円。
一応カーテンで仕切られてはいるが男女混ヨクならぬ混ッマー。となりでケッコウなオバサンがいびき立てて寝ながらもまれていた。と思われる。買ったのと同系のマッサージオイルを塗られてもまれるので基本的に直もみ。ケッコウな匂い。で、終わってシャワーで流せるのかと思ったらシャワーがない。きっとコレはすぐに洗い流したら効果がないのだと思って家に帰ってもしばらく我慢したが耐えられず洗った。
途中でマッサージ嬢、、と書くと誤解をまねくので、マッサージお嬢と呼ぶとすると、そのマッサージお嬢がワタシの肩の血の塊に気付き、めずらしいと思ったのかそれを執拗にもみまくって、しまいにはお願いですからもういいですからってお願いしてしまった。きっともみガイがあったのだろう。
まあまあよかった。天井の高いところとか。

ルームスプレーのほうが高くて、1本250千ドン=1250円。

TWG tea

2010-05-03 20:28:45 | ベトナム
コッチは連休もきょうでオシマイ。唯一連休らしいこととしてきのうの午後から豪華ホテルに遊びに行った。いろいろ考えた末、パソコンを持たずに。特に何かをするワケでもなく、むしろ何もしないために行くわけだからそのほうがいいに決まっている。

アパートにはバスタブがないのでホテルに着いてすぐに風呂に入った。久しぶり。そのあとは散歩してコレを買った。TWGって最初トワイニングの略かと思ったらどうも関係ないようで、シンガポールで今ケッコウ売れている紅茶のコト。何もベトナムでシンガポールの紅茶を買わなくてもいいようなもんだが、缶のデザインが気に入ったので前から欲しかった。ソレだけ。
1837年創業っていうからもうすぐ200年。ニッポンにはまだ入っていないとしたら誰か売ればコレは当たると思う。イロイロ凝った香りが付いているのが特徴で、ワタシが買ったのはその名も「Geisha Blossom」。ウイウイしい芸者のツボミ的香りでgoodデス。

で、あとはワインも買って部屋で一本飲んだ。ホテルの近くにガイジン向けの大型アパートがあるのでガイジン向け食料品店が何軒もある。ワインもいろいろ種類があって安かった。
でもってまったく何もしなかったわけではなく、ワインを飲みながらいつもの決まりで部屋の寸法を測ってお絵かき。

今朝もカフェでのんびりしていたらパトカーがサイレン鳴らしながら突っ走ってきて、そのあとを黒い車とマイクロバスが何台もつながってホテルに入って行った。もしかして、と思ったらやっぱりアレだった。ゴクローなことだと思いマシタ。
あと何したっけ。窓から景色見てたくらいか。




『Yamazaki Aged 12 Years』

2010-05-01 00:24:09 | 風景
ニッポンからのお客サンに先週いただきました。コレもまたニッポンからの出張者が置いていったAERAの広告を見たら税込7,350円って、免税店ではいくらだったのか。太っ腹なお客サンってステキ。
で、そのAERAを見ていたら、すごい申告、いや、深刻な記事が載っていて感じイッタ。4月19日号36~37ページ。編集部、木村恵子さんの記事。『際限なき時代に巣くう「心の過労」』

以下、要約。
じっくり、心を込めて仕事をすることが難しくなっている。効率的に、極限の仕事量をさばくことが日常となりつつある。・・誰も自分以外のことには関心がない。
「剥がしても剥がしても張りついてくる薄い寂しさのようなものを、私たちは今抱えている気がする」(一橋大教授・宮地尚子さん)
この言葉に、殺伐とした砂漠のような社会で働く、一人の労働者として心が激しく共振した、と木村さんは書く。
いま、労働者が直面する日常の救いようのなさは、寂しいという感情になってまとわりつく。
際限のない効率化、キリのなさ、終わりのない競争。確かなのは、そんなふうに働くことや生きることをだれも望んでいないということ。それなのに、殺伐とした日常に私たちはからめとられている。
そこから抜け出すにはどうしたらいいか。宮地さんは、「みんなが少しずつ降りることを実践すること」と言う。脳や心にもキリがあることを意識して、だれも万能ではないのだから、疲れたら少しでいいから肩から荷をおろすことが必要だと。
小さなことから始めること。メールを見ない時間を作ること。返信が遅れても気にしないこと。何もしない時間の豊かさを感じること。毎日を味わうこと。

この頃とにかくパワーが落ちた。20年前には来週ヨーロッパに行ってみようと思い立ったらすぐに航空券を買いに行って、出発して、空港のインフォメーションでホテルを予約して、大きな町では夜にオペラがあるとわかれば直接劇場に行って、安い立ち見の席を買って3時間でも立って観て、終わったら広場でソーセージをかじって、歩いてホテルまで帰って、翌日、列車に飛び乗って次の町に行って、駅のインフォメーションでホテルを予約して、、、みたいなことができたのに、きのうは晩ご飯を食べに出かけようと思ったら、なんとなく腹の調子が悪くなるような予感がして、服を着替えてアパートの鍵を持ってドアを開けようとするところで思いとどまって、結局部屋で簡単に済ませた。完全に疲れきっている。

ニッポンの、まさに砂漠のようなカイシャ社会から脱出して、コッチで生きている分にはキワメテ人間的な環境であるけれども、それでもやっぱりニッポンからのメールとかテレビ会議とか給料明細にはさみこまれた評価点とか、そんなものを見せられると傷跡をカッターナイフでなぞられるような感じがして、そんなときにこの記事を読んで、少しは楽になった。