老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

ついに始まった?

2009-02-28 08:42:00 | 風景
きのうはワタシの生涯で記念すべき日になるだろう。ボケが始まった日として。。

駅でSuicaにチャージしようとして二度もカードをジベタに落として、なんか変だと思ったのが最初。八丁堀で乗り過ごしそうになって、そこから地下鉄で表参道に行くのに銀座で銀座線に乗り換えようとホームにおりたらなんか行き先が変だと思ったら丸ノ内線で、ヤレヤレと思ってまた階段をあがって地下通路をエンエンと歩いて行く途中で赤坂見附で乗り換えればよかったんじゃんって気がついた。
で、行きはなんとかたどり着いたが帰りが苦難の道のり。銀座で日比谷線に乗り換える時に完全にボケた。

八丁堀で乗り換えるには一番後ろがいいと思って銀座駅のホームをわざわざ端から端まで歩いて乗った電車が何と反対方向行き。日比谷で気がついて階段のぼって反対のホームに行って今度こそ八丁堀で一番後ろに乗らなきゃと思ってまたまたホームを端から端まで歩いて乗って八丁堀でおりてすぐの階段上がったらなんか風景が違うと思いながら改札出てから反対側だと気がついた。

それからあとは記憶になくて、今なぜか成田エクスプレスに乗っている。どうやらこれからハノイに行くらしいのだが。

ペネロペ・クルス

2009-02-25 23:47:04 | 映画
おととし『ボルベール<帰郷>』でシビレさせてくれたコノひとが、アカデミー賞の助演女優賞をとったのでヒソかにうれしかった。スバラしい衣装でタニマもみごとだったし。6月公開のコレは必見だが、いつものことながらヘンテコな日本語タイトルがじゃま。
今やっているアレはちょっとあり得ないんじゃないかって話で見るつもりはなかったが、共演者キラーとかって聞くと覗いてみたくなる。

メリルおばさんは巨漢をユスッて踊りまくるソレじゃなくて、地味なコレがノミネートされていたが残念ながら落選。コッチは3月公開だがイケるかどうか。それにしてもこう毎年のようにノミネートされていたらドキドキもしなくなるんだろうか。
ワタシとしては『OUT OF AFRICA』が永遠の名作。コレ見て生き方変わったし。ヘンテコな日本語タイトルは忘れた。

ほかの作品については特に感想なし。インドの子供の話なんか、いかにも英米人がヨロコビそうな作り話で、、内容をすべて理解している訳ではないが興味の対象外。

『トワイライツ』/モダンスイマーズ

2009-02-24 00:05:19 | 演劇
昨日のコノ芝居、まあ何と言ったらいいのか、どうヒイキ目に見てもよかったとはいえないのだが、、だからといって底が見えたとかそんなことにはならない。これまで観た蓬莱サンの作品の中では、ってまだ3つしか見てないが、話そのものというより芝居の形式というか、手法的なおもしろさのほうに走ったモノのように感じられた。「まほろば」にしても「夜光ホテル」にしても話としてはわかりやすい題材で、淡々と進んでいったのが途中から一気に予想してない方向に展開して盛り上がっていく感じだったので、どうしてもそういう高揚感を期待してしまっていたのだが、そういう意味ではかなり期待はずれデシタ。

始まりは鶴田マユさんが演じる、父親が気が狂っていてほとんど寝たきりで、ハラ違いの兄がいつも酒を飲んだくれている不幸な家の娘が舞台で一人でつぶやく。わたしには見える、って。あなたとはうまくいかないのがはじめからわかっていた、みたいなこと。
で、それに続いて4人くらいの人間が子どもの頃から大人になっていくのが早回しのように演じられて、その子どもより少し年上の鶴田さんがその中の一人の、どうみてもメメしくてどうしようもない男と結婚してしまう。でもやっぱりその男はどうしようもなくてやがて破綻するのだが、そのときに鶴田サンがもう一度、あなたとはうまくいかないのは初めからわかっていた、という。で、そのあとはその男が自己崩壊していくみたいな感じで一瞬のうちに話は終わる。
そうするとまた初めの4人の人間が子供のころの情景が始まって、まったく同じように話が進むのだが、今度はその鶴田さんは、相手は同じ男なのだが中身はチョー暴力系で、でまた同じように結婚するのだが全く別の人生を歩む。ところがそれもやがて破綻しておなじようにあなたとはうまくいかないのは初めからわかっていた、ってことになる。そういうのがもう一回りあって何か最後は子どもが集まって遊んでいるようなそういう日常の風景が大きな音の中に消えていくようにして終わる。

こんな感じなので話の面白さみたいなものをジブンから否定するような展開。ツマリ、ストーリーなんてどうにでもなるっていうか、それはそれぞれの人間の一生と同じで、毎日毎日のわかれ道のどっちを選んだかで結果がまったく違ってくる、そういう作られた話なんてどこにもない、みたいなことを言いたがっているような。それとニンゲンの不幸が、それが初めからそうなるのがわかっていたみたいな感覚。それは必ずある。そういう初めから感、というか、結果が先にあって、そこに向かって転げ落ちていくような感じ。
それでも、、それでこの芝居はなんだったのか、よくわからない。

2009.2.22 吉祥寺シアターにて





ツンドラのボルシチ

2009-02-22 13:17:11 | 旅行
福岡空港はいつもどこかが工事中でこの前、出口のところが終わったと思ったら今度はANAのラウンジで始まった。延々と工事の続く横浜駅のようだ、と思っていたら結局、滑走路拡張のためにターミナルビル全体を建て替えるらしい。キラクな天下り役人のズサンな仕事の結果であるのはあきらか。
で、新しいANAのラウンジは4番搭乗口の近くで、東京行きはいつも6番か7番なので4番というのはやや遠くあまり行く気にならなかったのだが、この前初めて行ったらラウンジもきれいでよかったが手前にある店がおもしろかった。

何がおもしろいかといえばまず本の品揃えにコンセプトが感じられる。旅行とか出張の途中で読みたいなーって感じのを、そういうキブンにさせるような一言宣伝付きで並べてある。実際見ないとわからないと思うけど。
それから食べ物系のおみやげ。あきらかにほかとは違うものばっかり。かなり偏りがあって柚子胡椒なんか5、6種類も置いてある。あとは魚系の加工品も豊富。その代わりほかの店ではハバをきかせている宮崎県のおワライ系知事の下品な似顔絵付きのとかは置いてない、、と思った。

で、いつもはお土産なんか買わないのだがコレを買った。ツンドラってどんな店かも知らないけどラベルがきれいだったので。


『愛の渦』/ポツドール

2009-02-21 09:22:13 | 演劇
コレはキワメテ文学的な作品、というか、06年に岸田國士戯曲賞を受賞した作品の再演で、けっしてえロとか、ワイせつとか、そういうものではありません。。って最初に断らなくてもいいんだが。だって中身はラン交クラブの一夜をナマナマしく描いたドキュメンタリー調で、夜の10時から朝の5時までに繰り広げられるオトコとオンナのヤリまくりの合間での人間関係というか、、そもそも人間関係の生じない形での関係を求めて人が集まっている場所での人間関係を、それこそがまさに人間どうしの本来の姿でのぶつかりあい、みたいに見せている。

舞台は新宿かどこかのバーのようなところで、はじめに一人の若くていかにもお勉強大好き、みたいな女子大生がソファに座ってじっとしている。そこに夜の10時を過ぎて8人の男女が一人ずつ入ってくるが、なにせ音楽がおぢサン的には爆音的な大きさで、会話も聞こえないしいったい何が始まるのやらとひそかにコーフンが高まる。で、シーンごとに暗くなってスクリーンに時間とか、バロック調の絵とか音楽が流れて場面が変わるのだが、11時になるといきなりみんながタオル一枚の格好で床とかソファに座っていて、店長のような人がそろそろ始めましょうかと言っていよいよアレが始まるかと思いきや、最初はゴーコンとかでもそうであるように、ってワタシ、ゴーコンしたことないんデスけど、ぎこちない男女のしゃべり、というか、初めてデスカ、みたいな会話でお互いに探りを入れながら、じゃあまあ、みたいな感じでとりあえず的にカップルができあがっていく。で、実際のソノ場面は作者も書いているように表現としては退屈なプロセスだから具体的には見えてこないでカーテンの向こうから声だけが聞こえてくる。まあ、アダルとビデお的な映像が3分も見ていれば飽きるように、ソレ自体は空疎な行為なのかもしれないというような表現。

で、ひととおり一回目が終わって2回目に入ろうとするとだんだんそれぞれの人物がホンネをさらけ出してきて、あのオンナとヤリたい、とか、女のほうもアタシ、あんなことされたい、みたいなふうに変わっていく。それが夜中の1時頃。で、さらに進んで3回目に入ろうとすると、、あいつはキモいとか、臭いとか、ホンネ丸出しで感情が渦を巻いて激しい関係が繰り広げられ始める。
その結末はじつにリアル、というか、日常でもよくあるような、祭りのあとの寂しさ、というか、それとも少し違うのだが、こんなことしてないで、本当の愛、なんていうと場違いなのだが、普段のつまらない生活のほうがほんとうは楽でキモチ良かったりするかもしれないという後悔の念のようなものにおそわれる。それで朝のまぶしい光が窓から差し込んで、ほんとに一晩、いけないことをしてしまったみたいなキブンになってひとりひとり店を出る。

脚本と演出の三浦大輔サンは下品で低俗なものの中に人間の本質が垣間見える、と書いていて、それは男であろうが女であろうがおんなじで、そういうものがもっともスナオに現れるのが風俗的なところだろうと言っている。実際、こういうのを自分でも体験して書いて、岸田賞の審査では観察眼がスルドイ、みたいにほめられたらしいが、この前の村山ユカさんもそうだが、作家たるもの当然自分の感覚だけがすべての拠り所なわけで、そこからでてくるものをすべてさらけ出せるかどうかが大事なところなのだろう。
ポツドールは今回は初めて観たが、コレ系の芝居で演劇の世界ではキワもの的な存在。これまで観てこなかったのが悔やまれる。
昨日の劇場は補助席まで出る盛況。ワタシの席は前が座高の高いニーちゃんが座って、舞台の1/3がずーっと見えなくて、その方面に熱心そうな人が集まったカブリつきの席がうらやましかった。もう一回行こうかと真剣に悩んだりして。

2009.2.20 もうすぐ閉館する新宿・シアタートップス にて

『お買い物』/前田司郎

2009-02-18 00:39:09 | 演劇
またまた福岡に来ている。もうめったに来ないと思っていたのに、電話一本で呼びつけられるカナシサ。でも夜中の12時ちょうどにUNIQLOCK見てたら、ダンスのスペシャルバージョンが30秒も流れた。小さな発見。
で、コレは先週の土曜日に放送されたNHKのドラマ。以下はジブンの記憶のためのメモのつもりなのでツマラなくてもあしからず。
去年2つ芝居を見た五反田団の前田司郎サンが書いたドラマで、あの芝居のような日常の中のチョー現実的な感覚があるかなーと思って見ていたら、じわじわじわじわと引き込まれてかなりおもしろかった。

話はジツにシンプルで後期高齢期にとっくに入ったと思われる夫婦が住んでいる福島県あたりののどかなところから東京の渋谷に買い物に出てくるというだけのもの。その夫婦を久米明サンと渡辺ミサコさんが演じている。で、久米サンのほうは毎日朝から晩までテレビの前に座ったきりで風呂にも入らないような生活をしていて7割がたボケている。渡辺さんのほうはまだそこまでイッてなくて、オンナのほうが長生きする現実をそのままあらわしている。
で、ある日久米サンのところに何十年前かに高級中古カメラを買った銀座の店から渋谷のデパートで開かれる中古カメラフェアみたいなのの案内が届いて、久米サンはひそかにそれに行こうと決意する。で、しばらく歩いてもいなかったので3カ月計画で少しずつ神社の階段の上り下りをしてジブンのカラダを歩けるようにする。いざケッコウの日は紋付き袴でいくか、みたいなギャグを一発飛ばして、東武特急スペーシアで池袋まで行って渋谷にたどりつく。まあ渋谷なんて行こうと思えばすぐだ。
さっそくスタバみたいなところに入ってわけのわからない飲み物を飲んで何十年か前を思い出しながら東急デパートの会場に入っていく。久米サンはそこで、昔なら家が一軒買えたくらいの値段がした外国の高級カメラが8万円で売られているのを発見して何時間も迷った挙句、ホテル代もつぎこんでついに買ってしまう。
で、そのあとは今風の生活をしている孫のアパートに泊めてもらって、渡辺さんのほうは孫となぜかラザニアを作って、昔銀座で食べたまずいラザニアのことを思い出す。食べ終わると久米サンのほうは犬のぬいぐるみを股の間に挟んで寝る。何かを股に挟んでいないと怖い夢を見て眠れないので。この辺にチョー現実感がある。

で、翌朝はもうすぐ壊されてなくなると勝手に思い込んでいる東京駅に行って、昔、二人で立っていた同じ場所にもう一度立って写真に撮られる。それだけのはなし。
全体に死のイメージがある。記憶の近いところにあるのは死んだ知り合いのことだけで、昔のことを思い出すたびにとんでもなく長い時間が過ぎ去ったことを二人で確かめあう。先にやっぱり久米サンのほうが死んで残された渡辺さんと孫が久米サンの撮った写真を見て久米サンのことを思い出す。
時間がたつと必ず死ぬのに何で人間はわざわざ渋谷まで買い物に行ったりするんだろうか、という、前田さんのいつものテーマのようなものがここでもまた新しい形で表現されている。

2009.2.14 NHK総合テレビ

福岡天神・新天町 飛びうめ

2009-02-15 22:47:23 | 散歩
福岡のシゴトがひと段落してもうこんなに来なくなる、というか、あと1、2回来たらもう死ぬまで来ないかもしれないので、これまで気になっていたところに行ってみようかというキブンで、天神の新天町商店街にあるココへ。
新天町商店街は西鉄天神駅のエスカレーターを降りて左のほうに行ったところにあるアーケード街で、よくあるアーケード街に比べて屋内的な感覚が強い。ちょっとそこまでは、という気もするが、パリのパッサージュに似ていると言っては言い過ぎか。迷路的な面白さみたいなところは十分ある。

この蕎麦屋さんはそのパッサージュの真ん中くらいにあって堂々とした構えと静かな雰囲気を漂わせていて一度入ってみたいと思っていた。店の中は中2階風の2層になっていて天井が低いが食事をするにはちょうどいい。床も壁の造作も木でできていてよく磨き込まれている。
食べたのはおろしそば。春一番が吹いて気温が20度くらいまで上がったので冷たいのが食べたくなった。だいこんおろしに卵焼きの細く切ったのとかなめことか海苔とかねぎとか、盛り付けもきれいでそこに自分でつゆをかける。そばを2/3くらい食べたところでタイミングよくそば湯が出てきて、、こういうふうに流れるように進んでいく感じがじつにキモチよかった。

天神は地下の商店街も床がレンガで天井が鋳物の真っ黒いグリルになっていて、かなり暗くて雰囲気がある。何年も通ったが他はあまり知らない。



『海の幸』 青木繁

2009-02-14 17:19:41 | アート
ホーチミンからの帰りの便は深夜1時半発というカンペキな夜行便。他の便が全部終わって電気が消え始めた空港で、出発機の到着が遅れたり搭乗口が直前に3度も変わったりで右往左往させられているうちに、気がついたら出発は2時近くになっていた。それでもエアバスの新型機は内装がキレイでまずまず快適。眠れなかったけど。で、木金は2日間、ほとんどタチっぱなし、、ってアレじゃなくて、おシゴトでぇ。

どうせ今日は休みだし、きのうの夜は最終便なんかでムリに帰らず、出張生活のホンの束の間のココロ休まる時間をもとめて今朝はココへ、この絵だけを見るために。
以前、唐津の小さな美術館で何枚かまとめて見たが、これはこの画家のチョー代表作で、日本の洋画史上でもベスト3に入る傑作中の傑作。ってほかの二つがすぐに思い浮かぶわけではないが。何千枚も描いて結構売れた画家でも1枚の傑作がなければ歴史には残らない。ただのリュウコウ作家で終わってしまう。まあそれは何にでも当てはまることだろうけど。

で、ホンモノ実物をついに見た。暗くて重くてスゴイ存在感。10人のスッ裸の男が無表情で3匹のでかい魚をかついでまっすぐ前を向いて歩いている。こういう構図でこういう絵を描いたということだけでもうキワ立っている。
一人だけ、ちょうど真ん中で顔に光があたっている若い男だけが横を向いている。ということはこの絵を見る側のほうを向いていて何かを言いたそうだ。画面の右端には下書きの茶色い線だけで描かれて、結局仕上げられていない男が一人いる。全体にその茶色の線は残されていて、それが絵の粗い印象を強めている。ところどころ黒い細い線が軽いタッチで体の筋肉の流れをなぞるように描かれている。男たちの足の向こうには青い灰色の海が描かれているが真ん中のあたりが盛り上がっていて波しぶきが男たちの足元の近くにおしよせている。魚の尾びれが砂の上を吸いつくように引きずられている。

もうこれくらいで。。ほかにもこの画家の絵が何枚もあって、中にはこれに匹敵するのかもしれない傑作らしいものもあった(重要文化財がコレともう1枚の合計2枚ある)がワタシとしてはこれだけで十分。前に唐津で見た絵もそうだったがやっぱりこの画家は海の色がスゴイ。風が吹いてきそうな感じ。なんかそういう絵。

2009.2.14 久留米、石橋美術館にて

『ダブル・ファンタジー』 村山由佳

2009-02-13 22:15:49 | 文学
海外出張に行くときはいつも成田空港の本屋さんで何か買っていくのだが、今回は今話題のコレを買って、ケッコウのめりこんで読んでたのだが、、、ハノイからホーチミンへ行く飛行機が1時間以上遅れて、空港で待っている人がいることに気を取られて、飛行機の中で読んでいたコレを座席の前のポケットに入れたまま忘れてきてしまったという悲しい悲劇。やっぱり何かある。

わりとオジョーちゃん系で売ってきた女性作家が「道端でスッ裸」になった気分で書いたという、いわゆるそのぉー、ひとつのぉー官能小説と申しましょうかぁー、みたいな。オンナのひとの目で書いたせっくス、というか、オトコと女のマジワリというか、おんなじことだが、、。
感じ方のシステムというかメカニズムが違うからオンナに男の会館は、いや、快感は絶対に理解できないし、オトコにも女の會舘、いや、快感は、シツコイ、絶対わかりっこないはずで、それは考えてみれば当たり前のことなのだが、うふ~んんとか、あはぁ~んとか言われると、ああ、これでいいんだ、みたいにオトコは思ってしまうモノで、そのへんのアサハカなところにいまさらながら気付かされるというか、やっぱりオンナというのはオトコとは違う生き物なのだということがよくわかる小説でありマシタ。って、途中でなくしちゃったわけだが。

話は売れっ子の女性脚本家がホームヘルパー、じゃなくていわゆるぅーそのぉー、派遣のホすトさんを家に呼んで、アレをいたしてみたところ少しも良くなかった、みたいな場面から始まって、そのよくないと思ったのが、そのホすトさんがいざ本番っ!っていうときに部屋の電気を消してローソクに火をつけたのがシラケタ、みたいなことで、ああ、そういうことしちゃシラケルんだって、そのへんはワタシにだってわかる。
で、そういう満たされないキモチの中でそれまで自分を支配していたダンナにも愛想がつきて、尊敬する劇作家に悩めるココロを打ち明けている間にその劇作家とヤッてしまうことになる。その劇作家のモデルはあの野田フデキサンであるのがあきらかで、ちょっと想像しながら読んだがいまひとつしっくりいかない。まあそのオッサンとの場面の描写は女性ならではなのか、別に女性を代表して書いているわけではないだろうけど、、奥のほうでカタチを感じる、みたいな表現がタイヘン新鮮でした。

主人公の設定は普通のヒトよりアッチの方の欲求が強すぎるオンナで、逆にダンナのほうはその欲求の強さにおそれおののいて力で支配しようとする。そこになんでもかなえてくれるスゴイ男が現れて、、、その先は、本をなくしちゃったのでわからない。もう一冊買うのも高いし、、図書館で借りるのははじめからアタマにないし。
結論的には、オトコの感じ方ってホントに表面的というか、ウスイというか、アサイというか、そういうことを実感いたしマシタ。話のたぶんもっと深い部分には理解しがたいところもある。

2009年 文藝春秋社刊

サイゴン川

2009-02-11 21:12:56 | ベトナム
サイゴンをホーチミンと呼ぶようになったのはベトナム戦争が終わってからで、サイゴンという呼び名は今でもいろんなところにたくさん残っている。っていうか、サイゴンの人たちはもともとはアメリカ文化があふれていた南ベトナムの時代が懐かしくて、ベトナム戦争でアメリカが負けたといっても、ある部分ではジブンたちが共産主義の北ベトナムに負けたというキモチは少なからずあるわけで、北ベトナム=ハノイのことを陰では悪く言っている。北の人は南に喜んでいくけど、南の人は北に行きたがらない。実際今の体制は北のハノイに国の役所が全部集まっていて南は完全に商業都市で活気の違いは見て明らかだ。ただ、どっちが昔からの文化の残ったベトナムらしいかというと、外国人の目から見ればハノイのほうかも知れない。

で、今日は一日ホーチミンでおシゴト。夕方、会社のメールを開いて届いているメールの数が極端に少ないのを見て、ニッポンが休日であることに気付いた。
写真はホーチミン市の真ん中を蛇行しながら流れるサイゴン川。ニッポンでいえば隅田川、パリでいえばセーヌ川、ニューヨークでいえば飛行機も着水できるハドソン川。ここは曲がっているから着水はむずかしいかも。相当深いらしく大型の貨物船がゆっくり航行して、そのあいだを大量の水生植物がカタマリになって流れている。
流れる川はいろんなことを思わせる。時間、とか、明日のこととか、、鮭の遡上とか。

明日は福岡。残りのワイシャツが2日で1枚、とか。現実的な問題が山のようにある。