老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『サンパウロ市民』

2011-11-19 21:59:50 | 演劇


先週末はニッポンにいたのにずいぶん前のことのように感じるにはコッチに戻って怒涛の忙しさだから。息つく暇もない。きょうも土曜出勤であしたはナンとか休む。なんかニッポン人同士のニンゲン関係もぎすぎすしてるし。ま、仕方ないと言えば仕方ない。
けさ、ベトナム人のように靴を脱いでシゴトをしてたら靴下の上から2ヶ所も蚊に刺された。コノ蚊はワタシの机の下にもう3週間くらい住んでいて、2,3匹いるのだが、毎日朝ご飯でワタシの血を吸いに来る。かわいいヤツらだったがけさ、ついにコロした。茶色い血がべっとり手のひらについた。でもかゆいとシゴトに集中できないからとりあえずコレでも書いておこう。

ソウル市民5部作の最後はなぜかサンパウロ市民。平田さんが何年か前にサンパウロに行ったとき、ニッポンからの移民のヒトと話をしていたら、開拓した農場のことを移民のヒト達がその開拓した人の名前をつけてだれだれ植民地って呼ぶのを聞いて、奇妙な驚きを感じたことからコノ芝居を書いたらしい。ま、進出と侵略はやっぱり同じということだ。
で、このサンパウロ市民は意図的にソウル市民の、特に第1話と第2話の話がそのままそっくりコピーされてつぎはぎされて作られている。もちろん意図するところがあってのことだがある意味手抜き。いい加減にしろよって言いたくなるギリギリのところか、あるいは金返せっていうヒトもいるだろうなと思わせるほどだった。

ニッポンが朝鮮や満洲でやっていることが地球の裏側にも伝わって、ただしより誇張され、より脚色されそれぞれに都合のいい物ガタリに変わっていく。一方でニッポンはブラジルでは敵国扱いで、ニッポン人学校は閉鎖され、オンナ子どもは次々にニッポンに戻っていく。
残されたヒト達はラジオから聞こえる微かなニッポン語を聞きながら、ここは遠いからなあ、みたいにして、コーヒー飲みながらドジン探検に行った時の話とかをしている。ドジンの原始的な生活を笑いながら、一方でニッポン人だけが徹底的にセカイの流れから取り残されて別の生き物のように生きている。

このあたりがこの演劇界今年最大のイベント、ソウル市民5部作一挙上演のキモなんだろうなー。当然こんなことあからさまには言わないが、原発とか膨大な借金とか少子化とかで国が滅びかけ始めているというのに、いまやニッポンはセカイの中でアニメとかゲームとかカラオケとか、そういうおまけ的なコトでしか知られなくなっていて、それはやっぱり島国っていうこともあるが、セカイのことに鈍感過ぎるからこうなっちゃったっていうコトなんじゃないかと。
TPPとかにしても田舎出の国会議員がジブンの選挙区のことしか考えられないという、そういうどうしようもない壁があるっていうコト。コクサイ化とか言っても結局は根回し根回しのセカイだしなー。。

というわけでおしまい。ニッポン滞在51時間中10時間は劇場の椅子に座っていて、11時間は電車かバスに乗っていたか飛行機を待っていたかで、13時間は眠っていて、10時間は食べたり風呂に入っていた。あとの7時間は何していたのか。
ムスコと話したのは5分くらい。眠るのは布団並べて一緒だったけど。

2011.11.13 吉祥寺シアター

『ソウル市民1939 恋愛二重奏』

2011-11-18 22:58:54 | 演劇


きのうは久しぶりに走った。6時10分前、もやが立ち込めて、バイクがヘッドライトをつけて歩道を突っ走ってくる。ガイジンだから文句も言えず、右へ左へステップ踏んで湖にたどり着く。気温20度、湿度100%。2キロくらい走っただけで汗びっしょり。そのあとは濡れたTシャツが冷たくて、家に帰って温かい風呂につかる。
いまのソウルとか上海とかでこうやって走っている単身フニン者はどれくらいいるんだろう。石とか投げられないのかなあ。ちなみにハノイでもわざと足を引っ掛けられそうになることはたまにある。進出と侵略の区別の無意味さに敏感なヒト達だ。

さてと、4作目はいよいよ戦争たけなわ、って言い方、いいのか悪いのかわからないが、篠崎家の周囲でも招集されたり志願したりでオトコたちが戦争に出ていく。ソレをおめでとうございます、と言って送り出すオンナたち。要するにそういう雰囲気。戦争なんかやめちまえなんて誰も言えない。ま、ニッポンって国はいまも似たようなもんだが。そういう時代のオトコとオンナの話。

朝鮮人の書生で国家公務員になったヒトは志願して出ていく。そのヒトは篠崎家の女中のオンナ、コレも変な言い方?、ま、そのオンナのことをひそかに思っていて、出征する前にソノことを告白したいと思っている。ソレを周囲の人間もわかっていてなんとかそういうふうにし向けようとして、結局最後の家族そろっての食事の前に二人で外に出る。誰かが武運長久を! みたいに言ったらワタシの前に座っていた、ワタシより年上の、ということは戦後すぐに生まれた世代のオバさんたちのグループがドッと笑った。ああ、ここはウケる場面なのかと。戦後焼け跡世代にはそういう戦争中の男女の機微のようなものが、時代の記憶として残っていたのかと感慨深く思った。少なくともワタシにはそういう感覚はなかったから。

恋愛二重奏っていうのはもう一組、ニッポン人の女学生に恋する朝鮮人の書生の話がそこに絡んでくるから。ソレはやっぱりキンダンの世界という感じで、まわりはアブナげに見ている。まあコッチでもカラオケのアオザイおジョーとかとできちゃったオトコの人を見ると、みんな半分以上はあ~あ、みたいな顔で見る。やっぱりそこには目に見えない大きな壁がある。
あとはヘンテコなドイツ人のオンナが出てきて、それはヒットらー親衛隊のニセモノなのかもしれないのだが、ココでもまた何がホンモノでナニがニセモノなのかわからないことで大騒ぎする。スパイなんじゃないかとか。ギシン暗鬼っていうんでしょうか、そういう空気が漂っていたということか。
それでニッポンはドイツにも背中を押されてアメリカとの泥沼の闘いに向かっていく。悪いトモダチと付き合ったのが悪かったのか、と思わせるような展開。

戦争という狂気の中でのオトコとオンナの恋を、泥沼の中のあぶくのように浮かび上がらせたかったんだろう。が、3作目で株屋と婚約していた長女が、その株屋が大恐慌で破産して、その後別のオトコと結婚したのに、その夫が戦争から帰ってきたあとでヒトが変わったようになっていて、もうかつての夫には戻らないだろうという不幸を、演技とばかりは言えない不幸を呼び込むような存在そのものとして出ずっぱりだったのがワタシには耐えられなかった。

2011.11.13 吉祥寺シアター

『ソウル市民 昭和望郷編』

2011-11-16 23:30:29 | 演劇


3日連続。早く書かないと忘れてしまう。
前日の2本は睡魔と闘いながら見た。なんせ朝7時に成田について家に行って朝ご飯食べて風呂に入ったらもう家を出なきゃいけない時間で、飛行機の中で30分、バスの中でも同じくらいウトウトしただけだったから眠いのも当然。ほぼカンテツ明けに芝居2本続けて見るなんて無謀すぎた。その結果、芝居の途中で3分おきに意識を失いそうになって10秒くらいの短い夢を断続的に見ながら、一方でナマの舞台を見ていたわけで、、印象が曖昧なのはそのせいもある。
で、コノ日は1時から3本。眠くはならなかったが。

これはまた第2話の10年後。大恐慌が起ころうとしている頃。篠崎文房具店の長男は精神病になって入院している。長女のムコさんが家に来た時に首を絞めようとしたのがきっかけらしい。そのムコさんは株取引で大儲けしていて、その勢いで篠崎文房具店の経営を変えようとしている。外から資金を集めて多角経営して、みたいなコト。家にはラジオがあって世界中の情報が入ってくる。
不景気の波は朝鮮にも少しずつやってくる。近所の印刷会社は店をたたんで満州に出ていこうとする。朝鮮から満州に行くのは相当な覚悟がいることだったようだ。

そこに長男が退院してくる。そのムコさんにとっては迷惑な話。ウマくすれば家を乗っ取れるところだったのに。
時代が変わって店で書生だった朝鮮人の若者が優秀な成績を取ってニッポンの国家公務員になっていたりする。ニッポンが朝鮮や満洲や台湾やモンゴルなどをそれぞれアメリカの州のようにして、ホンキで連邦国家を作ろうとしていたような。ソレを徹底的にワレワレニッポン人はいいことをしてるんだと、カレラのためになるコトをしているんだと、そういう倒錯した善意がコッカの狂気として描かれている。

そこに長男に付き添ってきた病院の看護婦が二人出てきて、どっちがホンモノでどっちがニセモノなのか、はたまた二人とも看護婦になりきった精神病患者なのか、みたいな話になって、狂った時代における狂気とは何か、みたいなコトがややあからさまに演じられる。
最後はラジオから遠い微かな音でニュースが伝えられて、、実際はソレは聞こえないのだが、大恐慌が始まって世の中が大きく動き始める予感を感じさせてオシマイ。
ドラマチックでおもしろくてわかりやすかった分、奇妙なもの足りなさが残った。

2011.11,13 吉祥寺シアター

『ソウル市民 1919』

2011-11-15 22:14:55 | 演劇


きのうの午後ハノイに戻ってオフィスに行ったらシゴトが全然進んでいなくてかなりアセッた。考えてみれば土曜ときのうの午前しか時間はたっていないのだからそんなもんかもしれない。そのかわりスタッフの一人、いちばん若くていちばん頼りになるオンナの子が土曜日にバイクで事故に遭って、けさ、片腕をだらーンとさせてヨロヨロしながら出てきた。あごのあたりも傷になってるし。そのケナゲさにオヂサン思わず泣きそうになった。ベトナム人もいろいろだ。
ま、そういうイマ的な、実際にはアノ頃とさして変わらない海外進出の現場にいながら、コノ芝居のことについて書いておく。

2本目のコレは1本目から10年後の、同じ篠崎文房具店が舞台。韓国併合が行われて10年後、日本国内で朝鮮人が独立宣言を発表したことから京城(今のソウル)で市民たちが口々に万歳、万歳とささやきながら歩き回るという、じつに平和的な三・一独立運動が広まっていく。平和的だからニッポン人は何が起きているのか理解できない。お祭りか、みたいな。相変わらず平和ボケが続いている。ニッポンからややインチキな相撲取りが興行に来たりもする。
家族は、朝鮮人もキョーイクすれば使えるようになるとか言いながら一見優雅な植民地的生活を続けている。現地人を使う海外進出企業と同じだ。ここはニッポンとは違うから、ニッポンの堅苦しいしきたりはやめましょう、みたいな感覚はすごくよくわかる。

第2話は、といっても連続ドラマではないので基本的にそれぞれ独立した話なのだが、第1話と違ってだんだん話が盛り上がっていって、朝鮮人の使用人たちが次々にその運動に参加するために家を出ていくのに、ニッポン人たちは外で何が起こっているのか気がつかない。ジブン達は朝鮮人のヒト達のために韓国併合をしたワケだし、朝鮮人のヒト達もソレを喜んでくれていると信じて疑わない。そういう、いまならそんな話、どっかであったと思わせるようなコトを、ニッポンの侵略という、いまでもソレを美化したいと思っているヒトがソコココにひそんでいるアブナイ話題をネタにして、客観的にそのおかしなコトを笑おうというオハナシ。
舞台の上では笑いがだんだん苛立ちとか不安に変わっていく。そのあたりがコノ芝居のキモ。

2011.11.12 吉祥寺シアター

『ソウル市民』

2011-11-14 23:23:04 | 演劇


週末にニッポンに行ってコレを見た。コノほかにあと4本。市民シリーズ5部作一挙見!! 
ハッキリ言って数年前までワタシは平田オリザというヒトが好きではなかった。TBSの土曜の夜のニュースショーに出てきて、日テレあがりの、スポーツは巨人しか興味がないというようなアナウンサーが司会で、平田さんはいつもニタニタしてアタリ障りのないことを言うだけのつまらぬインチキブンカ人に見えた。その後駒場東大前のアゴラ劇場に何回も行くようになって、平田さんがオーナー兼ゲイジツ監督兼プロデューサー兼宣伝係だということがわかって、ああいうテレビに出て劇場運営の資金を集めていたんだろうと思うようになって、リッパなヒトに見えてきた。その後イロイロ読んだら演劇の世界でケッコウ新しいコトをやってるんだということがわかって、しかも自転車で世界一周までしたと言うんだからかなり普通じゃないヒトだということもわかってきた。でも芝居を見たのは今回が初めて。

で、順番通り一番古いコレを最初に見たのだが、、エッ、みたいな終わり方。なんだったのコレ、みたいな。何か事件が起きたり、ニンゲン関係がもつれにもつれたり、はたまた最後には大盛り上がりでこっちも思わずコーフンしちゃったり、ってなコトは一切ない。
1909年の、ニッポンが侵略中の朝鮮の、今のソウルで文房具問屋みたいな商売をしている篠崎さんちの一家が、翌年のチョーセン併合とか、同じ年の伊藤博文暗殺とかが起きる前の、世の中が静かに動き始めようとしている中で、カレラにとって平和な時間が過ぎていくサマを淡々と描いている、そんな芝居。

コノ芝居はバブル真っ只中の1989年に書かれた。世界ではベルリンの壁が崩壊し、テンアン門事件が起きた頃。ニッポン人はそういうセカイの流れから遠く離れてバブルの中で遊びまくっていた。ソレと同じように篠崎さんちもチョーセンはいいねえ―、みたいにして、ムスコがチョーセン人の女中と駆け落ちしたりして、あいつはバカだねーみたいなコトを言って毎日が過ぎていく。

見終わった時は若干がっかりしたのはジジツ。でも、芝居っていうのは見終わってからジブンの中で発酵していく。意味が出てくるっていうか、意味がないと思って見ていたことの意味がわかってくるような、そんな感じで、この後連チャンで2本目を見たら、平田さんってヒトはやっぱタイシタもんだと思った。
空気みたいなものを舞台の上に作り出しているような。平和ボケしてマ抜けた感じとか、わけのわからない苛立ちとか、ナニが起きているのかわからないことの怖さとか、善意の顔をした悪とか。それをコトバだけで作ってしまうんだからやっぱタイシタもんで、侵略には相手にいいコトをしてあげているというキモチが欠かせないってコトもよくわかった。

2011.11.12 吉祥寺シアター

前夜

2011-11-10 23:20:12 | ベトナム


今日はホントは午後からホーチミンでお座敷があったのをキャンセルして、夕方5時までばたばたばたばたシゴトして、それから空港に急いで、夜10時に結局ホーチミンに着いた。あしたの朝のオザシキに出るため。
そしてあしたの午後にはまた飛行機に乗ってハノイに戻って、オフィスに行って2時間打ち合わせして、でもって夜9時にはまた空港に向かって、0時の飛行機でニッポンに帰る。朝7時に着いたら家に行って朝ご飯食べて風呂に入って吉祥寺に向かって1時から「ソウル市民」を見る。2日で5部作。韓国を占領していた時期のニッポン人を笑うコノ芝居をどうしても見たくて、もう切符を2回分捨てた。3度目のショージキ。で、見終わったら月曜の朝に家を出てハノイに帰る。やれやれ。

ハノイは秋の、キモチのいい光が朝、部屋の中に入ってくる。レースのカーテンが銀色に光って、、。
植民地化するのと、こうやってニッポンを捨てて海外進出するのとは、まあ、サルとニンゲンのDNAの違いくらいの違いでしかない。芝居とはいえ、植民地でイキるニッポン人の滑稽さを見てみたい。ソレは今まで気づかなかったジブンの姿かもしれないし。
ソウ言えば、ウチの会社はスタッフにも十分な給料を払っているし、カレラもウチで働くのを喜んでいるみたいだし、ウンテンシュもメイドも、みんなシアワせそうにしてくれていて、それはサクシュする側のニンゲンとしてとしてウレシイことだ、なんてたまに思うワケで、ソレがとんでもない勘違いだってコトに気付かなきゃいけないんじゃないかと、、。

Marilyn

2011-11-07 00:28:04 | 散歩


久々の週末2連休。来週は金曜の深夜便でニッポンに帰って土日で芝居を5本見て月曜の朝便でまたコッチに帰ってくるという、遊びとはいえチョーハードな日程なので今週はしっかり休もう、ってナニがしっかりなのかよくわからないが、まあなんというか、ココロをいかに休ませるか、みたいなキモチで休んだ。
とかいいながら今朝はエイギョーのスタッフが話があるって言ってアパートの下のカフェに来て、かなりじとーっとした話をして帰って行った。重苦しい。そういえば会う前に歩道でアパートに住むカネ持ちベトナム人の5歳くらいのコムスメに自転車で正面衝突されて、一瞬、しばらく走れなくなるんじゃないかというくらい激痛が走ったのだが、そのコムスメのあやまり方がなんか新劇の子役みたいな感じでクサくて、カンベンしてくれーみたいだったので、ジツはイヤな予感がしていたのだ。

で、まあ、ココロを休ませなきゃ、と思ってすぐに家に帰って屋上のジムでひとっ走り。ジツは最近朝起きれなくて、土日は8時くらいまでゴロゴロして、外では走らないで朝ご飯食べてから11時頃にジムに行くような感じで、きのうは1時間で9キロ、ネズミのように機械の上で走るふりをして、けさは30分で5キロふりをした。
ソレで多少キブン的に持ち直して昼は北の西湖の近くに新しくできたニッポン料理屋へ。太巻きとさんまの塩焼きを食べて意外にウマかった。店のおジョーもベトナム人にしては例外的に愛想が良くてココロが和んだ。またイコっと。そのあとはラオス資本のカフェに行ってテラスでカプチーノを飲んでタクシーで帰ってきた。ま、普段ならコレでオシマイ。

でもきょうはココロを休ませるぞーみたいな勢いで、家で酔いを醒ましてから、というのは最近休みの日は昼に飲むことにしているので、太巻きとさんまの塩焼きでナマ2杯。で、5時前にカネモチのおばさんがやっているなじみのスパへ。90分、モミにモンでもらって約2,000円。やっぱりモマレるならココが一番と思いまシタ。
ソレでそのあとは旧市街に行って、さ来週のベトナム国立交響楽団、略してベト響のコンサートの切符を買って、そしたらナンと最前列。大好きなコンサートマスター(正確にはミストレス)アィンちゃんの目の前のお席。思わず深呼吸するジブンを想像した。
で、調子に乗ってすぐ近くのハノイ大聖堂が見渡せるテラスのあるカフェで晩ご飯。ちょうどミサが終わったところでチャペルの前はごった返していたが、お店はすいていて3階のベストの席で焼きそばを食べた。
ソレで帰るかなと思いながら途中で改修中だったカフェがオープンしていたので入ってカクテルを一杯飲んだ。コノ店はおジョーがカアイイことで有名で、コッチもだいぶなごんだ。あっと、もちろん途中のニンゲンマネキンもしっかりおがんだぞっと。きょうはチョーミニで立ってたぞっと。もう尻上がりで絶好チョーだぁ。で、ハナウタ歌いながらおうちに帰ったさ。

ま、ココまで書いてこんな駄文、世間には公開できないと思いながら公開してしまうワタシ。写真はチャペルの前のカフェ、マリリンとソコから見えるチャペルの図。実際はもっと暗い。ハノイの夜は暗いのだ。