老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

ハノイの路地裏

2011-03-28 00:15:08 | ベトナム


1か月続いた過剰労働がきのうでひとまず終わった。も、最後はバテバテ。食べモノもノドを通らないくらい疲れた。まっすぐ歩けないくらい疲れた。アオザイおジョーを目で追っかける気力もないくらい疲れた。
きょうは朝起きたら10時で、洗濯して、シャワーして、外に出て、ハノイ駅の近くの狭い路地でおそばを食べて、ニッポン食材屋に行ってミリンとカツオ節を買って、家でそばつゆを作った。

というのも、もうまるまる3カ月、ニッポンに帰ってないのだが、そばだけたくさんあるのにそばつゆがどこにも売ってなくて、インターネットで調べたら、そばつゆなんてミリンとしょう油で簡単に作れるじゃん、ってことがコノ歳になって初めてわかって、しょう油は捨てるほどあるからミリンを買いに行った。あと、ダシというモノが必要というコトもわかって、そのためにはカツオ節というモノが必要だというコトもわかって、そういうことで、ハノイに一軒しかないニッポン食材店に行ったのだ。
で、そのニッポン食材屋には夢にまで見たそばつゆがあった、けど買わなかった。

そのニッポン食材店にはニッポン語がしゃべれるおジョーがいて、エーギョーで名刺くれた。昼は大学でお勉強、夜はカラオケクラブでオシゴト、あいまにそのお店で働いているというけなげなおジョー。ただ、、そのカラオケクラブにまで行こうという気にはならなかった。だって、店の名前が「芸者」だと。超ヘビー。

夕方には近所の高級スパに行った。奮発して90分。途中で3回くらい意識が消えかけた。終わったら店のオーナーの、英語がペラペラのオバはんがいて、前にも少ししゃべったのだが、きょうはそのオバはんがニッポンコクミンへのお見舞いから始まって、ファミリーはどこに住んでるのぉ、みたいな話になったと思ったら、つい最近近所で地震があったのよ、みたいに言うもんだから、エッ、みたいにしていたら、近所のミャンマーで地震があったコトを言っているのがわかった。地続きと島国の感覚の違い。

夜は作りたてのそばつゆで、ざるそばとかけうどんを両方作って食べた。そばつゆはワインの瓶に1本作ったので、ほぼ今週1週間はモツと思う。小さな安心。
写真はおそばを食べた路地。遠くからB52の、うるさいハエの羽音のような振動が伝わってきたような気がした。

プロ野球なヒト達

2011-03-21 22:49:33 | 風景
ニッポンはまたまたジシュクの嵐が吹き荒れているようで、高校野球は教育活動だからよくて、プロ野球は娯楽だからイケない、みたいな、一方的な価値基準を、寄生マスコミが勝手に作り上げてまき散らしている。
もちろん電気が足りなくて計画停電とかしているときに東京ドームみたいなところで巨大空間を空調して、照明を煌々とつけてやるのは反社会的行為以外のナニモノでもないが、そうでないなら、高校野球がよくてプロ野球がダメ、というのは、まったく理解できない。理由がわからない。

選手とかのやるほうも、ジブンの、世の中での本来の役割をよーく考えてみることだ。なぜプロ野球とか、プロサッカーとか、はたまた音楽とか演劇とか、一見そんなモノがなくてもニンゲンが生きていく上で、なんの支障もないと思えるものに、なんでヒトがおカネを払って見に行ったり、応援したり、カンドーしたりするのか。ソレは、そういうエンターテイメントこそがニンゲンが生きていく上でなくてはならないモノだからだ。

食べ物はもちろんなくてはならないモノだ。トイレットペーパーだってなくていいとは言えない。清潔なトイレはニンゲンがニンゲンである上で必要不可欠だ、が、ウォシュレットはなくても生きていける。いざとなればシャワーにカニ歩きしていけばいい。
服だって、ジンミン服みたいなものを強制的に着せられるくらいなら死んだほうがましだ。だからファッションも必要だ。家だって雨風がしのげればそれでいいというものではない。キモチのいい空間とか、キレイな部屋とか、そういうものを求めなくなったらニンゲンとしておしまいだ。ワレワレはイヌや猫じゃないんだから。

あと、議会とか学校とか警察とか軍隊とか銀行とか証券会社とか不動産屋とか商社とか、まあ、そういうものも、ニンゲンが秩序を作るため、あるいはジブンを縛るために作り上げたシステムだから今となっては欠かせないものだ。
でもソレラ、衣食住や社会システム関連産業だけで十分か、というと、そうではないだろう。ニンゲンはどうして文学を読むのか。どうして音楽を聴くのか。どうして芝居を見るのか。テレビドラマでもいい。あと、どうしてスポーツをジブンでやったり、見たりするのか。コレこそ、ワレワレがイヌや猫じゃない本当のところだ。
ニンゲンは精神と肉体でできあがっている。片方が死ねば、ソレはニンゲンとしての死だ。ハッキリ言って悪いけど。その一方の精神の糧としてエンターテイメントはなくてはならないモノなんじゃないのか。ソレを何でジシュクする必要があるのか。突出を嫌うニッポン人だから、みんなが自粛しているとソレに追従しなくてはいられない、ってところだろう。信念を持ってジシュクする、というなら、その信念を見せてほしい。

こんなときに野球をする気になれない、なんていうのはプロとは言えない。すぐにやめて田舎に帰るべきだ。

諸悪の根源

2011-03-15 23:52:00 | 風景
きのうのハノイは昼過ぎから空が真っ暗になって、夕方まで大雨が降った。こういうのは珍しいが去年もこんな日があったょうな気がする。こうやって季節が変わっていく。こういう発展途上国ではまだ、ニンゲンが作りだした人工環境が気候に与える影響が少ないから、ニッポンのような、異常気象と称するイレギュラーな気候変化は起こりにくい。いつものように大雨が降って、いつものように暑さが始まるだけだ。

ニッポンの、というか、セカイのいまの最大の関心事は福島原発の爆発のようだが、じっさいには火を消した後の鍋が余熱で沸騰しているくらいの状況だから、まわりから冷やしてさえいれば、いつかは収まる。ソレをナニか爆発が起こることを期待しているかのような、ジブンで騒ぎ立ててジブンでソレを、コクミンを代表して、オサメさせました、みたいな、寄生マスコミによる扇動報道がまかり通っている。

スーパーの、たまたまカラになった棚を何度も何度も映し出して、買いだめが横行している、みたいな不安を煽りに煽っていながら、被災地のために買いだめはやめましょう、みたいなことをシャーシャーと言ってのける。ああいうヒト達には羞恥心というモノが欠落しているのか。
そういう、ハタから見て、あまりのバカさ加減。今や寄生マスコミは諸悪の根源と言ってもいい。


ムスコを競馬に連れて行き始めたのはヤツが中学3年の頃だったか。ソコでワタシがもくろんだ真の目的は、正しい、本当に正確で、ジブンに必要な情報を、どこから、どのように集めたらいいか、ソレを小遣いをハタいてまでさせて習得させることだった。
お陰でヤツは、ソレを身につけたと思う。正しい情報はどこにあるのか。上はエネッチケーから、下の下はフジ・サンケイとか、日テレとか、そういうウソにまみれた情報の中から真実を見極める、そういうテクニックが、こういう状況の下では一番重要なのだ。

『VNSO with YAMASHITA Yosuke』@Hanoi Opera House

2011-03-14 23:19:02 | アート


土日の夜に山下サンとベト響のコンサートがオペラハウスであって、こんなときにどうかなあ、と思ったが、きのう行ってきマシタ。行ってヨカッタ。芸術の魂がココロを生き返らせてくれた。

きのうのConcert MistressはLanちゃんで、Anhちゃんはその隣。二人ともキレイな色のドレスを着て、ひとこと感想を言えばLanちゃん、Great!
指揮者のHonna Tetsujiサマが登場して始まるかと思ったら、痛風持ちの、この楽団のDirectorでチェリストでもあるQuanさんがステージの端に登場してベトナム語であいさつを始めた。たぶんニッポンの地震のことを言ってるんだとすぐにわかったが、そのあと英語でもあいさつがあって、その内容がこの楽団からの、地震の犠牲者とニッポンコクミン全体に対する深い哀悼のキモチのこもったものであることがわかった。そして太い弦楽器の音が、深い海の底を鎮めるかのような曲を演奏した。

そのあとまずは楽団だけでガーシュインの“Girl Crazy”をやって、いつものようにオイオイ、みたいな感じだったが、続いて颯爽と山下サン登場。オーケストラとこれもガーシュインの“Someone to Watch Over Me”と、そのあとのピアノソロではプログラムを変更します、と言ってから「サクラ、サクラ」を演奏した。静かに、そして激しく。たぶん、ことしの桜を見ずに亡くなった地震の犠牲者を思っての演奏だったと思いマス。
そして前半最後は楽団のメンバー3人とJazz。若干もたついたが、みんなhappy、いいじゃん、みたいな演奏。ヨカったデス。

休憩のあと、山下サン作曲の“Suddenfiction” 直訳すると「突然の虚構」。
13曲の短い曲のつながりでできた大曲で、不協和音の中から徐々にウツクしいメロディーが湧きあがってくるようなイメージが全体を覆っていた。セカイ、とか、今の苦しんでいるニッポンとか、そして小さなコトで言えば、ワタシのカイシャとか、そういうモノがいつかウツクしく再生していく感じがワタシのカラダの中に伝わってきた。
最後は肘、というか、カラダ全体を鍵盤にたたきつけて、この小ぶりなオペラハウスを埋めつくした、こういう場所でもケータイを鳴らし、おしゃべりをやめないハノイの人びととか、場違いに正装したヨーロッパからの旅行者とか、そしてこのホールでいつも一番多いのはムラ社会的につながったニッポン人なのだが、それらの人々の、ひとつずつのニンゲンのココロをハゲしく揺り動かした。
アンコール、何曲やったか。本当にコレでおしまい、という感じでラヴェルの「ボレロ」をソロで演奏して、これも最後には汗びっしょりでメガネはずして、ジンセイはまだまだ続く、みたいな感じで終わりマシた。

山下サン、ベトナム国立交響楽団、略してベト響、ホント――にヨカった、スィン カムゥオゥン!!



コチラにコンサートの様子が紹介されていますので勝手にリンクさせていただきマス。

遠い地震

2011-03-13 01:18:58 | 風景
いま、コッチのテレビ、といってもウチのテレビで見ることのできるチャンネルでニュースをやっているのはCNNとBBCとドイツの放送くらいなのだが、BBCがもう100回以上も原発の施設内で起きた爆発の映像を流し続けていて、ソレを見続けた結果、すっかりワタシのアタマの中にはチェルノブイリのようなカタストロフィ的状況ができあがってしまったのだが、実際は、少なくとも今のところはそうでもないようだ。

原発が海の近くに作られることが多いのは、非常の場合に海水を使って原子炉を冷却して核反応を抑制するためだから、とヨミウリの記事には書いてあった。もちろんソレは最後の手段で、海水を注入することでその原子炉はオシャカになる。1基で千億円単位の損失。ま、仕方ないわな。東京電力は適切に対応しているように見える。

地震が起きてからインターネットのニュースを見たり、ニッポン料理屋のカウンターに座ってエネッチケーのプレミアムを見たりしてきたが、やっぱり遠く海を隔てているとリアリティーがない。地震の日の夕方に家に電話してもぜんぜんつながらなかったのが唯一のリアリティーだった。ま、向こうからかかってきたからとりあえずはホッとしたけど。

遠い地震。テレビとかネットとかが想像力のじゃまをして、うまく理解できないでいる。

二郎さん

2011-03-10 23:48:01 | ヒト


二郎さんっていえばやっぱり野球拳だな。ココロの中で負けるな、って応援してた。
最後に勝って、女優とかが舞台の袖のカーテンの中で脱いでるときには、ホントにコーフンした。10歳くらいの頃。
なにもかもが、いい時代だった。

ホントに、サヨナラだ。

『電線』

2011-03-06 11:44:07 | アート



散歩の楽しみは何か新しいコトを発見することで、きのうはコレを発見した。こんなにウマい写真は当然ながらワタシが撮ったモノではなく、これらはアート。芸ジツ。近所の国立美術大学のギャラリーに展示されていたモノ。

ハノイの電線の束は半端じゃなくて、主には電話線ナンだそうだが、重さで電柱が倒れるくらいになっている。電話が何かの理由で通じなくなると、原因究明はソコソコにして、もとの線を撤去せずに新しい線を引くのでどんどん増える。だから半分以上は電線ではなく元電線。

ヨーロッパ的な思想ではソレラは景観を害する醜悪な存在にすぎないが、ソコに美を感じるところがアジアのココロ、みたいな。
木々の葉を透かす街灯の光を受けて、幾筋もの電線が軽やかに闇を走る。暗い夜が無限に続いていくように見える。

『VNSO Mahler Cycle/Symphony No.1』@Hanoi Opera House

2011-03-05 13:04:52 | アート


今年最初のハノイオペラハウスは、2007年から始まったこのベトナム国立交響楽団、通称ベト響のマーラーシリーズの第8回。曲は1番、通称“Titan”。これを「巨人」と訳すとどこかの田舎野球チームを連想してしまう。実際、マーラーはこの曲が完成して最初の頃だけ“Titan”というタイトルをつけていたが、最終的にはソレを外している。
クラシックのコンサートで最前列ってのがいいのか悪いのか、定かではないが、きのうはその最前列で、目の前がウルワシのConcert Mistress、Dao Mai Anhサマだった。黒のドレス、背中が脱皮した後のセミの抜け殻のようにパックリ開いていて、、ま、ヨカったデス。
ただ、ステージをがんがんに照らす脇からの照明が、ついでに、というか、ちょうど2列目くらいまでをも煌々と照らしていて眩しかった。

肝心の演奏のほうはハッキリ言って、もう途中から油に火がついた感じで、ああなるとこの楽団は誰にも止められなくなってしまって、Highな状態で最後まで突っ走ったような。今までで一番ヨカった。俗な言い方をすればカンドーしてしまった。ココロがハゲしく動かされた。キモチが高まって、帰りに家までアタマの中で音がぐるぐる回りながら、時には声に出してまでして、競歩で帰った。音楽のオソロシさのようなモノ。。

ワタシはクラシック音楽を専門的なシュミにしてはいないのでマーラーがどうこう、みたいなことは言えないのだが、キワだった独自性、オリジナリティー、それと情緒的な感じ、東洋趣味的なモノがあったのかどうかわからないが、そんな雰囲気もある。
ま、ずいぶん前にニッポンでヨーロッパの有名どころの演奏を聞いたこともあって、ソレは当然スバらしいモノだった、と、ハッキリ言って記憶もないのだが、というか、音はその場ですぐに消えてしまうから、音楽そのものの記憶なんて実際は存在しないのだろうが、だからソレと比較するとか、そういうことでもなく、きのうの演奏はホントに良かった。

このあと11月に最高傑作と称される9番があって、来年は通称「夜の歌」の7番と、最後に有名な「大地の歌」があっておしまい。ワタシは2009年の2番から聴いているが、いつまでココにいられるか、そしてどこまで聴き続けられるかはまったくわからない。ココにいる限りはコレが一番の楽しみであることは間違いないのだけれど。