老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『ラーメンガール』

2009-01-31 14:45:12 | 映画
雨の金曜日。夕方会社を出て新宿の映画館に着くまでは一旦やんでいたが、帰りの電車が家に近づく頃に急に土砂降りになった。曇りのち大雨。だからっていう訳じゃないがこういうのを見ると映画って高い。これで1800円かよー、みたいな。期待はずれ、がっかりっていうこと。
去年芝居を観たアメリカ人の演出家、ロバート・アラン・アッカーマンが監督をした映画。アメリカ人のねーチャンがニッポンでカレシに振られて、自分は何をやってもダメ、みたいに思っているところに、家の目の前にあっていつも賑わっていて後光が差しているようなラーメン屋に飛び込んだら、そこには幸せな世界があって、自分もラーメンを作ってみんなを幸せにしたい、みたいな単調な話。監督が言うには「タンポポ」へのオマージュで、そのために山崎努をチョイ役でだして、なんでかなーみたいな演技をさせている。

なんでこんな話なんだって思うのは、この監督のシソウの背景にはこの前の芝居もそうだったが、異なる民族の文化の違いは必ず理解しあえてみんな仲良し、みたいなものがあって、この映画ではニッポン人とアメリカ人の対比をやたらに強調して、西田敏行演ずるラーメン屋の頑固オヤジがニッポン人はこういうもんや、みたいに最初から最後までわめき続けたり、それに対して髪キンねーちゃんはアメリカ人は自由、みたいに叫ぶ。それでもって最後にはセンセイ、アトツギ、みたいに抱き合ってハッピーハッピーっていうのも。そんなのあり得なーい。
結局は個人の問題のことをそういうふうに国民性、というか、民族の違いみたいにして単純化して誇張して、それで作品デス、って言われても、そんなに簡単なもんじゃない。アメリカ人のあんたにそんな風に十羽ヒトカラゲみたいにされたくないみたいな。。
おまけに日本企業でサラリーマンしている英語ペラペラの在日韓国人まで登場して、保守的で会社にガンジガラメに縛られているニッポン人サラリーマンのアホさ加減を嗤っている。

この監督、というかこの演出家は異国のニッポンで役者集めて芝居をやっているからこそかもしれないが、民族観みたいなものを意識しすぎているんじゃないか。そういう部分に突っ込んでいきたくなるキモチもわからないでもないが、今回のはあまりに話が浅すぎて、ラーメンに関しても単なるネタに過ぎなくてその奥深い世界を見せてくれるわけでもなく、いろんな面でがっかりな映画デシタ。
石橋蓮司を見れたのはよかった。

2008年アメリカ映画
090130 テアトル新宿にて

『片手の鳴る音』

2009-01-25 15:34:58 | 演劇
今年早くも3本目。残りの時間が少ないのであせって見まくっている。
きのうのコレは去年、コクリツの若手作家シリーズで観た早船聡サンのジブンの劇団サスペンデッズの作品の再演でまたまたすごくよかった。今回のも若手のひとに機会を与えようという世田谷パブリックシアターのネクストジェネレーションシリーズの中での上演。本人がプログラムに書いているように題名と内容はほとんど関係ない。そういえばこの前の「鳥瞰図」もなんでコレが鳥瞰図なんだ、と思ったが。

話は複雑なようで、中心にある家族の問題みたいな部分はわかりやすくはっきりしている。実際の登場人物は6人だが、舞台に登場しない人物が少なくとも3人はいて、その人たちは携帯の向こう側とか、舞台の上に作られた家の2階にいる想定で、そういうことでもにぎやかな感じになっている。
話の中心は、三浦半島の海辺の町で父親から引き継いだ床屋をやっている弟とその姉の、ずうっと昔に自分たちを捨てて家を出て行った母親へのキモチの微妙な違いをとおして、気持ちがなかなか通じ合わない人間同士のむずかしさ、みたいな、、こうやって書くと実際複雑な話のようだったのかも。ただ芝居自体は非常にストレートな表現でテンポもよくて、あまり考えさせずにおもしろく見せてくれる。

姉のほうは子どものころに母親から虐待を受けて、ある時に受けた暴力で耳が片方聞こえない。そのことを今でも恨んでいるのと自分が母親になったら同じように子どもを虐待するのではないかと思って自分の子どもを作ろうとしない。その夫は商社に勤めていて近々インドネシアだかどっかの辺鄙なリゾートみたいなところへ赴任することになって、妻と一緒に行って思いっきりセックすして子どもを作りたいと思っているが、姉のほうは自分は行かないと決めている。
弟はおさななじみの女に思いを持っているが、その女は昔の自分の友達の子どもを産んでいる。その友達は子どもが産まれる前に死んでいて、その子どもが今では自分になついていて、その女と結婚してもいいと思っている。
ある時、姉が、父親の残したアルバムを家から持ち出すのを見て、そのアルバムの中に、自分にはまったく記憶のない母親が写っている写真を見つける。弟は母親の愛情を知らずに育ったので、その母親に会ってみたいと思うが、そのことを打ち明けられた姉は絶対に許さない。
そういう、自分の感情がなかなか相手に伝わらない、ニンゲン同士のむずかしさのなかで、姉の夫の会社の部下が、その男はオカマなんだが、、病気で死にそうなジブンの母親とのあいだの母と子の絆、というか、強いつながりのようなものをみんなの前で見せつける。それを見て、かどうかわからないが、自分のキモチを伝えようとしなかった姉が静かにココロをひらいて母親へのキモチを弟に話す。。

やっぱりなんとも複雑でビミョーな話だ。こういう話を、たとえばおでんにトマトを入れたらうまいんだが食べる時に気をつけないと中から熱い汁が噴きだしてやけどをする、みたいな話を織り交ぜながらおもしろおかしく進んでいく。
早船さんはこういうニンゲンの感情のやわらかい部分というか、そういうのをうまく芝居にするひとだ。この前のも東京湾の埋め立て地が舞台で、ちょっとさびれていく町に残された人たちの悲哀のようなものが舞台の上に漂っていたが、今回のにも同じ空気があったと思う。

作、演出:早船聡、出演:サスペンデッズ
090124、世田谷パブリックシアター シアタートラムにて。

『ブラジル』

2009-01-23 00:58:21 | 演劇
ラッパ屋待望の新作。またまた呼吸困難になるくらい笑って、最後のほうではもう少しで泣くくらいのところまでイッてしまった。役者の声とか、そこから伝わってくるナマの感情とか、それらが一つの空間の中に居合わせた人たちに共有されて、まあ簡単に言えば舞台の上の役者にキモチが乗り移るというか、恐山のイタコみたいに、、それでもって目に見えないシアワセな時間が確かに感じられる。そういう、芝居にしか作り出せないものがビッチリ詰まったスバらしい作品でありマシタ。。もう大絶賛状態。

舞台は海辺のペンション、その名もブラジル。大学のボサノバ同好会みたいなところの付き合いでなんとなく結婚した夫婦が経営している。そこでサークルの同窓会が10何年かぶりに2泊3日で開かれる。集まった人たちの大部分は40才を過ぎていて、それぞれ夫婦の間にはビミョーな空気が漂っていたり、ずうっとフリンを続けていて今さら別れるのも面倒だしこのままズルズルいくのもツラいし、みたいなカップルもいたり。幹事のオジサンはガス器具屋の営業だったのが欠陥商品のおかげで毎日何十軒かの家をまわって謝り続けていて、全部で何十万軒謝らなければならなくて定年までずっと同じことをし続けなければならないことが決まってしまっていたりする。そういえばそういう人もいるんだろうなあ、と気付かされる。
で、そのうちの一人が食欲がなくてどうしたのかとみんなが気にしていたら、健康診断で悪いところが見つかってこの旅行が終わったら精密検査を受けることになっていて、自分はもう余命半年だと思い込んでいる。そこから話は動き出して自分の命があと半年だったら何をすればいいかみたいなことで盛り上がっていく。

その先は書かないことにして、鈴木サトシさんの芝居らしくいろんな登場人物が出てきていろんな話が展開していきながら最後のほうに向って一気にコーフンのルツボみたいになっていく。みんなが自分の過去を振り返って残りの時間が少ないことに気づく。
ちょうど鈴木サンも50才でワタシもそうだけど、30年くらい前のことがすぐこの前のことのように思い出せて、それはちょうど20才くらいのことだから、学校の帰りに入ったスパゲッティ屋でチーズをかけようとしたら中からゴキブリが飛び出してきて、店の人に文句言ったらやけに早く別のが出てきて、こりゃ、さっきのを少しだけ炒め直して出してきたと思いながら金もないし食べるしかないか、みたいにして食べたこととかすごく鮮明に覚えている。あの時から今までのたったこれだけの時間がこのあと過ぎたときにジブンは80才かと、、、生きているだろうかと、呆然としてしまうわけだ。
登場人物の中の夫婦はこの男と、あるいはこの女と結婚してホントに良かったのかと考える。もっといい生活があったんじゃないかと半分後悔している。それでも最後には結局、考えても仕方のないことと思わなければいられない、というか、実際に考えても仕方がないから、今が一番だと思って生きていこうとする。ジツに同世代としてキョーカンしないわけにいかない。
ホントに毎日、苦しいこととかツライこととかばっかりで、何のためにこんな苦労をしているんだろうかと思わずにいられない。ほっといてもどうせいつか死ぬんだから、ジサツしようとまでは思わないが、何か変化のキザシがあれば飛びついたりしてしまう。チェーンジに飛びついたアメリカ人みたいに。行き詰っているってことだ。それでも芝居の結末にはかすかな希望さえ感じられる。虹が見えたりする。フリン相手の子どもを産もうと決意したりするオンナもいる。いろんな人物が出てきていろんな方向に話が広がっても、最後にはそれぞれの希望に向って歩いていくところで芝居は終わる。

三鴨サンの衣装は必見。
090119 新宿・紀伊国屋ホールにて。25日まで。

峰松の鍋焼うどん@福岡天神

2009-01-21 23:21:29 | 料理
おとといの夜は新宿で芝居を観て、当分はとりあえず今が一番いいって感じのワタシとしては珍しくマエ向きなキブンでいられそうで、きのうも朝早くから福岡に行って、モンスタークライアントなんかも別にどうってことないって感じで軽く蹴っ飛ばしてきた。それに昼間、天神のアクロスの前で芝居絡みの知り合いというか、師匠というか、そういう人にホントに偶然に会って、お互い何でこんなところに、みたいな感じで、朝青龍とキヨハラみたいに見合ってしまって、今度はインドシナ半島の某所で会いましょうって言って別れた。

で、夜はひとりの自由な時間が30分だけできたので、以前、どんめんなる超大盛うどんを食べたコノ店で、冬らしく鍋焼うどんなんぞを発注した。まあ、薄味で上品なオ味。鍋といっても土鍋じゃなくて金属の光輝くお鍋。生卵が最後の頃には柔らかく固まって甘く優しい味に仕上がった。うどんもコシがあってうまいし、疲れが吹き飛ぶ感じ。
帰りの飛行機はガラガラでいつも後ろのほうに座るワタシの周りは誰もいなくて、平日の場末の映画館みたい。CAがほぼ1対1対応で、ダイアモンド会員のワタシにいつもどうも、みたいに何度も言ってくるもんだから、名前の下のほうだけ聞いて、アドレスまでは聞き出せず、かえすがえすも悔いが残るフライトでアッた。


三浦半島 葉山~秋谷

2009-01-18 17:28:15 | 散歩
わざわざ重い荷物を背負って山歩きする人たちや、気合いで寒中水泳する人たちを見ようと思って、水仙がもう盛りを過ぎた三浦半島へ。海の水はなんとなく暖かそうに見えたが、風は冷たかった。

逗子まで電車で行って、駅前からはバス。2番乗り場から長井行きに乗って葉山の御用邸を過ぎると右側に海が見えてくる。久留和、秋谷の漁港は閑散としていて金融危機の影響がこんなところにも、、でているわけない。

遠くのほうに寒中水泳の人も見えた。黒い服を着て、透明の帆にしがみついている。水は水色に澄んでいて、タコやカツオがその先で泳いでいるのが想像できた。
まだ1月も半ばだっていうのに、もうすぐ春?みたいな、、鼻の粘膜に突き刺さる花粉の数もどんどん増えてきている。


茶来未@鎌倉・若宮大路

2009-01-13 22:22:38 | 散歩
連休の谷間に鎌倉に行ったらとんでもない混雑で、コマチ通りなんか知らないオジサンと肩が触れ合うくらいで、どこかで休憩しようと思ってもコーヒー屋はどこもかしこも行列ができてて、いつもの近代美術館のテラスに行こうかと思ったが少し寒すぎるのでもう帰ろうかと思って若宮大路のほうに出たらこんなお店があったので入ってみたらすごくよかった。

緑茶だけの喫茶店で、もともとお茶に興味があったわけではないのだが、狭くはない店内に席は5つしかなくて、カウンター越しにきれいなおジョーさんがお茶を淹れてくれる。
席に座ると最初に季節のお茶、みたいな感じで出てきたのは正月らしく「だいだい茶」。鹿児島産の煎茶にだいだいを合わせたというものですっきりさわやかな味。それを飲みながら産地と種類で6,7種類のメニューの中から好みのお茶を選ぶ。何を頼んだかは忘れたが最初は水で淹れたのがでてきて、これがまた今まで飲んだことがないような味。、少しして二煎目。一緒にお菓子が出てくる。
まあ、日常から隔絶されたゆったりとした時間を楽しむというか、うるさいオバはんの団体とかと一緒だったらこんなによかったとは思わなかっただろうけど。

三煎目くらいでやっと喉が潤った感じになって、最後にもう一杯、別のお茶が出てくる。ホント、そういう流儀みたいなことに無知なので、最後のが何なのかも覚えていないのだが、空間と時間の「間」というか、カウンターの向こう側との距離感とか、お茶が出てくるタイミングとかがすごくいい感じだった。
というわけで買ってきた黒くて細長い茶筒を眺めながら家でも昨日今日とお茶を飲んでいて、あっちへ行く前にもう一度行ってみたい気分。

カトリック教会の向かい側のビルの2階。ちゃくみ、って読む。

ベトナム☆民間版画展

2009-01-12 12:06:53 | アート
ベトナムの正月は「テト」と言って、日本でいうところの旧正月で今年は今月の26日になっている。年によって日が違うが、これは太陽暦に換算すると日がずれてくるというだけで、概念的にはずれるという感覚のものではない。ベトナムでは1月1日は一応祝日にはなっているが、日本みたいに天皇杯の決勝が行われたり初詣に行ったりということはなくて2日からは普通に仕事に行く。一方、このテトのときは、今年の場合は24日から休みに入って3月1日くらいまで国中が休みになる。ハノイあたりは町中がガランとして、あのバイクの騒音もなくなるらしい。

で、この版画は正月に飾る縁起モノ?というか、厄除け、家内安全などのお守り的に家の中に飾るものとして発達し、17~8世紀に最盛期を迎えたものらしい。「年画」とも呼ばれる。大きく分けて2種類あって、ハノイの北部にあるドンホー村で作られていたものが「ドンホー版画」で、ハノイ旧市街のハンチョン通りで作られてきたのが「ハンチョン版画」と呼ばれている。
この2つは作り方が正反対で、ドンホー版画は3,4種類の版木を使った多色刷り版画で、色の版を全部刷った後に黒の線画の版を刷って完成する。一方、ハンチョン版画は黒い線画を最初に刷ってそのあとは手で彩色する。だから見た感じは色の混じり具合とか濃淡があって鮮やかな感じがする。ハノイの富裕層が買っていたからそういう方向に発展したんだろう。

この前ハノイに行ったときに版画の店を見つけて3枚買ってきたんだがそれらは全部ハンチョン版画。ガイドブックではドンホー版画の店、って書いてあったんだが、店の中にあった数少ないハンチョン版画のほうに惹かれたということだ。
ただ今回の展覧会でドンホー版画の面白さもわかったような気がする。共産主義の下での政治的、教育的なものとか男女関係のものとか、庶民的な感覚で描かれているような感じがする。今度行ったらよく見てこなくっちゃ、ということで収集癖がうずいてきた。

2009.1.10 伊勢丹新館の上の吉祥寺美術館にて。

『夜光ホテル~スイートルームバージョン~』

2009-01-12 10:10:59 | 演劇
今年の1発目はNHKが若手劇団の評価の高かった作品を再演してテレビで放送しようという企画の第一彈。みんなの広場ふれあいパーク、っていう会場にはやや抵抗があったが、収録が一番の目的ならしょうがない。こういう企画はNHKにしかできないだろうし。
去年から始まったこのシリーズの、今年選ばれた作品はどれもおもしろそうで、どういう基準で選ばれているかはわからないが、この芝居の最初のシーンが金髪のニーちゃんがいきなりラメ入りブリーフ1枚になって、ホテルのビデオ見ながらティッシュの箱を横に置いて、、みたいな感じで、かなりNHK的でないことは明らか。時代の膿みを鋭くえぐりだしている、みたいなところか。
で、金髪ニーちゃんのほうは結局目的を達せられず、、そういうことに象徴される、今の若者が持っているいつも何かが満たされていない苛立ちのようなものが全編を通して舞台の上を空気みたいに漂っている。

ストーリーを簡単に書くと、10何年か前の東京の愚連隊仲間が函館の小さなホテルのスイートルームに集まって、中には家族を持ってまともな生活をしているのもいるのに、もう一度、昔の親分みたいなのの指示でシゴトをしようとしている。「仲間」から抜けようとするマトモ生活男は青森でリンゴ農家をやっていて、一生懸命りんごを作ればそんな悪いことをしている生活から抜け出せると言って昔の仲間を立ち直らせようとする。ところがそのマトモ男が10何年か前に東京でやったことがあばかれて、、そんな感じで話が一気に動き出す。
そういうどこにでもありそうな人間関係。学校とか、会社とか、PTAの付き合いとか、マイナスの連帯、とでもいうか、お互いに傷を見せ合うことで成り立っているキワメテニッポン的な社会の極端なカタチをつかって、そこから抜け出そうとするものを徹底的にたたきつぶすワレワレの中に共通してある暗い闇のようなものを見せつけてくれる。
結末は今のままそこにとどまっているのではなく、闇から這い上がっていかなくてはだめで、そのためにはすべてのことを何も考えずに受け入れるのではなく、とにかく考えろ、みたいな、やや教訓的な方向に傾いたが、その表現のストレートさがかえってキモチいいくらいに感じられるホントにいい芝居だった。

蓬莱サンの芝居はこの前、新国立で「まほろば」を初めて見て、それもやっぱり、まほろばというニッポン的な抽象的イメージを、女の妊娠という極めて具体的なはなしで表現していたが、今回のもニッポン人のココロの奥底にある深いモノを愚連隊の仲間割れみたいな俗っぽい世界を通して描き出そうとしているところに同じような方向性が感じられて、話の緩急のつけかたというか、途中までは淡々と人間関係の表面的なところが描かれて行って、途中から堰を切ったように奥深いドラマが展開していくあたり、ホントにうまいというか、凄い人だと思ったシダイ。

主役のケンちゃん役は荻原聖人サン。深く考えるオトコを渋く演じていてカッコいい。モダンスイマーズの他のメンバーもこの人たちじゃないとこの芝居は成り立たないっていうくらい、ピッタリはまっていた。
2月の新作「トワイライツ」が今から楽しみ。

作・演出 蓬莱竜太
2009.1.10 NHKみんなの広場 ふれあいホール

ヒコーキ

2009-01-09 21:58:15 | 窓際
ハッピーフライトが意外につまらなかったので、、口直しというか、毎回、着陸してドアがあくまでの間に流されているコレをホームページで見つけて何回か繰り返して見た。

ちなみにJALも同じようなのを流しているが、あっちは、安全対策でこんなことをしています、みたいな内容で、見ていて痛々しく、客を早く降ろすには効果的な内容だ。

音楽は葉加瀬太郎サン。映像もいい。


『ハッピーフライト』

2009-01-03 18:31:29 | 映画
去年は1年で150回くらい飛行機に乗って、11月頃にはこれのメイキングフィルムみたいのを毎回見せられていたので元日に1000円で見てきた。結果的には飛行機って結構アブナイもの、ってことをあらためて思い知らされた感じ。
映画としてはいろんな意味で期待を裏切るようなところがあって、まずは綾瀬はるかチャンのCAド根性ものかと思うとそうでもなくて、、次に新米CAと副操縦士の喧嘩しながら最後にできあがっちゃう色恋モノかと思うと、それはまったく何のつながりもなくて、はなしの本筋がなんなのかわかりにくい。

もしかしたら社会派映画?、というか、世間によくいる困った人間を何種類も登場させて、そいつらのせいでみんな迷惑してる、みたいなところがメインのような。
たとえば空港で離陸の障害になる野鳥を追い払うのにライフル使っていることに対して、ニンゲンの命より野鳥のほうが大事、みたいな、よくいる自然愛好テロリストがでてきて、ライフル追っ払い専門の裏方さんをボウリョクで邪魔して、その結果、飛行機の速度計にカモメがぶつかって、飛んでる最中に壊れて操縦不能になって、ハワイに向かって飛んで行ったのが途中で引き返して、ちょうど台風が来ている最中の空港に緊急着陸する。
そこに一見紳士風の客が、スーツケースみたいなでかい手荷物を持ち込む持ち込まないで怒声はりあげて、客のやることに文句言うな、みたいな感じで登場して、緊急事態になっても勝手に引き返すな、みたいなことでまたどなり散らす。
修学旅行の団体客はわめき散らかしてごみもまき散らかすし、お茶配ってるときに新聞持ってこい、みたいなのは普通に出てくるし、、この映画はANAが綾瀬はるかチャンを使って、モラルのない客を告発するのが一番の目的だったんじゃないかと。

結局は台風の中の緊急着陸ではらはらどきどきさせて、パソコンの時代になって役に立たなくなったベテラン管制官がさすがの経験を働かせてミゴトに誘導してめでたしめでたしのハッピーフライト。おもしろい、というよりは疲れる映画だ。矢口史靖監督の前2作とはややオモムキが違う。綾瀬はるかチャンもこういうお笑い可愛い系でいくより、「百夜行」の、暗い影のある感じのほうが合っているような。

2009.1.1 川崎TOHOシネマズにて。