カイシャですれ違う人ごとに疲れてマスねと言われ、久しぶりにあった人には、痩せたんじゃない、といわれ、そんなに他人に期待されなくても十分ビョーキであるのだが、、でも、わざわざそういう余計なことを言う人の心理が理解できなくて、フロイトが主人公のコレを見た。というわけでもないが。
ナチスに攻め込まれてウィーンからロンドンに逃げた癌で死が近いフロイトのもとに、サルバドール・ダリが妻のガラとともに訪れた、その一日を描いている。
本当はフロイトなんてどうでもよくて、歌うような声と、白く透き通るような肌をして、ゴムまりのように舞台の上ではじけまわる、あの荻野目慶子サンと、同じ空間を共にしたかったというのが正直なところ。本当に、期待以上にシアワセなひとときであった。マリリンモンローのような妖艶さと少女のような可憐さ、といったらあまりに古臭い表現だが、、それにしても肌を露出しすぎるのには、、そういう方向でせめなくても、もういいと思うのだが。
で、芝居のほうは、ダリが出てきたのがよく理解できず。フロイトの無意識の意識、というか、そういう研究にシュールレアリスム運動が乗っかっていたのを、フロイトが評価していなかったということが、話の流れの中で、しっくりと理解できなかった。無意識の技巧なんてありえないという、一つのエピソードとしてくらいにしか。
荻野目慶子サンは複雑な役回りで、ジサツした母親の死んだ理由が、フロイトの精神分析にあった、ということを、フロイトの死の間際に解き明かしていくというもの。強迫神経症の原因が子どもの頃の性的虐待にあるというフロイトの研究成果に対し、フロイト自身の父親の性的虐待を母親が受けたのではないかという疑問を持ち続けてきた。フロイトはそのできごとを荻野目サンの母親の精神分析から知ったことから、自ら研究成果を修正し、強迫神経症の原因は性的虐待ではなくむしろ親に対する近親相姦願望だというふうに、理論を大逆転させる。
で、それはどうしてなんだと、フロイトを問いつめるが荻野目サンの役で、なかなか難しいながらも、神経症に苦しむ迫真の演技で、深いカンドウを残してくれた。
演劇というのは多かれ少なかれ何かを象徴して、役者に演じさせているものだと、ワタシは常々思っているのだが、では、昨日のコレはなんだったのか。性的倒錯の深い淵を見てしまったフロイトが、ジブン自身、父親からその性癖を受け継いでいることに気が付いて、癌の苦痛というよりは、精神の錯乱の中でモルヒネを打って死んでいく、そういう人間の血の循環を表現しているのかと。
芝居の最後は、まさにそれを象徴するシーンで終わった。舞台に最初に役者が登場した場面が再び演じられ、次の瞬間に幻のように消えていった。
白井晃演出
串田和美、荻野目慶子、あさひ7オユキ、白井晃
2/27、三軒茶屋 シアタートラムにて
ナチスに攻め込まれてウィーンからロンドンに逃げた癌で死が近いフロイトのもとに、サルバドール・ダリが妻のガラとともに訪れた、その一日を描いている。
本当はフロイトなんてどうでもよくて、歌うような声と、白く透き通るような肌をして、ゴムまりのように舞台の上ではじけまわる、あの荻野目慶子サンと、同じ空間を共にしたかったというのが正直なところ。本当に、期待以上にシアワセなひとときであった。マリリンモンローのような妖艶さと少女のような可憐さ、といったらあまりに古臭い表現だが、、それにしても肌を露出しすぎるのには、、そういう方向でせめなくても、もういいと思うのだが。
で、芝居のほうは、ダリが出てきたのがよく理解できず。フロイトの無意識の意識、というか、そういう研究にシュールレアリスム運動が乗っかっていたのを、フロイトが評価していなかったということが、話の流れの中で、しっくりと理解できなかった。無意識の技巧なんてありえないという、一つのエピソードとしてくらいにしか。
荻野目慶子サンは複雑な役回りで、ジサツした母親の死んだ理由が、フロイトの精神分析にあった、ということを、フロイトの死の間際に解き明かしていくというもの。強迫神経症の原因が子どもの頃の性的虐待にあるというフロイトの研究成果に対し、フロイト自身の父親の性的虐待を母親が受けたのではないかという疑問を持ち続けてきた。フロイトはそのできごとを荻野目サンの母親の精神分析から知ったことから、自ら研究成果を修正し、強迫神経症の原因は性的虐待ではなくむしろ親に対する近親相姦願望だというふうに、理論を大逆転させる。
で、それはどうしてなんだと、フロイトを問いつめるが荻野目サンの役で、なかなか難しいながらも、神経症に苦しむ迫真の演技で、深いカンドウを残してくれた。
演劇というのは多かれ少なかれ何かを象徴して、役者に演じさせているものだと、ワタシは常々思っているのだが、では、昨日のコレはなんだったのか。性的倒錯の深い淵を見てしまったフロイトが、ジブン自身、父親からその性癖を受け継いでいることに気が付いて、癌の苦痛というよりは、精神の錯乱の中でモルヒネを打って死んでいく、そういう人間の血の循環を表現しているのかと。
芝居の最後は、まさにそれを象徴するシーンで終わった。舞台に最初に役者が登場した場面が再び演じられ、次の瞬間に幻のように消えていった。
白井晃演出
串田和美、荻野目慶子、あさひ7オユキ、白井晃
2/27、三軒茶屋 シアタートラムにて