老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『ヒステリア あるいは、ある強迫神経症の分析の断片』

2007-02-28 22:49:47 | 演劇
カイシャですれ違う人ごとに疲れてマスねと言われ、久しぶりにあった人には、痩せたんじゃない、といわれ、そんなに他人に期待されなくても十分ビョーキであるのだが、、でも、わざわざそういう余計なことを言う人の心理が理解できなくて、フロイトが主人公のコレを見た。というわけでもないが。
ナチスに攻め込まれてウィーンからロンドンに逃げた癌で死が近いフロイトのもとに、サルバドール・ダリが妻のガラとともに訪れた、その一日を描いている。

本当はフロイトなんてどうでもよくて、歌うような声と、白く透き通るような肌をして、ゴムまりのように舞台の上ではじけまわる、あの荻野目慶子サンと、同じ空間を共にしたかったというのが正直なところ。本当に、期待以上にシアワセなひとときであった。マリリンモンローのような妖艶さと少女のような可憐さ、といったらあまりに古臭い表現だが、、それにしても肌を露出しすぎるのには、、そういう方向でせめなくても、もういいと思うのだが。
で、芝居のほうは、ダリが出てきたのがよく理解できず。フロイトの無意識の意識、というか、そういう研究にシュールレアリスム運動が乗っかっていたのを、フロイトが評価していなかったということが、話の流れの中で、しっくりと理解できなかった。無意識の技巧なんてありえないという、一つのエピソードとしてくらいにしか。

荻野目慶子サンは複雑な役回りで、ジサツした母親の死んだ理由が、フロイトの精神分析にあった、ということを、フロイトの死の間際に解き明かしていくというもの。強迫神経症の原因が子どもの頃の性的虐待にあるというフロイトの研究成果に対し、フロイト自身の父親の性的虐待を母親が受けたのではないかという疑問を持ち続けてきた。フロイトはそのできごとを荻野目サンの母親の精神分析から知ったことから、自ら研究成果を修正し、強迫神経症の原因は性的虐待ではなくむしろ親に対する近親相姦願望だというふうに、理論を大逆転させる。
で、それはどうしてなんだと、フロイトを問いつめるが荻野目サンの役で、なかなか難しいながらも、神経症に苦しむ迫真の演技で、深いカンドウを残してくれた。

演劇というのは多かれ少なかれ何かを象徴して、役者に演じさせているものだと、ワタシは常々思っているのだが、では、昨日のコレはなんだったのか。性的倒錯の深い淵を見てしまったフロイトが、ジブン自身、父親からその性癖を受け継いでいることに気が付いて、癌の苦痛というよりは、精神の錯乱の中でモルヒネを打って死んでいく、そういう人間の血の循環を表現しているのかと。
芝居の最後は、まさにそれを象徴するシーンで終わった。舞台に最初に役者が登場した場面が再び演じられ、次の瞬間に幻のように消えていった。


白井晃演出
串田和美、荻野目慶子、あさひ7オユキ、白井晃
2/27、三軒茶屋 シアタートラムにて

Princess Danae @大桟橋

2007-02-25 16:48:19 | 散歩
今朝、横浜港大桟橋に入港したポルトガルの客船。モノの本によれば1955年にできた船というから、なかなか味わいがある。最近の船は客室が壁のようにそそり立っていて、船尾はペッタンコなのが多いので、こういう船らしい形は今では珍しいのだ。

となりでは、Peace Boat主催の地球一周航海に出発するTopaz号の出港式が賑やかに行われていた。これも古い船をPeace Boat専用に塗装したもの。
3ヶ月で地球一周。なんとも羨ましいが、どうせ行くなら、、、

Topazが大桟橋を離れるのを待って急いでシルクセンターの前まで走ったら、直後に国際女子駅伝の選手達が塊って走り抜けていった。
気温7℃で海からの冷たい風が吹きつけているのに、ほとんど水着状態の外国選手もいて、、ご苦労なことである。

大桟橋には来週6日にQueen Elizabeth号が、20日にはAurora号が入港する。どちらも飛鳥Ⅱの5万トンを上回る7万トン級で見逃せないが、出勤前に来れるかどうか、というところ。

とりあえず、早く暖かくなってほしい。


『ザルツブルクの小枝』 大岡昇平

2007-02-23 11:42:05 | 文学
昨日は朝6時に家を出て名古屋郊外のゲンバに出勤。普段会社が始まる定時に着いた。それでもって夜9時まで仕事して、家に着いたのは12時過ぎ。ほとんど毎週の行事なので、もはや日帰り出張とは言いがたい、長距離通勤のようなものだ。
で、今日はまた家の改修工事の立会いで、在宅勤務に励む、といいながら、とりあえずこんなことしている。

今回の改修は、前に住んでた変人が作ったトイレとバスタブが並んだ洋風バスルームをぶっ壊して、フツウのユニットバスにして、トイレも節水型の新製品に取り替えるというモノ。この目的、内容についてはまったく異存はないのだが、、シアワセに見えるこんな一家族の風景にも、他人には見えないドロドロしたものがある。一言で言って、16年間のケッコン生活の、除去しがたい灰汁が塊になったようなものなのだが、、まあ、コレ以上はよしておこう。ニンゲンは必ずいつか死ぬんだし、つまらぬキモチを引きずっていても仕方ないのだ。

というわけで、今年は1年間、大岡昇平を読み通すことにしたので、2作目はこの軽いエッセイ。どんな大作家にも駄文はある、というような内容だが、戦後の復興期にロックフェラーの奨学金をもらって、1年間、アメリカとヨーロッパを旅行した作者の、戦勝国への複雑な思いがあふれている。
まあ、アメリカの犬になって、尻尾振ってすりついていくようなヒトにもそれなりの言い分はあるだろうが、たとえカネ出してもらっていても、このツッパリようは立派なもんだ。
アメリカにはカネと武器で集めたもの以外はブンカなんてものはないのに、アメリカに半年滞在しないと奨学金がもらえないというから仕方なくアメリカにも行ったという作者の苦しさはよくわかる。しかもそのアメリカで、望みもしないのに世話をされた現地のニッポン人との、同じ敗戦コクミンでありながら、アメリカへの意識の違いが、今のワタシにも思い当たるところがあり、おもしろく読んだ。

何の疑問も持たず、ディズニーランドやハリウッド映画などの、ああいう薄っぺらいアメリカブンカを受け入れているヒトには理解できないだろうが、あの歪み、捩れ、影、汚れがなく、どんなインテリの、ヒラリークリントンのような人物でもイラク侵攻に賛同してしまう、そういうアメリカ国民に同化した、今のニッポンのアメリカ愛好者にはワタシも辟易するものがある。
国内線の飛行機で昼メシにでるバナナを、うまそうに食べるアメリカ人。そういう頭の中が空っぽで、振ればカラカラ音がするような大多数の人たちと、ごく少数の超インテリが、なにかのきっかけで一致団結してしまうああいうコクミン性に、戦後60年経って、今のニッポン人が近づいていると、色んなことで感じる。
アル・ゴアも、なんか立派なことやってるように見えるが、アンタがあの選挙の開票のときに、ああいうキモチ悪い潔さを見せなかったら、世界はこんなに悪くなっていなかったってことを思い返して欲しいのだが、京都議定書にも調印していない国の政治家がつくったあの映画に、ニッポン人が行列つくって見に行くってのが、、。

本の後半はフランス、イタリアの旅行記。美術や演劇に対する批評が、ちょっと鼻につく書き方だが、こういう文化的素養はやっぱりニンゲンの土台として必要なんだろうと思えた。

中公文庫版、1978年刊

ハナ差の勝利

2007-02-20 10:44:31 | 競馬
嵐のような週末を過ぎて、今日はなぜか自主在宅勤務。土曜日から家の風呂場を改造していて、今日はツマと交替で工事に立ち会っているというわけだ。
土曜日に工事始めて、いきなりちょっとマッテクレ、、状態。前に住んでいた自称インテリア愛好家の元某大学某学部長のオバハンがとんでもない改造をやっていて、それを元に戻すのに丸2日間、トイレが使えなかった。なにしろヨーロッパ風のバスタブ置くのに、床にコンクリートを30センチも流し込んでいたんだから。配管もでたらめで、下に漏れなかったのはキセキに近い。シロートがシロートに工事させていたようなもんだ。
最近はリフォームでイロイロ問題が起きているが、大部分はこんなことだろう。専門家にフィーを払って、問題ないようにやってもらおうって発想がないんだと思う。こっちにオフロ、こっちにトイレ並べて、、みたいに。アンタのウン子、床下でパイプの中を流れて、下水道までつながっていくってこと、考えなきゃいかんのだ。

で、風呂が使えなくてもナントカなるが、トイレが使えないとそこで住んでいけないヤワな都会人のワレワレは、生きるチカラって、生命保険じゃなくてトイレがなくても生きていけることだろうと思いながらも、週末はこんなとこ、とか、マイル使ってあんなとこを渡り歩いて、世の中にはイロイロな週末の過ごし方があるもんだと思い知った。特に前者では、夜中の2時に3人子ども連れて泊まりに来る家族とか、宴会終えてそのまま寝ていく会社族とか。ご苦労なコトだ。

日曜は一日過ごすとなれば競馬。冷たい雨が上がって晴れてきたら急に当たりだして、今週も10戦3勝。しかも2着がハナ差でチョウ大穴当てて、もしコレが逆でも当たりは当たりだったが、配当は1/10。久しぶりにツキを感じた。
ムスコはなんでこういうのに限って100円しか買ってないのかといい、せめて200円買っておけば、と、かわいく嘆いたのに対し、ツマは1万円勝っておけばウン百万じゃないかと、ワタシの喜びを踏みにじるような暴言。それなのに晩メシ代出させて、こづかいまでとられちまった。
まあ、いい。競馬でもうけたお金なんて、すぐに使うに限るのだ。
メインのフェブラリーステークスは1着をミゴトに的中させたが、2着が来なかった。本命を買わないのはよかったが、2着には来るワナ。余裕で12レースはパスして帰った。

というわけで、今日はユニットバスの取り付け、明日は洗面流しとトイレ据え付けて、そのあと床、壁仕上げたら土曜日までには完成。今日は近所からの苦情もなく、これからちょっと川へ洗濯に。

『猪谷六合雄 人間の原型・合理主義自然人』 高田 宏

2007-02-17 00:10:16 | 文学
猪谷六合雄(いがや・くにお)は冬季オリンピックで日本人最初のメダリストとなった猪谷千春氏の父親で、ニッポンスキー界の草分け的な人物である。72歳で運転免許を取ってキャンピングカーのようなものを自分で作って、亡くなる直前まで移動しながら生活した、とか、90歳を過ぎてスキーで骨折して、完治した後に再び滑った、とか、そういう逸話を山のように持った、驚くような人なのであるが、ワタシはこれまで全然知らなかった。
ところがあの加藤典洋センセイが、オススメNo.1の本として、新潮社の「考える人」で以前紹介していて、読んでみようかと思ったシダイ。すでに版元品切れ状態だが、博多のジュンク堂に置いてあった。さすがに大手はそういう書評で紹介されると、大量に仕入れるのであろうか、とりあえずありがたい。(なんとamazonには中古で6,800円で出ている!)

合理主義自然人というのは、たとえばムダにでかい田舎の家に住んでいて、たまにテレビの仕事かなんかやって、釣りをやれば獲った魚はキャッチアンドリリースとかヌカシテ喰わずに捨てて、家族そろって自然愛好家ヅラしている、たとえばシミズなんたらみたいな芸能人モドキとは180度反対の、スキーをやるために山の麓に廃材で小屋作って、白樺の皮は濡れていても火が付くって事を何気なく知っていて、自分で食べるだけの魚を釣って、それで95歳まで生きていられるような人物のことを指している。とにかく凄い人物だ。
ワタシはこの年になってもスキーをやったことがない。寒いのが苦手とか、忙しいとか、そういうもっともらしい理由はなく、ああいうちゃらちゃらした遊びには興味がない。野山を走るだけのスキーはいつかやってみたいのだが、あれは暗い人間のやることと思われている、そういう「スキー社会」が嫌いなだけなのだが。だがコレを読んで、60過ぎたらスキーをやってみようという気になった。

この人のもっと凄いところは貧乏に対してまったく怖れがないことで、もちろんスキーの学校みたいなことをやって収入は得ていたのだが、何か新しい興味の対象ができたら、そんなものはいつ放り出してもいいくらいの軽やかさで、原始人のようにやりたいように生きていたことだ。伊豆辺りで海を見ていて急に小笠原に行きたくなって、翌日には船に乗っていたりとか、その足でジャワなんかへも軽く出かけていっている。家族を家に置いて。
住宅ローンや、子どもの教育費や、会社である意味自虐的に背負い込んでいるカンリ職としてのセキニン、とか、電車の中で急に大声出しちゃいけないとか、ましてやバカ声出してしゃべり続ける隣の席のババアをぶん殴ったりでもしたら、家族は明日からどうやって生きていくかとか、そういうすべての束縛から逃げ出して、自由に、この人のように、いつか生きてみたいと、かなり本気で思わせる本であった。

高田氏の文章は、レイテ戦記のあとではいかにも重みに欠けるものに最初は見えたが、複雑で長大であるはずの人の一生を、平たく読ませてくれていて、あとで深く残るものがある。

平凡社ライブラリー版、2001年刊
オリジナルはつぶれた伝説的出版社リブロポートから1990年刊。

『レイテ戦記 (下)』 大岡昇平

2007-02-13 07:56:39 | 文学
下巻は500ページのうち本文は320ページ。残りは太平洋戦争年表、この戦いに加わった部隊のリスト、参考文献、地名・人名・部隊名それぞれの索引などの資料と、大岡さんが1984年に書き足した補遺からなっている。その詳細さをみても、この作品が並みの戦記ものを遥かに超越した大著であることがわかる。

レイテでの戦いは、その後の沖縄、本土決戦を阻止する上で重要なものであったのだが、結果的には惨敗だった。フィリピンに投入された日本軍は全体で592,000人、戦死者は465,000人。その内レイテでは84,000人が投入されて、79,300人が戦死している。ちなみにレイテでのアメリカ軍の戦死者は3,500人である。こんな数字も一般的にはまったく忘れられている。
しかしそれ以上に不幸なのはフィリピンの人たちである。よそ者同士が人の家に勝手に入り込んできて殺し合いをして、家まで焼き払われて犯されて略奪されて、、

「エピローグ」ではこの戦いの目的が何であったかについて語られている。
戦争に向かう兵士は、特攻隊を最頂点とした自己犠牲のキモチを、自らの中で正当化するそれぞれの目的を持っている。日本兵には欧米諸国の植民地政策の犠牲となっているアジア人民を解放するためとか、米兵にはフィリピンを侵略する醜いサルのごときニッポン兵を追い出すためとか、どっちの勘違いもいい勝負だが、真の目的は戦争後の勝者の統治に現れる。
アメリカは結局はフィリピンを再植民地化し、その勢いでアジアで唯一近代化の可能性を見せていた日本を支配することだけが、この戦争の目的だったというのが大岡さんの結論である。戦後、アメリカはマルコス独裁政権を支え、旧地主層と手を取り合って、まんまとフィリピン人民からカネを吸い上げた。そして日本では、その頃からすでに権力に迎合することでのみ生き延びてきた巨大マスコミを操って、マッカーサーが日本に民主主義をもたらす神のような存在であるとコクミンを洗脳し、今なおアメリカの属国であるニッポンをその頃作り上げたのだ。

それにしてもそれぞれの兵士はよく戦った、というのがもう一つの大岡さんの結論である。戦争で犠牲になった人たちの上に立って生き続ける、そういうワレワレ日本人の正しい生き方を示している。終戦記念日にヤスクニ神社でいまだに軍隊式の行進をして過去に逃避している人たちでもなく、特攻隊で死んでいく若者の心をただ純粋なものとしてとらえ、青少年の育成に役立てようなどという不順な政治屋でもなく、戦争を美化しようとする人たちとは正反対の生き方である。


世の中にはいろんな人間が生きて、死んでいく。大金を床下の隠し金庫に残す経営者、とか、残業時間の記録を打ち立てて死ぬサラリーマン、とか、駄作で地図を汚して死ぬ建築家、とか、税金で葬式までする政治屋、とか。それらには自ずと人間の価値としての序列がつけられる。死ねばみんな同じ、ということなどあり得ない。
そしてその列の先頭に立つのは、民族の歴史に輝かしく光り、永遠に消え去ることのない作品を書き得た文学者であろうと、この作品は感じさせるに足るものとなっている。

中公文庫版 1974年刊

休日出勤の朝

2007-02-12 10:10:17 | 風景
これから土曜に続き休日出勤。世の中3連休ってシンジラレナ~イ。
ツマもムスコも出かけて、本当なら楽しく老後の練習に励むところなのに。かわいい部下が待っているわけでもなく、最近は裁量労働制とかなんとかで、ワカモノは残業代がでないので、休日出勤は管理職のオッサンだらけ。ホワイトカラーエグゼンプションなんて、とっくにジッコウされているのだ。
何日か前の新聞で、奥谷礼子って元JALのスッチーってところも気に喰わないが、人材派遣で大儲けしている社長が、「過労死は自己管理の問題」って言ったとかで大騒ぎしている。こういう当たり前のことでも、ジミン党べったりのオバハン経営者に言われるとシャクにさわる。どんなバカでも死ぬほど働くわけない。
ただ間接的過労殺人というのはよくあることだ。パワーハラスメント振りかざしたパソコンもろくにできない上司に、こなしきれない程のシゴトを押し付けられて、病気の兆候があっても病院に行く暇ももらえない。そのうち通勤途中にぶっ倒れて、検査受けたら末期だったとか。

で、苦しいときは楽しいこと考えなきゃ、ということで、きのうはダイアモンドステークスをミゴト的中。来週の今年最初のGⅠ、フェブラリーステークスに向けてこっちのほうは絶好調だ。
それから映画は地元の小さな映画館でオダギリジョーの2本立て。「ゆれる」と「パビリオン山椒魚」。ロードショーは渋谷でしかやってなくて見逃していたのが同時に見れるとは。
あとは料理作って、近所に梅でも見に行くか、と。春休みは青春18切符が大割引になるので、、。夢は膨らむばかり。

『レイテ戦記 (中)』 大岡昇平

2007-02-10 09:33:53 | 文学
中巻は、昭和19年11月から12月まで、圧倒的な戦力の違いと、情報力、作戦計画力そして物資輸送力の違いで、レイテ島での戦いに負けるまでの記録。日本側の反撃と言えば、この頃すでに、すべての戦闘機が特攻攻撃に向けられていたということのとおり、うまく命中する者もいれば、飛び越えて海に落ちるもの、途中で失神して何百メートルも手前に落ちる者や、はたまた絶対に体当たりはしないで基地に戻る者などさまざまではあるが、やはり人間が戦っていたという当たり前のことが、タンタンと語られている。
あまりにも無残な負け方だが、だからこそ、そんな戦いに放り出されて死んでいった戦友のためにも書かなければならないという、作者の執念が感じられる。

日本軍がなぜ負けたか、ということについては、同じ中公文庫から『失敗の本質~日本軍の組織論的研究』というのがあり、今の会社経営にも応用できるということで、プレジデントとかダイアモンドとか、会社ヤクイン向け雑誌にも取り上げられている。作戦とか戦略としてどうだったか、という検証が、防衛大学のセンセイたちによってされているような本だ。
一方、この『レイテ戦記』も同じように負けた理由がよくわかるように書かれているが、こちらはもっとリアルに、サッカーで言えば、ニッポン代表がなぜ戦う気持ちを失っていったかということを、グラウンドの中から描いたようなものになっている。

つまり、
①日本軍は食料の供給が不十分で、現地調達といえば聞こえがいいが、木の実や蛇などを食べて食いつないでいた。慢性的に飢えていたから、ステーキにデザートつきのアメリカ兵に勝てるわけがない。
②日本軍の訓練は無意味なほどに厳しく、すぐに鉄拳が飛んでくるようなものだったので、学徒出陣などで寄せ集められた若者は多かれ少なかれ嫌気がさしていて、ジブンから進んで捕虜になりたがっているような状態だった。
③情報管理がいい加減で、10人殺して100人殺されていたような場合でも、100人殺して10人殺されていたように戦果がギソウされていたこと。要するに、ウソでもいいから上層部にいい報告をするような人間が評価され、出世していくような組織になっていた。
④過酷な戦場から逃げ出して、一人で山の中で自活する遊兵が増えたのはわかるとしても、指揮官の中からも我先に安全な島に逃げ出す者が出始めて、それがウワサとして兵隊の中に広まっていった。
⑤そしてやっぱり特攻隊。隊員の中には飛行場を飛び立ってから上空を旋回し、指令本部に突っ込むようなフリをしてから南のほうに飛び去っていったヒトもいたらしい。

要するに組織が成り立たなくなっていた。兵隊だって人間だから、少しはうまいものを食べたいし、意味もなく殴られたりしたら気分悪いし、ウソついてもほめられればウソつくし、それでもって、お前死ね、と言われてなかなか、ハイ、わかりましたとはいえない。人間の組織だからこそ、そんなことで崩れていったということだ。

で、こういう読み方はつまらないと言えばつまらないが、どうしても露わになってくるのがニッポン的組織の弱さということだろう。勝っている間はうまくいくが、いったん負け始めると、上に立つものが真っ先に逃げ出して、弱いものに責任が押し付けられる。ニッポン的組織の強み?でもある責任分散消滅システムが破綻していく。
サッカーニッポン代表も、オーストラリア戦で2点目を取られたときに、オレが悪いんじゃないって、多くの選手が思い始めて、それでチームは崩壊していった。これはカイシャなんかでも同じで、不祥事が起きると上層部が一列に並んで頭下げて、根本的なところは何も変わらないまま社長が辞めれば一件落着で、三流マスコミがその組織のクビをとったみたいに騒ぎまくる。

だからワレワレの社会は世界でも珍しい、進歩しない社会といっていい。全体として了解済みの進歩以外は、進歩することが明確に否定されている。ホリエ社長のように、突き抜けて飛び出していくものの足をみんなで引っ張っていて、その間に韓国やインドやブラジルやアイルランドや、その他こんな国にも、って国にいろいろなことで抜かれていく。
あの戦争で死んでいった多くの兵士の犠牲の上に、20年前に世界のトップに立ったという栄光からいつまでも抜け出せないでいる。

ごま鯖丼

2007-02-09 08:34:03 | 料理
出張は一人に限る。食べたいもの食べられるし。
最悪なのは酒飲みと一緒のときで、ツマミと称してろくな物を食べずに、ただ飲まされるコト。いつメインディッシュが出てくるのかと思っていたら、お茶漬けとか、おにぎりとか、。

で、昨日、おとといと、福岡周辺でお仕事。一人で行ったわけではないが夜は自由行動ということに。若い人には若い人の時間の過ごし方があるから、オヂサンはオヂサンなりに。
西鉄天神駅の駅ビルの地下にある喜水丸さんで、コレ食べた。ごま鯖って食べ物も関東地方にはあまりないと思うのだが、博多では居酒屋の定番メニューで、鯖の刺身をごま醤油に漬けて食べるもの。はじめはなんでごまなんだろうと思うが、慣れるとなかなかうまい。

丼になったコレはネギ、シソ、レモンの香りがさわやかで、お店のきれいなオジョーさんに、100円プラスで大盛りはいかが、って言われて、思わず大盛り、食べてしまいマシタ。味噌汁と漬物がついて980円ナリ。かなり、満腹になった。
博多ではイカもうまいし、焼き鳥もうまいし、ほかにもたくさんうまいものがある。

第12レースが終わったあとの風景

2007-02-04 23:15:51 | 競馬
久しぶりに競馬。今日はニッポン晴れで暖かかったし、ディープの弟が出るということからか、朝から混んでいた。結果は10レース買って3勝。立派なもんだ。

で、今日得た教訓は、
①パドックは見てもほとんどわからないから見ないほうがいい。
②そのかわりラジオの解説を聞くといい。
③こんな季節でも日除けの帽子は必要。席取り用のなにかも。
④メインの第11レースに勝ったら、12レースはパスして帰る。

というわけで、気持ちよく帰ればよかったものを、、競馬の第12レースって、同じようなものが世の中にあると思って考えてみた。

最後に無理して食べて気持ち悪くなる中華料理のデザート、とか、試験の見直ししていて時間切れぎりぎりに答えを書き直して結局間違えた、とか、カノジョとの最初のデートの別れ際に押し倒そうとして殴られた、とか。要は、余計なこと、やらなきゃよかったってコトなんですが。

でも、そんなことには関係なく、西に傾いた太陽の光を受けて、正面の直線コースがやわらかく輝いていた。