老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

ネサット

2011-09-30 22:45:51 | ベトナム


台風17号がハノイ直撃ルートでコッチに向かっていて、ワタシは火曜日からホーチミン市にきていてきのうの夜に帰る予定が、仕事がのびたせいもあるがきょう帰ることに変更したのだが、台風がゆっくりなもんだからやっと今晩上陸するらしくて、そうすると今晩はもうアキラかに飛ばないと思ったので、イッキに来週火曜までコッチにいることに決めた。別に遊びじゃなくて、月、火にコッチでお座敷があるからなんだけど。

で、そのあとにもう次の台風が、ネクストバッターズサークルみたいに自分で丸を書いてフィリピンの横に座っていて、この17号の番が終わったら、いよいよジブンの番だ、みたいにして、出てくるのを待っている。予報によればソレが近づいて来るのは来週の火曜日で、というコトはまた帰れなくなる可能性があるというコトで、、ただどうしたもんか、と考えようとしたら、別に誰かがワタシの帰りを待ってるわけじゃないし、と思って、なんかビミョーにサビシイ思いがした。

ま、それだけ。あしたあさってはコッチでシューズ買って走ろうかな。ジツに健全なオヂサン。ソノ実態は・・・。
ネサットは台風17号のアジア名。ベトナム名は台風5号。どうでもいいコトだけど。

サイゴンの夜

2011-09-24 22:55:09 | ベトナム


このところの忙しさはも―、、なんというか、ナイアガラの滝に向かって小舟がだんだんスピードを増して進んでいくような、要は悲劇的な結論は見えてるのに、じわじわじわじわ落ち込んでいくような、、そういう雰囲気の中での忙しさで、今週は水曜に昼間っから大きなお座敷があって、ケッコウ飲まされて、キモチ悪くなっていたのに夕方にはホーチミン市に向かって出張。出張は来週も再来週も再々来週もある。週ナカは全部出張。

で、なかなか走れないのはソレばっかりじゃなくてひざがゲキ痛で痛いから。朝起きるのがつらいのはウツ病の全長、いや前兆かもね。
でも今日は1週間ぶりにタマオキ宏的に走った。朝起きたら涼しくて2キロくらい走っても汗が出なかった。ワリとゆっくりのペースで5キロくらい走って、コレはまだまだイケそうだと思っていたら急にバテた。6キロでおうちへ。
5月の下旬から走り始めて7、8月は80キロ走ったのに今月は60キロ止まり。でもまあ、オケツフリフリ体操とか見るだけでもキブンが晴れる、ってどんなキブンなんじゃ。

でもってそのあとは先週に続いて土曜出勤。ニッポンは今週2度目の3連休とか聞くとアホラしくなる。で、昼メシ食べに外に出たらナマ暖かくて、オジョーたちは今年最後の紫外線殺菌でいろんなところをセケンに露出していた。

写真はホーチミンで泊まったホテルのレストラン。ウェーターがどっかの大企業をリストラされたサラリーマン風のオッサン達でやたらチンタラしてたのを除けばいいホテルだった。たぶんニッポンのあのヒト達が古いホテルをデザインし直したモノ。で、ソノ昼間に同じヒト達がデザインしたホーチミンで一番高いホテルのレストランに若いスタッフを連れて行って昼メシをごちそうした。
というのも菅さんの評判聞くと、あまりおごったりしないみたいなことで、ソレが悪い評判になっていたりするのを見て、そんなことでヒトを悪く見るようなヒトがいるんだ、と思い始めたので。ワタシもあまりヒトにおごったりしないほうで、おごり返されたりされるのがめんどくさいし、ジブンがおごられても別にうれしくもないし。ま、形だけでも喜んでくれたので、何かあったらまたおごってあげよう。まあ、そのキッチンがおもしろいから見せてあげたかったわけ。

ベルディのレクイエム@ハノイ・オペラハウス 

2011-09-17 22:55:55 | アート
久しぶりのVNSO、ベトナム国立交響楽団。久しぶりにココロの中で早く終われ―って思いながら聴いた。
今回は初めていちばん安い、一番上のバルコニー席で見た。もしかしたら行けなくなるかもしれなかったのと、曲がどうかなーっていうキモチがあったのと、あと、アタマの中にイヤな状況が思い浮かんでいたから。そして実際、事前にこの曲には賛否両論があることは知っていて、それは芸術にとって一番の評価ではないかと思いながら、そしてどんなヘタな楽団がやっても感動的に終わる、なんて話も読んで行ったにもかかわらず、ワタシ的には賛否の否のほうに共感せざるを得ないモノだった。ジツに回りくどい書き方。

まあ、本当のところは曲も演奏もヨカったのかもしれない。みんな、ずいぶん長いこと拍手していたみたいだから。ワタシはさっさと出てきたからあのあとアンコールでもう一回始めからやったとか、バイオリンのAnhちゃんがソロで何か弾いたとか、どんなスペシャルサービスがあったのかは知らないが、ほかの人は満足していたんだろう。
やっぱりいちばん上の席で見ていたことが敗因かな。空調か何かの空気のマサツ音が最初から最後まで同じ音程で、バイオリンの高い音と同じような音で鳴り続けていたのと、あと、コレが最悪だったのだが、合唱の大部分はニッポン人在ベトナム婦人会みたいな団体で、その知り合いだか何だか、カイシャの上司の奥さんが出ていて、その部下の奥さんが付き合いで聴きに来ていたのかわからないけど、コレも最初から最後まで、ノベツマクナシ、写真を撮りまくっていて、何かニッポン社会のいやな部分を見せられたような感じがした。
安い席だったから周りはベトナム人で、コレも最初から最後までべらべらべらべらべらべらべらべらしゃべりっぱなしで、特に妊娠12カ月目くらいのオバはんが、腹の中の子どもに音楽を、しかもベルディのレクイエムを聞かせようとしているのかどうか知らないが、ひとりでぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつぶつ何か言っているのも気にはなったが、やっぱり遠くの高い席を独占していたニッポン人婦人会の存在がワタシをいらだたせたに違いない。

ま、早く外に出た分、タクシーをすぐにつかまえることができて、終わってから10分後には家の中にいて、ラーメン食べてシャワー浴びて寝た。

ハノイの夜

2011-09-14 23:21:26 | ベトナム



ハノイは今日も雨。朝は25℃まで下がってきた。小雨の中、走りに出たら、フリフリダンスのおばさんたちもしとしと濡れながら臀部を振っていた。毎日おやつに月餅食べてるから腹のまわりが出っ張り気味なのはワタシも同じ。4日も続けて休むわけにはいかないのだ。
先月の22日に7キロ走って、その後ホーチミンからフーコックに旅行したりして、戻ってからは5キロから再開したのだがひざの痛みが消えない。1回走ると3日は休まないととてもじゃないが走れない。ひざに力が入らない感じ。ただきょう走って、昼間ジブンでひざの裏を揉んでいたら痛みが取れそうな感じもしたので寝ながらひたすら揉む。で、あした走って金曜は朝5時45分に家を出てハイフォンまでシゴトで行く。泊ってきてもいいんだが夜にオペラハウスでヴェルディのレクイエムがあるので帰ってくる。そして土曜はシゴトで来週は半ばにまたサイゴンに行く。いそがしさがココロのキレそうなのをじゃましているようなところもある。

で、もうこのまま、あのギラギラした太陽が、来年3月まで戻ってこないかもしれないのかと、ナニごとも悲観的に考えるワタシはどこかへトンズラしたいキブン。南の熱いところに行ってしばらくアッチにいようかな、とか。なんかもう、どうにでもなれ的なキブンなのだ。

写真はハノイの夜の風景。イレズミの店とか、イカとか、サイケなホテルとか。ネバネバした腐敗臭とか、おネーさん方がうごめくワイザツさとかが闇に溶け込んでいる。

ハノイ名物火星人バー

2011-09-11 10:34:35 | ベトナム



きのうは晩ご飯に近所のローカルイタリアンに行ったら、店の顔馴染みのおジョーが注文を取る間もなく、アタシ妊娠したの、2カ月なの、来月田舎に帰るのよ、って言ってきて、もちろん身に覚えはないので血の気が引くようなことはなかったが、タモリ倶楽部のタモリのようにホロ苦いものが喉もとに上がってきて、ふーン、そりゃヨカッタ、としか言えなかった。
このコは、っていうか、コノ店のコはみんなローライズのジーンズをはいていて、いつも尻の渓谷に近い部分を惜しげもなくさらしているのでソレがひとつのそのー、まあなんというか、別にそのために行ってるわけじゃないけど、で、このコは英語が普通に通じるのでまあ顔馴染みになっていたわけで、、とはいえいきなりだったからやっぱりびっくりしたな。で、なんか少しうれしかったのもジジツ。だって注文も取る前から、アタシ妊娠しちゃったの、だもんね。もしかしてチチ親みたいに見られているとしたら、そりゃまたソレで困ったもんだけど。

ま、それはそれとして、写真は連日のハノイ名物。火星人のオンナの子たちがビールとか運んできてくれるバー。テラスからの眺めもいい。
火星人はニッポン語はわからないようだが、口をすぼめながら英語は流暢に話す。腰回りとか、カラダつきはかなりしっかりしているからベトナム人でないことはアキラカだ。愛想もいいし。化粧は厚いがスッピんでも十分イケそうな感じ。タマネギアタマは夜になるとぼんやりと光り出す。未確認だが金髪なのはアタマだけらしい。
火星人を監督しているのはピンクのぴちぴちパンタロンをはいたベトナム人である。アキラカにベトナム人。無愛想で客を監視しているような感じ。オトコも何人かいるが全部ベトナム人。英語は通じない。
いろいろ問題もあるが、ココもいるだけでそこそこキモチよくなる場所のひとつ。

菅さん

2011-09-09 21:28:58 | ヒト
菅さんが辞めるときに評価は歴史に任せると言ったのは、クソみたいなマスコミのお前らなんかに評価されたくない、というキモチだったからだろう。経団連のアホ会長とか、電力会社からの広告料を失いたくない寄生マスコミとか、さっそく野田サンを持ちあげてちやほやしているのは見ていてホントにキモチ悪い。
そんな中、情報に疎いコッチにもあの加藤典洋センセがマイニチ新聞に書いた記事のことが伝わってきた。さすがに加藤センセだ。コッチでは記事の中味を読むことはできないがだいたい想像がつく。「疑問だらけの菅降ろし」という文章の中には、たとえば「脱原発依存」を言いだしたときに、ソレを「延命策」だと言った、ヨミウリやサンケイなどの右翼マスコミの報道に対する違和感が書かれているらしい。マイニチはそれを、その頃の報道は後になってどう評価されるのか、ってまるで他人事のように書いているが、影響力が少ないから相手にされないだけだと思うんだけど。

ま、ソレはソレとして、いったいいつまで、あるいはニッポンは永久にこの不幸なマスコミから逃れられないのかと心配になってくる。たとえば今のニッポンで“死の街”とか言って、それが大問題になったり、原発から何キロ以内は今後何十年住めない、とか言うとそこの市長やら村長やらが怒ると、そんなことがその発言者の人格を疑うかのような書き方で寄生マスコミによる追放キャンペーンに発展する。
街が死んでいるように見える、というような言い方は日常的にごく普通の言い方だし、ましてや住民が避難して人っ子ひとりいなければ死んだも同然なのは誰が見たって明らかなのだ。ソレを見た通りに言ってはいけない、と、キモチを傷つける、と。そして市長やら村長が怒っている、と。なんかエライ幼稚な、ガキが何か悪いことをして、オマエのオヤヂがエライ怒っているぞ、と言って大騒ぎしているようなのと同じレベルのくだらん報道だ。
確かに傷つくヒトはいるだろう。ソレは仕方のないことだ。そうじゃなくて、傷つけるコトを言ってはいけないという、なにか思いやりジゴクというか、やさしさジゴクというか、そういう現実から逃避することが被災したヒトタチにとって一番いいことだと勝手に考える発想自体がワタシは間違っていると言いたいのだ。

菅さんが辞める前の日に福島に行ってソコの市長だか村長だかに直接説明した。ソレを報道が伝える通り、突然で失礼だ、みたいに相手が言ったとしたら、じゃあイッタイどういう伝え方が突然じゃなくて失礼じゃないのかと聞いてみたい。ワタシの想像では、実際はその市長さんか村長さんは、確かに多少の戸惑いは示したではあろうが怒ってはいないと思う。だいたいニンゲンはそんなことでいちいち怒らないはずなのだ。むしろカレ等のほうが現実を受け入れようとしてるんじゃないかと思う。ソレを寄生マスコミがニッポン中を思いやりジゴクの中に落とし込もうとしているのだ。寄生マスコミはそういうことを書いて、被災者ではない圧倒的大多数の読者の賛同を得て発行部数を伸ばし広告収入を上げようとしているのだ。結局はソレだけなのだ。

新聞はもはや過去のメディアだ。もう死んでいる。テレビはそれ以前に死んでいるけど。小さなコトバの使い方だけで大臣が辞めたりして、ソレでいったいジミン党とそれにツルんでいる財界とか官僚とか以外にだれが得をするのか。そんなくだらない報道はもういらないんだけど、でもソレを求めている、思いやりジゴク、やさしさジゴクに安住しているニッポン人もたくさんいるんだろうなとは思うわけで、やっぱりあきらめるしかない。いろんなことに。
ただ、アソコまで叩きに叩いても、最後、15%は支持していたというのは、ニッポンにもまともなコクミンが15%くらいはいるということで、多少の救いではある。

ハノイ名物ナママネキン

2011-09-07 22:18:35 | ベトナム


ハノイはまだまだ雨季が続いている。あけがたに走りに出ようかなーっと思っているとザーッと降りだしたりする。コッチは準備体操も終えて短パンに着替えたところだったりするので、いざぁっ、っていうときに、きょうはダメなのぉ、みたいに肩すかし食らわされるような、ナンとも言いようのないキモチになる。
でもって朝は湿度が高くてムシ暑い。体感的には控えめに言って30℃で95%くらい。10分も走るとTシャツが汗でびっしょりになる。アタマからも汗が滴り落ちて目に入る。ベトナム人は上半身ハダカで競歩している。もちろんオッサンである。オンナの人はパジャマを着ているかホットパンツにTシャツとかで、どちらも目のやり場に困ると言うほどではないが、ジロジロ見ているとコクスイ主義を刺激しかねないのでジシュクせざるを得ないようなモノである。

ホットパンツの50人くらいの集団が音楽に合わせて体操、というか、ダンスのようなことをしている。平均年齢は40歳くらいだから別にどうってコトないが一斉フリフリは見事である。横のベンチではばあさんが座の部分に手をついて腕立て伏せをしている。コレは見ものである。戦火をくぐりぬけて今70を超えて毎朝腕立て伏せに励む老女。そして道端には魚売りや野菜売りのオバはん達が天秤をかついで集まってくる。そうなるとガイジンのワタシは歩道を走れなくなるので車道に出る。向こうから60過ぎの、いつも会うオッサンが、これも上半身裸で走ってくる。すれちがいざまに、お互いきょうもシンキン梗塞にはなっていませんね、と確認し合う。ココチよい疲労がワタシの中に満たされていく。

ま、ソンナコンナできょうもイキテいる。写真は最近のハノイ名物No.1、生きたマネキン、ナママネキン。飾り窓のオンナ、といったら意味が若干異なるが、毎日夕方になると目をみはるばかりのイケイケおジョーがショウウィンドーに立つ。
ワタシが知ってるのは3人だが実際はもっといると思う。ニシナ明子風の控えめながら強い目線を放っているのが好みなのだがまだ写真には撮っていない。見つけても恥ずかしくて撮れない。ちなみに写真撮影は1回につき10万ドンである。お布施のようにしておジョーに渡すとそのやわらかい隆起のタニマにしまってくれる。運がいいとアタマをなでてくれる。途中からウソである。
場所はあまり教えたくないが、ハノイの旧市街の南の端、Hang Bong通りが西のほうでTran Thi通りにぶつかる少し手前。店の名前は“Catwalk”。ハッキリ言って最近のワタシのイキガイと言ってもいいくらいの場所である。



La Veranda & Chen Sea Resort in Phu Quoc

2011-09-05 21:51:39 | 旅行




久々の更新。朝のランニングの途中で倒れたワケじゃない。夏休みをからめてホーチミンにシゴトで行って、ついでに南の島のリゾートに雨を見に行ってきた。太陽が出たのが着いた日の夕方のほんの1時間くらいであとは豪雨。寒かった。ま、方角的に悪いんだろう。もう行かない。

リゾートでは天気以外にもひどい目にあった。おフランスの有名チェーン系の、島で一番いいと言われているホテルを予約して行ったんだが、通された部屋はこのホテルでいちばんひどいんじゃないかと思われる、陽が当たらなくてジメジメして薄暗い納屋のような部屋。ペンキでやたらサイケに塗ってなんとなくリゾート風に仕上げているが、わざわざこんな部屋に1泊200ドルも払って泊まりに来たわけじゃないので部屋を変えてもらおうと思ったら係のオンナが典型的なベトナム人で、ワタシには部屋を変えるギムはないしきょうはタマタマ満室だ、みたいな言い方するもんだからキャンセル料払ってほかに移るもんね、って言ったら、もう少しいい部屋があるのでそこに変えてあげようか、みたいな言い方してきて、アンタの態度が気に入らないからホテルを変えるんじゃって言ったら、ニッポン人を甘く見たのを後悔したらしく、キャンセル料はいりまセン、みたいにやっと客対ホテルの受付係という関係になって、シンセツにもライバルホテル系のタクシーを呼んでくれて、そのタクシーの運チャンおススメのホテルに移動したらソコはまあまあ良かったのだが、結局3日間雨だ。

ちなみにコレはジジツだから名前を上げておくと、ひどいほうのホテルはココで、まあまあヨカッタほうのホテルはタイ系のココ。Agodaの評価はアテにならないということの見本。絶対にウラがある。あんなのがFantasticなわけがない。フーコックに行くとしたら、納屋で寝るのが好きな人以外は絶対にアッチには泊るべきではないとワタシは断言する。