老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『2010億光年』byサスペンデッズ

2010-05-26 23:38:15 | 演劇
今回の最後の芝居。コレでまた当分見れない。うまいラーメンも、ソース焼きそばも、冷やし中華も当分食べれない。ちゃんとした天ぷら、ちゃんとしたウナ丼、ちゃんとしたモツ煮込み、それらも当分食べれない。。わざとら抜きで書いている。出かせぎサラリーマンの微かな抵抗。もうタダシイ日本語なんか忘れてやるーみたいなキモチ。やや意味不明。
で、コレは最後の芝居にしては若干スッキリしないモノが残ったがこういうのもありかなーという内容。話があちこち飛んで、それもどういう意味があるんだろうかというようなモノが突然はさみ込まれたり、一つ一つは何かを思わせぶろうとしているようにも思えたが、女優サンがキレイなヒトだったのも災いして話に集中できなかった。

時間的には若くてきれいなオンナのヒトが既に事故か何かで死んでいる場面から。そのオンナのヒトは親の遺産で小さな画廊かスタジオかをやっている。写真家の夫がいたが繊細な神経の持ち主で、その女のヒトが発した言葉がきっかけでジサツした。で、そこに妻との結婚生活に飽きた若いオトコがいて、そのオトコも写真家なのだがカタログ雑誌の写真か何かをとっていて今の生活に満足できない。
そこでオンナのヒトが生きている時間に戻る。オトコはそのオンナのヒトに魅かれている。妻とは違いジブンの写真を理解してくれるから。オトコはオンナのヒトに言われて空とかそのオンナのヒトのカラダとかの写真を撮る。それはそのオンナのヒトが死んだ夫に撮らせていた写真集の続きとしてだがオトコはそれを知らない。オンナのヒトが死んでから残されたモノを見てソレを知る。っていうか、オンナのヒトの亡霊が出てきてそういう話をする?? よくわからない。
オトコは妻と別れてそのオンナのヒトと一緒になりたいと思うがその矢先にオンナのヒトは死ぬ。で、何がきっかけで吹っ切れたのか、ソレもよくわからないがオトコは立ち直って週刊誌の女子高生写真の企画にのって全国を回る旅に出る。

そのへんの展開の意味が理解できなかったのだがもしかしたらそういう話の間に挟み込まれていた意味不明の場面がその意味するところだったのかもしれない。目の見えない女とSM写真家のカップルのところにオトコの妻が行って、こちらの期待に反して服は脱がず服の上からただ縛られるだけとか。オンナのヒトの画廊?スタジオ?で芝居の稽古をする売れない劇団と書けない作家兼演出家のリルケ?だか誰かの詩を使った芝居の中身とか。で、その劇団が月曜9時のテレビドラマに出れるかどうかで芝居の上演を遅らせるため交通事故で怪我をしたふりをしたりとか。で、しまいには白塗りで額縁をかぶって短い芝居をする。
なんでSM? なんで目が見えない?、なんでリルケ、なんで月9?、なんで白塗り、、あと何かあったっけ。作者の中では当然つながりがあるモノが見ていて理解できない。オトコの妻が言う。オンナにはある日突然ミニスカートがはけない時が来るって。その時が来たら言うからアタシを撮ってって。ソレ自体はオモシロイ。白塗り劇団も感動的ですらある。声を合わせて叫ぶリルケの詩も意味ありげだ。でも全体として理解できない。死んだ人のまわりを流れる時間みたいなコトがテーマなのかなー。わからないけど。早船サンの芝居はコレで3つ目だが3つとも過ぎ去った時間とヒトの中に残った記憶と、その記憶によってまたヒトの中で繰り返される時間と、それらの重なり合いみたいなコトがテーマのような気も。
説明的じゃないところと舞台が大げさに転換しないところはヨカッた。否定すべきものとはまったく思わない。

2010.5.24 東京芸術劇場小ホールにて。

『めぐるめく』byKAKUTA

2010-05-26 15:31:37 | 演劇
芝居3本目。今回見た中では一番ヨカった。家族がテーマ。桑原さんってヒトは見かけはアタシャ、一人で生きていけるわ的豪快さがあるのだが、この前NHKで見たのもそうだったけど家族の壊れやすいビミョーなつながりのようなもの、というか、家族の中の個人、みたいなコトに関心があるのだろう。もちろんソレは大きな問題だと思うが、誰もが多かれ少なかれ苦いモノを持っている部分であるのは間違いないから見る側はジブン自身の問題としてソレを見てしまう。だから難しいところでやってるなあ、という感じはする。見ていてときどき痛い。

全体に説明的な部分が少なく流れをつかむのに時間はかかったがそれはそれで受け入れやすい。その流れをつかんだところから始めると、4人か5人の姉妹がいてその中の長女が10年くらい前に交通事故で意識不明になってこん睡状態だったのがある日突然目が覚める。一緒に車に乗っていた夫は事故で死に、小さな息子は妹たちの間を転々としながら育てられ、すでに思春期の難しい年頃になっていた。
目が覚めた長女は夫の墓参りに行きたいという。妹たちはそれぞれの生活を送っていて長女の見舞いにもほとんど行っていなかった後ろめたさを感じながらその家族旅行に付いて行く。その中には長女が入院中にずっと世話をしていた介護師のオトコがいて長女のことを姉妹以上に心配している。で、あとでそれは、その長女夫婦の交通事故が、その男がジサツしようとして飛び出してきたのを無理によけたために起こったことがわかる。それで姉妹たちはその男を責めるが、その男もまたジブンもジブンが起こしたコトに苦しんで、失ったものを取り返すために介護を尽くしてきたと言う。このへんはかなりキワドイ展開。ありえねー、みたいな。

で、この旅行のあいだに自閉的だった息子が家出少女に出会ったりしながら心をひらいていく。姉妹の間をたらいまわしにされ、その間にそういう難しい環境の中でジブンを表現することをやめていたのが、生き返った母親とのつながりの中からジブンを取り戻していく。オンナの子と寝ようとしながらやめといたり、みんなの前でダンスをしたり、ジブンのやりたいことをジブンで決めていこうとし始める。
ところがところが、、その先に大きなコトが起きて。。

結論的には失われた時間を、それは長い間こん睡状態だった長女の時間でもあり、その周囲のヒト達の時間でもあるのだが、それを家族が旅行をすることで取り戻していく、そういう話と、過ぎ去った時間も記憶の中で何度でも繰り返すことができる、みたいな感覚。そういう話をこん睡状態のヒトが何十年振りかに目覚めるという非現実的なネタを使って作り上げる。「トーク・トゥ・ハー」ってペドロ・アルドモバルの映画を思い出したが、やっぱり芝居っていうのは作りモノの世界とはいえそういう非現実的な設定の中でリアルな話を展開させるっていうやりかたは相当テクニックがいるはずで、コノ芝居ではそれがうまくいっていたように思いまシタ。
全体の中でどういう意味があるのかよくわからない部分とか登場人物もあったが、それはそれで隠し味的に必要なのか、作る側にはもちろん意図するところがあったのだろうけど。

2010.5.23 世田谷パブリックシアター、シアタートラムにて。