老後の練習

しのび寄るコドクな老後。オヂサンのひとり遊び。

『Yamazaki Aged 12 Years』

2010-05-01 00:24:09 | 風景
ニッポンからのお客サンに先週いただきました。コレもまたニッポンからの出張者が置いていったAERAの広告を見たら税込7,350円って、免税店ではいくらだったのか。太っ腹なお客サンってステキ。
で、そのAERAを見ていたら、すごい申告、いや、深刻な記事が載っていて感じイッタ。4月19日号36~37ページ。編集部、木村恵子さんの記事。『際限なき時代に巣くう「心の過労」』

以下、要約。
じっくり、心を込めて仕事をすることが難しくなっている。効率的に、極限の仕事量をさばくことが日常となりつつある。・・誰も自分以外のことには関心がない。
「剥がしても剥がしても張りついてくる薄い寂しさのようなものを、私たちは今抱えている気がする」(一橋大教授・宮地尚子さん)
この言葉に、殺伐とした砂漠のような社会で働く、一人の労働者として心が激しく共振した、と木村さんは書く。
いま、労働者が直面する日常の救いようのなさは、寂しいという感情になってまとわりつく。
際限のない効率化、キリのなさ、終わりのない競争。確かなのは、そんなふうに働くことや生きることをだれも望んでいないということ。それなのに、殺伐とした日常に私たちはからめとられている。
そこから抜け出すにはどうしたらいいか。宮地さんは、「みんなが少しずつ降りることを実践すること」と言う。脳や心にもキリがあることを意識して、だれも万能ではないのだから、疲れたら少しでいいから肩から荷をおろすことが必要だと。
小さなことから始めること。メールを見ない時間を作ること。返信が遅れても気にしないこと。何もしない時間の豊かさを感じること。毎日を味わうこと。

この頃とにかくパワーが落ちた。20年前には来週ヨーロッパに行ってみようと思い立ったらすぐに航空券を買いに行って、出発して、空港のインフォメーションでホテルを予約して、大きな町では夜にオペラがあるとわかれば直接劇場に行って、安い立ち見の席を買って3時間でも立って観て、終わったら広場でソーセージをかじって、歩いてホテルまで帰って、翌日、列車に飛び乗って次の町に行って、駅のインフォメーションでホテルを予約して、、、みたいなことができたのに、きのうは晩ご飯を食べに出かけようと思ったら、なんとなく腹の調子が悪くなるような予感がして、服を着替えてアパートの鍵を持ってドアを開けようとするところで思いとどまって、結局部屋で簡単に済ませた。完全に疲れきっている。

ニッポンの、まさに砂漠のようなカイシャ社会から脱出して、コッチで生きている分にはキワメテ人間的な環境であるけれども、それでもやっぱりニッポンからのメールとかテレビ会議とか給料明細にはさみこまれた評価点とか、そんなものを見せられると傷跡をカッターナイフでなぞられるような感じがして、そんなときにこの記事を読んで、少しは楽になった。