波と狛のつれづれ日記

日本スピッツ波と狛と、ときどき箔

キャンプの前の朝定食と史跡めぐり

2024-04-06 01:14:49 | お出かけ

こんばんは、白黒茶々です。

今季最後のスキーから1週間後となる3月17日に、私にとってキャンプシーズンがやって来ました 手始めは近場でのソロキャンプなのですけど、いきなり車に道具を積んでキャンプ場に行くのもナンなので、そこまでの過程を楽しむ意味も含めて、私はその日は朝早くから活動しました。 そのようにして、最初に向かったところは………

豊橋市東小鷹にある、COFFEE SHOP 貴さんでした こちらでの目的は……… もちろんモーニング……… なのですけど、今回は最初から和食の朝定食を狙っていました。 実は1ヶ月半ほど前にも、私はこちらのお店を訪れていて、お得で内容が充実している朝定食を注文したのですけど、売り切れていて食べることはできませんでした。 その日は9時頃でダメだったので、今度はもっと早い7時半に来てみました。 ところが、その時間でもすでに完売していたのです。 そういえば、私の少し前にお店に入っていったカップルがすぐに出てきたので、彼らも朝定食が目当てだったのかも知れません。 私もお店の方に丁重に謝り、今回は何も食べずにお店をあとにしました。 5時からやっているので、今度は開店直後に入るようにします。
それでも、この日の私は朝は和食にこだわっていたので………

同じ豊橋市内でも、COFFEE SHOP 貴さんからはふた山ぐらい越えた雲谷にある、散歩道さんにやって来ました。 こちらのお店も、私にとっては今回が2度目となり………

8時の開店と同時に入ったら、私がこの日最初のお客となりました。 それでも、それからしばらくして常連と思われるおばちゃんたちが来て、店内は賑やかになりました。

注文するメニューはすでに決めてきました。 言うまでもないのですけど、朝定食です 実は、COFFEE SHOP 貴さんでありつけなかった場合も想定して、第2希望というか、次に食べられそうなお店をチェックしてあったのですよ。 朝に和食を食べられるお店は限られているので、貴重でもあります。 そうしているうちに………

待望の朝定食が運ばれてきましたよ 中身はお品書き(?)の通りで、サバの塩焼きをメインにして、のりごはんみそ汁が付いてきました。 ドリンク類は外されるのですけど、これほどの内容で580円なら頑張ったほうです。 ニッポンの朝ご飯でお腹も心も満たされた私は、再びを伴って浜名湖の北のほうに向かっていきました。 そして、東名高速道路の三ヶ日インターチェンジの北にある大谷という集落に行き着きました。 その街角には………

三ヶ日町立東小学校大谷分校がありました。 明治22年(1889年)に創立。 その後、東小学校の分校となったのですけど、昭和43年(1968年)に閉校してしまいました。 校舎だった建物は、公会堂として利用されたのですけど、平成22年(2010年)頃に解体され、その跡地は自治会の駐車場となっています。
廃校好きな(?)私は、そんな大谷分校に興味を持ち、学校の痕跡がなくても行ってみたくなりました。 しかし、Google Earthを見てもその案内は一切なかったので、古写真に写っているまわりの様子とストリートビューを見比べたりして、場所を特定する作業から手を付けていきました。 その結果………

大谷分校跡の駐車場が見つかりましたよ 古びたブロック塀の端に立つカーブミラーに、消えかかった横断歩道。 私たちにとっては初めてですけど、見覚えのある風景です。 やはり分校の跡を示す石碑や案内板などは設置されてないのですけど………

せっかくなので、その場所に到達したことを記念して、写真を撮っておきましょう 一見、何の変哲もない駐車場で「なんで犬の写真を?」と思われそうですけど、私たちにとっては深い意味があるのですよ。

さらに私たちは、大谷分校の校舎跡からは道路を隔てた反対側にある、現在は大谷公民館が建っている広場も見に行きました。 その北側には………

古くて立派な門柱が立っているのですよ ちなみにこの構造物は、私がストリートビューで調査していた際に見つけました。 これは、大谷分校のものでしょうか?こちらは分校のグラウンドか、敷地そのものだったのかも知れません。 また、こちらに現在の公民館が新築されたことで、公会堂として使われていた旧校舎とされる建物はその役割を終えたのですよね。 いずれにしても、このような形で廃校の歴史に触れることができてよかったです。


それから、今後大谷分校跡を訪れる人がいてもいいように、私はGoogle Earthにその場所を付け加えておきました。 遠かったりしてなかなか来られないような方は、地図旅行でお越しくださいませ 大谷地区での現地調査を終えた私たちは、そこからひと山越えて………

今度は、浜松市浜名区三ヶ日町の只木というところにやって来ました。 こちらの広場は見学者用の駐車場で、そこから歩いてすぐのところには………

「三ヶ日人骨出土の地」と刻まれた石碑があるのですよ 昭和34年(1959年)からおこなわれた調査では………

この近くの洪積世とされる地層から、人骨が発見されました。 「牛川人」と同じように、その当時は「三ヶ日原人発見 」ということで、この地域は大いに沸いたことと思われます。 その人骨が出てきたのは………

こちらの岩壁であります。 その所々に穴が開いていて、洞穴好きでもある私は中を覗いたり入り込んだりしてみたかったのですけど………

現在は崖が崩れる危険があるということで柵で塞がれていて、近付くことはできないようになっています。 一方、「三ヶ日原人」としてフィーバーを巻き起こした(?)人骨は、その後技術が向上した調査や分析の結果、縄文時代早期のものと判明しました。

実は、2月の初旬に私が「牛川原人」を探究するコースを設定した際に、こちらの只木遺跡にも寄る予定だったのですけど、父の突然の訃報によって中断したままとなっていました。 改めて訪れてみたら、発見の地は牛川とは違って静かなみかん畑の中にあったのですけど、ロマンを感じることはできました。 ブログの文字数が多くなったので、このあたりで一旦仕切りたいのですけど、まだキャンプの「キャ」の字にも至っていないような……… そ、それでも次回は少なくともキャンプ場で設営するところまではいけると思うので、懲りずにお付き合いくださいませ。


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