本日、友人のおばあさんの葬儀があった。享年94歳。大往生である。私が高校生の頃、遊びに行った時からばっちゃんと呼ばれていた方。家にはひ孫3人、孫夫婦、息子夫婦と8人家族であった。
家で行う葬儀もめずらしくなった。
縁側での受付、親族と近親者が家の座敷に座る。その他の方々は、外での参加となる。このような形式での葬儀は、いんでのおやびんさんちの葬儀以来かもしれない。
葬儀終了後、向かいの山際にある墓地に埋葬されるのだという。
現在の家は、数年前まで曲がり家だったもので、かつて馬2頭を飼っていた曲がり部分を解体して若夫婦の住まいとしたもの。主屋の大きな屋根の下には今でも茅葺が残っている。そして、この土塗り壁の建物は、曲がり家ができるまで住んでいた現在の物置小屋。故人が嫁いできた頃は、この建物を使っていたのかもしれない。
何代にもわたって受け継がれてきた庭木の松、イチイ。
もうすぐ、春が訪れようとしている。新しい枝が伸びている。
そう広くないこの地域には、曹洞宗曹源寺、曹洞宗慶雲寺、そして、真宗大谷派萬通寺、真宗大谷派萬福寺の4つの檀家の方々が混在となってくらしている。遠野在郷では、おおかた二つぐらいのお寺さんがあって、そのどちらかの檀家になっている場合が多いのだが。
当然、苗字や親戚関係によって分かれるのであるが、何となく、この地域へのそれぞれの先祖の定着の仕方に関わりがあるように思えてならない。江戸時代から、それほど戸数の増減のない地域でもある。
家で行う葬儀もめずらしくなった。
縁側での受付、親族と近親者が家の座敷に座る。その他の方々は、外での参加となる。このような形式での葬儀は、いんでのおやびんさんちの葬儀以来かもしれない。
葬儀終了後、向かいの山際にある墓地に埋葬されるのだという。
現在の家は、数年前まで曲がり家だったもので、かつて馬2頭を飼っていた曲がり部分を解体して若夫婦の住まいとしたもの。主屋の大きな屋根の下には今でも茅葺が残っている。そして、この土塗り壁の建物は、曲がり家ができるまで住んでいた現在の物置小屋。故人が嫁いできた頃は、この建物を使っていたのかもしれない。
何代にもわたって受け継がれてきた庭木の松、イチイ。
もうすぐ、春が訪れようとしている。新しい枝が伸びている。
そう広くないこの地域には、曹洞宗曹源寺、曹洞宗慶雲寺、そして、真宗大谷派萬通寺、真宗大谷派萬福寺の4つの檀家の方々が混在となってくらしている。遠野在郷では、おおかた二つぐらいのお寺さんがあって、そのどちらかの檀家になっている場合が多いのだが。
当然、苗字や親戚関係によって分かれるのであるが、何となく、この地域へのそれぞれの先祖の定着の仕方に関わりがあるように思えてならない。江戸時代から、それほど戸数の増減のない地域でもある。
仙人道路入口奥の墓地かと思いますが、違っていたらすみません。
いずれにても、逝く方々の多くに関る年代、自らも気をつけながら、仕事に趣味に頑張りましょう・・・。
ご推察のとおりの方です。墓地も「そのとおり!」
狭い地域に同姓の方々が寄り添っていながら、ひとつの苗字を探ると必ず二系統に分かれます。今回の同級生の家も同じ苗字なのに親戚関係にはない本家と言われる家が二つあります。また、松崎観音堂に奉納されている物に昆氏系○○とわざわざ系列を記した苗字があり、この昆氏を探ると平泉から気仙に分布しているのに、○○姓を探ると沿岸北部に見られ、南部家臣にもあり、興味が尽きません。
亡くなったおばあさんのお孫さん、最近、めっきり痩せてきたなあと危惧しております。
平野原・平倉では、昔ながらのお葬式・風習が残っております。
その本家や隣近所の長老が先立ちを担当したり、
女性陣が「したまわり」をする大変さも分かりますが、
後世に「結いの精神」は続けていくというか、残すべき心だなとつくづく感じるこの頃です。
めっきり、飲む機会も少なくなったと先日話しておりました。仕事以外は、子供のスポ少につきっきりの様子なので、逆に健康的な生活を送っているのかもしれませんね。どなたかと同じで奥さんも若いですし・・・これはあまり関係ないか?
このお宅の周辺には、友人やら知人やらが結構いるので、だいぶ覚えてきたつもりではいるのですが、やはり、地域性みたいなものを感じるときがあり、逆に興味を覚えてしまい、足繁く通うことになるのです。私にとっては不思議の里です。ニッ!