「遠野」なんだり・かんだり

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謎の建造物&沓掛観音

2007-07-02 19:33:31 | その他
 かねてより、話題となっている仙人の謎の建造物。山猫さんから発信され、numakoさんが現地に行った遺構がどうしても気になり、アンテナを高くしていたところ、とある本を目にした。


 昭和55年4月15日発行 釜石市文化財調査報告書第11集
 釜石市「歴史の道」調査報告第1号
 「仙人峠」 釜石市教育委員会

  ●沓掛(早瀬)観音●
 沓掛観音を奉祀していた沓掛岩窟は、仙人トンネル入口から、前を流れる早瀬川を北へ約百メートル遡ったところにある。もとの参道は北に向かって右側にあり、数個の鳥居があって、岩窟の前に橋がかけられてあり、その中間に不動尊が祀られてあったというが、今は鳥居一つが残っているだけで、他は跡形もなくなって、左側の川沿いの道が実質の参道となっている。
 この道路は、戦時中、沓掛岩窟の北側にある通称銭吹穴といわれている石灰岩崖の石灰石を採掘し、それを仙人峠駅までレールを敷設し、貨車(トロッコ)で運送するためにできた道路で、沢田タヨ氏も勤労動員で運送の仕事を働いたと話している。この道路の中間左手に道から五メートルばかりの高さのところに石垣を築いた火薬庫の跡があり、石灰石採掘用の火薬庫か、仙人トンネル採掘用のものか、それとも両者とも使用したものか不明である。現在、銭吹穴の大きな横穴には石灰岩を採掘した跡があり穴の奥に崖上まで縦に穴が通っているが、自然にできていたもののようである。採掘された石灰石は、仙人峠駅から鉄索によって大橋に運送されたという。

 上記の火薬庫の跡が、謎の建造物を指しているのではないかと考えるに至ったのだが、如何に?

  ●沓掛観音本題●
 沓掛洞窟の広さは約三十平方メートル、東北隅は三平米ぐらいの高台になっており、昭和41年の調査のときには、木造の小祠が建てられてあり、欅材の腐朽の甚だしい木像や部分が散乱していて、仏像の形態をとどめているのは一体だけで、それも顔形が見分けのつかぬ状態であった。そうして、傍らに紀年銘のない石像があったが、昭和51年の市内巡検予備調査にここを訪れたときには既に小祠、木像、石像はなく、手水鉢一つが残されているだけであった。これらの木・石像はどこかに移転奉祀されているのか、それとも破却されてしまったのであろうか。沓掛観音の奉祀管理者は沓掛氏本家(当主長右エ門=長四郎孫)であるというが、昭和54年12月20日の足ヶ瀬仙人堂調査の帰りの際、有料道路料金所付近に沓掛本家と小祠を確認したが、時間の関係から採訪の余裕がなかったので今後の採訪と調査を必要とする。 と続いて記されている。 この沓掛観音が、この社ではないだろうか。

 沓掛観音の縁日について、鈴木研吉氏の語るところでは、氏が大正12,3年頃仙人峠駅に勤務し、独身で沓掛氏の別家、徳之丞宅に下宿していたが、別家のおばあさん(徳之丞母)は気丈な人で、沓掛観音の御縁日前日には、祭具、供物を持たせられ準備をしもので、その時に言われたことは「この観音様は、昔、釜石のえらい殿様の奥方の奉納したもので、それで、釜石の尾崎神社と同じ日にお祭りをするのだ」といわれ、当日は沓掛洞窟の前で、東の方、釜石に向かって礼拝したものだという。釜石のえらい殿様とは閉伊頼基のことであり、奥方とはその夫人音羽姫をさしている。祭日は旧9月29日で、かつての尾崎神社の祭日であり、仙人峠仙人堂、中仙人山神社の御縁日も同月同日に行なわれた。(その後、新暦8月18日に変更)  この文に続きで、興味深い記述
 伊能嘉矩先生は沓掛岩窟の奥の方をさかんに発掘していた。その際、結果については何も話さないので不明である。と。伊能は何を調べていたのだろう?
もしかして、興光寺住職の贋金作りの痕跡でも探していたのだろうか?



 この資料の作者が移転先を探していた沓掛観音堂が、現在、足ケ瀬にあるこのお堂。



 この話は、現在の社を建てた上郷町の棟梁より聞きたり。


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17 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
火薬庫 (法螺爺)
2007-07-03 22:41:27
予想どうりです。建物の感じとその周囲の状況から
火薬の保管に使用されたのでは?という予想をしておりました。法螺爺も昔、仕事でこのての保管庫の某設備工事に従事したことがありますが、建物自体盗難や
災害等にビクともしない堅牢な作りと周囲に爆発による影響を考慮して土や岩石にて壁を築く構造でした。
遠野では某火薬店の火薬庫が浜峠にありましたが、現在は人里離れた山中にありますし、開発○社の火薬庫もかなり奥の山中にありますね~防犯対策もされておりますので侵入不可です。(笑)
Unknown (明治神宮)
2007-07-03 23:13:55
しかし次から次へと大作の情報で驚きます。明治神宮の家紋の情報分かったら教えてください。
続石! (yamaneko)
2007-07-03 23:50:05
笛の旦那の情報収集能力の高さには感服イタシマスル。
火薬庫でしたか~!
でも贋金を吹いていたハナシは興味深いです。
佐比内のニセ大迫銭は有名ですが、意外とみんなで贋金作りに励んでいたのすか?(爆)
おお! (numako)
2007-07-04 04:48:15
とうとう真相が!
トロッコも敷かれていた!
と言うことはですよ、入口脇のコンクリートの擁壁もそれ関係だった可能性が高いですねえ。
yamanekoさんも指摘していましたが、あの道はトンネル入口付近は急勾配ですが、コンクリートの擁壁の上部と繋げると丁度いい感じなのですよ。

文中には仙人トンネル採掘にも使われたか不明、とはありますが、
トンネルは釜石側から掘られていったらしいので、それは無い悪寒。
火薬庫 (笛吹童子)
2007-07-04 07:44:13
  法螺爺さん:
 この文章を見たときには、やった~!と感動しました。なかなか、エンントリーできず、いつにしようかと焦ってました。
家紋 (笛吹童子)
2007-07-04 07:46:09
  明治神宮さん:
 お宅の家紋は、家紋で探しても難しいようです。ところで、ご先祖は、どこから東京へ来た人なのでしょう?
地図 (笛吹童子)
2007-07-04 07:50:42
  numakoさん:
 この大正末期の地図も興味深いですよね。話には聞いていたものが、はっきりと掲載されており、色々と役に立ちそうです。
火薬庫 (romi)
2007-07-04 09:21:15
密かに仲間内で盛り上がっている場所。
謎の建造物!
誰かのエントリーで謎めいた刷り込みがあって皆妄想の世界に(え、俺だけ?)

虎猫どんが来社の際も話題にしておりましたぁー。
冷静に考えた想像と一致してよかった・・・ような。
ロマンがあ”あ”あ”ぁー


告知協力ありがとうございます。
お盆過ぎからは忙しくなりますので・・・あなたが頼りですよ~
*動画編集は難しくないかも・・・PCおんちの私でも(笑)
やったね! (一如)
2007-07-04 12:42:14
 ついに、ついにですねぇ。念ずれば通ずですねぇ(感動)

ワタクシはPOした写真を持って歩いておりました(笑)
目指す方とすれ違いましたが、あちら徒歩こちら車で「ぁああ」と離れてしまいました(シカタナイ)

 それと、伊能先生の奥地発掘は気になりますね。銭吹き穴の方でしょ?
超多忙 (笛吹童子)
2007-07-04 13:17:28
  romiさん:
 写真展の最後の時期が、ちょうど、某団体の県野球大会&懇親会in遠野と重なり、遠野まつりからの1週間は動けなくなりそうです。前半はなんとかしたいと思っています。

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