全く記録に残っていない大寺院跡です 撮影日;2009.9.23
奈良時代、都の大寺院と肩を並べていたと思われる
堂々とした七堂伽藍が立ち並んでいたことを示す礎石群が多数残ります
金堂は礎石の配置から唐招提寺の金堂並の規模を誇っていたようです
間口約24m、奥行き約13m、30数個の礎石が確認されています
大半が民家の庭先や畑で見ることができます
南へ40mほど下った場所には中門跡と思われる礎石が10数個点在
さらに10m下がった地点にも南門跡の礎石が並んでいます
塔跡の礎石は地中に埋まっているそうです
寺に関する文献は皆無です
寺の名称も分かりませんが毛原廃寺跡として国の史跡に指定されています
東大寺大仏殿建立のため施入された板蝿杣の境域内中心に位置したことから東大寺の杣支配所とも考えられています
板蝿杣(いたばえのそま)とは:木を植え育て木材を採る山のこと
地元では史跡保彰会などを作り顕彰しています
★所在地;山辺郡山添村毛原
★交通;近鉄名張駅より 毛原行きバスで毛原神社前下車 徒歩2分
★駐車場;有ります(構造改善センター前)
★入場料;タダです
地域住民の生活の場です、マナーを大切に
★問合せ;0743-85-0049(山添村教育委員会事務局)
毛原は笠間川を眼下に見下ろす緑豊かな山あいの小さな集落です
参考;毛原の里のページ
奈良時代、都の大寺院と肩を並べていたと思われる
堂々とした七堂伽藍が立ち並んでいたことを示す礎石群が多数残ります
金堂は礎石の配置から唐招提寺の金堂並の規模を誇っていたようです
間口約24m、奥行き約13m、30数個の礎石が確認されています
大半が民家の庭先や畑で見ることができます
南へ40mほど下った場所には中門跡と思われる礎石が10数個点在
さらに10m下がった地点にも南門跡の礎石が並んでいます
塔跡の礎石は地中に埋まっているそうです
寺に関する文献は皆無です
寺の名称も分かりませんが毛原廃寺跡として国の史跡に指定されています
東大寺大仏殿建立のため施入された板蝿杣の境域内中心に位置したことから東大寺の杣支配所とも考えられています
板蝿杣(いたばえのそま)とは:木を植え育て木材を採る山のこと
地元では史跡保彰会などを作り顕彰しています
★所在地;山辺郡山添村毛原
★交通;近鉄名張駅より 毛原行きバスで毛原神社前下車 徒歩2分
★駐車場;有ります(構造改善センター前)
★入場料;タダです
地域住民の生活の場です、マナーを大切に
★問合せ;0743-85-0049(山添村教育委員会事務局)
毛原は笠間川を眼下に見下ろす緑豊かな山あいの小さな集落です
参考;毛原の里のページ