明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


昨日、田村さんのお父さんの杖を借りたので、買い物に行くが激痛走る。ひどい炎症を起こしているような、脚に切り傷を負い、出血しているかのようである。痛みが多少楽になる姿勢というのが、その都度変わるのが厄介である。医者にも行けず。鎮痛剤を飲んで横になっている分にはなんとか。 その代わりとはとても言えないが、蘭渓道隆師、ほぼ完成といいながら数ヶ月。何か納得が出来ないままだった。こんな時必ず原因がある。眼球の位置が想定より前にあることにようやく気づく。陰影がないと、フラットなので、位置が合ってるように見えても、想像力てま穴埋めする必要がある。 浮世絵の役者絵美人画は、皆同じように見えていたのが、実は個性を描き分けていることが判るようになると、それを見分け、楽しんだ江戸庶民の文化度に感心した。あれが陰影削除に至る分岐点だった気がする。 次回展示、時期など未定だが、開催場所だけようやく決まる。

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坐骨神経痛真っ只中、田村写真の田村さんの車で代官山のTSUTAYAへ。十数年前、作品を見ていただいたサンディエゴ写真美術館、現名誉館長のデボラ・クロチコさんにお会いする。 日本人は出自不明な物に対し目に明かりが灯らないことがずっと身に染みて来た私が、アメリカ人の専門家に〝ユニーク“を連発いただいた嬉しさは未だに忘れられない。今回はその後に始めた手漉き和紙による陰影のない〝石塚式ピクトリアリズム“作品だけをお持ちした。 何が嬉しいといって、私が今のモチーフに至った、その変化を評価いただいたことである。人間変われるうちが華、毎日が人生上の最突端のつもりでやって来た。 一休禅師が〝門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし“と正月の京の街を、竹竿にシャレコウベを掲げ、家々を回った。そこにまとわりつく鴉。タイトル『初鴉』長辺1メートル超の作品が手荷物としてアメリカへ。

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