明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



HPの三島由紀夫へのオマ一ジュ『男の死』のペ一ジを作り替えている。画像も少し大きめにした。三島が様々なシチュ一エションで死んでいるという物で、私を止める人はすでにいなくなっていたが、久しぶりに知人にそれは止めておいた方が、と止められたテ一マであった。しかしすでに制作を進めていた私の耳にはそんな声は入らない。 先日のブログに集中して制作をしていると引きが強くなる話を書いたが。これが一番の出来事であった。『男の死』の個展会場をそろそろ決めなくては、と考えていた時、ある会場を紹介された。ビルの一室であるその会場は場所は良かったが受付などおらず、自分で鍵を閉めて帰るというような場所であった。それはさすがに、と思っていたが、ある日、三島が市ヶ谷に突入する時に持参し、介錯に用いられた名刀『関の孫六』を三島に譲ったのは、そのビルの先代の社長で、現社長は居合いをやっており、三島に“作法”を教授したと知った。三島が私を呼んでいる。ところが。何をしても良いが三島だけは止めて欲しいといわれた。当時刀を譲った人物としてインタビュ一を受け、残念だといったら三島先生に対して名誉ならともかく残念だとは何事か、等々。孫六のおかげで様々なことがあったらしい。

アートスケープ 展評『深川の人形作家 石塚公昭の世界』

HP



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