崔吉城との対話

日々考えていること、感じていることを書きます。

韓国人牧師の説教

2005年11月03日 06時12分43秒 | エッセイ
 最近韓国のキリスト教会が日本人を改宗伝道しようとする。韓国人の牧師の説教
を聴くことによって日本の教会は活気づくことが多いが、日本人の感情の持ち方を知らずに無理な説教も多い。つまり日本文化を知らず伝道しようとする牧師が多いということである。これは西洋の宣教師たちがその風土、風習を研究しながら伝導するのとは対照的であり、彼らに学ぶべきであろう。
 先週と先々週、韓国人牧師の説教を聴いた。ある牧師は「すべてのことに感謝しなさい」(エベソ5:18;デサロニケ前書5:18)という聖句をもって孤独になり、病気なったことにも感謝しなさいと解釈して説教をした。感動した信者が多かった。私は20才ごろ結核末期に聖書に勇気付けられたことがあった。当時、私は何故自分が病気になったのか運命を恨んだりし、感謝することはできなかった。説教を聴きながら、今考えると病気は私をずいぶん変えたことを深く考えた。
 またある牧師は大声で信者たちに「ハレルヤ、アーメン」を繰り返し強要して「犬の訓練」のように説教していた。ある人は「牧師は神聖霊に便乗して、さほど研究することもなく、準備した資料などを配布することもなく、ある意味で楽な職業だ」と言っていた。信者に従うことばかり要求できる仕事ではないかと思ったらしい。この言葉を聞いて韓国人の牧師がより誠意ある伝道活動をして欲しいと思った。