聞法1
2018年10月10日 | 禅
「聞法(もんぽう)」とは、師を訪ねて「法を問うこと」です。
趙州禅師は「何時何処で何をしていても道の真っ只中だ」ということは、
聞いて分かって居られたのでしょうけれども、本当にはお分かりになって
いなかったのです。
これは「参師聞法が出来ていなかった」ということです。
ですから、南泉禅師に尋ねられたのです。
「如何なるか是れ道」と。
是は当然のことです。
「聞法(もんぽう)」とは、師を訪ねて「法を問うこと」です。
趙州禅師は「何時何処で何をしていても道の真っ只中だ」ということは、
聞いて分かって居られたのでしょうけれども、本当にはお分かりになって
いなかったのです。
これは「参師聞法が出来ていなかった」ということです。
ですから、南泉禅師に尋ねられたのです。
「如何なるか是れ道」と。
是は当然のことです。