しかし、本来忘れなければならない「自己」はないのです。
忘れなければならない「自己」はなかったと気付くことが「悟り」なのです。
それが即ち「本来の自己に巡り逢うことが出来た」ということなのです。
間違えてはならないのは「仏道をならうというは自己をならうなり」というと、
今の自分を修行に因って軌道修正をするとか、路線変更をしなければならないと
理解しがちですが、そうではありません。
しかし、本来忘れなければならない「自己」はないのです。
忘れなければならない「自己」はなかったと気付くことが「悟り」なのです。
それが即ち「本来の自己に巡り逢うことが出来た」ということなのです。
間違えてはならないのは「仏道をならうというは自己をならうなり」というと、
今の自分を修行に因って軌道修正をするとか、路線変更をしなければならないと
理解しがちですが、そうではありません。