活かして生きる ~放禅寺の寺便り~

娑婆世界を生きる智慧/おシャカ様・禅・坐禅・法理・道のこと

仏の知見2

2019年07月31日 | おシャカ様

「此の物」の出来映えも、「六根」のどれを取ってみても結局固定した

もののない「無常」といわれる「無性」なるものが只活動しているだけ

なのです。


これが「仏法」の教えです。


「仏の知見」というのは、そういうようなことを体験せられた確実なる

「自覚」なのです。


仏の知見1

2019年07月30日 | おシャカ様

ここで「無」ということを、あらためて申し上げれば「無」というのは

「ない」ということではないのです。


本当に「自由」ということなのです。

絶対の自由性なのです。


その絶対の自由性を「無」といい「空」といったのです。


「眼」をご覧ください。

これは絶対の自由性です。


自分で使うのではないのに眼が開いている限り、どんなものでも向かえば

そういうふうに必ず活動します。


そして止む時がないのです。

「六官」という感覚器官全てがこういうふうに出来ているのです。


しかし、人間(にんげん)自体としては知(識)らないのです。

人間自体としては分からないのに(自分の考えとして分からないのに)どういう

訳か活動するように出来ているのです。


菩提心とは6

2019年07月29日 | 

「菩提心」が無ければたとえ、悟っても皆「うそ」になります。


有名な白隠禅師は、二十四歳の時に痛快に悟ったのですが、「菩提心」が

なかったから魔の悟りになってしまいました。


実に四十二歳の時までそのことに気が付かなかったのです。



後に「我魔道に陥れり」と懺悔(さんげ)しておられます。


白隠禅師の印可證明(いんかしょうみょう)を受けた弟子の東嶺(とうれい)

和尚は白隠禅師四十二歳までを因行格(いんぎょうかく)と、四十二歳後の

滅八十四歳を果行格(かぎょうかく)と、はっきり記しておられます。


菩提心とは5

2019年07月28日 | 

また「菩提心」とは、世界の人々と「道」を楽しむということです。


そこで「菩提心の要訣」は人々をして「菩提心」を起こさせることに務める

ことです。


救われる人より、救うべき人になるのです。


これを「自未得度先度他(じみとくど せんどた)」といいます。


つまり誰にもこの心を起こさせるのです。


先ず自ら「菩提心」を起こして、人にも起こさせるのです。

起こしなさいと標本を示すのです。


そうすると、とにかく、救いを以って自任する人と成るのです。


菩提心とは4

2019年07月27日 | 

おシャカ様の目から見れば「菩提心」は目の前で実行していることが見えるのです。


このことを信じられないということは、おシャカ様の多年の難行苦行に対して

申し訳ないことです。


何故そのことが解らないのかというと、「我」というものがあるからです。


元来「我」というものはないものです。


何故ならば「天地は一つのもの」だからです。

切っても切れない仲なのです。


皆、我です。

大きな我です。


菩提心とは3

2019年07月26日 | 

先般、「宇宙とは」で論及しましたが、「菩提心」とは、無上道を得て、

宇宙を救い尽くすということです。


「宇宙を救い尽くす」とは、天の天蓋(てんがい)までも救う心です。


本来、救われるように成っているのです。

現に救いつつあるのです。


そのことをおシャカ様は「天地と我と同根、万物と我と一体」といって

おられます。


これは不変の真理です。

また、「有情(うじょう)非情同時成道」ともいっておられます。


「成道」とは成仏ということです。

「成仏」とは救いということです。


これは救いつつあるということなのです。



菩提心とは2

2019年07月25日 | 

「禅」を修するには、先ず「菩提心」を起こさなければなりません。

「菩提心」が無ければ、「禅」を修しても駄目なのです。


今の参学の人には、「菩提心」の名前すら知らない人がいます。


「菩提心」の事を説いて聞かさない指導者が今時多いと思います。

「菩提心」のない指導者が「菩提心」を説いて聞かすことは出来るものではありません。



「菩提心」はこの私たち衆生の体に本来充ちているのです。


「菩提心」は生まれつきのもので、無くしようと思っても無くすることの

出来ないものです。


天性もって生まれたものです。


化城3

2019年07月24日 | 仏教

「そこ(化城)まで」行けば「仏道」「法」「修行」といわれるものも

不必要であったということに気が付く分けです。


ですから、「実相は無相なり」これを自分の求める目標としてよく定めて

いただかないと、迷いながら修行をしていることになります。


しっかり、「目標を設定して修行」して頂きたいと思います。


化城2

2019年07月23日 | 仏教

学問としては「一つの点を認めない」と研究になりません。

仏道の「空」「無」ということもそうです。


最初から「空」「無」ということがあったわけではありません。


私たち衆生に「法」というものを分かってもらいたいために「空」「無」

ということを立てて、「化城(けじょう)」という幻のお城をつくったのです。


「成る程、すべてのものは縁起によって生じているので、中心になるものは

何もないんだ」ということを、知っていただきたい為に立てられたのです。


成住壊空5

2019年07月22日 | 坐禅

「他に随い去る」というのは、親しさの極まり、距離がないことを言って

いるのです。


そして、みんなが他に随っていくことを「仏性」というのです。

「洗い落す」とは別の言葉で言えば「見性(けんしょう)」です。


「見性」というのは、自分の本質を見るということですが、そのためには

どうしても坐り尽くす坐禅が必要になってくるわけです。