おシャカ様はすべてが「空」に成られた様子を「因縁果」に因って詳しく説明しておられます。
「因縁果」の三つの中に「因縁果(因の中に因縁果、縁の中に因縁果、果の中に因縁果)が有(在)って止めどもなく続くというために、何処をとらえて因とか、縁とか、果とかいえるのか)ということをあえて説明をなさっているために、説明を捕らえて、あたかも因縁果という物が有(在)って私たち衆生の今の様子がそれに沿った状態に成っているようにしか考えられないのです。
ですから、私たち衆生はどうしても本来の今の様子、自分の本来の様子を見極める必要が有(在)るのです。
「私たち衆生は仏そのものである」のです。
しかし、如何しても「人から育て上げられた自分というもの」に因ってその事がそうだと頷くことが出来ないのです。
信じれば信じるほどもどかしさが出て来るものだと思います。
どうかすべての事に細かく「ひたすら(祇管、只管)」であって頂きたいのです。