何故始めは「妄想」が無いのかというと、「妄想」とは「妄(みだ)りに想う」ことです。
「今の事実(先般の車の音)」は一番最初に想うといっても、想う以前に
ちゃんと有(在)るのです。
ですから手を付ける必要がないではありませんか。
妄想は起きてはいないのです。
それを「何」と言うから、それで妄りに想いが起きるのです。
それだから何も心配はしなくてもいいのです。
最初は妄想や煩悩は起きないのです。始めからそういうふうに出来ているのです。
物心が付いた時点で「此の物」を私したの煩いして苦労しているだけなのです。
人間(にんげん)が知(識)らないうち(認識する以前に)「此の物」は有(在)る
のですから「此の物」を私することは有り得ないのです。
それ以外に有り様がないのです。