散 歩 B L O G

歩くことが唯一の趣味ですから。

安土

2012-05-26 | Weblog
レンタサイクルで回らないといけない。バスもなんにもないから……けどまあ自転車で走るのにちょうどいい
平らな町だ。琵琶湖のそばだし、安土城だって199mの小山の上なので登っても大したことない。織田信長が
ここに平山城をつくるまで、城といえば山の上にあるのが常識だったそうだが、普通じゃないことをやるのが
天才・織田信長。どっこいしょっと、駅前で借りたママチャリで城跡へ。


自転車借りると地図くれる

安土城は完成から3年で、織田信長が死ぬと焼けた。いまはお寺が山を管理していて、拝観料を払って登る。
石の階段を登っていくと、道の両側に家臣の屋敷の敷地がある。

 
左手に見えますのが豊臣秀吉、右手に見えますのが前田利家の屋敷の跡地

いまの住宅地みたいに宅地が整備されている。なんでこれが常識やぶりかっていうと、火縄銃の射程距離を
考慮に入れて、せせこましい山の上より広い敷地がとれる小山に城をつくって、高さより距離で守りを固めた
ところが天才の発想なんだって。そこが山城と平山城のちがい。


登り降りは不便だけど……

ふもとで生活して非常時だけ山頂にたてこもる山城とちがって、平山城の安土城ではみんなが生活していた。
「火縄銃に対しては、高さより距離が大事」と天才が気づいたから、そのあと秀吉や家康の時代にはみんなが
平地を堀で囲って平城をつくった。大阪城や江戸城、その他の名城のもとのヒラメキは信長のもの。


兄の信澄より、寵臣の森蘭丸をそばに住まわせた

天主閣も、信長のはキリスト教の影響で「天主閣」だし、その他の大名のは「天守閣」……イメージしてる
ものが違う。信長はみずから神として天主閣で寝起きしたというが、他の大名は天守閣よりも御殿で生活
するのが普通になった。神でもないのに、高いところで暮らす必要がないから。


二の丸の跡が信長の墓所になっている


地上6階、地下1階の7層の天主閣の跡には礎石だけ残っている。


わざわざ見物にくる人がそれなりにいる……


琵琶湖は干拓で遠くなったが昔は真下にあった

安土というのは「平安楽土」を意識した地名で、琵琶湖の西に平安京があるなら琵琶湖の東に安土城を
という発想で名づけたものだとか。山を下って自転車でちょっと行くと、天主閣の最上部を復元した展示が
「信長の館」で見られる。


金閣寺を超える建築! (本来この下に第1層から第4層がある)

 
全体像はこんな感じで、第3層まで吹き抜けになっている


吹き抜けの部分には神道の
社があり、信長の住まいは
その上に位置している。


仏が描かれ、柱には上り竜と下り竜が彫られている

孔子や老子も描かれている。神仏や儒教や道教を超えた存在として、天と交流する神が住む場所……それが
信長の安土城だったみたい。むちゃくちゃユニークで、他の城が抜け殻のよう。
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