![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/d3/a7a7b35ea8b85ac8f75dc18d3db92ef8.jpg)
レンタサイクルで回らないといけない。バスもなんにもないから……けどまあ自転車で走るのにちょうどいい
平らな町だ。琵琶湖のそばだし、安土城だって199mの小山の上なので登っても大したことない。織田信長が
ここに平山城をつくるまで、城といえば山の上にあるのが常識だったそうだが、普通じゃないことをやるのが
天才・織田信長。どっこいしょっと、駅前で借りたママチャリで城跡へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/eb/6a5206d54ba71b80c0fbc17db98a03ff.jpg)
自転車借りると地図くれる
安土城は完成から3年で、織田信長が死ぬと焼けた。いまはお寺が山を管理していて、拝観料を払って登る。
石の階段を登っていくと、道の両側に家臣の屋敷の敷地がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/ca/ce09dfee407e08bbeeec1bfabce93e25.jpg)
左手に見えますのが豊臣秀吉、右手に見えますのが前田利家の屋敷の跡地
いまの住宅地みたいに宅地が整備されている。なんでこれが常識やぶりかっていうと、火縄銃の射程距離を
考慮に入れて、せせこましい山の上より広い敷地がとれる小山に城をつくって、高さより距離で守りを固めた
ところが天才の発想なんだって。そこが山城と平山城のちがい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/f6/51f3d8cd1baa53ba8b38966895c85d88.jpg)
登り降りは不便だけど……
ふもとで生活して非常時だけ山頂にたてこもる山城とちがって、平山城の安土城ではみんなが生活していた。
「火縄銃に対しては、高さより距離が大事」と天才が気づいたから、そのあと秀吉や家康の時代にはみんなが
平地を堀で囲って平城をつくった。大阪城や江戸城、その他の名城のもとのヒラメキは信長のもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/1b/a07bd3a73fd1badd01ccaf222fe1ccd5.jpg)
兄の信澄より、寵臣の森蘭丸をそばに住まわせた
天主閣も、信長のはキリスト教の影響で「天主閣」だし、その他の大名のは「天守閣」……イメージしてる
ものが違う。信長はみずから神として天主閣で寝起きしたというが、他の大名は天守閣よりも御殿で生活
するのが普通になった。神でもないのに、高いところで暮らす必要がないから。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/ee/cc0e6410ac55afde7078d48703910a4c.jpg)
二の丸の跡が信長の墓所になっている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/28/2b6e40bf06f64e99a577589c065bdf68.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/6c/53a5f5c0a1666fa8644e40cf4ee97c84.jpg)
地上6階、地下1階の7層の天主閣の跡には礎石だけ残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/53/707a77ee642cdfefa010ec550d3f82ce.jpg)
わざわざ見物にくる人がそれなりにいる……
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/b8/ee18926fd9bf607a7417966e6c5e9630.jpg)
琵琶湖は干拓で遠くなったが昔は真下にあった
安土というのは「平安楽土」を意識した地名で、琵琶湖の西に平安京があるなら琵琶湖の東に安土城を!
という発想で名づけたものだとか。山を下って自転車でちょっと行くと、天主閣の最上部を復元した展示が
「信長の館」で見られる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/c3/7c9abe59828718aae1b0c2904a240db8.jpg)
金閣寺を超える建築! (本来この下に第1層から第4層がある)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/e4/a74cccfdc65587c3c0c925d1bb439dd3.jpg)
全体像はこんな感じで、第3層まで吹き抜けになっている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/ff/56a5e3015f3bb955e2c8a39cb463705b.jpg)
吹き抜けの部分には神道の
社があり、信長の住まいは
その上に位置している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/5f/fe017798338b5e1b41eae0feb43342ea.jpg)
仏が描かれ、柱には上り竜と下り竜が彫られている
孔子や老子も描かれている。神仏や儒教や道教を超えた存在として、天と交流する神が住む場所……それが
信長の安土城だったみたい。むちゃくちゃユニークで、他の城が抜け殻のよう。
平らな町だ。琵琶湖のそばだし、安土城だって199mの小山の上なので登っても大したことない。織田信長が
ここに平山城をつくるまで、城といえば山の上にあるのが常識だったそうだが、普通じゃないことをやるのが
天才・織田信長。どっこいしょっと、駅前で借りたママチャリで城跡へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/eb/6a5206d54ba71b80c0fbc17db98a03ff.jpg)
自転車借りると地図くれる
安土城は完成から3年で、織田信長が死ぬと焼けた。いまはお寺が山を管理していて、拝観料を払って登る。
石の階段を登っていくと、道の両側に家臣の屋敷の敷地がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/bd/98b0c0b5a0218656ed44d7f5fcf8fea0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/ca/ce09dfee407e08bbeeec1bfabce93e25.jpg)
左手に見えますのが豊臣秀吉、右手に見えますのが前田利家の屋敷の跡地
いまの住宅地みたいに宅地が整備されている。なんでこれが常識やぶりかっていうと、火縄銃の射程距離を
考慮に入れて、せせこましい山の上より広い敷地がとれる小山に城をつくって、高さより距離で守りを固めた
ところが天才の発想なんだって。そこが山城と平山城のちがい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/f6/51f3d8cd1baa53ba8b38966895c85d88.jpg)
登り降りは不便だけど……
ふもとで生活して非常時だけ山頂にたてこもる山城とちがって、平山城の安土城ではみんなが生活していた。
「火縄銃に対しては、高さより距離が大事」と天才が気づいたから、そのあと秀吉や家康の時代にはみんなが
平地を堀で囲って平城をつくった。大阪城や江戸城、その他の名城のもとのヒラメキは信長のもの。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/1b/a07bd3a73fd1badd01ccaf222fe1ccd5.jpg)
兄の信澄より、寵臣の森蘭丸をそばに住まわせた
天主閣も、信長のはキリスト教の影響で「天主閣」だし、その他の大名のは「天守閣」……イメージしてる
ものが違う。信長はみずから神として天主閣で寝起きしたというが、他の大名は天守閣よりも御殿で生活
するのが普通になった。神でもないのに、高いところで暮らす必要がないから。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/ee/cc0e6410ac55afde7078d48703910a4c.jpg)
二の丸の跡が信長の墓所になっている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/28/2b6e40bf06f64e99a577589c065bdf68.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/6c/53a5f5c0a1666fa8644e40cf4ee97c84.jpg)
地上6階、地下1階の7層の天主閣の跡には礎石だけ残っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/53/707a77ee642cdfefa010ec550d3f82ce.jpg)
わざわざ見物にくる人がそれなりにいる……
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/b8/ee18926fd9bf607a7417966e6c5e9630.jpg)
琵琶湖は干拓で遠くなったが昔は真下にあった
安土というのは「平安楽土」を意識した地名で、琵琶湖の西に平安京があるなら琵琶湖の東に安土城を!
という発想で名づけたものだとか。山を下って自転車でちょっと行くと、天主閣の最上部を復元した展示が
「信長の館」で見られる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/c3/7c9abe59828718aae1b0c2904a240db8.jpg)
金閣寺を超える建築! (本来この下に第1層から第4層がある)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/81/e6f918c0713d4ae06a1877723c88552e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/e4/a74cccfdc65587c3c0c925d1bb439dd3.jpg)
全体像はこんな感じで、第3層まで吹き抜けになっている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/ff/56a5e3015f3bb955e2c8a39cb463705b.jpg)
吹き抜けの部分には神道の
社があり、信長の住まいは
その上に位置している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/5f/fe017798338b5e1b41eae0feb43342ea.jpg)
仏が描かれ、柱には上り竜と下り竜が彫られている
孔子や老子も描かれている。神仏や儒教や道教を超えた存在として、天と交流する神が住む場所……それが
信長の安土城だったみたい。むちゃくちゃユニークで、他の城が抜け殻のよう。
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