Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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先ごろ亡くなられたイタリア出身のデザイナーのマルチェロ・ガンディーニ氏は、普段の足にスズキのワゴンRを愛用されていたという。
ランボルギーニのカウンタックやランチア・ストラトスなどをデザインされた方である。
機能的で美しいとワゴンRを絶賛されていたそうだ。

個人的に軽自動車は、ある意味、車の完成形なのではないかと思うことがある。
(ガンディーニ氏のワゴンRは欧州仕様の大き目のものだったそうだが)
いかにも日本的な箱庭的世界にまとめられているが、その「枠」の中で長年に渡り研究・開発繰り返して進化してきた。
日本人は一定の制限を設けて、その中でものを作ることに長けていると言われるが、軽自動車はその典型といえるだろう。
見方によっては、偏った発展の方向でもあるのだが、ここまで完成度が高まると、凄みを持つようになる。

アメリカなど海外でも、軽自動車のユーザーが投稿した動画を見ることがある。
日本から輸入された中古の軽トラックを愛用するユーザーが、これ1台あれば十分だと言って、自分の生活に自然に取り入れている。
移動したり、ものを運んだりという、車本来の機能で考えた場合、ひとつの究極の形と言えるのかもしれない。

実はもう数年前からなのだが、人と話していて、自動車イコール軽・・という場面に時折出くわす。
女性などは、最初から軽自動車以外の車に興味の無い人が多い。
そもそもそれ以外にどういう車があるのかも知らない。
軽自動車の大きさや性能が、日常の生活に完全にフィットしているのだ。

そのため、「高級車の乗り味のような柔らかい感触・・」とか、「排気量の大きい車のような余裕・・」という表現を使っても、相手に伝わらないことがある。
そういう世界が最初から生活の中に無いのだ。
ほんの数年前までは、車に例えるのが、もっとも分かりやすい比喩の方法であったのに・・・

自動車は本来移動のための道具なのだが、運転という行為自体を楽しむ方向に、過度に発展していった。
大きなサイズ、速度、より強大なパワーといった、過剰な性能を求めるようになり、それに応える形でメーカーも市場も大きくなっていった。
もちろん最初から贅沢な道具ではあったであろう。
それがやがて自分のクラスを示す象徴となり、虚栄心を満たすためのアイテムにもなっていった。

いまだに世界中で大きな車がもてはやされており、そこから抜け出せないでいる。
特に階級の存在する国では、そこから脱するのは至難の業であろう。
しかし今の日本の軽自動車は、それを打ち破る痛快な存在でもある。

軽自動車という枠自体は、戦後すぐの頃に制定されたものである。
しかしここまで性能が磨かれて洗練されてくると、時代の新しい流れを象徴するもの・・にもなり得る。
車を道具として見るならば、軽自動車の完成度は相当高いし、今後もさらに進化していくだろう。
社会にエコロジーの考えが広まり、今後ベーシックインカムの実施などで人々の生活形態が変わっていけば、その価値はさらに強化されていくのではないか。

いつか、車は軽自動車クラスのものしか作ってはいけない・・という法律が出来ても不思議ではない。
電気自動車以外の車を禁止する・・というのだから、そのくらいのことをしてもおかしくはないだろう。
というか、環境問題を考えるなら、大きい車も規制しなけらばならない。
ドーンとでかい車に乗ってご満悦・・なんてことをしていると、モラルに欠ける古い価値観の人・・と批判されるようになるだろう。
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