プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★過労死

2017-11-11 09:21:38 | 日記・エッセイ・コラム
 昨日、病院の待合室で、昔の同僚と30年ぶりに再会した。彼は、私より2つ年上で、20年前に過労が原因で心筋梗塞で倒れ、薬を手放せない生活を送っていた。

 「あの頃、過労死なんて言葉も知らんかった」と、彼は、はき捨てるように言った。「過労死の労災認定基準が80時間なら、二人共、とっくに死んでたね」と、私は相槌を打った。

 1970年代、私の残業時間は、月100時間超が常態で、サービス残業を加えると、120時間以上。春闘期間中、残業が禁止になっても、「一旦退社し、別のビルの一室集合」も珍しくなかった。

 「死ねば楽になるだろうな」と思ったことは何度もあるが、「死にたい」と思ったことは無かった。私に続く団塊の世代の人達も、程度の差こそあれ、会社に滅私奉公し、高度経済成長の礎石を築いた。

 世界屈指の経済大国になった現在、政府のポピュリズムばかりが目に付く。バラマキ行政をしておきながら、年金や医療費の財源ひっ迫の元凶は、「高齢者」と位置付ける風潮が腹立たしい。 

 好ましくないが、いじめやパワハラは、今も昔も変わらない。豊かさは、心地よいが、精神を軟弱にする副作用を伴うようだ。