プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★第32回イスタンブールマラソン大会(4/4):アフターレース

2010-10-30 09:31:11 | スポーツ

104 ゴール後、添乗員に完走報告を済ませ、記念写真を撮って貰った。そこへ、外人男性が近寄ってきて、「may I take your photo?」と言うので、添乗員と3人で求めに応じた。片言で、「日本人が大好きです」と言う彼は、イスタンブール在住のトルコ人だった。

 話し込むうちに、「家に食事に来ないか」と誘われたが、遠慮した。外交辞令にせよ、トルコ人に親日家が多いことを実感した。ホテルでの完走パーティが無ければと残念な気もしたが、ヨーロッパでよく耳にする「ニイハオ」と言われなかったことの方が嬉しかった。

 夜の完走パーティは、レースの反省や今後の予定等で大盛り上がりだった。ベスト記録を更新した人はいなかったが、全員、観光レースを満喫したようだった。

 さて、市民ランナーは、走るだけのエリートランナーと異なり多士済々だ。毎年、ボランティア活動の一環としてカンボジアのレースに遠征している人や、保養を兼ねて12月はホノルルと決めている人、或いは、全都道府県のレースを巡る人、更には、ウルトラとフルだけに拘る人もいた。

 いつも話題の中心にいたのは、岐阜県の登山が専門の家具職人さん。揖斐川マラソンを初回から連続出場していて、2年連続制限時間をオーバーするまで続けるつもりだとか。彼は、山岳マラソンのダボス大会で日本人男子1位になったのが自慢だった(42㎞の部:標高差1,900m)。 「日本人参加者は自分だけだった」との落ちまで付いて、全員大爆笑。

 もうそろそろフルマラソンを諦めようと思っていたが、同年代ランナーのひたむきな姿勢に刺激され、目標を高く持ち直したいと思い始めている。