電脳筆写『 心超臨界 』

天才とは忍耐するためのより卓越した才能に他ならない
( ルクレール・ビュフォン )

言論自由であるはずの日本で、目に見えない言論弾圧が行われている――渡部昇一教授

2011-09-25 | 04-歴史・文化・社会
連載第178回 歴史の教訓――渡部昇一・上智大学名誉教授
h『致知』2011年10月号、p116 )

  言論自由であるはずの日本で、目に見えない
  言論弾圧が行われていることを知らなければならない。

《マッカーサー証言を文科省検定は切った》

育鵬社(いくほうしゃ)の歴史教科書が横浜市教育委員会によって採択された。これで横浜市の中学校147校がこの教科書を使って歴史の勉強をすることになったわけである。少しずつでも正しい歴史を学ぶ生徒たちが増えることは、喜ばしいことである。

しかし、この育鵬社の歴史教科書では残念なことがある。

実は、私はこの教科書の監修者の一人なのである。監修者として大した貢献ができたわけではないが、この原稿が上がってきた時に、私は一つだけ注文をつけた。それは昭和26年5月3日、米上院軍事外交合同委員会でマッカーサーが行った証言を入れてほしい、ということである。教科書執筆者は私の注文を受け入れ、カコミでマッカーサーの証言を載せた。

ところが、である。文部科学省は検定で、このマッカーサー証言のカコミを削除してしまったのだ。なぜマッカーサー証言を教科書に載せてはいけないのか。

その問題に入る前に、本欄では、すでに何度か述べているが、改めてマッカーサー証言なるものを紹介しておこう。このことを繰り返し述べるのは、これが日本の現代史をどう見るか、史観の分水嶺となるものだと考えるからである。

《東京裁判史観から東條・マッカーサー史観へ》

日本を占領した連合国軍の最高司令官として君臨したダグラス・マッカーサー元帥は、朝鮮戦争に際し、背後の満州への攻撃を主張してトルーマン大統領の方針と対立、昭和26年4月、最高司令官を解任された。その直後の5月3日マッカーサーは米国議会で最も権威があるとされる上院の軍事外交合同委員会に召喚され、証言した。その中で問題の証言は出てきたのである。

ヒッケンルーバー上院議員の質問に答えて、マッカーサーはこう言ったのだ。

「Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security」

訳せば、「したがって、彼ら(日本および日本人)が戦争に入っていった目的は、主として安全保障のため余儀なくされたのです」となろうか。

証言の中のtherefore(したがって)は、この発言の前にマッカーサーが語ったことを受けている。それは概略、次のようなことである。

――米国は約8千万人の日本国民を4つの島に封じ込めた。理解しなければならないのは、日本人は労働の尊厳と称すべきものを発見しており、その労働力は質的にも量的にも大変優れており、どこにも劣らないということである。だが、日本には蚕(かいこ)以外にこれといった資源がなかった。多くの資源はアジア海域にある。この供給を絶たれれば1千万人から1千2百万人が失業する――マッカーサーはこのように述べ、だから、日本が戦争に入っていった主たる目的は、securityのためであった、と証言したのである。このsecurityは「安全保障」というより「生存」といったほうがより適切である、と私は思っている。

日本を占領したマッカーサーは、日本を侵略のために戦争をした悪の権化と思っていた。そして、東京裁判で日本を悪辣(あくらつ)な侵略国家として徹底的に糾弾(きゅうだん)させ、日本の骨抜きを図った。東京裁判はマッカーサーの対日観を如実に示す舞台装置だったと言っていい。そして、この舞台装置は成功した。日本人の多くは自国の歴史を恥じ、罪悪感にまみれて自分の国をとらえる心情と態度に染められた。この言葉は私がおそらく最初に使い、浸透させたという意味で、私が元祖と言ってもいいものだが、いわゆる東京裁判史観である。

ところが、東京裁判史観の発信源であるマッカーサーは、日本を占領統治する中で日本の実像を知り、考え方を変えていったのだ。それがthereforeの前提として語ったことなのである。そしてこれは、東京裁判で東條英機が宣誓口述書として述べたこととまったく同じなのだ。日本が戦争をしたのは侵略のためではなく、securityのためだった。東條英機とマッカーサーの一致したこの考えを、東京裁判史観に対して、私は東條・マッカーサー史観と呼びたい。

東京裁判史観が戦後の日本をいかにスポイルしてきたかは、本欄でもさまざまな角度から述べてきた。私は東京裁判史観を克服しなければ日本は駄目になる、と虚仮(こけ)の一心のように言い続けてきた、と言っていい。

東京裁判史観を乗り越える分水嶺となるのは、昭和26年の米上院におけるマッカーサーの証言である。分水嶺としてそびえ立つのは、東條・マッカーサー史観である。日本人はこの地点に立たなければならない。だからこそ、日本現代史でもっとも重要なマッカーサー証言を、「事実」として育鵬社の歴史教科書に載せることを進言したのである。

《日本現代史の分水嶺を越えるために》

だが、文科省は検定でこれを削除した。なぜか。

育鵬社以外の歴史教科書は、度合いの濃淡はあれ、ほとんどが東京裁判史観で書かれている。日本は悪者で日本の戦争は侵略だったと教えている。マッカーサー証言が載った教科書が出れば、他の教科書はどういうことになるのか。全部クズである。教科書会社と繋(つな)がる筋が、それは忍びないとマッカーサー証言を削除した、とは俗っぽくあるが、一つの推測である。

それにしても改めて感じるのは、高級官僚にしてジャーナリズムにしてもアカデミズムのかなりの部分にしても、日本は他国を侵略した悪い国だという立場に立ち、日本の悪口を言うことでそれぞれの立場や地位を築き、出世してきた人たちがほとんどだ、ということである。この手合いが溢(あふ)れているのだから、マッカーサー証言が表に出て知られるようになるのは具合が悪いのである。

それかあらぬか、マス媒体でマッカーサー証言を報じるのはオピニオン雑誌の一部だけである。マス媒体の中心である新聞やテレビがこれに触れることはまずない。全国紙から地方紙まで、新聞は全国に何紙あるのか知らないが、私が知る限りマッカーサー証言のことを載せたのは、まず『山形新聞』である。これはほかでもない、私が依頼された原稿でそのことを書いたからである。続いて、この記事を引用したり触れたりする形で、『佐賀新聞』、そして『土佐新聞』が書いた。私の知る限り、新聞がマッカーサー証言について報じたのはこれだけ。他紙は完全無視である。

テレビにいたっては、マッカーサー証言に触れたことは一局たりとも、一度たりともない。

そうさせない機関や勢力が新聞やテレビに入り込み、取り囲んでいるのである。

これを一気に突破する方法がある。それは首相が歴史教科書にマッカーサー証言を入れるように指示すればいいのである。レームダック状態(=辞任が決まっている議員などが、残りの任期に思いどおりの仕事ができない状態)も窮(きわ)まりない菅首相でも、首相でいる限りそれなりの権力を有している。首相が指示すれば一発で決まることだ。

そのためには、国民がそういう指示を出せる首相を選ばなければならない。マッカーサー証言を歴史教科書に入れることは、日本が東京裁判史観に決別し、分水嶺を越えて東條・マッカーサー史観に立ち、正常な国になっていく第一歩なので。これ抜きでは教育はまともにできない。その一歩を踏み出せるかどうか。これは次の選挙で国民に課せられた課題である。

なお、このマッカーサー証言についてさらに深く知り、考えを深めた人にお奨めしたい本がある。小堀桂一郎著『東京裁判 日本の弁明』(講談社学術文庫)がそれである。

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