電脳筆写『 心超臨界 』

今日あなたはあなた自身である
それは真実を超えた真実
あなた以上のあなた自身などいない
ドクター・スース

それ以上分けられない最終単位がindividual——河合隼雄

2025-03-21 | 03-自己・信念・努力
20年に及ぶブログ活動の集大成 → <a href=https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/3d8eb22fad45ce7b19d6a60e8a70b7e7" target="_blank">★仏様の指
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仏教における人間は、華厳の考えに従いますと、あくまで関係のなかに存在しており、それのみを取りだすときは「自性」はないのです。「自性」がないのになぜそれが個別性(eachness)を持ち得るかは、「性起」や「縁起」の考えによって説明しました。この考えに従って、ある人が自分の個別性を大切にしようとするならば、その人は「自立」などということを考える前に、他との関係の方に気を配ることになるでしょう。


◆それ以上分けられない最終単位がindividual

『ユング心理学と仏教』
( 河合隼雄、岩波書店 (1995/10/20)、p154 )

individualという言葉はdivide(分ける)という語の否定形で、「分けられない」ことを示しています。つまり、ものごとを分けられる限りは分けてゆき、それ以上分けられない最終単位がindividual(分けられないもの=個人)という考えです。つまり、この発想の根本に「分ける」ということがあります。ここで、先に述べた意識の水準のことを思い出していただきたいのです。つまり、ヨーロッパの近代では、ものごとを「分ける」意識を評価しそれを洗練させていったのに対し、仏教ではむしろ逆に、ものごとの区分を取り払う意識を洗練させる方向に努力をしてきました。したがって、人間の独自性を考えるときに、西洋における個性とは異なる考えが仏教においてはあるべきです。しかし、それはindividualityという単語では表せません。

西洋近代の個性は、まずegoを確立することが前提となります。他から自立し主体性と統一性とをそなえた存在としてのegoを青年期に確立する。おとなになるときとは、自分のアイデンティティが確立できたときである、と考えます。そのようにして確立されたegoは、自分の主体的判断と責任によって、その欲求に従いながら個性を伸ばしてゆく、ということになります。これに対してユングの個性化の過程(process of individuation)という考え方が生まれてきたことは、まったく画期的なことであるのは、皆さん御承知のとおりです。しかし、ユングにしても、最初に強いegoを確立することが、その前提条件であることを強調しています。したがって、欧米では子どものときから、自立したegoをつくりあげるように教育が行なわれます。

仏教における人間は、華厳の考えに従いますと、あくまで関係のなかに存在しており、それのみを取りだすときは「自性」はないのです。「自性」がないのになぜそれが個別性(eachness)を持ち得るかは、「性起」や「縁起」の考えによって説明しました。この考えに従って、ある人が自分の個別性を大切にしようとするならば、その人は「自立」などということを考える前に、他との関係の方に気を配ることになるでしょう。このような態度は個人主義の考えからは、極めて依存的とか、他人思考的とか批判されることになるでしょう。しかし、実際は、そのような関係そのものにこそ「個別性」が見出されると考えるのですから、発想がまったく逆であることに注意していただきたいのです。
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