電脳筆写『 心超臨界 』

勇気とは恐怖に抵抗してそれを支配することである
恐怖が消えるわけではない
( マーク・トウェイン )

それ以上分けられない最終単位がindividual——河合隼雄

2024-12-31 | 03-自己・信念・努力
20年に及ぶブログ活動の集大成 → ★仏様の指
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


仏教における人間は、華厳の考えに従いますと、あくまで関係のなかに存在しており、それのみを取りだすときは「自性」はないのです。「自性」がないのになぜそれが個別性(eachness)を持ち得るかは、「性起」や「縁起」の考えによって説明しました。この考えに従って、ある人が自分の個別性を大切にしようとするならば、その人は「自立」などということを考える前に、他との関係の方に気を配ることになるでしょう。


◆それ以上分けられない最終単位がindividual

『ユング心理学と仏教』
( 河合隼雄、岩波書店 (1995/10/20)、p154 )

individualという言葉はdivide(分ける)という語の否定形で、「分けられない」ことを示しています。つまり、ものごとを分けられる限りは分けてゆき、それ以上分けられない最終単位がindividual(分けられないもの=個人)という考えです。つまり、この発想の根本に「分ける」ということがあります。ここで、先に述べた意識の水準のことを思い出していただきたいのです。つまり、ヨーロッパの近代では、ものごとを「分ける」意識を評価しそれを洗練させていったのに対し、仏教ではむしろ逆に、ものごとの区分を取り払う意識を洗練させる方向に努力をしてきました。したがって、人間の独自性を考えるときに、西洋における個性とは異なる考えが仏教においてはあるべきです。しかし、それはindividualityという単語では表せません。

西洋近代の個性は、まずegoを確立することが前提となります。他から自立し主体性と統一性とをそなえた存在としてのegoを青年期に確立する。おとなになるときとは、自分のアイデンティティが確立できたときである、と考えます。そのようにして確立されたegoは、自分の主体的判断と責任によって、その欲求に従いながら個性を伸ばしてゆく、ということになります。これに対してユングの個性化の過程(process of individuation)という考え方が生まれてきたことは、まったく画期的なことであるのは、皆さん御承知のとおりです。しかし、ユングにしても、最初に強いegoを確立することが、その前提条件であることを強調しています。したがって、欧米では子どものときから、自立したegoをつくりあげるように教育が行なわれます。

仏教における人間は、華厳の考えに従いますと、あくまで関係のなかに存在しており、それのみを取りだすときは「自性」はないのです。「自性」がないのになぜそれが個別性(eachness)を持ち得るかは、「性起」や「縁起」の考えによって説明しました。この考えに従って、ある人が自分の個別性を大切にしようとするならば、その人は「自立」などということを考える前に、他との関係の方に気を配ることになるでしょう。このような態度は個人主義の考えからは、極めて依存的とか、他人思考的とか批判されることになるでしょう。しかし、実際は、そのような関係そのものにこそ「個別性」が見出されると考えるのですから、発想がまったく逆であることに注意していただきたいのです。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« あなたは囚人の拘束服を着て... | トップ | 東洋と西洋の橋渡しをするお... »
最新の画像もっと見る

03-自己・信念・努力」カテゴリの最新記事