電脳筆写『 心超臨界 』

歴史とは過去の出来事に対して
人々が合意すると決めた解釈のことである
( ナポレオン・ボナパルト )

ソニー伝説、共通するのは泥臭い粘りと執念――後藤康浩

2022-10-30 | 08-経済・企業・リーダーシップ
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き本来の日本を取り戻そう!
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《 注目の論点 》
世界大恐慌――渡部昇一
歴史修正主義――渡辺惣樹
治安維持法公布――渡部昇一
「海軍が善玉で、陸軍が悪玉だ」と思わされてきた日本人――馬淵睦夫
米「絶対的排日移民法」成立――渡部昇一
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ソニー商品に対する神話は今や色あせたが、メーカーとしてのソニーには今後も長く語り継がれる伝説がある。伝説に共通するのはスマートさではなく泥臭い粘りと執念だ。夢の商品づくりのために目先の利益度外視で突き進む経営陣と、あきらめない技術者、生産現場がかつてはあった。ソニーから粘りが消えたのはいつごろからか。収益性の低下した事業、競争優位のない事業を他社との協業に切り替え、もうからない工場を受託生産会社に売却した。見切りの早さは経営のスピードという良さでもあっただろうが、気がつけばソニー独自の技術、商品はもはや多くない。


◆ソニー伝説、共通するのは泥臭い粘りと執念

「ソニーが象徴 泥臭さの消失――製造業、『粘り』再興の時」
( 経営の視点、2005.03.21 日経新聞(朝刊))

ちょうど半世紀前の1955年、ソニーは世界初のトランジスタラジオ「TR-55」を発売した。

実用化されたばかりのトランジスタは生産の歩留まりが2、3割といわれ、世界の大手電機メーカーがラジオに使うのをためらった。ソニーはトランジスタを自作、良品だけを丹念に選びラジオを完成した。

昨年、発売から四半世紀を迎えたソニーのウォークマン。携帯型音響機器という新ジャンルの製品は世界に衝撃を与え、音楽を聴く行為そのものを変えた。商品化は開発部隊と生産現場が極限まで挑戦した高密度実装技術で実現した。

ソニー商品に対する神話は今や色あせたが、メーカーとしてのソニーには今後も長く語り継がれる伝説がある。伝説に共通するのはスマートさではなく泥臭い粘りと執念だ。夢の商品づくりのために目先の利益度外視で突き進む経営陣と、あきらめない技術者、生産現場がかつてはあった。

ソニーから粘りが消えたのはいつごろからか。収益性の低下した事業、競争優位のない事業を他社との協業に切り替え、もうからない工場を受託生産会社に売却した。見切りの早さは経営のスピードという良さでもあっただろうが、気がつけばソニー独自の技術、商品はもはや多くない。

携帯電話はスウェーデンのエリクソン、液晶テレビは韓国サムソン、システムLSI(大規模集積回路)は東芝やIBMとの共同事業となった。

世界初、世界トップも減った。液晶はシャープ、DVD(デジタル多用途ディスク)レコーダーは松下電器産業の後じんを拝す。ソニーが開拓した携帯音響機器はハードディスクを記録媒体に使い、ネットと融合するアイデアで米アップルコンピュータに出し抜かれた。トリニトロン方式で得意のはずのブラウン管テレビも厚さ39㌢の薄型をサムスンに開発された。

バブル崩壊後の低迷の中、日本の製造業は「選択と集中」を掲げ、事業売却や他社との統合、協業を模索した。広げすぎた事業分野を整理し、限られた経営資源を最も可能性の高い分野に集中するのは当然、やるべき改革だった。

だが、何が自社のコア(中核)事業であり、集中すべき分野かを意識していなければ意味はない。自社が執着すべきコア事業を見失えば、「選択と撤退」だけの退行現象に陥りかねない。結果的に90年代半ば以降のソニーの経営はゲーム機と映画、音楽に活路を求め、エレクトロニクス製品で世界の強豪と正面からの競争を避けた感がある。

過当競争は消耗戦につながりかねないが、各社が粘りを発揮することで日本勢だけが世界の中でとんでもない高みに至るケースが少なくない。戦後日本の製造業は競争で簡単にはあきらめないことで技術を上げ、コストを下げてきた。

「選択と集中」が日本の経営から粘りを奪ったとすれば、見直しの時期がきている。エレクトロニクス、自動車など多くの産業は高度なデバイスを内製化、自社内で技術統合度を高めることで、製品のコモディティー化を避ける局面に入ってきた。技術開発への執着が必要だ。日本らしい粘りの経営を再興する必要がある。

(編集委員 後藤康浩)
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