電脳筆写『 心超臨界 』

今日あなたはあなた自身である
それは真実を超えた真実
あなた以上にあなた自身である者などいない
ドクター・スース

般若心経 《 白隠がさとりを開いた瞬間――松原泰道 》

2024-06-05 | 03-自己・信念・努力
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ある日、白隠は飯山の城下へ托鉢(たくはつ)(修行の一つ、一般から食を乞(こ)うこと)に出かけて、ある老婆の家の前に立ちます。老婆は彼に「おことわり!」と、大声で拒絶するのです。白隠は、師から与えられた公案(こうあん)で頭の中が一杯で、婆さんの声が耳に入りません。なお立ちつづけています。それを見た、かの老婆は怒って、傍(かたわ)らにあった竹ぼうきで力まかせに白隠をたたきつけます。その瞬間、それが縁になって、白隠は、自分の目の前が、ぱあっと明るくなりました。今まで正受から与えられていた宿題の公案が、春の雪のように一時に解(と)けたのです。


『わたしの般若心経』
( 松原泰道、祥伝社 (1991/07)、p125 )
4章 空(くう)のこころ――かかわり合い、持たれ合いの真実
行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄
(1) 知恵から智慧へ
行深般若波羅蜜多時

◆白隠(はくいん)がさとりを開いた瞬間

白隠(はくいん)(1685-1768年)は江戸中期の禅の高僧で、今日では“世界の禅者”として知られていますが、若いときは自分の深い学識と修行を鼻にかけた、いわゆる自信過剰の人間でした。慢心は進歩を止めるだけでなく、退歩につながります。

さいわいにも白隠には、宗格(そうかく)というよい先輩がいました。宗格は白隠の将来を案じ、信州飯山(いいやま)の山中に閑居している正受(しょうじゅ)老人(慧端(えたん)、1721年没)という隠れた禅者に彼を会わせます。正受は無難(ぶなん)禅師について禅の真髄を体得した人だけに、白隠を情容赦(なさけようしゃ)もなく締めつけるのです。さすがの白隠も、実力が違うだけに刃向(はむ)かえません。

正受は、白隠を将来性のある青年修行者と見こんだので、彼を大成させるためには、彼がそれまでに得た分別知を取り上げて、頭の中を空(から)っぽにさせるのが先決だと考えました。そこで正受は明けても暮れても白隠を“たわけ者(おろか者)”とののしり、あげくの果ては、打ったり蹴ったりして分別知を奪おうとします。

白隠も、はじめは「侮辱(ぶじょく)」だと憤慨もしましたが、正受の愛情がだんだんとわかってくると「ここが辛抱だ」と思い、歯をくいしばって耐えるのです。「今日という日は二度とない。いま努力しなかったら、いつの日にかこの機会があるか?」と、泣きながら修行をつづけるのです。

ある日、白隠は飯山の城下へ托鉢(たくはつ)(修行の一つ、一般から食を乞(こ)うこと)に出かけて、ある老婆の家の前に立ちます。老婆は彼に「おことわり!」と、大声で拒絶するのです。

白隠は、師から与えられた公案(こうあん)で頭の中が一杯で、婆さんの声が耳に入りません。なお立ちつづけています。それを見た、かの老婆は怒って、傍(かたわ)らにあった竹ぼうきで力まかせに白隠をたたきつけます。

その瞬間、それが縁になって、白隠は、自分の目の前が、ぱあっと明るくなりました。今まで正受から与えられていた宿題の公案が、春の雪のように一時に解(と)けたのです。ということは、それまで彼を縛りつけていた分別知が空(くう)になったということです。

「ここだ!」と叫んだ彼は、なぐられた痛みも忘れて、正受の所へころがるようにして駆け戻って来ました。その足音を聞いた正受は、白隠が庵(いおり)の敷居をまたぐか、またがぬうちに「やったな!」と、ようやく彼の努力の一端を認めました。

その夜、白隠は、4年前に死別した母が泣いて喜ぶ夢を見たといいます。それにはわけがあるのです。白隠は幼少のときから、きわめて神経質な性格の持主でした。彼は子どものとき、説教で聞いた地獄の恐ろしさを母に告げて泣いたことがあります。「地獄とは何か、地獄の恐ろしさは、どうしたら解決できるのか?」という素朴なテーマが、青年になった今も修行中の彼の頭の中をかすめるのです。

白隠は、この問題を自問して、いつのころからか「自分の欲望から解放され、心の自由さえ得られるなら、たとい地獄があっても怖くない。地獄図絵は、そのまま時々刻々の自分の心の景色である」と自答してきました。

しかしそれは観念的な理解で、極楽と地獄と分別する分別知です。この程度の理解では、また何かのときに行きづまるでしょう。なんとしても、身体で消化しなければなりません。

白隠は、正受から自分の既得の分別知や小さな体験をすべて奪い取られて、身心ともに真空状態になりました。そこを老婆に竹ぼうきでたたかれたのが縁となって、分別知ではない、かつて体験したこともない新鮮な理解が、白隠の中に流れこんだのです。般若の智慧とは、こうした性格のものです。
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