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『これからすごいことになる日本経済』http://tinyurl.com/dy4kabc
【 渡邉哲也、徳間書店 (2013/1/18)、p57 】
◎金融による植民地支配という構造変化
近年のユーロ危機でいちばん問題となっているのが、ヨーロッパの金融問題である。ユーロ圏のなかで財政破綻の危機にあるポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペインは、その頭文字をとってPIIGSとも呼ばれるが、これらの国々に資金を投資していたのが、ドイツやフランスの銀行だった。
では、そうしたヨーロッパの銀行というのはどういうものなのだろうか? あまり知られていないが、実はその多くは昔の植民地銀行の名残であり、東インド会社のように植民地につくった会社の末裔(まつえい)であることが多い。
ヨーロッパというのは、かつて世界中に植民地を持っていた。大英帝国もあったし、それ以前ではスペインやポルトガルなどのヨーロッパ列強が世界中に植民地を持っており、その植民地を支配していたのが、アジアでは東インド会社のような会社である。
そういった会社が世界中にそれぞれ支店を持っていて、それが時代の変遷とともに金融機関の名前に形を変えたのだ。
かつて、植民地支配の構造というのは農産物などの一次産品を中心としたものだった。香辛料貿易や紅茶貿易をはじめとして、低賃金の労働力を使うことで植民地で安い物をつくらせて、それを自国に持ってくる。
当然、自国民はそれらの安い食品を買うことができるようになり、それによって豊かになるというわけだ。これが、かつての植民地支配の構造であった。
しかし、世界経済の主力が農業から工業へと移り変わっていくにつれて、植民地支配の構造も変わってくる。
第一世界大戦前からの流れを見るとわかりやすいのだが、イギリスで産業革命が起こり、世界でもっとも大きい産業はそれまでの農業・漁業といった第一次産業から第二次産業、第三次産業へと広がっていった。そして、そのなかでも工業の意味合いが非常に大きくなってきたという流れがある。
そこで、その工業を植民地支配に活かすにはどうしたらいいかと考えたとき、金融による支配というのが正解になった。新興国に技術供与とともに資本を投下して会社をつくり、安価な労働力で工業製品をつくらせる。そして、その製品を自国や他国へ送るという流れだ。
そうすると、まず配当で儲けることができるようになる。一時、日本企業にも来ていた「ハゲタカファンド」や「物言う株主」などというのはその典型だ。株主として企業の中に入っていって、内部留保を認めず、企業の利益をほとんど吐き出させてしまう。あれこそ、金融による支配構造の典型的な姿といえるだろう。
また、新興国にはそもそも資本がないので、どこかからお金を借りてこなくてはならない。そこで、高い金利でお金を貸してその金利で儲けて、さらに配当で儲けるということをするようになった。
つまり、これは二重に金儲けができる構造になっているのだ。
そうなると、新興国側はどんなに低賃金でいい物をつくろうと、その利益のほとんどは先進国に吸い取られていき、国内には利益は残らないという構図になる。
これが、金融による植民地支配構造の実態なのだ。
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【 渡邉哲也、徳間書店 (2013/1/18)、p57 】
◎金融による植民地支配という構造変化
近年のユーロ危機でいちばん問題となっているのが、ヨーロッパの金融問題である。ユーロ圏のなかで財政破綻の危機にあるポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペインは、その頭文字をとってPIIGSとも呼ばれるが、これらの国々に資金を投資していたのが、ドイツやフランスの銀行だった。
では、そうしたヨーロッパの銀行というのはどういうものなのだろうか? あまり知られていないが、実はその多くは昔の植民地銀行の名残であり、東インド会社のように植民地につくった会社の末裔(まつえい)であることが多い。
ヨーロッパというのは、かつて世界中に植民地を持っていた。大英帝国もあったし、それ以前ではスペインやポルトガルなどのヨーロッパ列強が世界中に植民地を持っており、その植民地を支配していたのが、アジアでは東インド会社のような会社である。
そういった会社が世界中にそれぞれ支店を持っていて、それが時代の変遷とともに金融機関の名前に形を変えたのだ。
かつて、植民地支配の構造というのは農産物などの一次産品を中心としたものだった。香辛料貿易や紅茶貿易をはじめとして、低賃金の労働力を使うことで植民地で安い物をつくらせて、それを自国に持ってくる。
当然、自国民はそれらの安い食品を買うことができるようになり、それによって豊かになるというわけだ。これが、かつての植民地支配の構造であった。
しかし、世界経済の主力が農業から工業へと移り変わっていくにつれて、植民地支配の構造も変わってくる。
第一世界大戦前からの流れを見るとわかりやすいのだが、イギリスで産業革命が起こり、世界でもっとも大きい産業はそれまでの農業・漁業といった第一次産業から第二次産業、第三次産業へと広がっていった。そして、そのなかでも工業の意味合いが非常に大きくなってきたという流れがある。
そこで、その工業を植民地支配に活かすにはどうしたらいいかと考えたとき、金融による支配というのが正解になった。新興国に技術供与とともに資本を投下して会社をつくり、安価な労働力で工業製品をつくらせる。そして、その製品を自国や他国へ送るという流れだ。
そうすると、まず配当で儲けることができるようになる。一時、日本企業にも来ていた「ハゲタカファンド」や「物言う株主」などというのはその典型だ。株主として企業の中に入っていって、内部留保を認めず、企業の利益をほとんど吐き出させてしまう。あれこそ、金融による支配構造の典型的な姿といえるだろう。
また、新興国にはそもそも資本がないので、どこかからお金を借りてこなくてはならない。そこで、高い金利でお金を貸してその金利で儲けて、さらに配当で儲けるということをするようになった。
つまり、これは二重に金儲けができる構造になっているのだ。
そうなると、新興国側はどんなに低賃金でいい物をつくろうと、その利益のほとんどは先進国に吸い取られていき、国内には利益は残らないという構図になる。
これが、金融による植民地支配構造の実態なのだ。
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