電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び、次世代へつなぎたいと願っております。
20年間に及び役立つと思われる記事をブログに筆写(入力)してきました。
収録した記事は約9000件に及び今や本ブログは私の「人生ノート」になりました。
現在その「人生ノート」を少しずつ反芻学習することを日課にしています。
私の生涯学習の完成形が実現したと思っています。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き本来の日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
( 東京裁判史観とは → https://tinyurl.com/ugz9qah )
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超拡散:■『YouTube削除動画完全復活:虚偽通報した犯人は地獄に落ちる』
超拡散:■『何故「反日マスメディア」と「なりすまし(ビジネス)保守」が小池都知事を「親の仇」のように徹底的に批判するのかには訳がある』
緊急拡散:■第9弾『三浦春馬・芦名星・竹内結子連続不審死事件再捜査を要請する「ひと言文例集」』
緊急拡散:■『中国の春節期間中は日本の税金で治療してもらいますので、日本の皆さん病気・負傷者さんは病床をガマンしてください!』
緊急拡散宜しく:★『検証東京五輪「日本国お葬式」と「朝鮮半島伝統舞踊」』
超拡散宜しく:★『「特段の事情」をデマと垂れ流したチャンネル桜は「外国航空クルー」がほとんどで問題無いとコロナ禍最大のデマをタレ流していた』
超拡散宜しく:★『「東京裁判」の自虐史観を粉砕し日本再興の狼煙を上げる秋がきた』
拡散希望:★『安倍晋三「動画11本」』
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(2006年2月26日投稿)
◎あとは禅の教えに譲らねばならぬ――新渡戸稲造
新渡戸稲造著「武士道」のなかに、禅に関する次のような記述が登場します。
◆ある一流の剣術の師匠(柳生宗矩)は、一人の弟子が自分の極意を習い覚えてしまったのを見るや「私の指南はこれまで。あとは禅の教えに譲らねばならぬ」といった。
◆禅は「沈思黙考により、言語表現の範囲をこえた思考の領域へ到達しようとする人間の探求心を意味する」のだ。その方法は黙想であり、私が理解している限りにおいて、そのめざすところは森羅万象の背後に横たわっている原理であり、でき得れば「絶対」そのものを悟り、そしてこの「絶対」と、おのれ自身を調和させることである。
◆このように定義するとすれば、禅の教えるところは、もはや一派の教義以上のものである。この絶対を認識しえた者はだれでも世俗的な事柄から自己を脱落させ「あらたなる『天』とあらたなる『地』」を自覚するのである。
禅の教えは、よく哲学の法則である弁証法に例えられることがあります。弁証法とは、しばしばつぎの3つの段階で説明されるものです。
A. ある命題(テーゼ=正)
B. Aと矛盾する命題(アンチテーゼ=反)、もしくは、それを否定する反対の命題
C. AとBを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)
全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが、優劣関係はなく、同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)。最後には二つがアウフヘーベンaufheben(止揚)される。このアウフヘーベンは「否定の否定」であり、一見すると単なる二重否定すなわち肯定=正のようである。しかしアウフヘーベンにおいては、正のみならず、正に対立していた反もまた保存されているのである。ドイツ語のアウフヘーベンは「捨てる」と「持ち上げる」という、互いに相反する二つの意味をもちあわせている。
初級レベルの禅の悟り(小悟)とは、この弁証法を指すのではないかと思われます。しかし、弁証法は言葉で表すことが可能です。従って、さらなる上級の禅の悟り(大悟)に至るには、言語表現の範囲をこえた思考の領域へ到達しなければなりません。すなわち、弁証法さえもアウフヘーベンすることが求められます。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び、次世代へつなぎたいと願っております。
20年間に及び役立つと思われる記事をブログに筆写(入力)してきました。
収録した記事は約9000件に及び今や本ブログは私の「人生ノート」になりました。
現在その「人生ノート」を少しずつ反芻学習することを日課にしています。
私の生涯学習の完成形が実現したと思っています。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き本来の日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する。
( 心が臨界質量を超えるとは → http://tinyurl.com/5kr6f )
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超拡散:■『YouTube削除動画完全復活:虚偽通報した犯人は地獄に落ちる』
超拡散:■『何故「反日マスメディア」と「なりすまし(ビジネス)保守」が小池都知事を「親の仇」のように徹底的に批判するのかには訳がある』
緊急拡散:■第9弾『三浦春馬・芦名星・竹内結子連続不審死事件再捜査を要請する「ひと言文例集」』
緊急拡散:■『中国の春節期間中は日本の税金で治療してもらいますので、日本の皆さん病気・負傷者さんは病床をガマンしてください!』
緊急拡散宜しく:★『検証東京五輪「日本国お葬式」と「朝鮮半島伝統舞踊」』
超拡散宜しく:★『「特段の事情」をデマと垂れ流したチャンネル桜は「外国航空クルー」がほとんどで問題無いとコロナ禍最大のデマをタレ流していた』
超拡散宜しく:★『「東京裁判」の自虐史観を粉砕し日本再興の狼煙を上げる秋がきた』
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(2006年2月26日投稿)
◎あとは禅の教えに譲らねばならぬ――新渡戸稲造
新渡戸稲造著「武士道」のなかに、禅に関する次のような記述が登場します。
◆ある一流の剣術の師匠(柳生宗矩)は、一人の弟子が自分の極意を習い覚えてしまったのを見るや「私の指南はこれまで。あとは禅の教えに譲らねばならぬ」といった。
◆禅は「沈思黙考により、言語表現の範囲をこえた思考の領域へ到達しようとする人間の探求心を意味する」のだ。その方法は黙想であり、私が理解している限りにおいて、そのめざすところは森羅万象の背後に横たわっている原理であり、でき得れば「絶対」そのものを悟り、そしてこの「絶対」と、おのれ自身を調和させることである。
◆このように定義するとすれば、禅の教えるところは、もはや一派の教義以上のものである。この絶対を認識しえた者はだれでも世俗的な事柄から自己を脱落させ「あらたなる『天』とあらたなる『地』」を自覚するのである。
禅の教えは、よく哲学の法則である弁証法に例えられることがあります。弁証法とは、しばしばつぎの3つの段階で説明されるものです。
A. ある命題(テーゼ=正)
B. Aと矛盾する命題(アンチテーゼ=反)、もしくは、それを否定する反対の命題
C. AとBを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)
全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが、優劣関係はなく、同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)。最後には二つがアウフヘーベンaufheben(止揚)される。このアウフヘーベンは「否定の否定」であり、一見すると単なる二重否定すなわち肯定=正のようである。しかしアウフヘーベンにおいては、正のみならず、正に対立していた反もまた保存されているのである。ドイツ語のアウフヘーベンは「捨てる」と「持ち上げる」という、互いに相反する二つの意味をもちあわせている。
初級レベルの禅の悟り(小悟)とは、この弁証法を指すのではないかと思われます。しかし、弁証法は言葉で表すことが可能です。従って、さらなる上級の禅の悟り(大悟)に至るには、言語表現の範囲をこえた思考の領域へ到達しなければなりません。すなわち、弁証法さえもアウフヘーベンすることが求められます。