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南都七大寺 大安寺訪問記 on 2017-6-6 その2 旧伽藍跡

2017年06月11日 06時49分59秒 | 奈良情報
大安寺の現在の境内については下記ブログで紹介しました。本日は旧伽藍の跡を写真紹介します。

南都七大寺 大安寺訪問記 on 2017-6-6 その1 現境内

伽藍全体図


上の写真は平城京に移築され全盛期の大安寺の模型(大安寺宝物館に所蔵)
最盛期には887名の僧侶が住んでいたそうです。


上の写真大安寺の拝観リーフレットに書かれた伽藍配置の平面図


上の写真は平城京全体図からみた昔の大安寺位置図 出典:拝観リーフレット


上の写真は全盛時の大安寺境内の平面図 出典:東塔跡の説明板(一部加筆)


上の写真は大安寺の拝観リーフレットに記載の江戸時代の大安寺境内図

東塔跡


上の写真は復元された大安寺東塔跡の基壇
基壇の中央には石碑があり大正13年(1924)3月建設と刻まれています。

下記サイトに西塔跡も含めた発掘調査の結果が紹介されています。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~s_minaga/hoso_daianji.htm


上の写真は大安寺本堂に奉納された天平伽藍(八木 春樹氏の作品)
建設当時は七重塔であったと考えられています。








上の4枚の写真は現地説明板

西塔跡


上の写真は大安寺西塔跡の基壇を撮ったものです。
柱の礎石も写っています。


上の写真は西塔跡基壇周辺でトレンチを埋め戻した跡が写っています。

経楼跡


上の写真は経楼跡の遠景




上の2枚の写真は大安寺旧境内の石碑と説明板

南大門跡

上の写真は大安寺南大門跡





上の写真は大安寺南大門跡の現地説明板

北面中坊跡




上の2枚の写真は北面中坊跡の礎石などの復元




上の写真は北面中坊跡の現地説明板

大安寺北面中房跡
(北東中房・北西中房)

 天平19年(749)頃の大安寺の縁起と財産を記した目録によれば、当時大安寺には887人もの
僧がいました。その僧たちが寺の中で起居した建物が僧房(僧坊)です。
 大安寺の僧房は金堂・講堂を囲うように東・西・北の三面に二重に建てられていました
(内側の僧房は太房、外側の僧房は中房と呼ばれます)。発掘調査の結果、北東、北西中房とも
当初は凝灰岩の切石を積んだ基壇(壇正積基壇)でしたが、後の時代に造りかえられていることが
わかりました。大安寺は平安時代に幾度か火災にあい、再建されたことが記録に残っています。
調査でも火災の跡が確認されていて、その記事を裏づけていますが、北面中房が平安時代末期以降、
再建されることはなかったようです。

ここでは、発掘調査の成果をもとに凝灰岩で当初の基壇と礎石の復原整備を行っています。



このあたりには大安寺の役場があったらしく役場跡の石碑が建っていました。

南都大乗院門跡




上の2枚の写真は南都大乗院門跡大安寺墓肧と書かれた石碑と墓石

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