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法隆寺 on 2015-12-20 その4 中宮寺

2015年12月28日 06時54分12秒 | 奈良情報
法隆寺訪問記シリーズの第4回です。今回は中宮寺を写真紹介します。

過去の訪問記
 第1回 法隆寺 on 2015-12-20 その1 西院伽藍

 第2回 法隆寺 on 2015-12-20 その2 西円堂

 第3回 法隆寺 on 2015-12-20 その3 東院伽藍
  

中宮寺の基本情報を添付します。

中宮寺の基本情報
住所:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2 TEL:0745-75-2106
宗派:聖徳宗 昭和25年(1950)までは法相宗と真言宗泉涌寺派
御本尊:菩薩半跏像(寺伝如意輪観音) 山号:法興山
創建:創建年代不詳(7世紀前半と推定)であるが尼寺として
   聖徳太子(574-622)の御母穴穂部間人皇后の御願により建立
 開基:聖徳太子または間人皇后

中宮寺の公式HP:http://www.chuguji.jp/

法隆寺境内地図を再掲します。

上の写真は法隆寺の伽藍配置図です。(現地の説明版より)
拡大版はこちら

中宮寺の歴史概要 By Wikipedia&拝観リーフレット 加筆及び修正あり

中宮寺は、現在は法隆寺東院に隣接しているが創建当初は500mほど東にあった。
(大字法隆寺字旧殿の地に土壇として残存している)
現在地に移転したのは中宮寺が門跡寺院となった16世紀末頃のことと推定される。
旧寺地の発掘調査の結果から、法隆寺と同じ頃、7世紀前半の創建と推定されるが、
創建の詳しい事情は不明である。天平19年(747年)の『法隆寺縁起』[1]や
『上宮聖徳法王帝説』には、「聖徳太子建立七寺」の一とされるが、確証はない。
中宮寺独自の創立縁起は伝わらず、『日本書紀』にも中宮寺創建に関する記載はない。


上の写真は拝観の入り口付近の掲示板で菩薩半跏像(寺伝如意輪観音)の写真が
添付されていますので掲載しました。

菩薩半跏像(寺伝如意輪観音)及び光背については下記3枚の写真を添付しました。
出典:法隆寺図説 朝日新聞社 (1942)著作権失効
エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで
菩薩半跏像(寺伝如意輪観音)は「世界の三つの微笑像」とも呼ばれています











入り口では藤棚ともちの木(くろがねもち)が迎えてくれます(上の写真)


天皇家の菊の御紋の入った丸軒瓦。





旧鵤御所の建物群(上の2枚の写真)


上の写真は皇后宮御歌
 「中宮寺の 都い地のうち迩 しつも利天 ささん久王の花 清ら可耳 佐久」
   女管長 北白川祥子 謹書



上の写真は本殿。
高松宮妃殿下の発願で吉田五十八先生が設計され昭和43年(1968)に落慶
本堂の中に菩薩半跏像(寺伝如意輪観音)の他に日本最古の刺繍遺品として
知られる「天寿国曼荼羅繍帳」も収容され展示されています。


上の写真は中宮寺本殿の由緒が書かれた石碑




上の写真は会津八一先生が読まれた歌碑と説明書き







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