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三木城跡公園の三木合戦図 on 2015-4-29

2015年05月21日 06時25分23秒 | 神戸市以外の兵庫県
三木合戦は、天正6年3月29日(1578年5月5日)から天正8年1月17日(1580年2月2日)
にかけて行われた播州三木城をめぐる織田氏と別所氏の攻防戦である。
足かけ2年弱にのぼり5代目当主の別所長治以下約7,500人の将兵が三木城に
籠城して織田方と戦いました。またその関連の一連の戦いを指す。


2015年4月29日に撮影の三木城跡公園に設置されている三木合戦図より三木合戦
を概観したいと思います。



上の写真は24枚の図から構成されている三木合戦図の全体図です。


上の写真は三木城の本丸と矢倉です。



天正6年(1578)3月4日、毛利攻めで都を出立した羽柴秀吉は3月7日播磨の
諸将を集めて糟屋氏館(現在の加古川市称名寺)で「加古川評定」が行われた
その直後、これまで織田方であった三木城主・別所長治とそれに呼応した
周辺の諸城主が毛利方へと離反しました。

この時、別所長治の名代として加古川評定に出席したのは毛利びいきで名門意識の
強い別所長治の叔父の別所吉親であった。吉親は下層から立身した秀吉を見下す
ところがあり、評定で秀吉の問いに応じて別所氏の家系から代々の軍功を語る
長談義に及び、秀吉の不興を買う事になった。吉親は憤懣を抱いたまま三木城へ
帰ると長治を説き伏せ、信長からの離反を決意させた。

天正6年(1578)3月14日 丹波八上城の戦い
        3月29日 羽柴秀吉初めて三木城を攻める


上の写真は天正6年(1578)4月3・4・5日の野口城の戦い
 

上の写真は天正6年(1578)6月27日~7月16日の神吉城の戦い


上の写真は天正6年(1578)7月20日~8月10日の志方城の戦い
             8月 高砂城落ちる

天正6年(1578)8月17日羽柴秀吉は三木城を長囲、平井山に本陣を張る

天正6年(1578)10月荒木村重が織田信長に反抗する。


上の写真は天正6年(1578)10月三木城での評定。
 別所山城守吉親と久米忠勝との論戦。


上の写真は天正6年(1578)10月22日の平井山の戦い
 
天正6年(1578)12月信長軍が荒木村重の居城有岡城を攻撃


天正7年(1579)5月毛利軍、魚住港より兵糧を丹生山経由で三木城へ搬送
しようとする。


上の写真は天正7年(1579)5月25日、丹生山の戦い


上の写真は天正7年(1579)4月~5月26日 淡河城の攻防
 三木合戦の中で唯一別所方の勝ち戦があった。

淡河城内には淡河弾正忠定範が3百余名の兵とともに立てこもっていた。
車菱を敷き、逆茂木や大綱を張り巡らせて防備を固めていた。
また淡河弾正忠定範は牝馬(ひんば)を敵陣に放ちて遂に快勝した
こともあった。


  詳細記述ブログ 淡河城跡 訪問記 on 2013-4-14


上の写真は天正7年(1579)6月13日 平井山陣営で軍師竹中半兵衛死去


上の写真は天正7年(1579)9月10日 平田・大村の合戦


上の写真は天正7年(1579)9月10日大村の合戦で別所山城守吉親の妻が出陣


上の写真は天正7年(1579)9月10日平田の合戦で秀吉方谷大膳の奮戦

 関連ブログ:谷大膳の墓 in 三木市大村 on 2013-4-21


上の写真は天正8年(1580)1月6日 羽柴秀吉軍が宮の上を占拠


上の写真は天正8年(1580)1月11日 鷹の尾城、新城が陥落


上の写真は天正8年(1580)1月 三木城大手門前の戦い

天正8年(1580)1月15日別所長治降伏の使者を送る


上の写真は天正8年(1580)1月16日羽柴秀吉は降伏の申し出を受け入れ
三木城内に酒肴を贈る


上の写真は天正8年(1580)1月17日秀吉から贈られた酒肴で最後の酒宴


上の写真は天正8年(1580)1月17日別所長治兄弟の妻らが子供達を刺した後
自害する。


上の写真は天正8年(1580)1月17日別所長治兄弟の切腹


雲龍寺の首塚前で別所長治、照子夫人の供養


上の写真は法界寺で行われる別所長治一族の供養



上の写真は三木城址にある別所長治公の石造像



上の写真は別所長治公及び一族の辞世の句を刻んだ石碑

三木合戦関係で今までに書いたブログ

 三木城跡 on 2010-11-4

 端谷城(衣笠城) on 2012-4-2
   三木合戦当時の端谷城主は衣笠範影で淡河城の淡河氏、福中城の間嶋氏ら
   とともに別所方として活躍しましたが、三木城落城後の天正八年二月二十五日
   に落城し、廃城となりました。


 近江寺 on 2011-5-9
   三木合戦の戦禍で焼失

 兵庫県 小野散策記 その3 神明神社(垂井城跡) on 2012-8-5
   垂井武蔵守雅治の時、 天正6年(1578~)の三木合戦が起こり別所方につき
   滅亡した。


 兵庫県 小野散策記 その4 小野藩陣屋跡(小野市西本町) on 2012-8-5
   3代目の一柳直末は23歳で秀吉に仕え各地を転戦、三木合戦にも参加し
   東条の城の破却を命じられています。


 明石市閼伽寺薬師院 on 2012-10-17&11-21
   三木合戦で死んだ人の供養塔がある

 三木市散策記 on 2013-2-3 その4 稱念寺(称念寺)
   三木合戦の戦禍で焼失

 神戸市北区淡河町 歳田神社に残されていた豊臣秀吉の制札
   三木合戦における淡河城の攻防や江戸時代の淡河の歴史
   の一端を垣間見ることができる文書


  竹中半兵衛の墓 in 三木市 on 2013-4-21
   三木合戦の最中の天正7年(1579)6月13日 平井山陣営で死去

 谷大膳の墓 in 三木市大村 on 2013-4-21
   秀吉方の武将の奮戦ぶりが記録にのこされている。金剛寺に位牌

  萩原城跡 on 2013-6-11
   羽柴秀吉の淡河城攻めで有馬氏が利用

 三木市 慈眼寺 訪問記 on 2013-5-22  
   羽柴秀吉の武将有馬法印則頼が慈眼寺の裏山に布陣

 大河ドラマサミット in 三木 参加録 on 2013-7-13
   NHK大河「軍師官兵衛」関連

 淡河弾正忠定範戦死之碑 in 三木市八幡森史蹟公園 on 2013-4-8
   別所長治方武将の淡河弾正忠定範の奮戦

 三木城跡及び付城跡・土塁 国史跡指定記念シンポジウム 「三木合戦を知る」参加録 on 2013-12-7

  三木城跡及び付城跡・土塁 国史跡指定記念ウォーキングでの平井本陣での評定劇

  三木合戦 羽柴秀吉 平井山本陣跡 on 2013-4-21

  鉾礼山 正法寺 訪問記 in 三木市 on 2013-7-3
   三木合戦の戦禍で焼失

  三木市蓮花寺 on 2013-2-3

 法界寺 三木合戦 絵解き on 2014-4-17 
    三木合戦絵解きの動画あり
 
  三木 上の丸公園(三木城跡) 四百年祭記念之碑

  加古川評定が行われた加古川城跡の称名寺(しょうみょうじ)訪問記 on 2014-5-12

  三木市志染町安福田の栄運寺訪問記 on 2014-5-19
    竹中半兵衛の墓

  三木城主伊木氏の菩提寺 正入寺 訪問記 on 2014-10-30

   

 

 

 









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