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三木城主伊木氏の菩提寺 正入寺 訪問記 on 2014-10-30

2014年11月02日 06時58分08秒 | 神戸市以外の兵庫県
2014年10月30日、三木市本町にある三木城主伊木氏の菩提寺 正入寺を訪問

しましたので写真紹介します。


上の写真は県道38号三木三田線から見える正入寺への入り口です。

正入寺の基本情報

住所:兵庫県三木市本町1丁目7-21  TEL:0794-82-5768
宗派: 曹洞宗  山号:護国山
御本尊:聖観世音菩薩
寺宝:釈迦牟尼如来
創建:文明11年(1479)と伝えられています。


Goo地図はこちら
  


上の写真は入り口に設置の説明板です。

説明板には次のように記載されています。


正入寺は三木城東部の平山丸跡であり、三木合戦の際平井山合戦で奮闘した
別所小八郎治定(別所長治の弟君)の居館跡だと伝えられています。

慶長6年(1601)姫路城主池田輝政公の筆頭の家老伊木豊後守忠次が3万7千石を
領して三木城主となった時、先君池田勝入斉信輝公(輝政公父君)追善のために、
尾州(愛知県)知多郡大野の斉年寺3世日山和尚を招き建立し、「護国山勝入寺」
と名づけられ伊木氏の菩提寺としています。

元和2年(1616)6月姫路城主池田利隆公36歳の若さで死去され、嫡男光政公
8歳の幼君のため、池田家は因幡・伯耆(鳥取県)両州へ移封され、
お寺も伯州倉吉に移っています。
元和2年(1616)8月久留美慈眼寺13世海翁宗智大和尚を特請の開山として、
お寺を再建しています。
当山の寺号は創建当時の勝入寺から正入寺となっていますが、伊木家の菩提寺
として現在に至っています。
今は正入寺としているが、池田信輝、輝政、伊木豊後守忠次、長門守忠繁の位牌
を祀り、境内には供養塔もある。



上の写真は正入寺が別所小八郎治定(別所長治の弟君)の居館跡で
三木城内の平山丸跡であることを示す古地図です(説明板より)

拡大版はこちら
 http://seiyo39.blog.eonet.jp/default/files/bessyosadaharuresidence.pdf


上の写真は参道です。


上の写真境内の天満宮(秋葉神社)の遠景です。




上の写真は本堂です。


上の写真は墓所入り口にある六地蔵です。
こちらは三木総合防災公園内にあるどっこいさん(六地蔵や35体の小さな地蔵さま
を刻んだ石造物)と共通点があるように感じました。


上の写真は墓所の歴代の御住職の墓です。


上の写真は一番最近の28世住職の墓です。


上の写真は開山大和尚の墓。


上の写真は伊木氏初代・伊木忠次の長男の伊木長門守忠繁公の五輪塔(中央)
元和2年(1616)8月6日  光桂院殿盛屋全昌大居士

左の五輪塔は伊木忠繁公の母君(盛寿院(日根野高吉の娘)か?)
上述のように伝えられているが拓本や過去帳から伊木忠繁公の室であることが確認
されています(2019-6-21に追記)
慶長13年(1608)7月6日 明心空妙清大姉霊

右の五輪塔は主君池田利隆公


五輪塔の前に伊木家の家紋が入った丸瓦が置かれていました。













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