毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

わたしの夏の工夫

2023-07-27 15:57:23 | 平和

関西は梅雨明けと同時に晴れの日が続き、熱帯地方と化しています。

今日7月27日午後4時現在の兵庫県尼崎市は38℃です。

硝子戸を開けると熱風が室内に流入するので閉めました。

先日、東京在住の教え子(中国出身)が

朝から夜中までエアコンを付けっぱなしだと言うので

エアコンに頼らず室内を涼しくする工夫を伝授したんですが、

「暑いのもせいぜい2カ月のことですよ。そんなことしなくても……」と

まるで貧乏人を憐れむように言うのです。

いやいや、これは日本伝統の清貧の思想に基づくものですから。

という訳で、今日は

私の貧乏くさくも清々しい避暑の工夫をご紹介しましょう。

〈その1〉カーテンを閉める。

晴れの日は午前10時以降カーテンを閉めて、

熱い外気が部屋に入らないようにしています。

今日はカーテンだけでなく、硝子戸も閉めて熱帯の外界から部屋を遮断しました。

これで数℃涼しくなります。

〈その2〉首回りを冷やす。

 

店でただでくれる保冷剤を冷凍しておき、タオルに包んで首に巻きます。

これで体感温度は5℃ぐらい下がります。

ただ、頻繁に交換しなければすぐぬるくなってしまうのでちょっと忙しいです。

〈その3〉食べ物・飲み物を冷やす。

⤴これはバナナです。

今どきのバナナは室温ではボケた味になるので冷蔵庫に入れ、

ひんやりさせて美味しく食べます。

冷凍もしました。シャーベット状でとても美味しいです。

⤴これはコーヒーゼリーです。

最近まで温かいのを楽しんでいた飲み物はことごとく冷やし、

あまつさえ(笑。この言葉を使うのがマイブーム)

ゼラチン、アガー、寒天などで冷たく固めていただいたりもします。

毎日、これを作るのが楽しみです。

 

⤴これは祝島特産の枇杷茶です。

今日は枇杷茶(祝島)、昨日は茉莉花茶(中国湖南省)、

明日はプーアル茶(広西チワン族自治区)と、これまた毎日が楽しみです。

〈その4〉室温を下げる。

この装置、分かりますね。

ペットボトルに水を入れて凍らせ、扇風機の風(微風)をそれに当てます。

パソコン操作しながら涼しい風を身に受け、なんと快適であることよ。

ペットボトルの外側は空気中の水蒸気が冷えて水滴が付着しています。

(その現象、なんだったかな、大昔学校で習ったのに)と気にかかり、

調べたところ、「凝結」でした。

〈その5〉気分を涼しくする。

⤴やっぱり緑がある部屋は涼しい感じですよね。

裏庭の野草と南天をビールのジョッキにほおり込んだだけですけどね。

 

今、17:05の尼崎の気温は36℃です。

やれやれ、今日も暑さのピークをやり過ごせたわ。

皆さんの涼み方、よかったら教えてください(あ、清貧でよろしく)。

 

〈付録〉

頭を冷やして挑戦してみてね~。

ちなみにこれは中学2年の理科問題ですって。

解答例(たぶん)

1)氷水を入れたコップ 2)冷やされたとき 3)露点 4)霜(しも) 5)飽和水蒸気量 

6)大きくなる 7)霧(きり)/靄(もや) 8)湿度 9)上[水蒸気]下[飽和水蒸気量]

 

 

 

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漱石の姿がおぼろげに見えてきた、かな

2023-07-24 15:08:06 | 人間

ここ二カ月ほど、夏目漱石の作品を読んできた。

「漱石がアジア蔑視していた」という漱石批判を知るにつけ、

漱石という人は一体どういう人だったんだろうと考え込まざるを得なかった。

漱石=差別者という主張は、

漱石の紀行文『満韓ところどころ』と漱石による朝日新聞記事『満韓視察』に対するものだ。

批判者の引用部分だけを見て(漱石はなんて酷いやつだ)と

決めつける愚を避けるために、取り合えず『満韓ところどころ』を青空文庫で読んでみた。

私はこの文章を『こゝろ』『道草』の後に読んだのだが、

『こゝろ』の、容赦なく心理を追及し、

読者の心まで締め上げるような緊張した描写とはまるで違い、

この『満韓ところどころ』は、

『吾輩は猫である』的な目で事象を眺めた、気楽で伸び伸びした文章だと思った。

内容は1909(明治42)年9月2日東京を発ってから、

一カ月半ほどの満州朝鮮の旅を綴った紀行文で、東京朝日新聞に掲載された。

旅のきっかけは『それから』を書きあげた直後、

大学予備門以来の親友中村是公(当時満鉄総裁)に招待されたことだという。

『満韓ところどころ』には錚々たる肩書のかつての悪ガキ同窓生たちが何人も登場するが、

それがこの紀行文の文体を決定したと私は思う。

因みに、ここに登場する漱石の主な友人を挙げると、

・中村是公(大学予備門同級生、落第仲間):満鉄総裁

・立花政樹(大学英文科先輩):大連の税関長

・股野義郎(『吾猫』の多々羅三平のモデルと言われて嫌がっていた友人)役職不明

・橋本佐五郎(大学予備門以前からの馬鹿で腕白の友人の一人、落第仲間):東北大学教授

・佐藤友熊(大学予備門以前からの旧友):旅順の警視総長

旅行後、漱石自身が寺田寅彦に当てた手紙の中で

この旅が「アリストクラティック(上流階級)」のものだったと書いたそうだが、

この肩書を見たらさもあらん、と納得する。

漱石が書いた対象は現地の中国人や朝鮮人ではなく、

大陸に活路を見出した日本人(しかも上層、しかも旧友)であり、

巡った旅程は典型的な観光コースとあれば、

内容は推して図るべきではないだろうか。

それに、これは断ったらしいが、

中村是公満鉄総裁から満州在住日本人向けの新聞を発行してほしいと依頼もされたそうだ。

人情厚い江戸っ子漱石には旧友たちのことを

「日本帝国主義や侵略の先兵」と記述する意志は持ちようがなかったに違いない。

この『満韓ところどころ』は

背景にこのような事情を持つ内容の文章だと私は思う。

ちょっと拙い例えを考えてみた。

あの黒柳徹子は「徹子の部屋」に仲良しの大金持ちゲストが来たからといって、

貴方が暴利をむさぼったために世界中で子どもたちが貧困にあえいでいるなどと

いちいち訴えたり糾弾したりはしない。

それと似たところはないだろうか。

 

確かに漱石は満州のクーリー(苦力)を何度も「汚い、汚い」とこき下ろしている。

しかし、漱石は満韓の旅の終わりに日本に降り立ち、

次のような日記も書いている。

「此汽車の悪さ加減と来たら格別のもので普通鉄道馬車の古いのに過ぎず。夫で一等の賃銀を取るんだから呆れたものなり。乗ってゐると何所かでぎしぎし云ふ。
(略)
小さな汚い部屋へ入れる。湯に入る。流しも来ず。御茶代を加減しゃうと思ふ。」(註1)

此汽車とは大阪―京都間のこと、

小さい汚い部屋とは京都三条小橋の宿屋のことだそうだ。

満州のクーリーに対しての記述を中国人差別というなら、

大阪―京都間の汽車や京都の宿屋に対しても漱石は上から目線で差別したと言えるだろう。

しかし、誰もそれは問題として取り上げない。

また、漱石は旅で出会った梨畑の主人(中国人)を

「背の高い大きな男で支那人らしく、落ち着き払って立っている」とリスペクトし、

外の温泉から上がった後、辺りを見回してみた風景を

「牛と馬が五六頭水を渉って来た。距離が遠いので小さく動いているが、色だけははっきり分る。皆茶褐色をして柳の下に近づいて行く。牛追いは牛よりもなお小さかった。すべてが世間で云う南画と称するものに髣髴として面白かった。中にも高い柳が細い葉をことごとく枝に収めて、静まり返っているところは、全く支那めいていた。」

と中国由来の南画を引き合いにして趣深いことを表し、

「長屋門を這入ると鼠色の騾馬(らば)が木の株に繋いである。余はこの騾馬を見るや否や、三国志を思い出した。何だか玄徳の乗った馬に似ている。全体騾馬というのを満洲へ来て始めて見たが、腹が太くって、背が低くって、総体が丸く逞しくって、万事邪気のないような好い動物である。」と、自分が昔から深く親しんできた中国文学を騾馬への眼差しとして語っている。

 

漱石の旅の後半は、胃炎に苦しみながらの

橋本さん(東北大教授)との弥次喜多珍道中だった。

弥次喜多と言えば、江戸っ子十返舎一九が本家本元だが、一九の著作

『滑稽旅賀羅寿(こっけいたびがらす)』(註2)には下のような記述がある。

信濃の旅で宿泊を請い、夜ご飯まで出してもらった農民の家の様子を書いたものである。

世話になっておきながらこれだ。

江戸っ子の「滑稽」「諧謔」は、ズケズケ言うことを本領としているようだ。

———ここから———

「この家畳というはなく皆筵(むしろ)を敷き詰めたり」

「行燈はなく薪たくさんなれば囲炉裏(いろり)にしたたかくべてその明かりにて何事もするなれば、味噌を摺(す)る手元暗がりにて何をするやわからず」

「梁の上より煤下がりて食い物のうちへ落ちたるも構わず」

「囲炉裏の端には七、八歳ばかりの女の子と四つ、五つばかりの男の子蕎麦餅を灰の中に押し込み焼きて食い」

「亭主は囲炉裏の灰の中へ唾をしながら」

「赤鰯を火箸にて挟みて炙りける」

「女房膳を据えたるを見れば真っ黒に煤(すす)びたる日光膳に朱椀の縁欠けて漆(うるし)剝げたるに」

「飯と汁を盛りて出せしが」

「玉味噌にて臭く飯は水づきて食われず」

……いやはや、なんとも(笑)。さすが、漱石の先輩だな。

 

註1)三谷憲正「夏目漱石におけるアジア」SK00010L245.pdf (bukkyo-u.ac.jp)より引用

註2)文政二年、伊那から松本、松代などを巡る旅をした十返舎一九は、その道中酒を飲み過ぎて出立が遅れ、宿場町手前で日が暮れてしまったので、小さな集落の百姓家に泊めてもらったという。この時の見聞記が『滑稽旅賀羅寿』である。『豊作でござるメジロ殿』(作画ちさかあや・原恵一郎)22話より孫引き

 

我が裏庭

虫に寄って集(たか)られているレモンバームが花をつけ始めた。

毎年のことながらレモンバームはどんな酷くやられても種を付け子孫を残す。

負けちゃいないのだ。同じ虫が青じそも食べている。見つけたら潰す。

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河原の草オオバコやら

2023-07-22 20:08:54 | 自然

少し前になりますが、曇り空の午後、

歩いて2分の河川敷にぶらぶら出かけました。

てきぱきとウォーキングする日除け重装備の女性、

ギャン泣きの子をプリプリ怒りながら担ぎ行く男性(たぶん父親?)、

歩いてんだか走ってんだか判然としない年配男性、

と、すれ違う人たちも風景の一部に感じつつ、

少し歩いては草に吸い寄せられて

しゃがみ込んで眺めたり、写真を撮ったり、

川のある広い空間のひと時を楽しみました。

 

(あれ、見覚えある草)と近づくと、やはりオオバコです。

子どもの頃、母が葉っぱを千切って揉み、

ほんの少し滲んだ汁を私の手に擦りつけた草だ、と半世紀以上前の事が蘇りました。

このオオバコ、楽天やアマゾンで健康食品として売られているんですね。

トカゲやヤモリまで売られているし、いや、どうしたん?みんな。

そんなにまで自然のないところに住んでいるんですかね。

そんなとこ引っ越せば?と思うのはだめ?

 

↓これはアカザかな。これも母親からの伝授なので自信がありません。

 

↓川の傍には鬱蒼と葦の茂っているところもあります。

古事記や日本書紀に

豊葦原水穂国(とよあしはらのみずほのくに)と謡われた日本はこの辺かも。

ああ、ここでタイムリープして万葉びとに出くわさないかなと

ちょっと妄想しました。

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漱石の江戸っ子気質

2023-07-19 19:41:13 | ま、とにかく

漱石の「差別発言」についてあれこれ言う前に

漱石が江戸牛込生まれの生粋の江戸っ子だったことを念押ししておきたい。

てやんで、べらぼうめの気風(きっぷ)の良さ、

相手構わずズケズケ言ってのける向こう気の強さ、

そして、弱きを助け強きをくじく人情の厚さ、

こうした江戸っ子気質を漱石も十分にそなえていたと思われる。

『坊っちゃん』、『吾輩は猫である』などの作品を読んでも分かるが、

漱石はあの暗い自伝的小説『道草』の中ですら、

長女、次女に続いて生まれてきた赤ちゃんがまた女の子だったとき、

主人公の健三(夫)に「そう同じものばかり産んで、どうする気だろう」

心中呟かせている。

長女は赤ん坊のころは美しかったが、

生育につれ容貌が父親(自分)の相好の悪いところに似てきたと書き、

また次女、三女については、

あごの短い眼の大きなその子は、海坊主うみぼうず化物ばけもののような風をして、

其所そこいらをうろうろしていた。」

「三番目の子だけが器量好く育とうとは親の慾目にも思えなかった。」
「ああいうものが続々生れて来て、必竟ひっきょうどうするんだろう」

と続けている。

私はこの言い草に江戸っ子の自虐的とすら言える滑稽表現を感じた。

しかし、これを笑うどころか

「懸命に出産した妻に対して失礼だ」と言う人もいるのである。

百人百様であり、感じ方は人それぞれ違うということで

簡単に終えてもいいのかも知れない。

それでも、北海道で生まれ育ち18歳で関西に移住して以来、

長年、東西文化の中の笑いのビミョーな違いを感じ続けてきた私は、

「国民的作家」と言われる漱石の表現の中の江戸っ子気質は、

時代を超え、地域を超えて日本全国共通のものとして認識され得るのか、

ちょっと心配してしまうのだ。

 

↓また買ってしまった……。この間本棚を整理したばかりなのに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『満韓ところどころ』漱石の「差別発言」箇所

2023-07-17 23:07:19 | 表現

『満韓ところどころ』を読んで、

(ああ、ここが問題個所だな)と思うところがあった。

皆さん(というほどこのブログ読者の方々がいらっしゃるわけではないんだけど)は

どのように感じるだろう、と思いここに引用してみることにした。

しかし、引用部分はあくまでも作品全体のうちの一部分の切り取りに過ぎない。

『満韓ところどころ』全文を読まずに断罪するのが正しい批評ではないことは自明だ。

文章全体は青空文庫図書カード:満韓ところどころ (aozora.gr.jp)で読むことができる。

(もちろん無料)

そもそもこの満韓旅行は漱石の大学予備門からの親友の一人、中村是公が

当時満鉄総裁で、その彼の招待に応じて出かけて行ったものだ。

その旅行過程で漱石は、内地よりも大陸に活路を見出したかつての悪ガキ同窓生達と邂逅し、

一気にそういう雰囲気になったのが

『吾輩は猫である』的な文章のタッチからも感じられる。

〈↓ところで中村是公とはこんな人↓〉

中村是公(1867-1926):本名なかむら・よしこと。通称「ぜこう/これきよ」。大学予備門以来の漱石の親友の一人。豪放磊落。「べらんめえ総裁」「フロックコートを着た猪」などとも呼ばれた。漱石とは終生「ぜこう」「金ちゃん」と呼び合う仲だった。大学卒業後、政府の役職(大蔵省)に着いたが後に、後藤新平(第一代満鉄総裁)に命じられて二代目総裁に就任し、満鉄総裁任期最長5年の記録を立てた。

ここから引用————

(漱石の乗った船が河岸に着いた時)

船が飯田(いいだ)河岸(がし)のような石垣へ横にぴたりと着くんだから海とは思えない。河岸の上には人がたくさん並んでいる。けれどもその大部分は支那のクーリーで、一人見ても汚らしいが、二人寄るとなお見苦しい。こうたくさん塊(かたま)るとさらに不体裁である。余は甲板の上に立って、遠くからこの群集を見下しながら、腹の中で、へえー、こいつは妙な所へ着いたねと思った。

(中略)

船は鷹揚にかの汚ならしいクーリー団の前に横づけになって止まった。止まるや否や、クーリー団は、怒った蜂の巣のように、急に鳴動し始めた。その鳴動の突然なのには、ちょっと胆力を奪われたが、(以下略)。

河岸の上を見ると、なるほど馬車が並んでいた。力車もたくさんある、ところが力車はみんな鳴動連が引くので、内地のに比べるとはなはだ景気が好くない。馬車の大部分もまた鳴動連によって、御せられている様子である。したがっていずれも鳴動流に汚ないものばかりであった。ことに馬車に至っては、その昔日露戦争の当時、露助が大連を引上げる際に、このまま日本人に引渡すのは残念だと云うので、御叮嚀に穴を掘って、土の中に埋めて行ったのを、チャンが土の臭いを嗅いで歩いて、とうとう嗅ぎあてて、一つ掘っては鳴動させ、二つ掘っては鳴動させ、とうとう大連を縦横(たてよこ)十文字に鳴動させるまでに掘り尽くしたと云う評判のある、――評判だから、本当の事は分らないが、この評判があらゆる評判のうちでもっとも巧妙なものと、誰しも認めざるを得ないほどの泥だらけの馬車である。註)「露助」、「チャン」下線はブルーはーとが付けたもの。

もう一度、この箇所だけで『満韓ところどころ』を評価せず、

青空文庫で全文読むことをお勧めして、今日はここまで。

(つづく)

↓冬は室内に保護されてた3年目のクワズイモ、今は裏庭で一日数時間の日照を満喫しています。何か、水芭蕉の花のようなものが出てきたんですけど。

 

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漱石はアジア人蔑視者か

2023-07-15 14:59:19 | 人間

夏目漱石の『満韓ところどころ』という文章がある。

非常に評判が悪い。

おそらく漱石の文章の中では最悪だろう。

あの魯迅が「漱石ですらこれだ」と嘆いたという。

「帝国主義的」「植民地主義的」視点が色濃いというのが主な評価である。

不勉強な私でも知っている中野重治、針生一郎など有名人が

厳しくこの『満韓ところどころ』を批判している。

一方、そうした批判を辿る過程で、

それとは異なる視点から漱石のアジア観を見る人もいることが分かった。

その一つで興味深かったのが、

三谷憲正の論文「夏目激石におけるアジア《朝鮮観》を視座として一一一」

SK00010L245.pdf (bukkyo-u.ac.jp)だ。

中野重治らの主張を

「“八百屋"へ行って“魚"を求め、売っていないと怒り出す客に似た立場」

と、妙に腑に落ちる表現で書いているのが楽しい。

 

私は、Aだと言われても額面通り受け取らない癖がついている。

幼い頃より、何でも真に受けてさんざん辛酸を舐めてきたからでもある。

卑近な例を挙げれば、

かつてウーマン村本が「選挙なんか意味ないし行くな。」と言ったことに対して

「ウーマン村本ってちょっとはマシなやつかと思ったけど、

そんなこと言うなんて最悪~。もう、絶対に彼は信用しない」

と真面目に怒る人がたくさんいた。

私はそれを鵜呑みにすることができず、

あれこれ村本の言説を調べたら、その発言意図は

たかまつななチャンネルの「若者よ選挙に行くな」とほぼ同じだった。

(ウーマン村本発言の方がたかまつより少し前だったと思う)。

(178) 若者よ、選挙に行くな 【2023年ver.】 - YouTube

まして、国家主義よりも価値あるものとして個人主義を挙げ、

死ぬまで執拗にこだわったあの夏目漱石、

そして、

『吾輩は猫である』と『倫敦塔』と『草枕』をほぼ同時に書いた

複眼的思考の持ち主のあの夏目漱石なのだ。

当然、用心深く、丁寧に、多面的に読まないとだめだろう。

 

『満韓ところどころ』批判の主張は主に次の二点だ。

①満鉄等日本帝国主義の大陸侵略を自然のものとして無批判に受け入れている。

②現地で見た苦力(クーリー)に対して上から目線で蔑視している。

『土』の長塚節は漱石の『満韓』を一読して「馬鹿にしとんか!」と怒鳴ったというが、

なんと漱石はその『土』の序文を書いているのである(まだ読んでないけど)。

 

漱石は深い。森鴎外も。

江戸末期から明治にかけては、これだから面白いと思う。

 

↓裏庭に生息するトカゲ。私の後をついてまわっているのかと思うほど人懐っこい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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7月6日 マイナンバーカードのことなんだけど

2023-07-06 19:56:55 | 人権

私がしかたなくマイナンバーカードを申請したのは今年の1月のことです。

なぜ申請したのかと言うと、確定申告のためです。

息子の店の会計を手伝い始めた私は

ちんぷんかんぷんのくせに、人生初の青色申告というものに大胆に挑戦すべく、

オンラインの確定申告サポートアプリを探しました。

するとどうでしょう、

オンラインで申請するためにはマイナカードが必須だというのです。

しかも、オンライン申請すると最大60万円税金控除があるのに、

紙申請だと最大50万円しか控除されないと。

10万円は店にとって本当に大金です。

(何それ、むかつく)と思いつつも私は即座にカードを申し込みました。

約1カ月半後、カードを受け取りに尼崎市役所の該当箇所に行くと、

そこはとんでもない数の人々でごった返し、係りの職員たちは気の毒な有様でした。

待つこと4~5時間、その間に近くの店でランチを食べました。

全然美味しくないのに950円もするとかあり得ないとブツブツ文句を言って(心で)、

でも、一人での外食は2010年のコロナパンデミック勃発以後初めてで、

改めて浦島太郎子さんだった自分を再確認しました。

 

何時間も待った後、臨時の窓口に呼ばれました。

カード用の写真、実は街角の写真スタンドで撮った際、

何故か画面調節が白っぽくなりドキドキものだったんですが、

市役所担当職員はま~~ったく問題なしと、約2分で発行してくれました。

 

「マイナカードがなかったらこんなに損するんだぞ」

「ほおら、金が欲しくないのか、金が」

と国は言ってきますし、私もお金欲しさにカードを入手しました。

さもしく卑しいです。

国が国民に下品で卑しい行いをせよと強要するんですからね。

でね、カードを返却する人がたくさんいるというので、

今回、私もそうすることにしました。

来年の確定申告前、またカードをもらいに並ばないといけなくなるかもしれません。

その時は仕方がないから並びます。

 

ところで、中国では日本の先を行っていて、IDカードが非常に重要です。

事あるごとに提示しなければなりません。

私の教え子が四川省成都から山東省の実家のある市まで電車で移動したあと、

地元の警察から携帯に電話があり、

「移動した後、検査機関でコロナの検査を受けていないな。早くしなさい」

と注意されたそうです。

警察が自分の動向を正確に掴んでいることに驚愕した教え子は、

「プライバシーがないですよ!」と憤慨していました。

マイナンバーカードは日本版IDカードです。

何もかもそのカードで便利にできるということは、

カードで自分の生活の動向まで掌握・監視されるということです。

ああ、だから先輩方は何十年も前から

「国民総背番号制反対!」と言ってはったんやなあ。

 

 

 

 

 

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7月4日 本の処分と笹茶づくり

2023-07-04 17:39:39 | ま、とにかく

本棚からはみ出た漫画の本を脇に積み上げて数年経った。

放置してしばらくすると内容も忘れているので

時々引っ張り出して読み直すと、また新鮮に引き込まれる。

そういうふうに日々くたびれた私に寄り添い、慰めてくれた

(敬称略)雁須磨子、秀良子、よしながふみ、杉浦日向子、石川ローズ、その他大勢の

好きな作家たちの漫画とも、この際、別れることにした。

もちろん、漫画は読み続けるが、これからは極力紙の本は買わずに、

ライン漫画・ネット漫画でやりくりしていこうと思う。

これも死に支度の一つでもあるが、

何より部屋に物が増えるとごちゃごちゃして嫌なんだ。

以前メルカリにちょびっとだけ出店したが、

売る際、いちいち包装してコンビニに運ぶのが面倒なので

今回は「もったいないナントカ」の買い取りサービスを利用することにした。

段ボール箱、ガムテープも無料で配達してくれ、明日家まで集荷に来てくれる。

恐らく二束三文の値しか付かないだろうが、それでも楽だからいい。

 

   

裏庭に生えてきた笹を数日前に採取し乾燥させておいたので、笹茶を作ってみた。

乾燥葉を切りながら匂いを嗅ぐと、緑茶っぽい香りがする。

そのまま熱湯を入れて飲んでみると、何の特徴もない、強いて言えば甘茶のような味がした。

さらに弱火で十分ほど焙じてみたら、こちらの方が美味しい。

玄米茶にも通ずる味わいだった。

笹茶の効能を調べるとなんとまあ、こんなに……。医者いらずだね、こりゃ。

・リンパ液の流れを良くする。・解毒作用がある。・胃弱、胃もたれ、高血圧、糖尿病に効果がある。 ・常時飲んでいると、虚弱体質やアレルギー体質の改善につながる。胃潰瘍、胃炎、歯槽膿漏、口内炎を改善し、口臭除去の作用がある。e.t.c.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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漱石を読み始めた:その3(漱石の個人主義)

2023-07-01 15:49:53 | 人間

夏目漱石(金之助)と森鴎外(林太郎)は誰もが認める明治の二大文豪だが、

両者とも明治国家の命により官費留学したという共通性がある。

漱石はイギリス、鴎外はドイツに留学し、

学問知識のみならず価値観、思考方法など当時の西洋文明を懐深く理解して帰国した。

しかし、鴎外が22歳からの4年間、漱石が33歳からの2年間の滞在だったことを思うと、

若く滞在時間も2倍長い鴎外の方が、より広く深い影響をこのヨーロッパ滞在から受けたことは間違いないだろう。

鴎外は、家父長制と出世のために挫折したものの、ドイツで人生稀な大恋愛も経験した。

33歳の漱石はロンドンでどうだったかというと、次のような文がある。

「余の如き東洋流に青年の時期を経過せるものが、余よりも年少なる英国紳士についてその一挙一動を学ぶ事は骨格の出来上りたる大人が急に角兵衛獅子の巧妙なる技術を学ばんとあせるが如く、(中略)不可能の事に属す。」(『文学論・序』)

(いや、分かるわ。ホンマ)

漱石は東京帝国大学在学時から

「英文学とは何か?自分が英文学を学ぶ意味はあるのか?」

と疑問を持っており、

未だ答えを見いだせていなかった。

それなのになまじ英語の成績が抜群だったために、

既に愛媛や熊本で教師の仕事に就き、結婚して子供もいたのに、

言ってみれば、いやいや留学させられたのである。

しかし、さすが漱石、ただ英国で神経衰弱を患って帰ってきたのではなかった。

彼は、文学探求の方向性をここで掴んだ。

英国留学時、国家から命じられたのは

英語及び英文学のエキスを吸収して日本に持ち帰るということだった。

それは漱石を英国人・西洋文学への従属、奴婢ではないかという煩悶状態に陥れたが、

そこから脱したのが、「自己本位(自我本位)」の四字との邂逅であり、

以後、漱石の文芸(また、人生)に対する立脚地を堅めたのもこれだった。

従属して丸暗記するのではなく、自分で自分の道を見つけることが自信になる

その際、自己は主であり、他は賓である。(註:『私の個人主義』より要約)

・・・漱石の個人主義思想がガッツリ形成されていったのである。

 

今、赤文字部分を読んで(当たり前じゃん)と思う人もいるだろう。

しかし、現代生活でそれを実際、徹底的に実践している人はどれほどいるだろうか。

漱石は本当に真っ正直に、死ぬまで貫いた人だということが

読めば読むほど、ひしひしと感じられ、

漱石に対して「国民的作家」という安っぽいレッテルを貼るのは

まったく的外れだと思う今日この頃である。

青い鳥文庫『坊っちゃん』

*私が読んだ『私の個人主義』『文学論・序』『道草』はネット図書館・青空文庫による。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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