毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「ピーター・バラカン氏:映画が描くテロとの戦争」2015年1月31日(土)No.1085

2015-01-31 22:09:44 | 映画

『イラク・チグリスに浮かぶ平和』(綿井健陽監督)

……イラク戦争とその後の混乱に翻弄される家族を10年間にわたり

追い続けたドキュメンタリー映画について、

そして今、政府やメディアが当然のように語っている『対テロ戦争』について、

ピーター・バラカンさんが話しているのを偶然聞いた。

いつもの音楽番組のように静かで穏やかな口調だが、

この間の安倍首相の中東訪問を、池内さおり議員とほぼ同じ内容で批判していた。

マル激トーク・オン・ディマンド[5金スペシャル]―映画が描くテロとの戦い―

http://www.videonews.com/marugeki-talk/721/でのことだ。

きっとネトウヨはバラカンさんをも非難の意味を込めて「在日」というだろう。

「在日○○人」はもともと、事実を示す言葉なのに、

その事実を非難してどうするんだろう、と私は思う。

どこで生まれるかは誰も選ぶことができない。

「自分が日本で生まれた日本人だから、

日本で暮らす外国人をそのことで憎む」なんて、

どこから見ても馬鹿丸出しだ。

とにかく誰かを憎みたいから、

その対象を在日外国人になすり付けているとしか思えない。

 

人間の心のよさ、立派さは、どこの国の人かには関係ない。

バラカンさんの選曲から私はとても多くを学んだが、

バラカンさんの深い感受性は、音楽にのみならず全てを網羅し、

何が正義なのかをも簡単に掴む力を持っていると思う。

 

バラカンさん:

「『対テロ戦争』、こんなに意味のないものはないと僕は思うんですよ。

最初から勝てるはずのないことは普通、論理的に考えれば分かるはずなのに、

アメリカはオバマの時代になっても続いているし、また、

イラク戦争の時はイギリスもいっしょになってやっていた。

あれほど、イギリス人であることを恥じたことはないですよ。

結局、日本も支持しましたよね。

だから、責任がないとは言えないと思うんですよ。

(戦いの後)また、何か大きな事件があったらメディアはそれしか報道しないし、

それ以外のことをみんな忘れてしまうんですよ。

映画『イラク・チグリスに浮かぶ平和』の中で綿井監督が、

[日本がイラク戦争を支持していたことを覚えていますか?]

と問いかけていますね。

この映画はどんどん上映されるといい映画だと思います。

・・・・・・・・・・・・

僕が慎重になるのは‘テロ’という言葉の使い方なんです。

今から26,7年前、アメリカのニュース番組を日本に紹介する仕事をしたことがあるんですが、

当時、イスラエルはパレスチナ側をいつもテロリストと呼ぶんです。

当時(パレスチナ側の)彼らは石を持っていたか、

場合によっては火炎瓶ぐらいは持っていたかも知れない、その程度のことでした。

かたやイスラエルはものすごい軍事力でもってそれを弾圧しているわけだから、

どっちがテロリストなのか?!って。

これはイスラエル国家による国家テロだとプロデューサーも言っていたんです。

あのころから、‘テロ’という言葉を使っていいかどうか、すごく慎重になっています。」

 

神保:「正当性がどっちにあるか、どう見るかによって変わってきますよね。」

バラカン:「アメリカは自分の言うことをきかないやつのことをテロと平気で呼ぶことが多いと思うんですよ。」

神保:「イスラム国を国と呼ぶな、という話はよく出てくるけど、テロという言葉も気をつけて使わなければならないですよね。テロと言った時、実は自分のポジションをとっているんだと。」

宮台:「テロ、あるいはテロリストと言った瞬間に、『敵と味方』という区分プラス『善悪』が入り、テロリストは悪に決まっているという当り前さが僕たちを包んでしまうんですね。」

神保:「『イスラム国』の話ですけど、もともと、フセイン政権、これがアメリカの加護を受けてできた政権で、それというのは、イランのパーレビとアメリカがよろしくやっていたんだけど、ホメイニ革命がおきてヤバくなったんで、じゃあ、こっちはフセインを擁立するという形で、まあ『ペット国家』みたいなもの作ったということで、スンニー派のバース党を優遇する政策をとったので、今度それがひっくり返ったときに、シーア派の大統領を立てて、スンニー派を迫害した。そうしたら、『イスラム国』がそれを吸収して強くなってきた。単純に言えば、こういうことだと思う。やっぱり、アメリカがいろいろ手を突っ込んでやった結果生まれたモンスターが『イスラム国』なんだけど、あまりそういう話題をメディアは取り上げていないようだけど。」

宮台:「アフガン戦争、ソビエトとアフガンの戦争にアメリカが首を突っ込んでアルカイダを養成したというということは、ビンラディン問題のときに、ちゃんとマスメディアに出ていましたよね。イラクのフセイン政権も、イランの抑え込み、あるいは、中東でのアメリカの利権を守るための一連の工作の延長線上にあって、イランと闘うしかなかったということは、ちゃんとメディアで言われていたはずなんですよね。ただ、バラカンさんがおっしゃったように、その事実を、どのくらいの人が、どのくらいの間覚えていられるかということなんですよね。                                                                                  さらに最近の問題は、以前はそういうことが報じられていたのに、この人質事件を巡っての報道の中には一切、中東の歴史は出てきていないですね。今、そんなことを言ったら、敵に塩を送ることになる、という感じで。かろうじて池上さんは言っていますけどね。」

――――――――――とまあ、ごく一部をご紹介しました。

マル激トーク・オン・ディマンドの語りはまだ続くそうです。

神保哲生ビデオジャーナリスト ビデオニュース・ドットコム代表

1961年東京生まれ。15歳で渡米。コロンビア大学ジャーナリズム大学院修士課程修了。AP通信など米国報道機関の記者を経て独立。99年、日本初のニュース専門インターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』を設立。主なテーマは地球環境、国際政治、メディア倫理など。

宮台真司社会学者 首都大学東京教授

1959年仙台生まれ。東京大学大学院博士課程修了。社会学博士。東京都立大学助教授、首都大学東京准教授を経て現職。専門は社会システム論。(博士論文は『権力の予期理論』。)
 

ピーター・バラカンブロードキャスター

1951年英国ロンドン生まれ。73年ロンドン大学東洋アフリカ研究学院日本語学科卒業。74年来日。音楽出版社、音楽マネジメント会社などを経て86年より報道ドキュメント番組キャスター、ラジオパーソナリティなどを務める。著書に『ラジオのこちら側で』、『ピーター・バラカン音楽日記』など。
  721_barakan

VIDEO NEWS[5金スペシャル]映画が描くテロとの戦い

http://www.videonews.com/marugeki-talk/721/

 

 

 

 

 

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「世界が破滅の前夜だなんて嘘だろう」 2015年1月30日No.1084

2015-01-30 09:36:58 | 


あれもこれもいっぺんに悪いことが進行している。

ISによる人質、日本政府の‘世界が見えない=見ようとしない’対応、

それにかぶせて野党政治家たちの「政府を見守りたい」という‘心温かい’発言、

さらにそれを取り囲む日本村の人たちの政府対応支持という‘皇国の民’発言、

全てが鉛を飲まされたような気分にさせられる。

また、後藤さんのことを祈っている間に、

沖縄では日々さらに悪い事実が積み重ねられている。

ここ数日、頭をグルグルめぐっていたのが、

次のフレーズだ。

『でもよう、何度でも なんどでも おいらに言ってくれよう

 世界が破滅の前夜だなんて 嘘だろう』

(何という歌だったかな…)と、調べて見ると、

「明日なき世界:Eve of Destruction」だった。

1945年生まれのP.F.スローンが19歳の時につくり、

バリー・マクガイア(Barry Mcguire)が歌った反戦歌で、アメリカで大ヒットしたそうだ。

ちなみに、バリー・マクガイアはニュークリスティ・ミンストレルズ

(これまた懐かしい!私が中学生の時、北海道の知床にも電波が届くNHKラジオで、

中村とうようさんが東京から発信してくれたフォークグループの一つだ。

私にとって中村とうようさんは偉大な音楽の先生だった)

の出身で、1963年に「グリーン・グリーン」を作詞・作曲した当人だという。

知らなかった!

P.F.スローンが作ったこの「明日なき世界」の歌詞に、

"You're old enough to kill, but not for votin'"

「お前は殺しのできる歳、でも選挙権もまだ持たされちゃいない」(高石友也訳)

というのがあり、この歌の影響でアメリカ合衆国では

当時21歳から選挙権があったのを、1971年に18歳からに変えたという。

歌が人々に力を与え、行動したからだな。

 

私が知ったのは高校生の頃、高石友也さんが日本語にして歌ったものだ。

今振り返れば、日本の音楽シーンで

中村とうようさんや高石友也さんの果たした役割は絶大なものだ。

私のような日本の超辺境、北東の端っこに住み、

日本のセンターからの民放電波もろくに届かず、

山野の木々と草と冷たい空気が生活の全てだった、ちっぽけな子どもにまで、

音楽を通じて世界を考えさせる力を持っていたのだ。

 

「明日なき世界」(詞:高石ともや)

東の空が燃えてるぜ
大砲のたまが破裂してるぜ
お前は 殺しのできる歳
でも選挙権もまだ 持たされちゃいない
鉄砲かついで得意になって
これじゃ世界中が死人の山さ

でもよう何度でも何度でも
おいらに言ってくれよ
世界が破滅の前夜だなんて
嘘だろう

 

↓バリー・マクガイアの歌の視聴

http://grooveshark.com/#!/s/Eve+Of+Destruction/2J1Kd4?src=5

 ↓高石ともや&ジャックスによる日本語版「明日なき世界」

https://www.youtube.com/watch?v=f7L7wyTB850

 ↓忌野清志郎の歌う「明日なき世界」

https://www.youtube.com/watch?v=YTQhBLDZ24g

↓忌野清志郎&佐野元治の「明日なき世界」

https://www.youtube.com/watch?v=7d5zax2qnTk

 ↓泉谷しげるの「明日なき世界」

https://www.youtube.com/watch?v=TlDr-qEKBK0

 

〈付録〉

明日東京でこんなのがあるんだって。いいなあ!

旅費が高いから行けませんけど……(涙)。

↓   ↓   ↓   ↓   ↓

江東フォークフェスティバル2015

~フォーク黎明期1969→2015へのメッセージIV~

日付 2015年1月31日(土)
時間 16:00開演
場所 ティアラこうとう 大ホール
料金 全席指定 一般5,000円 ペア割9,000円
※ 小さなお子様の入場、6歳以上可

 監修 田川律
出演 小室等、なぎら健壱、遠藤賢司、加川良、友川カズキ、大塚まさじ、山崎ハコ、高田漣、小野一穂、わいわい合唱団w/田川律+竹田裕美子

 ティアラこうとう
〒135-0002 東京都江東区住吉2-28-36                                              TEL03-3635-5500 FAX03-3635-5547

 

  

 

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「辺野古座り込みの手引き」2015年1月28日No.1083

2015-01-28 22:30:33 | がんばれ沖縄

「辺野古座り込みBOOK」というのを入手しました。

これは(辺野古に行って座り込み応援したいな)と思っているあなたには

たいへん役に立つマニュアルです。

 

発行:琉璃(るり)

発行日:2014年9月13日(Vol.1)

連絡先:okinawa_ruri@yahoo.co.jp

Googleマップによれば、普天間基地から辺野古まで自動車で行った場合の移動距離は約52km。沖縄の中心地である那覇からは1時間ほどの場所にあります。

(↑この地図だけはhttp://gigazine.net/news/20120826-henoko/さんから拝借)

 

座り込みに行くには~その1~ 航空券・レンタカーの手配

「座り込みに行こう!」となったら、まずは航空券の手配。

便利で安いのは1泊付往復航空券。あるいは「延泊可能」と記載してあるツアー。

レンタカー付きだったり、飛行機の便の時間指定が無料だったり、

様々なオプションがありますので、自分に合ったものを見つけましょう。

目ぼしいツアーが見つかったらそのツアー会社に電話で問い合わせ、

希望を伝えて見積もりを出してもらうのも良いですよ!

 *使いやすい旅行サイト:

 ・沖縄旅行に強い「サラダイス」http://www.salada.co.jp/

 ・さまざまなツアー会社を一括検索「トラベルコちゃん」                                            

   http://www.tour.ne.jp/j_tour/

 

座り込みに行くには~その2~ 路線バス or レンタカー

沖縄での一般的な移動手段はバスかマイカー。

バスは数多くの路線が走っています。

那覇から座り込みの現場、辺野古まで行くのもバスか車で。

免許を持っている人はレンタカーを借りた方が断然動きやすい。

バスで行く場合は

高速バス「111番」(途中「世富慶」という停留所で「77番」に乗り換え)に乗るか、

名護東線「77番」(こちらは辺野古に直接着きます)に乗るか。

どちらも那覇バスターミナル(那覇市泉崎1丁目20番1号)から出発です!

 *バスの時間や停留所の検索、乗換案内:

   バスナビ沖縄 http://www.busnai-okinawa.com/map/

 *安いレンタカーを探して予約するなら:

    沖縄ツアーランド http://car.okitour.net/

 

座り込みに行くには~その3~  どこに泊まる?

辺野古周辺には宿泊場所がありません。お薦めは「海と風の宿」

辺野古の座り込み参加者が多数宿泊しています。

毎日の座り込みには車に同乗させてもらえますので

レンタカーを借りない人には特にお薦め。

ドミトリーなら2000円/泊、個室で3500円。

今は宿泊客が多いのでお早目のご予約を!

ここがダメなら名護市街地で。 〈註:これは9月現在…ブルーはーと〉

 海と風の宿  名護市瀬嵩182(瀬嵩のバス停から5分ほど) 

  予約:090-7162-1953(9時~20時まで)

 

現地に着いたら ~その1~ 座り込み現場は2か所

現在、辺野古現地では2か所で座り込みが行われています。

テント1では朝8時~16時まで、シュワブゲート前では9時~17時まで。

そして、海上行動としてカヌーと船が。

まず、辺野古に着いたらテント1を訪ねましょう。

スタッフの方が、これまでの反対運動の経緯や現状など丁寧に説明してくれます。

現地で分からないことがあるときや、

「船やカヌーに乗りたい!」などもここで問い合わせましょう。

また、テント1・2から辺野古の浜に行くことができます。

テント1からゲート前まで送迎車が出ています。

 

現地に着いたら ~その2~ 座り込み以外の参加の仕方があるの?

海上では、カヌーや救命胴衣を着て海に浮かぶ『プカプカ隊』が

進み工事を止めるための行動を行っています。

海上行動には船もついていきます。

余裕があれば船に乗せてもらい、海上での様子を見せてもらえます。

また、初心者でも「カヌーに乗りたい」と言う人には、

毎週日曜日朝9時からカヌー教室というのが開かれ、

カヌーの乗り方も教えてくれます。

海上に出たいという人、持ち物は

〈濡れてもいい服・帽子・ペットボトルの飲み物・着替えとタオル・必要に応じて手袋やサングラスe.t.c.〉。

陸上での座り込みにも共通しますが、

海上では特に日差しがきついため日焼け対策は欠かせませんよ!

 

 今の辺野古を知るサイト 

*ヘリ基地反対協議会HP(座り込み参加に際してのお願いなども掲載されているので、是非一度は見てね) 

http://www.mco.ne.jp~herikiti/

ブログ http://herikiti.cocolog-nifty.com/

*辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/

*ちえぞうツイート https://twitter.com/tchiezinha

*チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy

*地元紙で識るオキナワパート2 http://michisan1.ti-da.net/

ーーーーーーー辺野古座り込みBOOKここまで

  

 

 

 

 

 

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「淀川散歩~曇りのち雨」2015年1月27日(火)No.1082

2015-01-27 21:39:36 | 日記

昨日は雨のため、終日家で過ごしたが、

今日はネットで買った靴を試したくて、

曇りにちょっと日が差してきた午後4時頃、家を出た。

近所の市営住宅の敷地には12月からずっと水仙の花が咲いている。

(水仙って以前はもう少し遅く咲いたのでは?)

と思いながらも花の側を通るのを喜んでいる。

水仙の奥に写っているのはローズマリーだ。

私はこのハーブの香りが好きでたまらない。

 

真正面は大阪市立野中小学校。下校の小学生の格好は昔から変わらず、

冬でも半ズボンかスカート。

冬、ほぼ同じくらいの気温の南昌では

がっちり着込んだ子ども達(先生も)が業間休憩時にモコモコ姿で体操していた。

えらい違いだ。

 

徒歩25分で淀川河川敷に着く。

淀川の向こう(大阪キタ)はまるで別世界だ。

こちらの河岸には誰かが自分で建てたバラックの小屋

(といっても寒さは尋常ではないだろう)が2軒見える。

今日は地面が濡れているので川の側の土の道ではなく、

手前の舗装道路を歩いた。

晴れたある日、土の道を通ると、バラック建ての家からコーヒーの香りが漂ってきた。

思わずホッとした。

猫も飼っている様子。

どうぞ、悪者に襲われませんように。

 

ところどころに大きな水たまりがあり、空の雲が映っている。

子どもの頃は、地面にも空があるので、吸い込まれると思い、気をつけて通っていた。

 

十三大橋の向こうが明るい。(晴れて来るかな)と思った。

 

ああ、世界がみんなこんなに穏やかだったらどんなにいいだろう。

 

「メイト」はいわゆるラブホテルなんですけど、このホテルの看板は遠くから見えるので、

いつも(あのメイトまで歩いたら土手に登ろう)と決めて目印にしている。

 

少し夕暮れてきた十三東の歩道橋から淀川区役所を見下ろす。

右側の歩道橋を降りて一筋入ったところに

「帰国者の友」が部屋を借りているロマネハウスがある。

 

帰り道、ついに雨が降ってきた。

「傘を差しながら自転車をこぐのはたいへん難しい」

と留学生の王さんが言っていたなあ。

バイトに行くのにどうしてもその技をマスターしなければ通勤できないので

最初はずぶ濡れだったとのこと。

今はすっかり慣れているだろうか、夜中までワタミで働いている彼女は。

 

近所のスーパー「オアシス」。もう一つのスーパー「マンダイ」に押され気味で客も少ない。

 

私が吸い寄せられていくのはこのコーナー。

「半額」「訳あり」のを選んで買うと、「マンダイ」より安い買い物ができる。

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「辺野古『圧殺の海』を観よう!」2015年1月26日(月)No.1081

2015-01-26 21:11:45 | がんばれ沖縄

「ヤマトンチューの無関心という暴力に風穴を開けたい。」

「圧殺の海」共同監督、景山あさ子さんの言葉だ。

 

24日に淀川区十三のシアターセブンで『圧殺の海』を観た。

身体一つで小さい笹舟のようなカヌーに乗り込み、辺野古の海に乗り出す人々。

海上保安庁がカヌーから一人ひとり全員を引き抜き、羽交い絞めにして

見えないところで暴力を加える。

海保の暴力性がはっきりと画面に映し出されていた。

選挙の間だけ静かだったキャンプシュワブと辺野古沿岸が、

ここ連日またしても、市民・取材陣の排除が横行し、

14・15日のキャンプシュワブゲート前で座り込みをしていた80代の女性が

防衛局が設置した「殺人鉄板」に頭を打ち付けて怪我、

16日は海保が拘束した男性が骨折など、

負傷者が相次いでいるが、海保は一切その暴力行為を認めていない。

 

いったいこの間の選挙は何だったのか。

オール沖縄の民意をここまで踏みにじる安倍政権は、

民主主義とは全く乖離した政権である。

その政権を支えているのは、何を隠そう、ここ本土の人間の

(自分さえよければ沖縄がどうなっても構うものか)という

無関心・利己主義だ。

しかし、その無関心は多くの場合「知らないこと」と相互リンクしている。

曇りのない目でこの映画を観たら、きっと何かが変わると思う。

大阪の人は2/6まで十三「シアターセブン」で上映しているので、

ぜひ時間を割いて観に行ってほしい。

大阪以外の人は地元で自主上映していないかチェックしてください。

↓以下は関連動画サイト↓

 

↓TBSテレビ『ニュースの視点』(映画一部紹介)

https://www.youtube.com/watch?v=zav2R1JBngA

 

↓映画「圧殺の海」 藤本監督が見た辺野古(琉球朝日放送 報道制作部)

http://www.qab.co.jp/news/2014102459450.html

 

↓森の映画社★札幌編集室

http://america-banzai.blogspot.jp/

 

 

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「春を待つ」2015年1月25日(日)No.1080

2015-01-26 00:25:44 | 日本事情

24日(土)、娘夫婦が慰安婦問題の学習会だか映画会だかに行くと言うので、

孫娘を連れて藻川(尼崎・園田)の土手にお出かけした。

土手は自力でどんどん歩く孫だが、川を渡る橋の上はガッチリ抱っこをせがむ。

慎重な性格だ。

穏やかに流れる川の遠くに島のようなものが見える。

そこでは健気にも木が成長しているのだが、台風が来たら倒されないか心配だ。

        

 

藻川の土手を降りて宮園橋の近くにNPO法人「月と風と」がある。

娘の中学校時代の同級生豊湖(とよこ)ちゃんがスタッフの一人ということで、

ぶらりと立ち寄ってみた。

豊湖ちゃんと娘は中学生の時、二人で「BH*BOMB!」という

ザ・ブルーハーツをテーマにしたミニコミ誌を作っていて、

よく家に遊びにきたものだった。

 

折りしも手作りライブが始まるところだった。ラッキー!

↓バンド名「ちゅるとっと」は灯油ポンプとアマゾンの空き箱を楽器にして、

平気でラヴェルの「ボレロ」を演奏するのです。

左のお兄さんは確か、前にもぐもぐ祭りでお見かけしたような……。

 

下の二人は連弾ですが、交代で場所を代わり、逆さまに弾くという…。

「茶色い小瓶」とか「ハンガリー舞曲第5番」とか、驚きの名曲を弾くではないか。

    

 

それにも増して、このお嬢さんは

リコーダーの旋律と伴奏を同時に吹きこなす技をやってのけた。

音大の先生が指導してくれたとのこと(何やってんだか……)。

 

知らない場所では人見知りする孫娘も、この雰囲気には心を緩めずにはいられない。

↓マラカス2種を独り占めする孫娘。

 

豊湖ちゃんにも既に子どもがいた。もうすぐ1年生になるという(右端の男の子)。

The Times They're A Changin' ……。 

 

孫を送り届けて家路へ。

小さい子と時間をともにすることは、実におもしろい体験だ。

自分の子のときは面白がる心のゆとりがあまりなかったかもしれないが、

孫ときたら、100%余裕の観察だ。

生き物は凄いなあ。

 

そうそう、関係ないけどお土産でいただいた大阪の御煎餅を

皆さんにお裾分けしましょう(写真ですけど)。

冬来たりなば 春遠からじ。 いつかこの冬が終わるのを信じて…。

   

 

コメント (2)
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「辺野古警備女性に『馬乗り』!!」 2015年1月24日(土)No.1079

2015-01-24 23:03:11 | がんばれ沖縄

辺野古で今やられていることは、

身一つで抗議する国民への暴力による威嚇・排除の横行だ。

下の写真は1月20日(火)、抗議船に乗っていた女性映画監督景山あさ子さんへの

暴行の決定的瞬間を捕えたもの。

2                 3                4

  

この時の詳しい様子を

この船の船長(チョイさん)がご自身のブログに書いてあるのを転載させていただく。

下の写真6枚目の海上保安庁職員の形相を見れば、彼らが

「海の安全を守る」などという使命と全く関係のない行いをしていることが分かる。

証拠写真を取られないために市民のカメラを強奪しろと上司に命令されたのだろうか。

人間、変われば変わるものだ。彼らの顔は戦時の顔だ。

そもそも警察も海保も、守るべきは国民だろう。

いったい、だれのための組織なんだ!本当にとんでもない野郎どもだ。

 

―――――――――チョイさんの沖縄日記http://blog.goo.ne.jp/chuy/e/a826a16887cb8edbf1c41ce7e651f0eb?fm=entry_awp

辺野古、私が船長の船にも海猿たちが乗り込み、暴力行為

2015年01月21日 | 沖縄日記・辺野古

1月21日(水)、辺野古のことが気になったが、病院行と辺野古関連の文書開示で防衛局、沖縄総合事務局へ行かなければならないので今日は海上行動はお休みさせてもらった。

今朝の琉球新報に、昨日、抗議船に乗っていた女性カメラマンに海保の海猿が馬乗りになっている写真が掲載された。海保の海猿たちの暴力行為の貴重な決定的瞬間だ。この抗議船は「ラブ子」、私が船長をしていた船だった。

以下、昨日の海保の暴力行為についてまとめたい。

 (琉球新報 2015.1.21)

昨日は、約30隻もの海保のゴムボートや救援艇が大浦湾に出ていた。

海保のゴムボートが「ラブ子」に接舷し、海猿たちが無理やり乗り込んできたのは午後2時半頃だった。

「ラブ子」と「勝丸」、そして10数艇のカヌーが、防衛局に抗議するため、臨時制限水域の外側の海上に集まって待機していたときに(防衛局が設置した黄色いブイよりも大浦湾の奥側だったので臨時制限水域の外側であることは明らか)、

突然、海保のゴムボートが数艇駆けつけ、一斉に実力行使を始めたのだ。

 

カヌー隊に迫る海猿たちに抗議していると、突然、「ラブ子」にゴムボートが横付けされ、海猿たちが乗り込んできた。

 

同乗していたNさんが抗議するが、海猿たちは無理やり乗船してくる。

乗船してきた海猿たちは、まず、マスコミの船を遠ざけ、我々が持っているカメラに向かってくる。

そして、撮影を妨害する。カメラを叩き落とされたり、ストラップを引き継ぎられたケースもある。

暴力行為の証拠写真を残されないようにしているのだ。

この日、暴行を受けた女性も、映画「圧殺の海」の共同監督で大きなカメラを構えていた。

彼女は、乗り込んできた海猿たちに後ろから掴まれたり、カメラを押さえ込まれたりしていたので、船長の私も彼女を守りながら、海保に抗議を続けていた。

冒頭の新聞写真は、そのような状況の中で撮られたものだ。

 

ここ数日、海保の暴力行為がますますエスカレートしている。

カヌー隊への暴力行為については先日のブログでも書いたが、16日には、海猿たちに無理やりゴムボートに引き上げられ、押さえ込まれて胸部を強く圧迫されたカヌー隊メンバーが肋骨骨折で全治3週間の重傷を負った。

また、19日には、海猿たちが女性船長に襲いかかり、彼女は右手首に加療1週間の怪我をした。

その際、海猿たちは、彼女のライフジャケットを引きちぎっている。

海の安全を指導するはずの海上保安官が、海の上で船長のライフジャケットを引きちぎったのだから許せない。

もし彼女が混乱の中、海に落ちていれば大変な事態になるところだった。

 

このような海保の暴力行為が相次いでいることから、私も昨日は、怪我をさせられた場合にそなえて健康保険証を身につけていた。

そして、海猿たちが乗り込んでくる前には、押さえ込まれた場合に備えて予備のメガネに代えた。

また、カメラも古いものに取り替えていた。

そして海猿たちが乗船してきた時には、船のエンジンを切り、キーを隠した。

なお、海保の暴力行為については、昨日の琉球新聞社説でも強く批判している。

「基地の県内移設に反対する県民会議」は、23日(金)、那覇の海上保安庁前で抗議行動を行う。

*********

 20日、カヌー隊に対する海保の暴力

 

 

―――――――――――――――転載ここまで

 

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「桑田佳祐『謝罪』のことなど」No.1078 2015年1月23日(金)

2015-01-23 22:40:45 | 日本事情

今週も怒涛の日々が過ぎゆく。

思いをまとめる暇もなく世間では次々ととんでもない事件が起きているが、

例えば、辺野古での沖縄県民無視の暴力的新基地工事強行、

「イスラム国」の日本人人質身代金要求など、

たいがい安倍首相がからんでいる。

愚行の数々を為す「悪代官・安倍」の名は後世に残るであろう。

さて、過日桑田佳祐の紅白パフォーマンスについて聞き及び、

「よくやった!」と褒めちぎった私だが、

その後、ナント桑田君がそのことについて

「他意はない」が「全ての人に受け入れられなかったこと」を謝罪した。

どんな芸でも全員に受け入れられるなんてことは不可能なので、

とにかく謝罪するためのしょーもない言い訳だ。

大晦日のパフォーマンスはてっきり命がけでやったと思っていたが、

こうもあっさり謝罪するのが桑田佳祐のやり方なのか、と正直ゲッソリした。

しかし、そう言えば、かつて大阪でも『ここで煙草を吸わないでください』

と書いてあるのにプカプカ吸って、

他人が見たら「すんまへんな、もうじき吸い終わるから堪忍してな」

などと言いつつ、最後まできっちり吸いきっていたおっちゃんの例もある。

「すんまへん、すんまへん」と言いつつ、

桑田佳祐君は続けるのだろうか、今まで通り。

推移を見たい。

大阪の街では「すんまへんな」タバコは(もう、しゃーないな、おっちゃん)

と寛大に容赦されたが、今の桑田君(だけじゃないけど)への圧力は尋常ではない。

とにかく現代日本を批判するや、たちまち押しかけて「反日」「売国奴」と

○○の一つ覚えで口汚く罵る愚民がのさばっている下品で見苦しい社会なのだ。

当ブログにコメントもいただいたが、

下の「増山麗奈の革命鍋」ブログhttp://renaart.exblog.jp/ 

の文が私には(まさにそうだ!)と膝を叩くものなので全文掲載させていただく。

特にタイマースの動画は、ぜひ見てね。

―――――――――増山麗奈の革命鍋!

【サザン桑田謝罪で改めてリスペクト 忌野清志郎の反骨精神】

 
大晦日の紅白歌合戦で、ヒットラーのようなちょび髭をつけて出演し「ピースとハイライト」を熱唱したサザン・オールスターズの桑田佳祐の行動が戦争へと進む政権批判かと話題になった。                                                     年越しライブで今上天皇から受け取った勲章をジーパンのポケットから取り出す行動も問題視された。

桑田氏の行動に対し、右翼団体員30名ほどが所属事務所前で「反日的だ」と抗議のデモを行う一方、「憲法改正議論や集団的自衛権行使容認が起きている現状の日本をしっかりと考えさせられる曲」と共感の声も多い。                                NHKオンデマンドでの紅白再放送では桑田氏のシーンのみカットされて放送された。

桑田氏は所属事務所アミューズから「紅白での演出に他意はない」「配慮が足りなかった」と謝罪・説明文を発表。                                                                       東京FMでは『ピースとハイライト』は集団的自衛権が問題になる前に作られた曲であり、受け取り側の誤解であると発言した。

組織に配慮した桑田氏の“大人な対応”を見ていて、かつて音楽界で最大のタブーだった原発にNOをつきつけた忌野清志郎のことを思わずにはいられない。

【桑田氏も収録に参加した脱原発ソング入りアルバム】

88年、チェルノブイリ事故の2年後、日本でも食品にセシウムが入っているのではと話題になっていたころ、RCサクセションというバンドボーカル忌野清志郎はある原発反対ソングを発表した。    今でも反原発デモなどで流され、長く人々に愛される「原子力はいらねえ。電力は余ってる」と叫ぶ「サマータイムブルース」「巧みな言葉で一般庶民をだまそうとしたが」「核などいらねえ」と訴える「ラブミーテンダー」だ。
この二曲が入った洋楽のカバーアルバム「COVERS」は原発メーカーである東芝のグループ会社東芝EMIから発売予定だったが「すばらしすぎて発売中止になりました」という新聞広告とともに、発売中止。                                                                                   その後「COVERS」はキティレコード(現ユニバーサルミュージック)から発売され、RCサクセションの中では唯一チャート一位を獲得した。                                                               実はこのアルバムの収録には、桑竹居助の偽名にてサザンオールスターズの桑田佳祐も参加している。
 
「サマータイムブルース」は、東京FM系列の放送局では放送禁止とされた。                                    そこで忌野清志郎は政治的主張する覆面バンド「タイマーズ」を結成。                                       広島の平和コンサートに出演したり、テレビの音楽番組で「東京FM腐ったラジオ!何でもかんでも放送禁止さ。」なとシャウトするなどその暴れっぷりは痛快の一言だ。
↓   ↓   ↓   ↓    ↓
https://www.youtube.com/watch?x-yt-ts=1421914688&v=oTGPui-xJu4&x-yt-cl=84503534
 
https://www.youtube.com/watch?v=3BYmU0WckF4
 
https://www.youtube.com/watch?v=K2baSCycSWk&list=PLVaVKvX923s-CxUHPyu0UzILb_SRo86ka
 
タイマーズはその後東芝EMIから正式にデビューして皮肉たっぷりに原発推進を伝える「原発音頭」(笑)を発表。喧嘩した相手ともユーモアを交えてつながっていく人間力もあっぱれである。
忌野清志郎はわずか58歳でがん性リンパ管症によってこの世を去ってしまった。

生涯にわたって愛と平和を歌った忌野清志郎は、実は趣味で油彩を500点も描いていた。
手製の衣装やレコードジャケット、キャンバス画などが200点弱が兵庫県宝塚市の手塚治虫記念館「忌野清志郎展~手塚治虫ユーモアの遺伝子~」(2015年2月20日(金)まで)で展示されている。
http://www.city.takarazuka.hyogo.jp/tezuka/4000020/4000044.html
曲のイメージデッサンや、ファンには見せなかった闘病中の自画像、娘への暖かいまなざしを感じる肖像画など、丁寧に人生と向き合った人間・清志郎の魅力が感じられる展示だ。

2/10(Tue)からはライブ映像がたっぷり収録された
映画『忌野清志郎 ロックン・ロール・ショー The FILM ~#1 入門編~』が全国上映される。
http://www.kiyoshiro.co.jp/schedule/index.html#2

腰を据えて政治的な問題に対峙する表現者が少ない今、忌野清志郎のことを知らない世代にも反骨精神をつきとおしたアーティストが日本にいたということを知ってもらいたい。             桑田氏には仮名をつかってでも忌野清志郎と「COVERS」を制作したときの熱い想いを思い出してほしい。                                                                                終戦から70年の今年、反戦平和を訴えるサザン覆面バンドを結成し、本気を見せてくれたら最高なのだが。
―――――――――転載ここまで
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「中国で日本人残留孤児支援を続けてきた石金楷さん」2015年1月19日(月)No.1077

2015-01-20 01:22:58 | 中国帰国者

見落としていた一年前の記事を発見した。

2014年1月21日、朝日新聞デジタルの

「(ひと)石金楷さん 中国の日本人残留孤児の支援を続け、来日する」

というものだ。

最近の朝日新聞の委縮ぶりを見るにつけ、不甲斐なくてたまらないが、

この記事を書いた石田耕一郎記者をはじめ、朝日新聞の記者たちは、

どうか、これからも歴史に中に埋もれ、忘れられようとしている

戦争の犠牲者に寄り添い、淡々と自分の信念を貫いてほしい。

ふんばれ!

 

―――――――――朝日新聞デジタル2014年1月21日

「(ひと)石金楷さん 中国の日本人残留孤児の支援を続け、来日する」

写真・図版石金楷さん

終戦の混乱で中国に残された日本人残留孤児の支援を中国東北地方で続けてきた。   21日、残留孤児であり、病気治療で日本に永住帰国する妻(73)に付き添い、故郷の黒竜江省ハルビン市を離れる。

生まれた時、自宅には靴の修理工だった両親が引き取った残留孤児の義兄がいた。                              1986年、義兄の身元が判明して日本へ帰国したのを契機に、孤児や養父母に会いに来る日本人訪中団との連絡役を務めるようになった。

黒竜江省は孤児の数が中国で最多。                                                             孤児認定の申請者に必要な手続きを教える一方、養父母宅を訪ね、帰国した孤児に近影を送ってきた。知り合った孤児は帰国者を含めて100人を超え、写真や形見の品を集めた中国初の常設展を一昨年、地元博物館で実現した。

友人らの評は「情に厚い」「まじめ」「不器用」。                                                       勤務先の国有企業からリストラされ、博物館から給与を受けるまでのここ8年間は無職で、蓄えを食いつぶした。                                                                                「金がなく、周囲には胃痛を装い、ずっと昼食を抜いていた」

日本の生活になじめぬ孤児の苦悩、残された養父母の孤独、証拠不足で孤児認定されない申請者の無念さ――。                                                                              今も続く戦争の悲劇を見てきた。                                                                  「今後は日本に帰国した孤児を訪ねて資料や証言を増やし、戦後の交流史を伝えたい」

亡き母が臨終で語った「日中友好」が活動を支える原動力だ。

 (文・写真 石田耕一郎)

http://www.asahi.com/articles/DA3S10935871.html

――――――――――――――――――

 

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「帰国者の友・新年会」2015年1月18日(日)No.1076

2015-01-18 22:08:30 | 中国帰国者

中国残留孤児一世、二世、三世とその家族、そして友人知人が集う「帰国者の友」新年会。

今年も懐かしいメンバー、初めての参加者など約30人が大阪市淀川区十三の

ロマネハウスに集まった。

みんな手に手にビール、ワイン、日本酒等々を持ってきてくれるので、

自ずとみんなのほっぺも赤ら顔に。

一人ひとりが近況を述べ合う。

一年分の悲しいこと、辛いことが溜まっているが、そこは踏ん張りやさんばかりの帰国者の面々。

さらりと語る。そして、希望も。

下は、大学での奨学金制度が分からず、娘が3年生になってようやく奨学金がもらえるようになり、

肩の荷が軽くなったと語る石田華絵さん。娘のキコさんは2年前江西財経大学に短期留学した。

 

↓昨年は、中国のお父さんや大阪での恩人の死、夫の転職など、辛いことばかりだったが、

今年はいい年になる希望がある、と立って語る原田玲奈さん。

座って聞いている二人は、

左が今春、4年間通った夜間高校を卒業する西井澄さん。「英語とパソコンが苦手だ」と厳しい表情。

さらに、卒業してからも学ぶことは止めないときっぱり言う。

右は夜間中学2年目が終わる山下飛子さん。山下さんは中学生時代、福建省で文化大革命に遭遇し、

学校どころではなくなった。

両親が難を逃れて家を離れ、妹や弟と家に残されてお金も食べ物もなく本当に困ったと語るとき、

いつも目に涙が溢れる。「あの時代のことは言いたくない。今でも辛くて苦しくなるから」と言う。

「今が私の青春時代。数学は英語より難しいわ」と楽しそうに言う。

 

今日は鍋物3種(水炊き・キムチ鍋・豆乳鍋)をつつきながら全員、一言ずつ語り合った。

蘇軍偉さん(河北省?出身)が豆乳鍋に挑戦中。

 

人民新聞社の山田洋一さんが手に持っているのは江西省樟樹の白酒「四特酒」。

厳先生のお土産だが、ちなみにこのお酒は周恩来さんが大好きだった銘柄だそうだ。

そして、周恩来さんは今でも中国人みんなに慕われている。

 さて、満腹になったところで尼崎のNPO法人「まいどイン尼崎」のメンバー

(て言うか我が娘夫婦と広川君)が得意技の「妖怪ウオッチ体操」を披露した。

 

 

 楽しそうな人々の中で一人、呆然とした風情の横山三郎さん(真ん中に座っている人)。

あとは懐かしい日本や中国、韓国・朝鮮の歌、京劇の地方バージョン、闘いの歌、失恋の歌、

みんなで楽しく歌う歌など、おおいに歌い、おじやをいただき、お喋りして、

また、それぞれ家路に着いた。

さようなら、みんな。

今年も頑張ろう。

 

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「20年目の1月17日」 2015年1月17日(土)No.1075

2015-01-17 18:56:54 | 日本事情

20年前の1月17日も寒かった。

祝日明けの通勤日だった。

そのころ尼崎に住みつつ大阪の小学校で働いていた私は、早朝5時46分頃、布団の中で

(ああ、今日出す文集の原稿を書かないと…)と思いながら、

暖かい環境から外に出ていくのが嫌でグズグズしていたのだった。

突然、メキメキという音とともにそれまで感じたことのない揺れを感じた。

(トロルが家を根こそぎ引き抜こうとしているんちゃうか!)と、とっさに思った。

私の肩でスーピー寝ていたクロちゃんが脱兎の如く(猫ですけど)布団から飛び出し、

すっとんでどこかへ行ってしまった。

それから後は怒涛の数時間だった。

にも拘らず、8時前(さあ、学校に行かないと)と自転車で阪急園田駅に向かった。

娘と息子は自主休校だ。

途中、屋根瓦がザーッと落ちた家があり、道路がガス臭かった。

それでも職場に向かう気持ちは変わらなかった。

これが普通の教師だ。

自分の受け持つクラスが心配なのだ。

しかし、駅に着くと事態がそういうレベルでないことを判断せざるを得なかった。

園田駅は暗く、人もいない。電車が動いていないからだ。

ようやく、事の大変さに呆然とし、自転車をUターンさせてフラフラ帰ろうとしたが、

ふと回り道して『どるめん』(友達の喫茶店)に寄ってみた。

表のドアガラスが見事に割れており、

中で店主のソンイルさんが棚という棚から落ちたミュージックテープやCDを拾っているのが見えた。

・・・・・・・・・

とまあ、20年前のことが昨日のことのように浮かんでくる。

自然が人間に警告しているんだと思ったあの時から、20年たった。

自然の警告から多くを学んだと言えるだろうか、日本社会は。人びとは。

 

当時18歳だった娘が今日のフェイスブックに下の文を載せていた。

―――――――――――――

am5:46 1.17

20 years have passed since the Great Hanshin-Awaji Earthquake.

...  Pray for victims…
1995年1月17日の朝 神戸市須磨区から長田区・兵庫区を撮影・編集したものです

――――――――――――――

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「辺野古を政府が襲っているゆゆしき事態」2015年1月15日(木)No.1074

2015-01-15 21:21:27 | がんばれ沖縄

沖縄県民の声は辺野古への新基地建設反対だ。

沖縄県知事に辺野古基地建設を進めない翁長氏が圧倒的支持で選出された。

そのオール沖縄の民の代表である翁長新知事が

首相に会いに東京に出向いても、首相は会いもしなかった。

安倍首相が、

県民の皆さんには納得していただくよう丁寧にご説明いたし、

沖縄県民の心に寄り添う云々

を一つ覚えの口癖のように繰り返していたことは記憶に新しい。

この政治家は厚顔無恥、恥知らず、民意無視の極端に非民主的な人間だ。

こういうモラルのない政治家たちを選んだ人たちの神経は、

どんな構造をしているのか。

沖縄さえ犠牲にすれば自分の身が安全だと思っているのだろう。

それは福島さえ切り捨てれば自分の身が安泰だというのと共通している。

私は現自公政権を選んだ日本人が自己中の塊としか思えない。

自分さえよければ、他はどうなろうと知ったことではないのだ。

私にはそう見える。

自分が手酷くやられるその日までそのスタンスを続けるのだろう。

想像力のかけらもない日本人たち。

さらに腐敗が進み、黙って犠牲になることを拒否する沖縄県民に対して、

「売国奴」「非国民」というバカも極まる悪罵を投げる者さえ

ネット上には浮遊する。

その言葉は鏡を見て言え、と私は言いたい。

 

話をもとに戻す。

沖縄県民の心に寄り添い、ていねいに耳を傾けるのが首相の義務だ。

首相はもっとまじめに働きなさい。

沖縄タイムスの社説は次のように述べている。

―――――――――一部抜粋(2015年1月12日)

官邸・防衛省は「仲井真弘多前知事から埋め立て承認を得た」                                  という一点だけを正当性の根拠にしているが、この「法的な有効性」には、いくつもの留保がつく。

そもそも仲井真前知事の行為は、県民への事前説明もないまま選挙公約に反して強引に埋め立てを認めたものでその後の名護市長選、県知事選、衆院選沖縄選挙区で完全に否定された。

政府が今、なすべきことは「工事を中断し沖縄県側と話し合いのテーブルにつく」「新たな解決策を模索する」こと以外にない。

   ■    ■

繰り返して言う。安倍晋三首相の「沖縄に寄り添う」という言葉が本心から出たものなら、安倍政権に「まっとうさの感覚」があるのなら、まず工事を中断し、沖縄の多数の人々の声に耳を傾けるべきだ。それが民主主義社会の当然のルールである。

政治学者の丸山真男は、著書の中で、民主主義を基礎づける比喩として次の言葉を紹介している。

「家が住みいいかどうかを判断するのは建築技師ではなくて、その家に住む人間である」

この言葉が示唆するように、騒音などの被害が避けられない米軍飛行場を建設する場合、地元の了解は、欠かせない大前提である。

米本土では、軍と地域社会の利害衝突を避けるため、米軍と地方自治体による話し合いの場が設けられている。

なぜ、沖縄にだけ民主主義の当然のルールが適用されないのか。

    ■    ■

政府・自民党の中から、しばしば聞こえてくるのは「本土移転は反対が多い」との言葉である。

沖縄ならいいのか。これを構造的差別というのである。                                          「辺野古が唯一の選択肢」だという官邸・防衛省の主張も、具体的な根拠を示したことがなく、世論操作の域を出ない。

権力の強権発動によって民意を無視して新基地を建設するのは、米軍統治下の「銃剣とブルドーザー」の再来である。とうてい認めるわけにはいかない。

http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=98231 

 

 

 

 

 

 

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「趙博&HALMA GEN『風まかせ』ライブ」2015年1月14日(水)No.1073

2015-01-14 23:41:41 | 

今夜十三駅傍「風まかせ 人まかせ」での、

趙博さん&はるまげんさん定期ライブ(二水会)に初めて出かけた。

 

 

韓国・朝鮮語での新年の祝詞紹介の後、趙博さんは

「私の子どもたちへ」(作詞・作曲笠木透)を唄い出した。

高石友也とナターシャ・セブンの歌で以前よく聞いていた曲だ。

たまたま私は今日、『瓦礫の中から言葉を』(辺見庸)を読み終えて、

思いが胸中、気体のように膨張していたところにこの曲だ。

思いに言葉がついていけない。

この曲は2011年3月11日のずっと以前に作られたものなのに、

いったい私たちは、何をしていたのか……。

 

     「私の子どもたちへ」作詞・作曲 笠木透

   生きている鳥たちが 生きて飛びまわる空を

   あなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは

   目を閉じてごらんなさい 山が見えるでしょう

   近づいてごらんなさい こぶしの花があるでしょう

 

   生きている魚たちが 生きて泳ぎまわる川を

   あなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは

   目を閉じてごらんなさい 野原が見えるでしょう

   近づいてごらんなさい リンドウの花があるでしょう

 

   生きている君たちが 生きて走り回る土を

   あなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは

   目を閉じてごらんなさい 山が見えるでしょう

   近づいてごらんなさい こぶしの花があるでしょう

 

   生きている君たちが 生きて走り回る土を

   あなたに残しておいてやれるだろうか 父さんは

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

笠木透さんは1969年中津川フォークジャンボリーを企画・スタートさせた人だが、

フォークジャンボリーが自分の考えと違う方向にむかって以降、一切出演しなかったそうだ。

有名にもならず、CDも出さないまま昨年12月22日、77歳で亡くなった。

しかし、「私の子どもたちへ」「我が大地のうた」「私に人生と呼べるものがあるなら」

などはYOU TUBEでも聞ける。

趙博さんが、

「いい人ばかり逝ってしまう。逝ってほしい人はいつまでも元気なのに」と。

同感だ。

 

今日聞いた曲は多くが懐かしく、思わず口の中でモゴモゴ聞こえない様に歌った。

・「私の子どもたちへ」(詞・曲 笠木透)

・「釜ヶ崎人情」(詞・もず昌平 曲・三山敏)

・「人生一路」(これは知りませんでした。美空ひばりさんの歌で、この間長嶋愛生園で歌ってウケたそうです)

・「前を向いて歩こう」(神戸の震災のとき以来趙さんが歌い続けている歌。これは「上を向いて歩こう」と比較して中国の学生たちに紹介したことがある)

・「橋」(詞・曲 趙博)

・「アホダラ教」(あらかわきよしさんという人の芸を踏襲したとのことです。リズム付きの諷刺しゃべくり)

・「教訓Ⅰ」(詞・曲 加川良)

・「老人革命の歌」(詞・曲 泉谷しげる)

・「赤土の下に」(詞・加川良 曲・アメリカの誰か、ちょっと私は分かりません)

・「釜石小学校校歌」

―――――――――

↑「アホダラ教」のときは衣装や小物も。

 

↑HALMA GENさんのピアノソロ。口にはカズー、足には鈴。

「WHAT A WONDERFUL WORLD」と、

あとオリジナル曲(すみません、曲名忘れた)を演奏。

この寡黙な音楽家が、なぜずっと趙博さんとともに活動しているのかが

分かる気がする。温かく、励ましに満ちた演奏だった。

 

↑その間にパギやんはちょっと休憩。オーナーの松井寛子さんと。

 

〈二水会ライブ〉について

毎月第二水曜日夜7時から阪急十三「風まかせ 人まかせ」にて。

(来月2月は第三水曜日(18日)に変更)

思いっきりそばで聞ける、めちゃゼイタクなライブであることは間違いない。

問い合わせは「風まかせ 人まかせ」tel.06-6886-8686まで。

 

 

 

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「手塚治虫記念館ー忌野清志郎展ー」2015年1月12日(月)No.1072

2015-01-12 21:51:49 | イベント情報

北風ぴーぷー吹く中を行ってきました。

宝塚の手塚治虫記念館。

それぞれの街にはそれぞれの佇まいがあるが、

阪急の駅を降りてすぐに武庫川が流れるこの宝塚市は、

大阪のようにゴチャゴチャ密集していなくて、スッキリ洗練された感じ。

左端の建物は宝塚大劇場、ということは宝塚歌劇団のパフォーマンス会場かな。

以前行ったことあるのに、ほぼ忘れた。

 

川を渡るとまもなく火の鳥が見える。ここだ!    リボンの騎士が正面入口に。

   

 

ここは何回か来たことがあるが、2回奥のこの読書スペースが一番好きだ。

手塚治虫の漫画が何時間でも読み放題だし、アニメも無料で好きなだけ観られる。

今日、私が読んだのは『ルードウィヒB』1・2巻。

他にも読みたい漫画が本棚にてんこ盛りだ。

子どもの頃、ひねくれモノだった私は手塚治虫の漫画が好きじゃなかった。

大体において偉大だと言われる人には警戒心を抱いていたからだ。

しかたがない。

また近々読みに来よう。

 

↓子どもから若者、おばあさん・おじいさんまで、時を忘れて読み耽っている。

 

じゃーん!

特別展コーナーの清志郎の映像です。

 

ただ、ただ、懐かしい。

観だしたらなかなか立ち去り難い。

下の二人もそんな感じ。

写真を撮っていいのはステージ衣装とかポスターだけ。

(ちょっと制限し過ぎじゃない?ヘルメットや自転車ぐらい撮影しても差し支えないのでは)

と心の中でブツブツ文句を言った。

中国では80~90%の人々は無視するだろう(経験的にそう思う)。

しかし、ルールを守ることが骨身に摺り込まれてしまった私は

標示のカメラ(×)マークにどうしても逆らうことができないのだった…。

だから、清志郎さんの自転車・ヘルメット・履歴書・たくさんの絵画が見たい人は、

やはりここ、手塚修虫記念館に足を運ばなければなりませぬ。

2月20日までだったかな。

      

           

 

      

 

下の完全復活ライブの1年後、2009年に忌野清志郎さんは

「AOYAMA ROCKN'ROLL SHOW」をしてこの世と別れた。

我が息子もそのSHOWに駆け付けた一人だ。

なにしろ親が情操教育でいつもRCサクセションのテープを聞かせて育てたのだ。

  

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「TOEIC終わって日が暮れて」2015年1月11日(日)No.1071

2015-01-11 21:49:27 | 日記

やれやれ、ようやく終わったわい。

この10日間というもの、テスト対策に多くの時間を割り当てるため、

非常にストイックな、社会との関わりの少ない生活を送った。

一日おきの淀川河川敷への散歩と、

数日に一度の徒歩数分のスーパーへの買い物、

そしてゴミ出しに外に出るだけで、

あとは部屋で英語のCDを聞き、リーディング問題を時間を計って解く毎日。

「砂を噛むような味気ない~♪」とかつて高石友也さんが「受験生ブルース」

で歌っていたが、私はこのモラトリアム生活はなかなかいいもんだと思った。

勉強だけしていたらいいのは、なんて気楽なんでしょう。

かといって英語力が増したと言えないのがちょっと恥ずかしいですけどね。

しかし!上達したことがある。

買ってきた旺文社の新TOEIC対策問題のCDは、

イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリアの4か国英語が同じ割合で配合されていた。

カナダ・アメリカはほぼ同じに聞こえるが、

イギリス、オーストラリア英語は聞いてすぐに分かる。

イギリス英語(かのCDではなぜか女性ばかりだった)は気取っているって言うか、

つい真似したくなるって言うか(笑)。

途方に暮れたのが、オーストラリア英語だ。

特にそのCDの人が極端なのかも知れないが、

私にはそっけなく紋切り型で愛想がないように聞こえるのだ。

そう言えば、NHKラジオの「実践ビジネス英語」(杉田敏さん)の

アシスタント女性も似た発音、イントネーションだ。

彼女もオーストラリア人なのではなかろうか、とかいうことに神経を使い、

もしTOEICテストに

「この音声はどこの国の人でしょう」

という問題があれば、かなり正解率が高いだろうに…と夢想したりして日は過ぎた。

しかし、そっけなく聞こえると言ってもそれは自分の耳が相対的に

アメリカ英語に慣れているからに過ぎない。

アメリカ英語が標準語だという訳でもなければエライ訳でもないのだ。

そう観れば、なにも上記4か国に限定せずとも、

アフリカ、アジア、オセアニア、カリブ諸国に英語を公用語にしている国は何十か国もある。

まさにイギリス、アメリカの帝国主義運動の成果である。

しかし、いったんその国・地域に着地した英語は、その地で独自に変化し発展してきた。

それを比べてみたら面白いんじゃないかな。

もし10年後にまだTOEICテストがあったとして、

ガーナやインド、ジャマイカ、サモアなどの英語が流れてきたらどうだろう。

皆、それを理解するために必死で取り組むだろう。

私がオーストラリア英語と格闘したように。

終わって見れば、オーストラリア英語にも

腹を立てなくなった自分を発見したブルーはーとである。

 

何はともあれ、

明日は宝塚の手塚治虫記念館でやっている忌野清志郎展を見に行く。

ずっと我慢していたんだ~い!

  

 

 

 

コメント (4)
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