色づく木々が美しい菏澤学院キャンパスの今。
山東省は東西にのびている省で、
私の駐在する菏澤市はその西の端にあり、すぐ隣は河南省です。
しかし、今から私は殷雪珂さんと日本語学部の主任とともに
東端の煙台に向かって出発します。
電車で12時間かけて、土曜日の「泰山杯山東省日本語スピーチコンテスト」に
殷雪珂さんが出場するからです。
今晩は夜行の寝台列車で寝ていき、明日朝、煙台到着予定です。
また、明日、煙台の様子を写真入りでご紹介しますね~~。
では、行ってまいりま~す。
色づく木々が美しい菏澤学院キャンパスの今。
山東省は東西にのびている省で、
私の駐在する菏澤市はその西の端にあり、すぐ隣は河南省です。
しかし、今から私は殷雪珂さんと日本語学部の主任とともに
東端の煙台に向かって出発します。
電車で12時間かけて、土曜日の「泰山杯山東省日本語スピーチコンテスト」に
殷雪珂さんが出場するからです。
今晩は夜行の寝台列車で寝ていき、明日朝、煙台到着予定です。
また、明日、煙台の様子を写真入りでご紹介しますね~~。
では、行ってまいりま~す。
参院選が終わり、
変わらなければならない日本の姿がいくつも浮かび上がってきました。
昨日のブログに書いた選挙管理委員会の開票不正について、
国政選挙は有権者が異議申し立てできる制度が裁判以外ないという
とんでもない制度上の欠陥が分かりました。
有権者は主権者です。
主権者の権利行使が疎外された場合、
選挙を執り行った選挙管理委員会は
有権者の異議を聞き、それに誠実に応える義務があるのです。
その義務を履行すると同時に制度を一刻も早く改正してください。
と言うか、早く改正しなさい!です。
何度でも言うけど、私たち有権者は日本国の主権者なのです。
もう一つ変わらなければならないのは、
重度障害者の国会議員(れいわ新選組の舩後さん・木村さん)の誕生に伴って
気がついた、
健常者仕様になっていた国会の諸設備、諸制度、
そして、障がい者の自立支援法の改定です。
障害者の就労を含め、社会的自立を助ける目的で作られた
自立支援法(障害者総合支援法)は、就労を支援すると言いつつ、
職場に介助ヘルパーが付き添うことを禁止しているという摩訶不思議な法律だと
私は舩後さんや木村さんの主張で初めて知りました。
「自立支援法(現在は障害者総合支援法)と言いながら、職場にヘルパーがついていくことは禁じられているからです。障害者は働くなと言うことでしょうか? この部分は絶対に変えなければいけません」
BuzzFeed News 7月21日(舩後靖彦 れいわ新選組・参院議員)
「重度訪問介護を使っているすべての障害者の人が介護者をつけて社会参加できるように。そして、労働や通学に使えるような制度にして頂きたい」
テレ朝news 8月5日(木村英子 れいわ新選組・参院議員)
「特別扱いになってしまう。全ての障害者が公費で社会参加できるようにすべきだ」
愛媛新聞ONLINE 8月7日(木村英子 れいわ新選組・参院議員)
ーーーーーーーーーー
このれいわ新選組の二議員に対して、
「特別扱いするな」「議員特権だ」と批判する声があります。
例えば、維新の大阪市松井市長・大阪府吉村知事が
(国会議員は高額所得があるのだから)
介護費用は自己負担すべきだと主張しています。
しかし、国会議員の給料は従来健常者議員を想定したものでした。
つまり、障害者議員は健常者議員と同じ給料の中で
介護費用を自己負担すべきだと言っているのですが、
それでも十分給料があるのなら、
健常者議員はその負担がない分、給料もらい過ぎじゃないんですか。
維新議員から「身を切る給料返上」は聞いたことないんですけど
まず、自分自身が「身を切る改革」ってのをやってほしいもんです。
兎にも角にも、
重度障害者が働くための自立支援法改革は早急に推進されることになるでしょう。
口で何千、何万回訴えても実現されなかったことが、
れいわ二議員の誕生で急ピッチで実現する・・・・・・
これ、本当にすごいことですよね。
資料:れいわ重度障害議員を「特別扱い」「議員特権」と言ってしまう人たちは何がズレているのか?」
文春オンライン 更新日:2019/08/12
れいわ新選組は、代表の山本太郎さんはじめ、
思わず耳を傾けてしまう主張の持ち主ばかりですが、
10人の考えの核は「人間として生きられる暮らし」を
政治の軸にすえることだと私は感じます。
その10人の中で、安富歩さん(東京大学東洋文化研究所教授)は
馬をつれての選挙を展開しました。
路行く人々はビックリしたでしょうね。
なぜ、馬なのか?
安富教授は、馬で選挙をしたわけを次のように述べています。
『現代の都市は徹底的に記号化されている。
先に人間の頭で記号操作が行われ、それに応じてコンクリートで固められおり、
あらゆる場所が綿密に覆われている。
それゆえ、我々は記号に取り囲まれて暮らしている。
その状況が我々を苦しめており、さまざまな社会的問題の根源になっている。
馬は、私たちのこの問題を照らし出し、その状況を変革する力を持つ動物である。
せめて欧米諸国くらいには、馬を生活に取り戻して良いのではなかろうか。
その馬の力を活用する社会をもう一度志向してはどうだろうか。
このことを人々に知ってもらうために、私は馬を用いた選挙を構想した。
・・・現在の日本の選挙の方法は暴力的である。
街宣車で名前を連呼し、大音量のスピーカーで一方的にスローガンを叫ぶ、
という行為は、多くの人が嫌っている。
それは、本質的に一方向の情報発信であり、暴力性を帯びているからである。
私が馬を用いて選挙をするのは、この暴力性を打破するためである。
馬のいる空間は、景色が一変し、たとえ都市においてさえ、
記号性を打破し、世界の自由度を回復させる。』
詳しくは
「やすとみ歩はなぜ馬で選挙をするのか?」
に書かれています。
子どもの頃、私の家には農耕馬がいましたが、
安富教授のように馬のことを考えたことはなく、
文章を読んで、(馬ってそうだったのか!)と思うことばかりでした。