毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「冷蔵庫修理はまだ途上」No.1741

2016-08-31 10:08:36 | 中国事情

さて、昨日もあたふたと時間が過ぎました。

3日前28日午後7時半ごろ宿舎に戻って冷蔵庫が壊れているのに気を取られ、

実は、いつから授業が始まるかの確認をしていませんでしたが、

授業は翌29日から開始でした(笑)。

29日、冷蔵庫のことをオフィスのMr.張にメールと携帯メッセージで訴えて、

(早く返事をくれないかな)と待っていた午前10時10分のこと、

携帯が鳴るので出たら懐かしい新2年の韋彤さんからでした。

「先生、教室が変わりました。知っていますか。」

と言うので私は新しい教室の番号を聞き、

久しぶりだから11時半ごろ昼ごはんを一緒に食べようと誘いました。

韋彤さんは冷静な声で

「もちろん嬉しいです。でもその時間は授業中です。」

と言います。

「あ、そう。何の授業?」

と聞くと

「先生の『日本国家概況』です。先生は今どこにいますか?」

と言うじゃありませんか。

その時、私は髪も解かず、パジャマ姿で部屋のエアコンでチーズとマーガリンを

冷やすのに余念がなかったのですが、授業は10時10分から始まっている…。

しかし、臨機応変力に優れた私は約15分後、既に教壇に立っていました。

3分で着替えして顔を洗い、30秒で日焼け止めクリームを塗りたくり、

後は教科書を鞄に詰め込んで、ぶっ飛んでいくだけです(道のり約10分)。

ああ、キャンパスの中に宿舎があるのって、便利~~。

取りあえず「夏休みの体験発表の準備をしておいてください。」

と言っておいたので、2年生諸君は練習しながらニコニコと出迎えてくれました。

そこに、新しいメンバーが座っていました。

経済学部から転部して日本語学科に入った学生です。

日本語は全く初めてで、夏休み自分で五十音を書く練習しただけです。

私は即座にチュータリングしなければならないと決意し、

早速昨日から放課後特訓を開始しました。

冷蔵庫問題ばかり考えていられなくなったのです。

 

で、昨夕特訓を終えて宿舎に戻り、パソコンやらマナーモードの携帯やら

チェックすると、Mr.張からの膨大な量の電話とメッセージが……。

彼は私の授業時間割を知っているので、

4時20分には授業が終わるから5時には宿舎に帰るはずだ、と判断し、

電気修理屋さんに5時に私の宿舎に行くように伝えていました。

同時に私にも電話やメッセージを送り続けていたのですが、

あいにくその時私はすでに授業中で、

携帯をマナーモードにして鞄に放り込んでいたので気づくはずがありません。

放課後はすぐに転入生に特訓です。もちろん、マナーモードはそのままで。

 

Mr.張の電話の嵐に対して、

(だいたい、わたしゃ午前中が都合がいいと伝えておいたのに

何で勝手に午後5時なんかに設定すんねん。

しかも、「1時間も待った」とか私が悪いのかよ!

きちんと約束時刻設定しろや)とむかつきましたが、

そうです。これが地元の時間設定感覚なんでした。

私はMr.張に自分の事情をメールで説明し、携帯でメッセージも送り、

13回も電話をくれたのにマナーモードで気づかなかったことを詫び、

改めて午前中に来てくれるように言ったのでした。

 

今朝7時50分、Mr.張から、

「リペアマンたちが今そちらに向かっているから

ビルのドアのカギを開けておいて。」と電話がありましたよ。

全て時間間隔の違いです。

7時50分から他人に電話するのも、

ギリギリ間際に時間設定するのも、この地元方式です。

ここでは、ずけずけとまではいかなくても、

自分の事情を遠慮せず言いあうことは、決して相手に悪い感情を与えません。

日本では(主張しすぎ)と取られかねない言い方でなければ通じないのが、

ここの感覚です。

私の前の日本人教師も、半年間ともに働いた日本人の先生も、

直接相手(オフィス)に言うことをとても遠慮していました。

それが一般的な日本人感覚なのか、

日本の「地の果て」北海道知床出身の私には分かりませんが、

次第にここの方式に染まってきている自分を感じます。

ていうか、慣れたら気が楽ですよ。この方式は。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「写真で綴る青島ー菏澤珍道中(その2)」No.1740

2016-08-29 23:10:23 | 中国事情

 青島駅構内にこんな表示がありました。

「軍人、並びに母親と嬰児用の待合室」があるということでしょう。

日本には「軍人」がいないのでこういう表示にはとても違和感を感じます。

大学生の中に、ときどき大学を途中でやめて軍人学校に行く人もいます。

また、軍の学校の入試に落ちたので大学に入ったという学生も。

中国で軍人はエリートなのです。

軍人専用待合室があるというのも特権と考えた方が自然でしょう。

まさか、母子に対するようないたわりを必要とすることはないでしょうから。

あるいは、一般人との交流をさせないため?

機会があったら誰かに尋ねてみたいと思います。

朝7時の青島駅は日曜と新学期間近とが重なり、早くも大勢の人たちが集まってきています。

 

青島駅は古い建物だそうですが、待合室と改札口がそれぞれ東西南北にあって、実に広かったです。

6番線の古い電車は、客が来る前に駅員が雑巾で乗車口を丁寧に拭いていました。

(日本と同じだなあ)と思いました。

向かいの7番線にはおなじみの和諧号が静かに休んでいました。

 

さて、ピースしているえん小玲さんの前を行く二人が、

例のコインロッカー係の人たちです。

朝、安宿まで迎えに来て宿代を清算してくれ、その後、私たちの荷物を持って、

長い階段の上り下りが不要な特別の入り口から入り(超楽ちんでした!こんなルートがあるとは!!)、

私たちの乗る電車の会計係のところへ行って乗車券も清算してくれたのです。

待っている間も椅子を勧めてくれたり、本当に至れり尽くせりでした。

まさかここまでしてくれるとは思ってもいませんでしたが、

えん小玲さんは、私が外国人だからだと言うのです。

そういうこと、あるかもね。

 

午後8時発が翌朝の8時半発になったものの、

ついに私たちは寝台席を確保し、出発することができました。

 

SMAPのキムタクファンのえんさんに、わざと中居君を褒めてチクチクしたり、

えんさんが保存している香取慎吾ちゃんのドラマを鑑賞したりして、

10時間後の夕方6時半過ぎ、ようやっとこさ菏澤につきました。

元気者のえん小玲さんも、さすがにお疲れです。

今回は本当にお世話になりました!

面白かったわ~~(笑)。

 

菏澤駅も青島駅同様、長い、長い階段を降りなければなりませんでした。

下は一番最後にヨロヨロと降りた後、一休みしながら撮った階段です。

私のスーツケースは20㎏弱、キャリーバッグは10㎏強。

一段いちだん持って降りたんですよ。

エレベーターも、もちろんエスカレーターもないし、車いすの人どうすんねん。

 

これでもか、という感じの終わり方。

宿舎の部屋に戻ると冷蔵庫が完全に壊れており、

ドアを開けると温かくツーンと臭う空気が流れ出てきました。

わざわざ保存するために冷蔵庫に入れておいた数々の食品を見ると、

ほとんど全てにカビが生えています(涙・涙)。

今回大阪から強力に冷凍して運んできたチーズ・マーガリン・チョコレートなども

青島駅での足止めのために解凍されてしまいましたが、

それでも粘り強い私は、部屋のボックス型エアコンを24℃に設定し、

風の出る隙間に差し込んで冷やしています(今日で2日目)。

部屋はむちゃくちゃ寒い…。

オフィスのMr.張に「緊急事態だから!一刻も早く修理するか新しいのを買ってくださいよ!!」

と言っても、何しろ中国時間ですからね。いつ直してくれるやら。

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「写真で綴る青島ー菏澤珍道中(その1)」No.1739

2016-08-29 00:46:33 | 中国事情

ようやく夕方7時に菏澤に着きました。

正確には予定が半日遅くなっただけですが、

心理的には丸一日ずれ込んだ気分で今日が何日かこんがらかってしまいましたよ。

昨日から今日にかけての滅多にない(と思いたい)体験を写真で綴ってみました。

 

1 空港から青島駅に向かうバスの中から見えた青島の街

郊外には高層ビルが立ち並んでいます。地震の多い日本とは建築事情が違いますね。

市の中心に近づくと、ここでも世界中どこにでもあるKFCやらスターバックスが見られました。

欧風建物が目立つのは歴史的建造物かと思いきや、

そのほとんどは経済効果を狙って近年建てられたものだそうです。

 

 

2 青島駅近くで水餃子をいただく

駅前で待ち合わせたえん小玲さんは、自分が昼ごはんをおごると言ってききませんでした。

中国的マナーなのだそうです。

しかし、青島ビールまで飲んでしまった私は、なんぼなんでもそれは受け入れられないと粘り勝ちしました。

右の皿が鰆(さわら)、左はセロリの餃子です。

鰆餃子は今まで食べた中でも最もおいしい餃子の一つでした。

店の壁には習近平主席の写真が。

5年前に江西省の農村を訪れたときには毛沢東の絵が飾ってありました。

3 市内見物に繰り出す

3時半から8時半まで5時間もあるので、えん小玲さんは

私を「壁柴院」という海鮮屋台横丁と、

「五四広場」に案内してくれました。

まず、壁柴院です。人々でごった返しています。

   

 

五四広場とはどこかと思ったら、この冬休みに田先生に案内されて行った海辺の広場でした。

冬は寒くて人影もまばらでしたが、昨日は暗くなるまで家族連れや若者たちで

にぎわっていました。

 

 

この時には、汽車の乗り遅れることなど想像だにしていませんでしたよ。

 

4 汽車に乗り遅れた後

補償交渉をえん小玲さんに任せ、駅構内を歩く小物体を発見し、

撮影しました。蜘蛛?イエイエ、どう見てもカニですよね。

 

 

5 宿泊した安宿の部屋

客は私たちだけのような侘びしいゲストハウスでした。

ツインの部屋もダブルベッドの個室も同じ料金だというので、

それぞれ個室にしてもらいました。

私の泊まった部屋はこんな感じです。

ドアの赤矢印は釘を鍵代わりにしているのが面白くて撮りました。

ドア外側下のオレンジの矢印は、

発芽してヒョロリと伸びた植物です。

 

 

≪つづく≫

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「青島駅で立ち往生」No.1738

2016-08-28 00:08:38 | 人間

本来ならば、今頃は青島駅からカタク行きの寝台車でグーグー寝ているはずなんですけど。。。

今はまだ青島駅近くの安ホテルの湿っぽいベッドの上でタブレットパソコンのキーボードを打っています。

今朝6時半に家を出て一路関空へ向かい、青島流亭空港に12時頃ついたところまでは極めて順調でした。

空港バスに乗って青島駅についたのも予定通り、そこでカタク学院の1年生(新2年生)のえん小玲さんと落ち合いました。

えんさんとは青島市に属する県の出身なので一緒にカタク学院に戻ろうと約束していたのです。

さて、夜行列車は午後8時5分発でしたが、時間がたっぷりあるのでスーツケース2つを駅のロッカーに預けた後、

えんさんの案内で街に繰り出しました。

久しぶりの水餃子、しかも青島ならではのさわら(魚)餃子をたっぷり食べて、

海鮮屋台がひしめく「壁柴院」へタクシーを飛ばし、その後海辺の「五四広場」を散策して

またタクシーで7時半までに駅(東口)に着きました。

チケットは7月から4年生の王さんが買ってくれていますから、ロッカーから荷物を出して

ホームに行きさえすればよかったのです。

そのロッカーが開きませんでした・・・・・・。

青島駅構内のロッカーは身分証明書とロッカーナンバー票をセンサーにかざすと自動的に開くようになっています。

しかし、それがどうやっても開きません。

係がいない場合は電話をするようになっているので、そこに電話をしても誰も出ません。

えんさんは脂汗を流して近くの誰彼構わず窮状を訴えているうちに

別の係がやってきて無理やりカギを開けてくれました。

午後8時ちょうどだったのですが、運悪くというか駅の構造に不案内だったというか、

改札口は何と果てしなく遠い南口だったのです。

その時、えんさんはノートパソコンが入った私の重いキャリーバッグを右手に、

自分の25kgはある信じられないくらいの重量のスーツケースを左手に持ち、

背中にはバックパックを背負って異常に長いエスカレーターのない下り階段とそのあとの上り階段を

一気に降りたり上ったりしたのです。

火事場のくそ力とはこのことでしょう、と感心しながら私もよろよろと巨大スーツケースを持って上ったり降りたりしました。

結果は、3階まで上り詰めたところで、私たちはドアが閉まったばかりの列車が動き出すのを

手をこまねいて見るということになりました。

思えば、7月に日本に帰る時も飛行機が飛ばず、次の乗り継ぎができなくて上海に一泊しました。

今日は、ロッカーが開かず、青島に一泊です。

えんさんのものすごい剣幕での抗議で、

駅のロッカー係は宿泊費と汽車代を支払ってくれることになり、

私たちは駅の堅い木のベンチに寝なくても良くなりました。

それでも、えん小玲さんは、係官が個人的にお金を払うので高いホテル(2人で600元)はやめて

この湿っぽいシーツの安宿にしました。

この辺がえんさんの優しいところです。

こんなボロ旅館でもWi-Fiはちゃんとあり、私はブログに刺激的な今日の出来事を書き留めることができます。

写真も撮りましたが、それはカタク学院の宿舎に行ってからのお楽しみにしておきましょう。

面白かったけど、疲れたわ(笑)。

 

使い慣れないタブレットパソコンで文字サイズや漢字を変更するのもままならず、

続きはまたカタクで、ということでお休みなさい。                 

 

 

 

 

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「夏休みの終わりに」No.1737

2016-08-24 23:02:31 | がんばれ留学生

間もなく夏季休暇が終わります。

今年の夏休みは帰って来るなり参院選があり、

その後は北海道、広島、そして沖縄と

バタバタ駆け回っているうちに過ぎ去っていこうとしています。

まだ、夏休みの宿題のオコジョさんへの返事も書かず、

ミヤサカさんに短歌の感想も送らず、さだまさしのDVDもコピーしていません(涙)。

しかし!まだあと2日ある!

私は子どもの頃よりギリギリになってから寝ないで頑張る性癖があり、

日記も一気に3週間分書いた実績があります。

何とかなるやろ。

 

一昨日、江西財経大学出身で東京の杏林大学大学院に留学中の施芳芳さんが

半年の留学期間を終えて帰国するルームメイトを関空へ送り、

一晩泊って東京に戻って行きました。

私が必ず留学生を案内するところは、

桂米朝さんの正統派大阪弁アナウンスがほんわかと訪問者を迎えてくれる

「大阪暮らしの今昔館」です。

もちろん、施芳芳さんも連れて行ってあげました。

しかし、いつもと違ってエレベーター前にはずらりと外国人客が列をなしています。

こんなに込み合っているのは初めてでしたが、

スタッフが英語でクーポン券を持っているかとか、チケットはあるかとか、

一人一人に丁寧に尋ねています。

外国人はほとんどがアジア系とみられる人たちでしたが、

みんな英語で話しています。

スタッフが私たちにも「日本人ですか。」と聞くので、

私は日本人で施芳芳さんは中国人だと言うと、

「えっと、中学生ですか?」

「あっ、すみません。高校生?!」

「ああ~、まことに申し訳ありません。大学院生ですか~。」

の三段階を経て、学生は半額の300円で入館できると教えてくれました。

ただ小柄なだけでは20歳を過ぎた女性を中学生と間違えません。

施芳芳さんは全身から清楚さ、純真さがにじみ出ているので

こうした勘違いが生まれるのでしょう。

 

家に帰って、待っていた娘と孫娘に引き合わせ、

孫中心にぺちゃくちゃお喋りしてのんびり過ごしました。

浴衣はほとんど中国の菏澤学院に送ってしまいましたが、

地味なのが一枚残っていたので芳芳さんに着せてあげました。

でも、意外やとてもよく似合っているじゃないですか。

後ろは甚兵衛姿で鏡とにらめっこする孫娘です。

 

一緒に撮ろうと誘うと、恥ずかしがって鏡の後ろに隠れる孫娘。

シャイなんですね~、私に似て。

 

何とか出てきたと思ったら、このむっつり顔。(;^_^A

でも、手には施芳芳さんのお土産のペンギンをがっちり握っています。

 

一瞬で逃げていく孫娘。

これを数回繰り返しました。これも2歳の子どもには遊びなんですね。

そして、遊びとは言え、何でもとても真剣です。

中国の子も日本の子も、全くおんなじです。

それにしても、施芳芳さんが中学生に間違われるのが

なんか分かりますよね(笑)。

彼女は、また今日から東京のコンビニでバイトをしているはずです(時給840円だったかで)。

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「つくづくオリンピックってやつは」No.1736

2016-08-19 21:31:07 | むかむか

オリンピックが始まると私の心は沈みます。

新聞各紙もネットのニュースも

知らない個人名(オリンピック選手でしょう)を連日見出しに取り上げ、

「日本の○○、四連覇!」とか「日本の△△連覇ならず!」とか、

「リオオリンピックもいよいよあと◇日。皆さんもテレビの前に釘づけでしょう」とか、

いつものオリンピックと同じことの繰り返し。

まず、気分が落ち込むその①は、

「オリンピックはみんなが楽しむに決まっている」感が押し寄せること。

普段、スポーツなんかひとっつも見ないであくせくしている人間が、

突然、テレビのオリンピック番組をあくせく見ている奇妙な情景と、

(みんなもそうしているに決まっている)雰囲気の蔓延には言葉を失います。

落ち込みその②、

「日本人は日本の選手を応援するのが当然だ」感に報道も覆いつくされ、

友人に会っても、「あ、愛ちゃん今日どうやった?私見過ごしたわ」とか言われる恐怖です。

小さいころからひたすら卓球の修行を続けてきた福原愛さんが、

大活躍したり、惜敗して泣いたりするのを応援したい気持ちは私もわかります。

しかし、血のにじむような苦労をして選手になったのは、 

日本人に限らず、どこの国の選手も同じではないでしょうか。

なぜ、同じ応援の気持ちを外国選手に対して持てないのか、私は不思議でたまりません。

 

数年前、中国江西省の大学生がスピーチしたことに、次のようなものがありました。

「私と姉は、テレビで国際卓球試合を見ていました。

中国の選手が日本の選手を下して私が大喜びしたその時、姉が

『日本人の選手、残念だったね。』と言うではありませんか。私は、

『中国人なら中国の選手を応援するのが当たり前だろう!』とムッとしました。

姉はそれでも、日本人の選手をねぎらっていました。

その時、まだ私は日本語学科に入ってもいない高校生でした。」

 

先日、ブラジルの観客が

自国選手のライバルであるフランス人選手にブーイングをしたとニュースにありました。

自国の選手だけを応援することと、

外国人選手をけなす心根をたどっていけば同根だと私は思います。

スポーツ大会はスポーツを愛好する人たちが参加し、

それを見るのが好きな人たちが見ればいいだけじゃないですか。

なぜ、支援を自分の属する国や土地の人に限定しなければならないのか

私にはわかりません。


1964年、東京オリンピックはそれだけではなかったと私は思います。

私は小学生で、外国の名前もどこにその国があるのかもろくにわかりませんでした。

開会式や閉会式で、今まで聞いたこともない国の選手たちが

ニコニコと手を振って会場内を歩いているのをテレビで見て、

(オリンピックって国際親善なんだなあ)と思いました。

 

時代は移り、その時より社会は明らかに閉じています。

自国選手のメダル数ばかり気にしている今のオリンピックなんか、

もうやらない方がましだと思うのは私だけでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

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「中国行きの支度:浴衣購入」No.1735

2016-08-16 01:15:36 | 中日(日中)交流

↑寝屋川のリサイクル着物ショップ「桶蝶」さんから

中国の学校にプレゼントする浴衣を買いました(破格の値段です(;^_^A)。

(我が娘からの寄付もあり。ありがたや)

菏澤学院日本語学科の学生たちにとって、日本語の授業より

何倍も楽しい浴衣の試着。

今年の春に初めての試着会をして分かったのは、

江西省の学生たちに比べて、山東省の学生たちの多くが、

縦にも横にも大きいということです。

つまり、L、LLサイズが必要なのです。

私は今まで日本の和服はどんな体型の人にもフィットすると信じていたので、

今春、そう言い切れない事態に遭遇し、愕然としました。

また、男性は押しなべて背が高くて、

浴衣を着るとひざ下までのツンツルテン状態になるのでした。

そういうわけで今回は桶蝶さんに数着の女性用Lサイズを準備していただきました。

桶蝶姐さんに言わせれば、

「男はひざ下で、すねを出していても一向にかまいません。」

ということでした。

 

寝屋川からキャリーバッグに浴衣や帯を詰め込んでヨロヨロ歩いて帰ってくると、

自宅近くの団地の前にこんなポスターが……。

これが大阪でんねん。

 

ポスターの脇に蝉の抜け殻も見つけました。

私は蝉の抜け殻を一列に並べるのも好きなのですが、

最近、アベ首相のせいで忙しく、そんなこともできません。

非常に残念です。

 

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「中国からの留学生が家に来て」No.1734

2016-08-15 00:23:30 | 中日(日中)交流

↑パジャマ代わりに私のボロTシャツ&パンツを着用して大笑いする徐蕾さん。


江西省南昌の江西財経大学で

1年生、2年生のとき教えた徐蕾さんが泊りがけで遊びに来ました。

今年江財大卒業と同時に4月から大阪の語学学校に通いつつ、

大学院進学を目指しているのです。

彼女は高校時代、語学は苦手と思っていたのに、いざ大学を受けたら、

大学側から日本語学科を指定され、しかたなく日本語を専攻した子です。

中国の大学受験生は一応自分で専攻を選びますが、

受験の結果、成績が足りない場合、

他学部なら引き受ける旨を大学から言われることがよくあります。

江西財経大学は会計・金融・貿易などの専門に人気が集中して入試での得点は

かなり高くなければ入れません。

日本語学科はそんなに人気がないので、徐蕾さんのように

「日本語学科なら入れてやる」と言われる受験生が出てくるのです。

 

そんな徐蕾さんですが、

二年生終了時には意思疎通に不自由しない会話ができるようになっていました。

一年の時からグングン私に近づいてきて、

「先生、昼ご飯を一緒に食べましょう。」

「家に遊びに行ってもいいですか。いつがいいですか。」

と、間違いを恐れずにとにかく日本語で話したことが会話上達に寄与したのは確かです。

 

大学に入るまで語学が苦手で避けて通っていた彼女の例から見ると、

言語習得にとって必要なものは、

(何が何でも話せるようになるぞ)という強い決意を持ち、

そして、聞くこと、話すこと、覚えることを徹底的に実行し、継続することです。

 

昨日13日は大阪西九条のクレオ大阪西であった、

「新聞うずみ火」主催の講座

「日本はなぜ、戦争に突き進んだのか」(講師:木坂順一郎さん)を

一緒に聞いた後で我が家に連れ帰り、

ダイコクの呼び込みバイトが超きつくて熱中症になりそうだけど、

時給1200円だから頑張るしかないという話やら、

語学学校の授業がかなりつまらないことやら、

大学院のどこも受け入れてくれないので困っていることやら、

わんさか話して、さあ寝ようとしたその時、

ついチベット、ダライラマ、劉暁波さんの話になって、

午前三時過ぎまで互いの知識を突き合わせるのに時間がかかり、

今日は相当寝不足状態でした。

それにしても、

「百度」(中国のポータルサイト)で劉暁波さんについての

悪意に満ちた解説を初めて知って、私は愕然としましたよ。

「『香港が百年植民地だったおかげで民主化が実現したことを思えば、

中国本土も三百年どこかの植民地になれば、きっといい国になるだろう。』

と劉暁波は語った。」とか書いてあるのです。

もちろん、ここで初めて劉暁波さんの名前を知った徐蕾さんは、

「私は熱心な愛国主義者ではないけど、これを読んだ限りでは、

劉暁波は酷い悪者だ。」

と、私が「この記事は政府発表と同じだよ。事実だと信じるわけ?」

と水を差しても、かなり本気で怒っていました。

普段彼女は、政府発表やメディア情報はとても嘘が多いと認識しているのに、

それでもこうした記事に出くわすと、いくばくかの影響は確実に受けるのです。

日本人民も、中国人民も、

政府やメディアの言うことを鵜呑みにするまいと思っていても、

冷静かつ多面的に物事を観察し、分析し、判断するには、

その訓練を積まなければならないとシミジミ思いました。

何ごとも訓練、練習が大切です。


↓今日14日、尼崎の娘夫婦宅を訪れ、孫娘のブランコ漕ぎを手伝う徐蕾さん。

「日本語でこれは何ですか?ブランコ、ブランコね。」

と呟きながら。(近松公園の隣の公園で)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「高江に飛んだチバさんのレポート」No.1733

2016-08-12 11:49:11 | 人間

7月22日、沖縄高江で本州各地からかき集められた500名の機動隊が、

わずか140名の非暴力で座り込む者たちに対して働いた違法極まりない暴力行為を

私はフェイスブックやツイッターで知りました。

そのとき、以前「海と風の宿」で知り合ったチバさんは、

21日高江に飛んでいき、22日の大暴行を受ける側にいて、

その時の生々しい様子を知らせてくれました。

普段は町会長さんとして地域の世話役をしたり、

趣味の畑仕事で各種ジャガイモを作ったりしているチバさんは、

会社を定年退職した後、世界を股にかけてヒッチハイクするような人で

組合運動もな~んもしたことがありません。

しかし、平和と平等と正義を第一に考えると

辺野古や高江の軍事基地建設・オスプレイパッドはダメだという明快な判断の下、

本州から格安の飛行機で沖縄に通っています。

チバさんの立ち位置はとてもスッキリ清々しくて、

人間、こうありたいと私が常々思うお手本のような人です。、

それにしても、この記事を読むと機動隊の弾圧が凄まじいものであり、

死者が出なかったのが不思議なくらいだということが分かります。

悔しい、怖い。

これが今の沖縄だ。

それなのに、日本全国でどれほどの人がそれを感じているんだろう。

チクショー!!!

 

ーーーチバさんの7・22報告ーーー

<沖縄東村高江7.22「民意無視の国策強行 住民排除」の現場から>

安倍首相は「沖縄の方々に丁寧に説明する」と言っているが、

やっていることはまるで逆だ。

そういえば3.11福島の原発事故に対しても「福島に寄り添う」と言っていたし、

安保法制を 強行採決した時も「国民に丁寧に説明する」と言っていた。

騙されてはいけない。

 

島尻安伊子沖縄・北方大臣が、参議院選挙で10万6000票の大差で敗北した。

これはハッキリと沖縄の民意が「基地NO!」を示したことになる。

ちなみに現在沖縄出身の国会議員6名全員が基地建設反対で、

政権与党の自民党、公明党の国会議員はゼロである。

辺野古ぶるーのEメール連絡網で

「高江N1ゲート前テントは7月20日以降撤去される可能性が高い。

都合のつく人は直ちに高江に集合して下さい」が入った。

私は急遽沖縄に飛び高江に入った。

7月21日は高江のヘリパッド反対抗議集会に参加した。

直射日光を浴び33℃の気温での集会は辛かったが

集まった人数は1600人と発表があった。

  集会後「明日の早朝が決戦になる情勢」という情報があり高江に泊まることにした。

といってもこのゲート前テントには近くに宿泊する場所は無い。

道にダンボールを敷いてごろ寝です。(~_~;)


早朝3時30分「機動隊が行動開始した」という合図で叩き起こされた。

県道70号線は南北に通る片側一車線、歩道無し、

道の両側にすぐガードレールがある細い道だ。

私達はテントの北側150m、南側70mに道一杯に車167台をハの字形に並べた。

北側に70人、南側に約60人が車の間に座り込んだ。

夜が明け始めた5時ごろから北側に機動隊員300人以上、

南側に約200人が現れた。

まるで戒厳令を敷いている軍隊だ。

6時前一斉に攻め寄せてきた。

私たちは非暴力で必至の抵抗を試みるが多勢に無勢、徐々に排除される。

排除の方法はすさまじく、女性だろうと年寄りだろうと、

あの革靴で踏みつけ、腕をねじり、手首を関節技で締め上げ、

一人に数人がかりで担ぎ上げ容赦しない。

排除されても、されてもまた道路に戻り座り込みを続けた。

さらに、彼らは南北約4kmの道路を封鎖していた。

(弁護士によれば法律違反だ!

すなわち私たちには早朝から来るはずの援軍はこれない!)

6〜8回座り込みを繰り返し抵抗したが、一回毎に南方に追いやられ、

結局、圧倒的な力の差で南側のテント近くの一角に押し込められた。

この間、南側を守っていたグループの動きは全く分からない。

我々のグループにも怪我人が出て道に横たわっている人が数人、

そんなことは一向に構わずやりたい放題。

今回は3人も怪我をして救急車で搬送された。

1人(女性)は2本のロープで首を絞められ一時意識朦朧、

もう一人(女性)はろっ骨が折れ全治1.5ヶ月、

もう一人(男性)は背骨をいためて動けない。

救急車の世話にならなくてもほとんど全員が傷だらけ。

そして、直射日光のテント前に集められて数時間、

トイレに行きたいと訴える女性になかなか許可を出さず、

私たちの抗議で機動隊員がついてトイレ行くことを許可、

南側では道脇の藪でするように指示され、

やむなく女性が(ハブがいる藪で)用を足した。

近くにいる男性が「機動隊の諸君、向こうを向いていなさい」と大声で怒鳴った。

↑これはその男性の証言で沖縄出身の赤嶺国会議員との懇談会で明らかになった。

しかし、機動隊員は1時間交代で涼しいかまぼこへ、

トイレも立派なトイレ車をけん引して持ってきている。

暑さと、けが人など多発で山城さんの判断で午前11時ごろやむなく撤退した。


私たちの斥候(途中の道の見張り番)によると

「機動隊の大型バス(かまぼこ)は確認しただけで28台、

その派遣先は品川、福岡、千葉、横浜、なにわ、愛知など

全国12拠点から隊員600名+指揮官数10名が沖縄に集結していた。」

との情報です。沖縄は日本でしょうか? 

この国に民主主義はあるのでしょうか? 

この国に法律はあるのでしょうか? 

警察官(機動隊)は誰のためいるのでしょうか?

ーーー報告ここまで。

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「♪なんてこった~い(^^♪ 」No.1732

2016-08-10 19:48:29 | 人間

沖縄で前日入籍し、高江にハネムーンの大阪の新婚さん! 

ヒロジさん、どんだけ嬉しいか(*´∀`*) 

 

高江から発信されたツイッター()から紹介させていただきます。 

【高江】なんてこったい!

大阪から駆けつけてくれたカップル、

なんと昨日入籍してハネムーンで高江に!!

「大きな循環の輪が広がるように」

と願いを込めて、沖縄で入籍されたそう。

もう博治さん大喜びでカチャーシー

「高江の勝利は間違いない!」

 
 

【高江】朝のゴタゴタで疲れて汗ダクの身体を休めに、新川へ。

やっぱりこれこそ高江の醍醐味。

生きものたちよ〜、

人間がゴメンね。

がんばって守るから、休憩させてね。

ふうぅ。

生き返ります。。。

 
 
 
 
 
ーーーーーーーーーー
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「沖縄高江でがんばる独立(自立)系ジャーナリストたち」No.1731

2016-08-10 15:35:28 | がんばろう沖縄

「うずみ火」「IWJ」「田中龍作ジャーナル」などをはじめ、

独立系報道者たちが、多く沖縄高江に取材に来ています。

産経・読売なんかもちろん来ませんけど、朝日、毎日という大手全国新聞の取材は

少なくとも私は見ませんでした(5,6日の短い滞在だったこともあるのでしょうか)。

その分、多くの「本土」からの独立系ジャーナリストや映画監督、写真家たちが

私たちのすぐ傍にいて何事も見落とすまいと構えていました。

それだけで、とても心強く感じました。

どこも報道しなかったら「密室で拷問」状態ですからね~。

(あ、TBSの金平茂紀さんも取材していました。

他は私の見た限り沖縄の新聞・テレビ局でした)。

 

個人がみんな携帯やらスマホで撮った写真・動画をSNSで

即座に全国に発信する姿も目立ちました。

これも、とても効果的ですね。

山城さんは「おかげで鼻くそもほじれない」と冗談を言いつつ、

「辺野古と比べて高江は若者がとても多い。

ツイキャス、ツイッター、フェイスブックなどSNSを通じて

高江の現状が直ちに全国に伝えられ、それで知って飛んで来た人が多いのが

特徴だ。さらに、どんどん全国に高江の姿を伝え、呼びかけてほしい」

と訴えていました。

参加者一人一人が、(自分がジャーナリストだ)と思って伝えないと

大手新聞、テレビ局は、安倍政権の方ばかり忖度しているので

全くあてになりません。


ーーーーーー下は田中龍作ジャーナルの写真から。

抗議者一人を数人の機動隊員が寄ってたかって、

一人の機動隊員が息ができないように顔の前面を締め付けているのが

よくわかります。

この写真には写っていませんが、実は、機動隊員の常とう手段として、

一人の人間の頭、胴体、腕足などをそれぞれ別の機動隊員が、

まるで雑巾を扱うように絞ったり捩じったりするのです。

あちこちやられて医者に行き、

「なんだ、これは!まるで拷問でも受けたようだ!」と言われた人もいます。

市民には抗議する権利が法律で認められているのですから、

これは完全に、完全に、違法行為です。

屈強な機動隊員にヘッドロックされる男性は窒息寸前だった。

8日午前9時ごろ、東村高江 撮影:筆者=田中龍作 

http://tanakaryusaku.jp/2016/08/00014224


ーーーーーー下はIWJのインタビュー記事。

小口幸人弁護士は、これまた高江にずっと張り付いて

権力の違法行為を見張っている人です。

「東京も沖縄も法律は同じはずなのに」

〜高江のN1テントと経産省前「脱原発テント」で政府の矛盾が浮き彫りに~

 小口幸人弁護士インタビューー2016.8.5 IWJ(Independent Web Journal)

記事公開日:2016.8.10地域: 
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/324738

(取材・文 原佑介 記事構成・ぎぎまき 文責・岩上安身)

 

 高江ヘリパッド建設工事に抗議する市民が設置した「N1裏」テント。撤去期限となった8月5日当日、沖縄県を拠点に活動する弁護士の小口幸人氏に、テント撤去をめぐる法的根拠について話を聞いた。

 

 沖縄防衛局は7月22日、「N1ゲート前」の市民テントを強制撤去した。全国から集められた500人にもおよぶ機動隊と抗議する市民らとの攻防戦は「Xデー」と呼ばれ、3人の怪我人が救急搬送される事態にまで発展した。

 次に防衛局が狙っているのが「N1裏」テントだ。いつ撤去されてもおかしくない2度目の「Xデー」に備え、全国から100人規模の市民が集まっている。小口弁護士はIWJのインタビューに対し、「N1裏」テントを強制撤去する法的根拠は見当たらないと訴える。

 「N1ゲート前」と何が違うのか。小口弁護士の説明から見えてきたのは、2つのテントをめぐる法的権限の差異だけではない。東京・霞が関の経産省前に設置されている、通称「脱原発テント」の国の対応とは明らかに違う、沖縄差別の実態だった。

N1ゲート前テントとの法的根拠の違い。N1裏には「道路法」が適応されない!?

160805_32473_01
――N1ゲート前とN1裏では、沖縄防衛局によって貼られた張り紙の内容が違うということですが、ご説明いただけますか?

小口幸人弁護士:

「7月22日のN1ゲート前では、県道70号の路側帯にあった車2台と(市民)テントが撤去されました。それまで張り紙には、『7月19日を過ぎたら所有権を放棄したものとみなします』と書かれていました。それに関してはN1裏も変わりません。

 しかし、張り紙の内容をよく読むと、違っている点があります。N1ゲート前のテントについては、道路法の条文をちゃんとあげて、『道路管理者(沖縄県)の許可を取らずに置いていますね』というもので、『これに反しているからどけてください』という文言が入っていました。ですが、N1裏に(道路法の条文)は入っていません。

 なぜN1裏の説明には入っていないのか。おそらく、N1裏は道路法上の道路ではない。つまり、『道路法に反していますよ』という根拠がないということです。そこにN1ゲート前とN1裏の違いがあります」

 

▲防衛局が「N1ゲート前」に貼った張り紙▲防衛局が「N1ゲート前」に貼った張り紙
▲防衛局が「N1裏」に貼った張り紙▲防衛局が「N1裏」に貼った張り紙

N1裏の車両には警告の張り紙も貼っていない!? 強制的にどける権限がない

 「N1裏」には道路法が適応されないという見立てをした小口弁護士。防衛局には、車両を強制移動する権限もないのでは、と指摘する。

 「もう一つ、この真ん中にある『統一連・平和号』という車。N1ゲート前であれば、車については道路交通法76条3項の、『みだりに交通を妨害するように車を置いてはいけない』という条文に反している、という張り紙を名護警察署の署長名で貼っていましたが、N1裏には何も貼っていません。それに反しているという警告も今のところない状態です。

 正直、弁護士の目から見れば、N1裏のテントも車も、どける要素が見当たらない。撤去しろとは言っているが、強制的にどける権限は見当たらないんです。

 確かに、ここは沖縄防衛局が管理しているので、防衛局の土地に勝手に置いていると言われれば勝手に置いているかもしれない。でも、だからといって勝手にどけていいわけではない。一番わかりやすい例は、霞が関の経産省前にずっと建っている『脱原発テント』です。

3年以上続いた経産省前「脱原発テント」撤去の裁判闘争、「脱原発テント」撤去判決に至るまでの法的手続きが、なぜ沖縄では踏まれることがないのか

 原発推進政策に反対する市民の手によって2011年9月、経産省敷地内に「脱原発テント」が建てられた。2013年3月末、国は土地の明け渡しを求める裁判を起こし、7月28日の最高裁の決定によって、「脱原発テント」はいつでも強制撤去される状況になった。3年以上続いた裁判闘争。沖縄では法的な手続きを取らず、一瞬でテントが強制的に撤去される。小口弁護士は、ここに、国の沖縄への暴力的な扱いがあると話す。

 「『脱原発テント』については、国もまさに、経産省の土地だとして裁判を起こして、(最高裁の)判決が先日、出てしまいました。今後は、裁判所が強制執行手続きをとって、テントをどけるという手順になります。これが、本来の法治国家であり、霞が関ではそうやっているわけです。

 しかし、なぜか沖縄では裁判を起こしてテントをどけるという手続きを今のところやっていない。N1ゲート前についてはそれをやらずに、強制的にどけたということです。

 

▲2011年9月11日、抗議活動に乗じる形で設置された「脱原発テント」▲2011年9月11日、抗議活動に乗じる形で設置された「脱原発テント」

テント撤去の法的根拠とは〜防衛局からの新たな回答「防衛省設置法」

 「N1裏」テント撤去の法的権限はなにか。沖縄防衛局に問い合わせた小口弁護士の口は、「防衛省設置法」という回答を引き出したという。

 「『N1裏』の貼り紙にある、『8月5日を過ぎたら所有権を放棄したものとみなします』という文言について、防衛局に何の権限に基いたものなのか問い合わせをしました。すると、防衛局は、『防衛省設置法4条19項』というのをあげてきました。

 それぞれ設置法というものがあって、『こういう目的で、こういう事務をやるんですよ』というお仕事リストがある。そういう、省を設置するための法律があって、そこには各省の業務や使命が書かれているんです。

 その業務の中には物資の調達とか、職員の確保とか、いろんなことが書いてあるんですけど、その中のひとつに、『日本に駐留する外国軍の基地に関することもお仕事ですよ』いう条文があるんです。それに基づいて(所有権を放棄したものと)みなそうとしてどけた、というのがこの間、防衛局が言っていることなんです。

 しかし、もしそれで(強制撤去が)できてしまうと、日本のすべての行政行為は、どこかしらの省庁のお仕事リスト(管轄)に入っていますから、他の法律は全部関係なしに、設置法だけを根拠に、(やりたいと思うことが)全部できるというとんでもない話になるので、『設置法でテントや車をどけられるんだ』という解釈は、およそ見かけない、少なくとも私自身は見たことのない解釈です。

 防衛省設置法は、各省庁の『お仕事リスト』ですから、それでどけるというのはどう逆立ちしても通らないかな、と思います。その上で、防衛省が繰り返しその条文を出しているということは、一生懸命、他の根拠となりそうな法律も探したけれども、どうしても他に思い当たらなかったのでしょう。無理筋です」

防衛省設置法第四条
十九  条約に基づいて日本国にある外国軍隊(以下「駐留軍」という。)の使用に供する施設及び区域の決定、取得及び提供並びに駐留軍に提供した施設及び区域の使用条件の変更及び返還に関すること。

属国の傀儡政権ゆえの強硬姿勢!? なりふり構わず工事を進めるのは、米国様とのお約束!?「すごく格好悪い話」

――高江と霞が関の対応の違いはどこからきているのでしょう。

小口弁護士「どこからきているのでしょう…。もちろん、(東京も沖縄も)憲法も法律も同じ。そこは違わないはずなんですね」

――変わらないはずですよね。何がこんなに差をつけているのでしょう。

小口弁護士:

「うがった見方をすれば、霞が関で強制排除をすると大きく報道もされる。反対の声もあがり、そういう目を気にしてというのは一つ、あり得るかなと。

 もう一つあるとすれば、アメリカ軍様とのお約束、米国様とのお約束で、『今年中に工事をやりますよ』と。その約束を守ることを何よりも優先している。

 霞が関の『脱原発テント』のケースのように、法治国家の枠組みに沿ってやるよりも、アメリカとの約束を重視しているから、なりふり構わずにいく。すごい格好悪い話だと思いますけど、そうなのかなぁと。

 その約束があるから、法律的な根拠がなくてもやっていい、なんてことは成り立たない。裁判所は法律に基づいてやっていますから、日本が法治国家ならば絶対に許されないですね。

 やるのであれば、この車やテントについて、ちゃんと裁判を起こして、裁判の中でこれが本当に不当な占拠なのか、それとも正当な抵抗権に基づくものなのか、ということをちゃんとやるべきです。もしも負けて、判決でどけるというなら、私も弁護士としてそこまで文句言う気はないんですけど。すっ飛ばしすぎですね」

――話をうかがっていると、防衛局や機動隊はテントの強制撤去ができるとは思えませんね。

小口弁護士:

「私もこないと思うんです。一応、防衛省に問い合わせをした時に、もう一つ聞いたんです。この『N1裏』のテントを撤去できる権限の有無と、根拠の如何について。

 当初、防衛省からは、『仮定の質問にはお答えできませんので、お答えを差し控えさせていただきます』と言われたので、『差し控えさせていただきますと言われても、私は嫌ですので、教えてください』と返したんです。

 そうしたらまた連絡があって、『仮定の質問なので…』と。仮定じゃないですよね。『ここにある、今設置されているテントについて、どかす権限があるかどうか、早急にそこを教えてください』と返信したところ、防衛局は『それはまだ検討していません』と。私はものすごく驚いたので、『本当に検討していないんですか?』と念を押すと、『検討していません』と。

 『それは防衛省の正式解答ですか?』と聞くと、『はい、現在検討しておりません』と言われたので、『そんなアホな』と思いますが、検討はしていないようです。なので、慌てて『検討して連絡してくれ』と伝えたのですが、折り返しの電話はまだありません。検討していないからやらないのか、検討しないでやるのであれば、その時点で法律を守る気ないということですよね」

 どこに住んでいる人であろうと、すべての日本人に高江で起きているこの現実を、見てもらいたい。日本は今や、本当に「法治国家」ではなくなりつつある。法的根拠なく、行政が権力を行使する。米国からの命令に従うだけの「無法」の属国である。この現実にすべての人が気づき、日本の「主権」の回復と「法治」の実現のために、「主権者」としてできうる限りのことをしていただきたいと願う。

ーーーーーーIWJ記事ここまで

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「高江の森の異変2ー安倍アキエなる人が来たとか」

2016-08-09 00:49:04 | 反戦

      

N1裏テントから少し歩くと眼下にやんばるの森が静かに広がっています。

山城博治さんが、5日夜テント内で

「高江の森には蚊がいません。森が澄み、水が腐っていないからです。」

と言った通り、寝ていて一度も蚊に悩まされることがありませんでした(昼間も!)

 

6日未明がまず一つ目の山場でしたが、

機動隊が襲い掛かってくることもなく、200名以上のテント組は無事に朝を迎えました。

早朝から続々と人々が駆けつけて、あっという間に500人ほどに膨れ上がりました。

下は6日朝6時頃のテント外の様子です。 

 

朝の集会での山城博治さん。

前夜(5日夜)、暗いテント内で「山城さん」と声をかけると

気軽に握手の手を差し出してくれました。

私が「博治さんの涙を見て、飛んできました」と言うと、

「リーダーが泣いてしまってダメです。」と恥ずかしそうにおっしゃるのです。

「そんなことないです。涙も、泣くことも、また、力です。」

と、とっさに口から言葉が出ましたが、

あながち、はずれてもいないと思います。

人は人の怒り・悲しみ・恐怖・苦しみを感じ、受け止め、

咀嚼し、深め、行動することが大いにあるのですから。

沖縄の人たちは喜びも悲しみも怒りも、心を全開して表現し、

そのことで全世界の人々の共感を勝ち得てきました。

山城博治さんは、そんな沖縄人の一人です。

辺野古でも高江でも、人々のヒロジさんへの信頼がとてつもなく大きく深いのを感じます。

 

朝の会では国会議員の福島瑞穂さん(社民党)、赤嶺政賢さん(日本共産党)、6人の県議会議員(共産党、社民党)、多くの市町村議員や高江に張り付いて権力の違法行為を見張っている弁護団、愛媛県から駆けつけた辺野古土砂搬出反対全国協議会の代表が次々とスピーチされました。

福島瑞穂さんは5日から8日まで高江に張り付いて

機動隊はじめ安倍政権の出方を厳しくチェックしています。

赤嶺政賢さんも毎日来ています。

↓赤嶺政賢さん。スピーチする毎に、

一回一回地元ならではの異なるエピソードを語ってくださって、とても興味深かったです。

どこにいても前向きオーラ発散の福島瑞穂さん。

テントではずっと私の前に座ってはりました。

続いて山本太郎さんが登場。

自分で車を運転してきたそうです。

挨拶の仕方がとても謙虚でした。

 

さて、話題の三宅洋平さんの登場です。

この時点(朝9時過ぎ)では

安倍アキエさんのことは博治さんも誰も知らなかったと思います。

三宅さんが語り始めると辺野古のYさんが

「もっと辺野古(や高江)に来てくれ」

といった内容のヤジを飛ばしたのに対して、三宅さんがムカッとした声で

「めったに来ない者、初めての者はここに参加できないのか」

と大きい声を出しました。

私にはそんなやり取りに聞こえたのですが、

実はちょっと後ろの方の席だったので誤解があるかも知れません。

もし聞こえた通りだとしたら、三宅さん、気色ばむのは良くないですよ。

政治家でも何でもない人なら、

仕事の休みとって、高い交通費をやりくりしてしょっちゅう駆けつけるのは、

簡単ではないでしょう。

しかし、三宅洋平さんは政治家として名乗りを上げている人なんだし、

那覇市には自分の店、三宅商店まであるんだから、

辺野古・高江にそんなに来ていない場合、

子供っぽく偉そうな態度をしてはいけないと私は思います。

山本太郎さんが7月25日、高江で、

「22日にここにいなかったこと、本当に申し訳なく思います。

そして、もう一つ、2011年に福島原発事故が起きるまで、

自分にとって沖縄は他人事でした。

そのことを謝罪します。本当に申し訳ありません。」

と謝罪したことで、私はどれほど山本太郎さんを信頼したかわかりません。

安倍首相の連れ合いのアキエさんも、三宅洋平さんも、

今回、まるで一貫性がないちゃらんぽらんな行動を取ったと思います。

昭恵さんは15分ほど滞在しただけで

高江ヘリパッド工事やそれに対峙するする人々に対して何のコメントも

いまだに発していません。

確かに高江に来た若者の中には

三宅洋平さんの選挙フェスにいたく感じていた人が何人もいました。

動画で観た三宅洋平の顔・ことばには強い力があると感じました。

それだけに、緊張感高まっている時にぶつけた今回の行動は、

何の効果を生み出すのか私は評価できません。

 

集会後、のんびりしていたらまたしても雨がドバーッと降ってきました。

テント屋根に溜まると大変なのでみんなで流しています。

瞬く間に川ができます。

「昨日、溝作っといて良かったね」と近くの女性たちが話していました。

5日の昼間に大急ぎで作ったテントなのでした。

(わ、カタツムリ!と思ったら殻だけでした)

 

 

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「澄んだ高江の森の異変1」No.1729

2016-08-07 22:52:28 | 反戦平和

5日夕方6時過ぎの高江の空。

N1ゲート裏に設営されたテント前に1000人以上の人たちが集まりました。

集会直後、スコールのような激しいにわか雨で、リュックから雨具を出す間もなく

全身びしょ濡れになりました。

その後はすっきり透明に晴れ上がり、その後真夜中にまた大雨。

(そうだった、そうだった、沖縄はこんなだったんだ)。

いろんな人たちが駆けつけ、いろんな人たちが思いを言い、皆それを聞いていました。

私はそれを反芻しながら借りたテントの中で寝ました。

 

実はこの日、名護バスターミナルで高江までのボランティア送迎の方々が

声をかけて下さり、何人か一緒に車で連れてきてもらったのですが、

たまたま同乗し、知り合いになった若者の記事をフェイスブックで見つけました。

高江や辺野古の真実が伝わってくる文でした。

紹介させていただきます。

ーーーS・Aさん( 高江N-1テント)。昨日 9:36 

 【みんな勘違いしてる。】

報道でよく映る、先頭切って反対運動してる人達は、全然過激なんかじゃないし、

乱暴なんかじゃない。ずっとずっと色んな沖縄の問題に、

自ら立ち上がって声をあげてきてるだけ。


切り取られた瞬間だけを見て、一歩引いて見てしまってるんちゃうかな。

確かに他人事やと思えば一歩引けるだろうけど、

当事者にとっては、到底許せるはずの無いことが平然と行われてるんよね。

沖縄県内から集まってる人達は、ただただ沖縄のことが好きで、

理不尽な出来事を黙っておけない、地元を愛してる人達。

県外から集まってる人達は、決して暇な人達なんかじゃないよ。

限られた休みを使って、観光する訳でもないのに高い交通費払って、

少しでも力になりたいって思って集まってる。


虫飛びまくりの湿気満載の雨晒しのテントで、寝泊まりする人達を、

どんな理由があれば嘲笑できるんやろう。

真夏の炎天下の中、コンクリの道路で座り込みする人達を、

どんな理由があれば嘲笑できるんやろう。

自販機も、コンビニも、まともなトイレも、コンセントも、何もないんよ。

全然快適な場所なんかじゃないんよ。

普通に考えたら楽しくなんかないよ。


一回考えてみて欲しい。

なぜ反対運動をしてるのか。

なぜ反対運動に参加する人達がいるのか。

「アホみたいに叫んで、どうせ何も変わらへんのに。」って思ってへんやろうか。

自分がその問題に直面する当事者やったら、どう思うか、一回想像してほしい。


ここで起きてる

【権力の暴走】は

沖縄だけでは済まへんよ。

やがて日本全体で同じことが起きる。


あなたの大好きな地元の思い出の場所が、基地になって、

そこから飛んでいった戦闘機が海外で人を殺して帰ってくる。

【基地】やからね。

練習も、本番もあるからね。


そうやって想像してほしい。

ちょっと想像するだけで、一気に考え変わるから。他人事じゃなくなるから。


写真:3度目の山本太郎さん

帰り道歩いてたら、偶然車に乗ってるのを発見😁自分で運転してはった。笑

ーーー記事ここまで 

 

 

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「さあ、満天の星を見に高江へGO!」No.1728

2016-08-05 01:14:14 | 人間

今は5日未明1:15です。今夜7時には高江にいます。

元来引きこもりの私にしては過度な行動ですが、

自分を守るためには致し方ありません。

個人が平和と安定の下に生きる自由、

個人の尊厳を侵害されたら人間として生きていけませんのでね。

思えば、沖縄ではずっと侵害されっぱなしだったんですよね……。

「日本国憲法を守れ」と言うとき、いつも

日本国憲法も沖縄には適用されてこなかったことを思います。

 

「お上に逆らうのか、非国民!」

という趣旨の発言が近年日本で横行しています。

 菅官房長官が、

「沖縄に対する予算と基地建設はリンクする」

と、今まで「国家と地方自治体の対等関係を維持する」という

日本の自治制度の建前をかなぐり捨てた発言をしました。

「お上に盾突くやつにはムチしかやらんぞ!」と同義語です。

これは、日本が民主主義国家ではないことをはっきりと示すものです。

今更ですが、ジョン・ロックの抵抗権の思想を高校で教えてもらっておいてヨカッタ!

私たち市民には、理不尽な権力に抵抗する天賦人権があるのだと知ったとき、

高校二年生の私は嬉しくて胸がドキドキしました。

 

さあ、ジョン・ロック肝いりの抵抗権を行使しに行ってきます!

画像に含まれている可能性があるもの:空、テキスト 

8月5日午後6時 ヘリパッド建設阻止高江現地集会

8月6日東村村祭り(*´▽`*)

コメント (2)
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「心が折れる」No.1727

2016-08-03 09:30:58 | 人間

山城ヒロジさんが泣きました。

「警察の暴力に心が折れ

街宣車の上であれだけの暴力を振るうことができるのか 

怖ろしさと仲間たちの姿に胸が張り裂けそうに」(山城博治)。

 

来る日も来る日も頑張り続け、

身体を壊しても、入院しても、また立ち上がり、頑張り続けてきたヒロジさん。

「平和な暮らしを子々孫々に渡したい」という思いで

一緒にふんばってきた全国の皆さんも同じ気持ちでしょう。

(かく言うわたしも写真を見て胸が詰まり、何回も泣きました)。

今、日本では、

権力を握る者たちがパワーアップして宣伝と弾圧の手を強めています。

多くの人の感じる心は鈍麻しています。

伝えなければならないことが人々に伝えられず、

誇張した文言が人々の心に真実と映るからでしょう。

と言うか、人々は真実を見ようと欲しているかも疑問です。

 

数年前、田母神というウルトラ国粋主義者が選挙に立って街頭演説をしたとき、

ある若者(きちんとした格好で見た目爽やか系)はインタビューに答えて、

「田母神さんを支持します。真実かどうかは別にして、

こうあってほしいと思うことを田母神さんは言ってくれるから。」

と言いました。

ゾッとする言葉でした。

(もう、日本はだめか)と思い、自分の無力を感じた瞬間でした。

今回の都知事選では桜井誠というザイトク会(ヘイトクライムグループ)の実行者が

国費外国人留学制度について、

あのですね…、国費留学制度と言ってますけれども、

こんなバカな制度をやってるのは日本だけなんですよ!

アメリカ、あるいはイギリスのような国では、自国民よりも外国からの留学生に対して、より大きな負担を求めています。 ところがですけれども、自国民であれば月々10万円で済む学費を、20万円払え、30万円払え…、これが普通なんですよ。

我が国では、相手が朝鮮人・シナ人というだけで、

国公立の大学に無料で入れてあげる・・・これ、許せますか?」

と7月23日高田馬場で選挙演説し、ネットで称賛を受けています。

彼を支持する投票も十万票を超えました。

彼の言葉を心地よいと感じ、鵜呑みにしていたのでしょう。

 

蔑称としての「朝鮮人」「シナ人」を意図的に使うことの卑劣さもさることながら、

桜井誠の言う「相手が朝鮮人・中国人であるだけで国公立大に無料で入れてあげる」

など、もちろん事実ではありません。

もし、それが事実ならば今頃、中国からの留学希望者は

何百万人も殺到していることでしょう。

日本の国公立大学は

①全ての国交を樹立している外国からの留学生に門戸を開いている。

②選考試験に合格することを条件としている。

のです。

つまり、これは優秀な外国人留学生を対象にした制度であり、

大学のステイタスを上げることにもつながります。

優れた学生が集まれば、その大学自体もより優れたものとなり、

従って結果的に地位・名声が上がるからです。

将来ある人が世界的評価を受けたとして、その人が

「私はかつて日本の○○大学に留学していました。」

とか言う姿を想像してみてください。

見返りは十分すぎるほどあるじゃないですか。

 

ちなみに、全ての外国人留学生を無料で、選抜試験などなしに入学させる国として、

ノルウェー、フィンランド、ドイツ、チェコなどがあります。

(参照 http://tatsumarutimes.com/archives/5574

学費が安いヨーロッパの大学13カ国をまとめました。〔2016年版〕)

残念ながら、日本の大学はこれらの国に遠く及びません。


こうやって、ゆっくり話ができれば、(なんだ、そうなのか)と思えることも、

街頭で桜井誠の話を聞くだけでは真実に見えるというこの構造を

どうやって打ち破れるのでしょうか。

私は毎日、ブログを書きながら自分の折れそうな心に

(一面だけ見ちゃだめだ。ものごとにはすべてグッドポイントとバッドポイントがある)

と言い聞かせています。

しかし!ヒロジさんの涙は本当にね……。


そういうわけで、沖縄に行きます。

この夏はあちこち行ってお金も使ったし、身体も疲れているし、

娘がもうすぐ赤ちゃん産むし、

沖縄はまた冬休みに行こうと思っていました。

でも、美しい心が折れそうなときは、

せめて傍に行って寄り添いたいのです。

三上智恵さんの呼びかけにある『フローズンパインドリンク』も心の琴線に触れました(笑)。

パイン、買うぞ~~~!!!


―――三上智恵さんの呼びかけ

 

『8月6日未明が1つの山場ということで
高江行きを企画されてる方多いと思いますが

なんと6日は恒例東村まつり!なんですね

1000人くらい集まってしまい、機動隊がこの日は動かず穏やかな土曜日となって
みなさん、まつりを覗いたり、道の駅でしか飲めない
100%フローズンパインドリンク飲んだり、

楽しいこともたくさん体験して帰って欲しいです!

ちなみに私は必ずサンライズ東という道の駅に寄って
このフローズンパインと本物のパイン買いますよ!

特に甘みがダントツのゴールドバレルという人気種は
空港ではひと玉¥4000ー¥5000もするものもある(O_O)

でもここで買えば大きさにもよるけど800円でも買える!
絶対食べて欲しいです。
あなたのパイン観が変わります。

ちなみに私のベストは

1.ゴールドバレル
2.塩パイン
3.ピーチパイン
4.クリームパイン

これ、みんな東村のパインの品種です。

路地ものも安くて美味しいですけどね!』

 

 

三上 智恵さんの写真 三上 智恵さんの写真
三上 智恵さんの写真  三上 智恵さんの写真
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8月6日未明、また、機動隊が襲い掛かってくる可能性大だそうです。

8月5日の夕方、格安航空とバスを乗り継いで友人とともに高江に到着します。

たった一晩だけですが、

ずっと暴力に耐えて座り込んでいる人たちの傍に、私も座りたいと思います。

このブログを読んでくださっている方の中で

もし高江に行こうという方がいらっしゃったら、

高江への行き方が書いてある下のサイトをお読みください。

写真入りでとても分かりやすいので、今回参考にさせてもらったものです。

「ゆんたく高江」http://helipad-verybad.org/modules/d3blog/details.php?bid=356


《ふろく》フェイスブックでこんな呼びかけ記事も見ました。

---------Sumiko Kojima Kito

山本太郎議員のブログにおいて、

8月6日から9日にかけて、工事強行のピークがあり、沖縄高江に、多くの人に来てほしいとの呼びかけがありました。

もちろん、山本議員は行くし、他の議員にも働きかけているそうです。
三宅洋平さんも、8月6日に急遽、駆けつけてくれることになりました‼️

私は、病気の父を見舞う予定なので、悩んでいますが、
一週間前から、共産党と民進党に電話をかける活動を行っています。
支持者だと伝え、政府が強行してやっていることに、なぜ一人の議員も送り出さないんだ!
野党としても評価を上げるチャンスだぞ、と詰め寄りましょう‼️

山本太郎議員と福島みずほ議員だけでなく、多くの国会議員が沖縄高江に行けば、メディアも取り上げるだろうし、機動隊も暴力がやりづらいと思うのです。

沖縄に行けない方は、電話作戦手伝ってください。

三宅洋平選挙ボランテイアをやっていた、大袈裟太郎くんみたいに、カンパしてくれたら、みんなの代表で行きたいと言っている人もいます。
フェイスブックで大袈裟太郎、おおげさたろう、、検索してみてください。熱い男です。浅草で人力車やってます。
私たち夫婦は、カンパしました!
みなさん、よろしくお願いします。

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コメント (2)
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