毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

漱石を読み始めた:その2(生い立ち)

2023-06-30 20:27:30 | 人間

夏目漱石(金之助)は1867(慶応3)年、江戸牛込、現新宿区生まれの江戸っ子だ。

1916(大正11)年に亡くなるまで49年しか生きなかったが、

一人の人間としては内在する力の全てを出して生きたのではないだろうか。

漱石の作品や関連書籍を読むに従い、

彼のイメージが次第に私の心の中で形を成してきたが、

それは、満身創痍で、頑固に、底知れない忍耐力を発揮して死ぬまで粘る人間の姿だった。

 

そもそも、生い立ちがたいへんだ。

名主の五男坊(末っ子)として生まれた時、母親は高齢での出産を恥じたという。

生まれてきたことを恥じられた子だった。

生後4カ月で古道具屋か小間物屋かに養子に出されたが、

一歳で養家が変わり、結局は養家の塩原夫婦の不和のため九歳で生家に戻された。

典型的たらいまわし。

戻った生家で厄介者だったことが自伝的小説『道草』の一節に書かれている。

「実家の父にとっての健三(註・主人公)は小さな一個の邪魔物だった。何しにこんな出来損ないが舞い込んできたか、と言う顔付きをした父は、ほとんど子としての待遇を彼に与えなかった。今までと打って変わった父のこの態度が、生みの父に対する健三の愛情を根こそぎにして枯らし尽くした。(中略)

実父から見ても養父から見ても彼は人間ではなかった。むしろ物品であった。ただ実父が彼を我楽多として取り扱ったのに対して、養父には今に何かの役に立ててやろうという目算があるだけであった。」

養父が金之助の籍を「塩原」のままにしておきたがったのは、

将来、給仕にでもしてお金を養家に入れさせるためだと直接本人に語ったという。

漱石は後に「当時の自分はよく壊れずに耐えたものだ」と書いているが、

これが漱石のトラウマ=消えない傷になったのは明らかだ。

「トラウマを抱えながら、壊れずに耐え続ける」ことが、漱石の一生だった。

その中から、「自分本位」「人間の目的は生まれた本人がつくる」という、

揺るぎない漱石の個人主義が形成された。

只者ではない人に出くわす度に心が震えるが、

この間から私の心の心拍数は、またしても爆上がりだ。

↑夏目家のあった牛込馬場下町ではないが、近くの江戸川の桜満開の風景。

東京名所写真帳1910(明治43)年刊行より

 

 

 

 

 

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漱石を読み始めた:その1(きっかけ)

2023-06-29 14:49:41 | 

一昨年来、息子の店で友人たちと月に一度読書会をしてきました。

息子に代わってメニュー作成、大量の調理、お金稼ぎだけで24時間が過ぎていた日々、

この会の時間は私にとって格別のものでした。

今、自由時間が増えて晴耕雨読が可能になり、

(なんだ、いいぞ。しばらくはこのまま続いてくれよ)

と何にとはなく呟きながら読書を楽しんでいます。

 

その会では、毎回気になる本なり、人物なりを共通テーマに選び、

それぞれが自分の興味の赴くままに調べて発表し、

それに対してみんなで好き勝手に意見や感想を述べるのです。

私たちは間にお気に入りの絵本や歌の紹介なども挿み、

蛇行しながら古代、平安、鎌倉を経て明治までたどり着きました。

先月は森鴎外、今月は夏目漱石の作品や人、時代がテーマでした。

 

実は、私は以前から森鴎外の作品が好きです。

『渋江抽斎』を読みながら、

幕末に家門の長男として生まれ、エリートとして生きざるを得なかった鴎外の人生を想い、

子どもたちのために書いたのであろう

『寒山拾得』『山椒大夫』『ヰタ・セクスアリス』を読みながら、

(子どもたちを大切に思っていたんだろうな)と想像するのは楽しいものでした。

 

一方、夏目漱石は

『吾輩は猫である』『坊っちゃん』はアニメや子ども向けダイジェスト版にもなっています。

私も子どもの頃、町の小さい本屋(神田書店、まだあるかな)で買った『わが猫』を読んで

いたく面白く感じ、

次の『坊っちゃん』を目指して6㎞の道のりを自転車を漕いで町まで行ったほどです。

その意味で確かに漱石は、子どもにも読まれる「国民的作家」だったのでしょう。

しかし、今回、それ以外の作品を読んで人生で初めて漱石に向かった私は、

あまりの落差を受け止めるのに一週間以上悶々としました。

〈つづく(笑)〉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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6月23日沖縄戦没者慰霊の日

2023-06-23 14:52:07 | 平和

↑琉球新報の記事から写真をお借りしました。沖縄 きょう戦後78年の「慰霊の日」 時代の曲がり角、平和の願い一層強く - 琉球新報デジタル|沖縄のニュース速報・情報サイト (ryukyushimpo.jp)

 

私はもう先がそんなに長くないのを確信しています。

生まれてきて、生きて、暮らして、死ぬ人間の一人として

どう生を全うするかが関心の中心にあるのですが、

まあ、そんなにオシャレに締めくくることもなく、

普段通りに終えたいものだと願っています。

自分で自分の人生を締めくくれることは

取りも直さず、なかなかいいことです。

 

それを思うと、そうできなかった人々のこと、

歩む道を自分で選択し、がんばったり、泣いたり、笑ったりして

生きる時間、行程を十分に味わえなかった人のことを

残念に思わざるを得ません。

自然災害はそれでもまだ(仕方ない)と諦めるしかないかも知れません。

しかし、政府が始めた戦争で

戦わされて、殺させられて、しまいに殺された兵士たち、

巻き込まれた民間の人たち、子どもたちは

仕方ないじゃすまされないです。

怖かったろう、無念だったろうと思うと、どうしても胸が苦しくなります。

 

岸田総理が今日、沖縄戦没者慰霊式典に出席するそうです。

(時間的にもう、したでしょう)

あの首相が、

命をむしり取られた人たちのことを少しでも想像できるとは思えませんが、

そう言っては身も蓋もないので次のように首相に訴えます。

 

岸田首相、

少しでも国民をだいじに思う気持ちがあるなら、

陸上自衛隊石垣駐屯地の新設をはじめ南西諸島での防衛力強化は

沖縄県民はじめ国民の命を脅かす愚策ですから

やめてください。

戦争を準備することが戦争を抑止するとは

あり得ない頓馬な考えです。

岸田首相、

政策を決めるときには、

首相自身の命、首相の子どもや家族の命とまったく同じ命の価値を、

一人一人の国民が持っていることを

どうか想像してください。

(ていうか、これ書きながらむなし過ぎるんだけど)

 

 

 

 

 

 

 

 

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夜盗虫

2023-06-21 23:57:29 | 裏庭

↑朝見たら青紫蘇の葉がボロボロだ。

↑加えてバジルも。

・・・・・・

こういうことするのは夜の活動家、ヨトウムシ以外に考えられない。

私は暗くなるのを待ち、携帯のライトを照らして

小さな我が箱庭に降り立った。

蚊に噛まれるが、私の神経は紫蘇を食べる虫を見つけることに集中している。

 

  

↑こういうのを

一日目:11匹、二日目:3匹、三日目:2匹、四日目:3匹

見つけてはつっかけの下で潰した。

自然は万物が共生しているというが、

こういうとき自分は人間社会中心主義の立場で

育てる野菜を食べる虫を排除する。

たじろぎはほぼない。

めちゃ勝手だな、とは思うが

それがどうしたと開き直る。

穴だらけの紫蘇の葉を飲食店で出すわけにはいかないのだ。

 

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6月19日「あの、お弁当ありますか」

2023-06-19 18:12:31 | 街角

↑写真は前回3月(第12回)の「食のおくりもの」の準備しているところです。

看板の右下に「必要な方はどなたでも ぜひお越しください」

と書いてあります。

 

2020年、第一回の「食のおくりもの」をする前のミーティングでは、はじめ

「お困りの方はどなたでも ぜひお越しください」

と書こうという案だったのですが、

その時、ある意見が出ました。

「『お困りの方』なんて書いたら、本当に困っている人は来られない。

誰でも来ていいんだと思えて初めて来ることができると思う。

それに支援者は、困っている人とそうでない人を見分けることなどできないし、

ふるいにかけることももちろんできない。

所得証明書を見せろなんて言えないし。

だから、『みんな来てください』でいいと思う。」

皆、それを聞いてそれもそうだということになりました。

 

13回も続けるうちにはいろいろなことがありましたが、

私は店の中にいるので次の事例は後で聞いたことです。

 

何回目かのその日は一家族?が6人、それが二家族で並んで一人一つずつ持ち帰り、

50食用意した弁当があっという間になくなってしまいました。

バーゲンセールでおひとり様一つ限りの商品を身内総動員でゲットする手法です。

弁当は無料サービス商品と同様に考えられたのでしょう。

でも、こんなことをしているうちに小さなこの園田の街に

「あそこでときどき、お弁当やらを無償配布しているよ。」

という評判がたち、おなかを空かせた子どもたちが

恥ずかしがらずに並んでくれたらいいなと思います。

 

別のある日は冬で、終日雨でした。

寒いし雨なので、少し余った弁当はボランティアスタッフが

500円で夕食用に買い、早めに活動を終えました。

その後、ボランティアのKさんたち二人が残り、店でコーヒーを飲んでいた時です。

5、6歳の女の子がひとり、傘をたたんで店に入ってきて、

緊張した面持ちで「あの、お弁当はありますか」と聞くのです。

一瞬、私はなぜか、キツネの子が町のお店に手袋を買いに行くお話が頭をよぎりました。

私は「終わったからもうないのよ」と言いました。

こういうとき、私の脳みそは融通も何もあったもんじゃないのです。

その時、カウンターでコーヒーを飲んでいたボランティアのKさんが、

「あ、あるよ、あるよ。ぼくのをあげる。これ持って帰りなさい。」

と言って、500円で夕食用に買い上げた弁当を女の子に渡したのです。

女の子はあくまでも丁寧体で、

「あ、いいえ、いいです。」と生真面目に遠慮しましたが

Kさんが上手に勧めると少しだけホッとしたような顔になり

「ありがとうございます。」

と持って帰りました。

本当に、外見は5歳か6歳ぐらいにしか見えないのに、

大人びた言葉遣いや様子でした。

(どんなおうちなのかな。それにしても、Kさん、グッジョブだったな)と思いました。

 

また別の事例です。

秋でしたが、雨が降った翌日、店に年配の男性が歩行器を操作して、

コロナのために開け放した入り口から

ガタピシと(凸凹があるので)不自由そうに入ってきました。

「昨日はお弁当の無償配布があったんだよね。

ぼくは来たかったんだが、歩行器の操作に両手を使うから

傘がさせない。だから来られなかったんだよ。」

聞けば80歳過ぎで一人暮らしの近所の方でした。

その時はランチもしていたのですが、

「ソーメンはないの?」と聞かれて、

「うちはソーメンはないです」と、また融通の利かない返事をしたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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6月14日 雨~ドクダミ~アゲハ

2023-06-14 23:17:27 | 裏庭

「どくだみや 真昼の闇に 白十字」

穏やかな五月が静かに去り、梅雨の時節になりました。

友人が川端茅舎の句をラインに送ってくれたとき、

ちょうど私の裏庭にもドクダミの花が開いていました。

2年前、近所の店の敷地に除草剤が撒かれ、

息も絶え絶えになったドクダミがかろうじて枯れ切っていなかったので

引き抜いて家に持って帰り、

裏庭の痩せた土をほじって埋めておいたのが、

今年になって開花したのです。

(ここで頑張ってみるよ)と言ってくれているようで嬉しかった...。

今日、ドクダミ茶を作ろうと根元から切って部屋にぶら下げたところ、

ぼんやりと年を経た部屋に鮮烈なドクダミの香りが漂い、

空気が浄化されたようでした。

曇り時々雨の一日でしたが、

雨が降り出したとき、グレープフルーツ(たぶん。食べた種から芽が出た)の葉に

アゲハが飛んで来ました。

産卵かなと思い、後で見てみましたが、一つも見つけられませんでした。

葉が濡れていたのがアゲハには具合が悪かったのでしょうか。

せっかく飛んできたアゲハさんには申し訳ないのですが、

もし卵を見つけたらすぐに取り除いてしまうところでした。

二律背反、しかし、

私にはグレープフルーツの木が育つ方がだいじなのです。

 

 

 

 

 

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6月3日 明日食糧支援13回目

2023-06-03 20:35:22 | 街角

〈簡単なご報告〉

2020年初頭以来のコロナパンデミックにより中国渡航を中止し、大学は退職、

それと軌を一にして、

飲食店を経営していた息子が病で店に出られなくなり、

及ばずながら私の厨房(穴ぐら)生活が始まりました。

・毎日々々の包丁遣いによる腱鞘炎発症(人生でこんなに大量の料理作ったことない)、

・カルシウム不足で簡単に右手首骨折(店に行く途中、自転車でちょっと転んだだけなのに)、

・店の残り物を食べているうちに異常な体重増加(最近ようやく減量しつつあり)、

・・・・・・

自分だけ世界から取り残された感がありましたが、

(いやいや、喜界島の俊寛さんに比べたら…)とか我が身を慰めているうちに

息子がなんとか回復して店に復帰したので、

今は店の会計だけ手伝っています。

厨房に入らなくてもいい解放感たらありません。

ほんま、病気治ってよかった(泣くほど嬉しい)。

一時はコロナのため、

仕出し弁当を専門にしてランチも夜パブも一切していなかったのですが、

最近は息子が週に一度、水曜昼だけランチ、金曜夜だけパブを再開したようです。

 

「新日本婦人の会」(平塚らいてう、岩崎ちひろ、野上弥生子などが創設)の

地元の活動グループが不況に喘ぐ庶民同士、助け合うという趣旨で

一昨年から店の仕出し弁当プラス寄付の米や野菜、食品などを

無償配布する活動をしています。

明日6月4日は13回目の食糧支援活動の日です。

もし、来られる距離でしたらどうぞお越しください。

私が美味しいコーヒーを点てましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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6月2日大雨

2023-06-02 12:58:02 | 裏庭

朝、部屋で雨量が多いと分かる雨音を聞き、少し憂鬱になる。

裏庭が水浸しになり、地植えの草や野菜が苦しむからだ。鉢植えの植物はひさしのある縁側もどきの場所に避難できる(させる)が、地植えのものはただ項垂れて耐えるしかない。

少しでも彼らの困難を減らそうと、20cmほどの穴を掘り、そこに周囲の水溜まりから筋を引いて小川のようにし、水が流れ込むようにしている。今日は午前中、頻繁に穴に溜まった水の搔き出し作業をした。焼け石に水だ。きりが無い。

しかし、こんな大雨のザンザン、ザシザシ降る音には胸がざわつき、どうしても水搔きばあさんにならざるを得ない。我が衣手は露に濡れつつ、どころか全身ずぶ濡れで水を搔き出していると、ふと、傍らに生息しているラベンダーが、フワッと香りを放った。これ、応援かな。えへ。

 

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